昨年末に久しぶりにアメリカを旅したのだが、ホテルでCNNを観ていたら、「トランプが親族を政権チームに加えるのはおかしい」という批判をずっとやっていた。「ヒラリー・クリントンが娘のチェルシーを政権入りさせても共和党は文句をいわないのか」というわけだ。
その後、オバマ大統領が「ロシアのサイバー攻撃が行なわれた証拠がある」と発表したことで、「トランプが大統領になったのはプーチンの陰謀だ」という報道が溢れた。
そのあとは、中国が南シナ海で米海軍の無人潜水機を奪取した事件を、トランプがTwitterで「unprecedented(前例のない)」の代わりに「unpresidented(大統領としてふさわしくない)」と書き間違えたことを繰り返しネタにしていた。トランプが大統領職にあるこれから4年間、アメリカでは同じような「ニュース」がえんえんと繰り返されることになるのだろう。
なぜこんなことになったのか。2017年の最初に、このことを「ポピュリズム」をキーワードに考えてみたい。なぜならトランプは、ヨーロッパを席巻する右派ポピュリズムの「成功の法則」をそのままアメリカに持ち込んで、「世界最強の権力者」の座を勝ち取ったのだ。
先進国型の右派ポピュリズムとは?
ポピュリズムの定義は難しいが、私の理解では、それはなんらかの主義(イズム)というよりも、大衆を動員する政治手法のことだ。そのためポピュリズムは、左派から右派までさまざまな政治的主張と組み合わせることが可能だ。
南米のように貧富の格差が大きく、膨大な数の貧困層を抱える社会では、ばらまき的な福祉政策で大衆の歓心を買おうとする左派ポピュリズムが台頭する。古くはアルゼンチンのペロン政権から最近ではベネズエラのチャベス政権まで、南米の政治はポピュリズムによって動いているといっても過言ではない。
リベラルデモクラシー(代表民主政)は、選挙によってもっとも多くの票を集めた政治家に権力を賦与する仕組みだから、有権者を効果的に動員しようとするポピュリズムは民主政の同義語のようなものだ。実際、フィリピンのドゥテルテ大統領をはじめとして、アジアやアフリカ、中東の国々にもポピュリストと呼ばれる政治指導者はいくらでもいる。
「カネで有権者を釣る」左派ポピュリズムは後進国(発展途上国)に特有の政治現象とされ、洗練された先進国では克服されたと考えられてきた。だがユーロ危機で財政破綻寸前に追い込まれたギリシアでは急進左派連合のチプラス政権が誕生し、スペインでは新左翼のポデモスが、イタリアでは人気コメディアンが率いる「反資本主義」の5つ星運動が党勢を拡大している。ヨーロッパは「北」と「南」に分断されており、“後進性”の強い「南」では左派ポピュリズム(空想的理想主義)がいまも強い誘引力を持つのだ。
ところがもっとも政治的に進んでいるはずの「北のヨーロッパ」で、新しいタイプのポピュリズムが台頭してきた。国ごとにさまざまな政策を掲げる政党があるが、近年ではその主張は「反移民」「反EU」に収斂している。これを、(後進国型の)左派ポピュリズムに対して、先進国型の右派ポピュリズムと呼ぼう。
この右派ポピュリズムは、イギリスをEUから離脱させただけでなく、デンマークやオランダでは(閣外協力ではあれ)政権の一角を占め、オーストリアでは連立政権で内閣を組織したばかりか、昨年12月の大統領選挙(再選挙)ではあと一歩で「極右」の大統領を誕生させるまでに迫った。
今年もヨーロッパでは重要な選挙が予定されているが、3月のオランダ議会選挙で移民排斥を求める自由党が票を伸ばし、4月末と5月はじめに行なわれるフランス大統領選では国民戦線のマリーヌ・ルペンが決選投票に進むことが確実視されている。さらにヨーロッパのリベラル勢力を支えるドイツのメルケル政権も、9月の連邦議会選挙では、難民受け入れを批判する「ドイツのための選択肢(AfD)」の躍進に大きく揺さぶられることが予想されている。
右派ポピュリズムはこれまで、「移民(難民)問題」を抱えるヨーロッパに特有の現象だと考えられてきたが、トランプ旋風は、大西洋を越えたアメリカでもまったく同じことが起きていることを示した。なぜ「ポピュリズム」は、これほどまで大きな影響力を持つようになったのだろうか。
欧米の右派ポピュリズムとイスラーム原理主義のテロリストは共生関係
ポピュリズムとは、左派・右派にかかわらず、大衆を動員する政治手法のことで、有権者を惹きつけるもっとも効果的な方法は、彼らの理性ではなく感情に訴えることだ。これが「反知性主義」で、社会を不当に支配しているエリートを批判し、「理屈(知性)よりもひとびとの本音(感情)に寄り添うことが真のデモクラシーだ」と主張する。
ポピュリズムの特徴は、複雑な現実を単純な図式に落とし込んで、善悪二元論の勧善懲悪の物語をつくることだ。ハリウッド映画が典型だが、人類は「俺たち」を善=光とし、「奴ら」を悪=闇として、光と闇のたたかいの果てに最後は正義(善)が勝つ、という物語をえんえんと紡ぎつづけてきた。ポピュリストの政治家はこのことをよく知っているので、感情に訴える巧妙な物語で大衆を動員する。ここでのポイントは、「物語(フィクション)」である以上、それが事実かどうかは(無視できるわけではないものの)二の次だということだ。ポピュリズムは原理的に、「Post-truth(客観的事実が意味を持たない)」なのだ。
ポピュリズムのもうひとつの特徴は、議会による議論よりも国民投票や住民投票によって決着をつけるよう求めることだ。知性ではなく感情に訴えるポピュリストの手法は、議会での複雑な議論ではなく、一発勝負の直接民主政でもっとも大きな効果を発揮する。これが、イギリスの国会議員の大半がEU残留を支持していたにもかかわらず、国民投票で離脱派が逆転勝利した理由だ。この構図は米大統領選でも同じで、それが一種の国民投票であるからこそ、トランプのポピュリスト的戦略が予想外の結果をもたらしたのだ。
左派ポピュリズムの定番の物語が、「善良な民衆が悪の権力者(最近では外国資本やグローバリズム)によって搾取されている」というものだとすると、右派ポピュリズムの物語は、「何者かがあなたや家族の生命・生活を脅かしている」というものだ。ヨーロッパの場合この脅威はイスラーム(ムスリム移民)で、トランプはこの構図をそのままアメリカに持ち込んで、メキシコなどからのヒスパニックの移民がアメリカの中流白人層の仕事を不当に奪っていると主張し、それにイスラーム過激派の治安上の脅威を加えた。
ひとびとの知性ではなく感情に直接訴える物語は、とてつもなく強力だ。「愛する子どもの生命が危ない」といわれれば、その警告を無視できるひとはいないだろう。そのうえこの警告には、フランスやベルギー、ドイツなどでのテロ(さかのぼれば9.11の同時多発テロ)といった強力な「証拠」もある。2015年のシャルリー・エブド襲撃事件のときは、多くのメディアは「テロリストはごく一部の狂信者でイスラームとは関係ない」と口をそろえたが、IS(イスラーム国)の戦闘員やシンパのテロがヨーロッパ各地で次々と起こると、こうしたクリシェ(決まり文句)は現実の前に説得力を失い消えていった。
これは成熟した先進国が、「安全」にきわめて大きな価値を置く「リスク社会」になったからだ。統計上は、子どもが誘拐される危険は交通事故にあう確率よりはるかに低いが、それでも最近のマンションでは、「知らない大人に声をかけられても無視するように教えているから、子どもに挨拶しないでください」との回覧がまわるという。こうした状況は日本だけでなく先進国に共通で、これほどまでリスクに敏感になった社会が、カフェで談笑していたひとたちが無差別に銃撃されたり、花火や祭りを楽しんでいたところに大型トラックが突っ込んでくるような非日常的な凶行を許容できるはずはない。この圧倒的なリアリティによって、右派ポピュリズムはリベラルな文化多元主義のきれいごとを粉砕していく。
この問題が解決困難なのは、イスラーム原理主義のカルト集団が、リスクを極度に恐れるようになった欧米社会の弱点を知悉したうえで無差別テロを仕掛けていることだ。これによって右派ポピュリズムに火がつき、ムスリム移民が差別され排斥されれば、過激なイスラームの支持者が増えて戦闘員のリクルートが容易になる。彼らにとっては、十字軍の時代からつづく「西欧対イスラーム」の殺し合いの構図をつくりだすことが、自らの勢力を拡大するもっとも効果的な手段なのだ。
その意味で、欧米の右派ポピュリズムとイスラーム原理主義のテロリストは一種の共生関係にある。そして残念なことに、この強力なつながりを切り離す方途はいまのところ見当たらない。
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