SMAPがいない2017年がはじまりました。これからジャニーズはどこへ向かう? 日本のエンターテインメントの未来は?
音楽業界の構造的変革を論じた話題書『ヒットの崩壊』の著者・柴那典氏(音楽ジャーナリスト)と、ジャニーズを戦後日本のあり方に関わるカルチャーとして捉えた『ジャニーズと日本』の著者・矢野利裕氏(批評家)による新春特別対談をお届けします。
ネットを活用しないジャニーズの特異的な姿勢や、SMAPが背負ってきたテーマを代表的な楽曲から論じた第1回に続き、論点の舞台はJ-POPへ。
「ジャニーズのエンターテイメントは、日本をアメリカ化する営みの中で戦後50年続いてきた」という観点から、星野源『恋』やAKB48『恋するフォーチュンクッキー』といった「踊る楽曲」を通り、新たな日本文化となった「過圧縮ポップ」にまで話は広がっていきます。
柴 アメリカと日本の関係性を見る上で、僕はジャニーズと星野源のあり方がとても対照的だと思っているんです。
矢野 あぁ、やっぱりそこは対照的ですよね。それこそ僕も『ジャニ研!』(大谷能生、速水健朗、矢野利裕の共著)を書く前までは、とりあえず「和洋折衷」で一緒のものだろうという見方があったのだけれど、そうではなかった。
柴 ええ。星野源は2015年にアルバム『YELLOW DANCER』を出してからずっと「イエローミュージック」を提唱していて、それは明らかに細野晴臣の提唱してきた「イエロー・マジック」を引き継いでいます。細野晴臣と星野源には共通のルーツにマーティン・デニーがいて、音楽ジャンルとしてのエキゾチカがある。
はっぴいえんどにしても、同時代のアメリカのロックを強く意識した音楽の成り立ちです。ただ、その上ではっぴいえんどにしても星野源にしても、結局は「日本人としての生活実感」が原風景として出てくる。
一方で、『ジャニーズと日本』でも書かれているように、嵐のアルバム『Japonism』に出てくる日本は「日本人の原風景」ではない。
たとえば、「お正月にはこたつに入ってミカンを食べる」といった生活の実感に根ざしたことではなく、ニンジャ、スシ、ゲイシャ……といった「外国人から見た日本」を日本人が演じている図式です。その図式は『Japonism』だけでなく、少年隊、忍者、シブがき隊、関ジャニ∞と、ジャニーズに脈々と受け継がれてきた。
つまり「アメリカへの憧れの裏返しとしての日本」がはっぴいえんどと星野源の系譜で、「外から見たオリエンタリズムとしての日本」がジャニーズの系譜。そういう対比です。
矢野 たしかにジャニーズは『Japonism』の系譜になると、すごく不思議な感じになってしまう。今まではなんとなくアメリカの影響を受けていて、同じように「和洋折衷」と言われてきたところだけど、「実は全然違うもの」ということは示しておきたいところです。
柴 2016年の紅白歌合戦には、今や日本を代表するスターの星野源と嵐、その両者が出場しました。そこから思うのは、日本におけるエンターテイメントは、アメリカとどう向き合うか、そして日本らしさをどう出すかがキーになる。
それがリアルなのか、ある種のフェイクなのかで分かれるのだろうと。で、僕が思うには、やっぱり「リアルのほうが優れている」という言説が立ちやすいですよね。
矢野 僕はその問題に対しては、フェイクの価値を見直したいと思っています。『ジャニーズと日本』の中でも書きましたが、1970年代後半に全国的なムーブメントになったディスコにまつわる話が挙がります。
ネルソン・ジョージという音楽評論家は「R&Bはそもそも黒人のコミュニティから出てきたものだからこそ、その流通形態も黒人が中心になるもの。それが白人に搾取されてしまったディスコは良くない」といったような言い方をする。
けれども、ジャニーズが持ってきたのはR&Bよりも圧倒的にディスコの表面的なフェイクの部分でした。あるいはヒップホップも黒人コミュニティから出発しているのは間違いないけれど、RHYMESTERのMUMMY-Dが「韻踏んじゃったらオマエもライマー」とラップするように、ちょっとした約束事さえクリアしたら誰でもできるものだと思います。
だからこそ、嵐の櫻井翔も堂々とヒップホップをやるんだ、と。つまり、音楽のフェイクの部分、音楽の上っ面で軽薄な部分こそが、むしろポピュラー音楽としての広がりを持っている。僕は「リアルのほうが大事である」という立場は尊重しますけど、そうでないフェイクの部分で広がりを見せたのがジャニーズであることは強調したい。
フェイクの部分で担われたきたジャニーズには、ジャズ・ポップス、グループ・サウンズ、ディスコ、ヒップホップ、クラブミュージックといった日本の非 - ロック的なポピュラー音楽の流れがあるんだと思いますね。
柴 矢野さんの『ジャニーズと日本』を読んで個人的にいちばん面白かったのは、ジャニーズの楽曲に対して「この曲は、この曲が下敷きになっている」と見立てていることです。
たとえば、近藤真彦『ギンギラギンにさりげなく』はクインシー・ジョーンズ『愛のコリーダ』が下敷きであるというように、ディスコ、R&B、ヒップホップ、カバーポップスについても逐一紹介されている。
この本と併読すべき新書は輪島裕介さんの『踊る昭和歌謡―リズムからみる大衆音楽』でしょうね。あれもロックやフォークという系譜ではない歌謡曲史観を刷新する本だったので、その延長線上に『ジャニーズと日本』が置かれるように思います。