やっぱ、このブログのコメントには若干返答せなアカンなあ。
個人名もあるし、問題になりそうやし、私もちょっと慎重に回答するけど。
http://08bunren.blog25.fc2.com/blog-entry-213.html
なるほど。ここまでやらせているのは公安警察の指示と後ろ盾であるのは間違いなののですが、中核派の「限界」は、権力の本質を知らないということに尽きるということです。
彼ら中核派は、「権力の万能論」だとして根底的な権力批判をさける傾向がありますが、公安警察は「おれたちが法律なんだ」と称して弾圧する場合が実際にありますので、ここまで仕向けている権力の実態を認識する必要があろうかと存じます。
それなしには、原因と結果をつかんで対峙することができないからです。
しかも、これらを打破するのは「団結」だとか、逮捕や事件で新たな決起が生まれるなどと、党派そのものの囲い込み運動的な「利用主義」で対抗しているという現実では、まったく新井さんたちは駄目だと私は指摘したいです。
「怒り」だけでは、勝てません。冷静沈着な対応が重要です。その点を、「中核派」は理解できないのです。彼ら中核派は、「怒り」で集中させる人たちでしかない根本的脆さが出ています。
修羅の命では、同じ修羅の塊にほかならない公安警察に勝てるわけがないからです。
なぜなら、そんな闘いでは、「苦しい・苦痛」を伴うまさに、苦闘でしかないからです。
苦しい闘いでは、らちが明かないのです。そしてそのような闘いでは、どんなに声をあげようと、「正しい方針」であろうとなかろうと、多数を獲得することなど到底できるはずがありません。
そのことを新井さんたちは気づいてほしいです。文化連盟や、ノンセクト・ラジカルの闘い方の可能性のほうがはるかに高いと私は認識しています。
それらのアプローチが中核派に発想ができないのは、中核派という統制のとれたひとつの「組織性」=セクト主義に原因があるのです。
> 彼ら中核派は、「権力の万能論」だとして根底的な権力批判をさける傾向がありますが、公安警察は「おれたちが法律なんだ」と称して弾圧する場合が実際にありますので、ここまで仕向けている権力の実態を認識する必要があろうかと存じます。
たとえば私だって、現にこうやってブログのコメントや2ちゃんねるで、”公安警察は「おれたちが法律なんだ」と称して弾圧する場合”があることを示しとるけれども、それを中核派に持ってったら全部
「団結したら勝てるんだ!」
という理屈で、私がリアルに戦っている実体には向き合ってない。
あ、リアルに戦っている実態、というと、すぐ”当局”という言葉で逃げてまうのもマズいと思っている。
どこが作ったどういう組織で、どういう力関係になっているか、を考えたら、相手も一枚岩では行ってないのは明白や。
なのに、”当局”として、相手の組織に関する研究を怠ったら、
「団結したら勝てるんだ!」
みたいな曖昧な論理で、勝てるものも自分から負けを選択しているに等しい。
野球選手が
「ホームランを打ったら勝てるんだ!」
と言って、27打席全部三球三振して負けてまうのと同じ愚を犯しとる、とさえ言える。
ホームランを打ったら勝てるのはわかるけれども、現実にどうやって得点するかは、全く別問題やろ。
そんなリアルな問題を考えなハナシなんて始まらん。
そもそも、ヒットは打てんかったって、めちゃくちゃ足が速い選手を使って、その選手の選球眼をめちゃくちゃ良くして、ファウルはなんとか打てるようにしたら、フォアボールにはなるやろ。
そして、フォアボールを選んで、2塁に盗塁して、3塁にバントで進塁して、さらにバントで生還、というストーリーだって考えられる。
点を取る方法はホームランだけではない。
そんな地道な戦略なり戦術が根本的になくて、全部おおざっぱに、
「団結したら勝てるんだ!」
になって、さしてココロを掴めんビラを配っとるのが、めちゃくちゃ弱い。
> なぜなら、そんな闘いでは、「苦しい・苦痛」を伴うまさに、苦闘でしかないからです。
>
> 苦しい闘いでは、らちが明かないのです。そしてそのような闘いでは、どんなに声をあげようと、「正しい方針」であろうとなかろうと、多数を獲得することなど到底できるはずがありません。
私が言うとることそのまんまやなあ。
その通り!よく仰いました!というしかない。
誰も、苦しい闘いなんてしたくなくて、どうやって楽しさを見出すか、それを自分らが主張できるか、それなくして大勢を獲得することなんてできん。
”セクト主義”という言葉はワカランから調べたけれども
セクト主義”
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AF%E3%83%88%E4%B8%BB%E7%BE%A9
党の人々は反対するやろけど、私から見たらもろに”セクト主義”に陥っとるよなあ。
ホンマは革命の指針を打ち立てて、自分たちはどうしたいか?を主張せなアカンのに、それがなかなかできんから、ついつい「あいつらよりはマシや」として、他派を非難することのほうに主眼を置いてまう。
他派を非難してもええけど、それはその他派のほうが数では多くて、なんとかその人々を獲得したい、と思う場合に、上手に非難する、というくらいにとどめるべきやろなあ。
けっきょく、官僚や企業のさえない中間管理職が、自分で新しい成果を出せないからとして、古い仕組みを手直しして安直に搾取する、というのと全く同じ思考で、大勢に訴えることをやめて、「あいつらよりはマシ」という主張をしとるヒトが大勢いる。
そこから脱却せな。
私も、厳しいことを書くし、糾弾も受けると思うけれども、だって外に対して革命を訴えるんやから、外から見て素晴らしい組織にすべく、いの一番に反省して内的革命を達成して、それを非公然にウラでコソコソするのではなくて、公然と主張したほうがええと思うなあ。
だってマスコミを使って公然と”過激派”と言ってくるヤツらに対して、非公然で戦えるハズがないやないかなあ。
・・・・・・そもそも、”マスコミを使って公然と”過激派”と言ってくる”、というのは、マルクスの時代になかった、権力側の攻撃手法ちゃうか?
そうであれば、やっぱ、マルクスの思想を転換せなアカンよなあ。
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