ステージに上がったトランプ氏は、ポールから垂れ下がった星条旗を恋人のように抱き、聴衆に向かってほほ笑んだ。万雷の拍手。同氏は意気揚々と演壇に立ち、既成の政治がいかに無能かを説き始めた--。
米大統領選で共和党のトランプ氏が得意としたパフォーマンスだ。「自分は愛国者」と印象付けるのがミソで、激越な演説も失言も「愛国心」からだと言える強みがある。
一方で次期大統領は言う。「(人々は)大きく考える人を見ると興奮する。だからある程度の誇張は望ましい」。それは「真実の誇張」「罪のないホラ」であり、人々の夢をかき立てる「はったり」は必要だと(ちくま文庫「トランプ自伝」)。
破壊より建設の知恵を
そんな人柄を承知でトランプ氏を選んだ有権者は変化を渇望したのだろう。だが、超大国の政権交代を見守る私たちの思いは複雑だ。トランプ氏は既成の権威を思い切り批判し罵倒して、米国民の理性というより眠っていた情動に火をつけた。それは主として破壊だった。
だが、世界を見渡せば北朝鮮は核実験を繰り返し、シリア国境地帯では戦火を逃れる人々が長い列を作る。流入する避難民に欧州諸国は悲鳴を上げ、和解と寛容に基づく国際秩序は排斥と分断に傾いている。そんな世界をいかに安定させるか。問われているのは建設の知恵だ。
オバマ政権はシリアの内戦に打つ手がなかった。トランプ氏は世界の窮状にどう対処するのか、しないのか。そもそも米国は世界にとってどんな存在であるべきなのか--。
確かに言えるのは、トランプ氏が故レーガン大統領の「強い米国」を意識していることだ。昨秋発表した国防政策では、レーガン政権で600隻近かった海軍艦艇がオバマ政権下で半分以下に減ったと述べ、米軍を大幅に増強する方針を示した。
昨年末はプーチン・ロシア大統領の核戦力増強表明に対し、米国も大幅な核軍拡を図ると述べ、軍拡競争は望むところとの態度を見せた。
レーガン政権が軍拡競争によってソ連を財政難に導き、崩壊に道を開いたことを意識しているのか。米露関係の修復に前向きなトランプ氏も、こと軍事ではロシアや中国の追随を許さず「超・超大国化」をめざしているように思える。
その分、同盟国の日本や北大西洋条約機構(NATO)の構成国にも経費負担を求めるだろう。「世界の警察官」の名を返上した米国は、各地に展開する米軍を「平和と安定の公共財」と考えることもやめるかもしれない。かつての「警察」が有償の「警備保障会社」に衣替えするというより、大帝国として君臨して小国の朝貢を促すような趣さえある。
もう一つ明らかなのは「オバマ政権の政策は継承しない」(Anything but Obama)というABO戦略を採ることだ。2001年に発足したブッシュ政権(共和)がクリントン政権(民主)の政策継承を嫌ったABC戦略と同じである。
「核なき世界」継承せよ
環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に加え「核兵器のない世界」構想も頓挫するかもしれない。トランプ氏の親イスラエル路線によりパレスチナとの「2国家共存」構想は白紙に戻り、アラブ・イスラエルの対立が再燃する恐れもある。
情勢は流動的だが、オバマ大統領のノーベル平和賞受賞や広島訪問が無に帰するのは大きな損失だ。実利優先のトランプ氏も「核なき世界」構想を継承してほしい。人類の安全な生存こそ最大の実利だ。
米政界にも利益を優先するあまり建国の思想や価値観、国際正義などを軽く見る傾向があるようだ。だが、「徳」を失った国は孤立するという、身近な教訓を忘れてはならない。
たとえば1991年の湾岸戦争で、ブッシュ父政権がイラクに占領されたクウェートを解放した時、中東イスラム圏の国々は競って米国に接近した。軍事力への恐れではなく、国連安保理決議に従ってイラクと戦い、クウェート解放後は整然と軍を撤収させた米国への憧れからだ。
その結果、イスラエルとアラブ陣営の和平機運も生じたが、この「パクス・アメリカーナ(米国による平和)」を台無しにしたのが、息子のブッシュ政権だった。大義なきイラク戦争で米国の信用は地に落ちた。
過激派組織「イスラム国」(IS)の「共同創始者」はオバマ大統領とクリントン前国務長官--。トランプ氏は選挙中、呪文のように繰り返した。だが、イラク駐留米軍の早期撤退がISを生んだというなら、先制攻撃でイラク戦争を始めたブッシュ政権の責任は、もっと重い。
「再び米国を偉大に」を掲げるトランプ氏は米国自身の失敗に学び、歴史の前に謙虚であるべきだ。強国の力は平和のために生かしてこそ意味がある。国際協調を忘れて単独行動に走れば他の国々に愛されず、歴史にも報復されよう。愛されない国は決して偉大ではいられない。