蹴球探訪
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【首都スポ】ルーキーズの素顔by瀬川ふみ子 オリックス育成4位指名の坂本、「俺は生き残る」2016年12月29日 紙面から
オリックスに育成4位指名され、来季は現役最小兵選手となる坂本一将内野手(26)。幼少のころから父の猛特訓で鍛えられ、新宿・歌舞伎町のど真ん中でバットを振りまくり、そして苦労を重ねながらも必死に野球に食らいついてきた男は、誰よりも“持ってる”男でもある。来季ルーキーを特集した短期連載も今回が最終回。ついに夢のスタートラインに立った男の素顔を紹介する。 (瀬川ふみ子) 10月のドラフト会議。私は“その瞬間”を見たくてBCリーグ・石川ミリオンスターズの事務所にいました。選手や関係者の方々とじっと待ち、待ち続け…、育成選手指名で、オリックスの4位、ついに“坂本一将”の名前が呼ばれました! ミリオンの端保社長や渡辺監督と握手を交わす一将を見て「ようやくスタートラインに立てた」って目頭が熱くなりました。一将はリトル時代から見てきたけれど、よくここまできたなって…。 出会ったのは15年も前の武蔵府中リトル時代。チームで一番小っちゃいけれど、ガッツがあって、とにかく守備がうまい。そして、大人にも物おじせず「ねーねー」ってタメ語で話しかけてくる人懐っこい選手(笑)。 リトルリーグで日本一になり、世界一になり、武蔵府中シニアでも日本一になりました。いずれもレギュラーとして。「小柄だし強豪いっても無理じゃない?」って言われながら進んだ浦和学院でも、レギュラーとして3年夏に甲子園出場。「バットも木になるし、さすがに無理でしょう」って言われた東洋大でも、3年時、守備固めや代走として全試合出場し日本一に貢献しました。 社会人のセガサミーでは1年目からレギュラーをとって、3年連続都市対抗&日本選手権に出場し、日本選手権では準優勝も。「俺、小学5年のとき、学童のマクドナルドトーナメント(全国大会)にも出てヒット打ってるから、アマチュアの全世代の全国大会でヒット打ったよ。こんな人いるかな」ってニヤってしていたけれど、本当にいないと思います。 そんな一将をここまで導いたのは、間違いなくお父さん。西南学院大で野球をしていた貢さんは、一将が小さいころから星一徹ばりにしごいてた。自宅は新宿。小学校のころから朝6〜8時までと夕方〜夜にかけて近くの公園で練習。「左手でグラブを持って右手でノックを打つ練習はきつかった。返球がちょっとでもそれると捕ってくれなくて自分で捕りにいくの。雨が降っても屋根のあるところで腹筋・背筋・素振りはやるし、熱が出てもランニングはなくならないんだよ」と一将。
そして夜8時、ヘルメットをかぶりバットケースを背負った一将少年は、歌舞伎町一番街をキックボードを蹴りながら駆けていく。向かう場所は新宿バッティグセンター。お父さんとの熱いバッティング練習だ。「出勤前のホストの隣でよく打ってたよ。お父さんに怒鳴られながらやってたから、周りの人に写真とかムービー撮られてたね」と笑いながら話してた。 そんな熱いお父さんは一将が高校2年の5月に急逝。一将が掲載された高校野球雑誌を買いにいき、自転車で帰宅途中に突然…。57歳だった。「あれはショックだった。心の太い支えが折れちゃった感じ」。お通夜で、小さい体をもっと小さく丸めた一将の姿が今でも目に焼き付いてる。 でも、そこからお父さんとの約束を果たそうという一将の旅が始まった。地道に努力を続け、社会人時代に少し手応えを感じられるようになったという。当時セガサミーのコーチをしていた黒川洋行氏に「おまえには足がある。守備をもっと練習してうまくなればプロになれるぞ」と毎日マンツーマンで練習をしてもらううちに、夢が確実な目標に変わっていった。一将は黒川さんとの出会いが俺のターニングポイントという。 それまでも節目節目で話をしていたけれど、それから一将と私は1時間でも2時間でも時間が合えば、会って話をするようになった。小さいころと変わらない「ねーねー」で始まる会話。一将は他の人の前で「プロ」とはあまり口にしなかったけど、私には「プロになりたい」と口にし、「ふみさんは、そんなに期待をされていなくてもプロ入りした選手を見てきてるよね。俺はこれからどういう道をいったらいいと思う?」とよく聞いてきた。 そしてほかの何人かにも相談し、一将が出した答えが、社会人野球を辞めて独立リーグからプロを目指すという道だ。「俺みたいな選手は社会人からプロの支配下で指名される可能性はゼロに近いよね。でも、独立にいって育成でプロにってなったら可能性は出てくるよね。だったら可能性がある道をいきたい」。社会人3年目が終わったところで決意。セガサミーも理解してくれ、BCリーグ石川に飛び込んだ。 その時点で25歳。「もう時間がない。1年やってダメなら終わり。捨て身の気持ちで勝負しにいってくる!」と旅立っていった一将は、しっかり結果を出した。プロから「あの選手、面白いな」って言われる選手になっていったのです。 ドラフト後、「俺が不安に思ってるとき、ふみさんが『プロは実力だけじゃなくて運もないといけない。でも一将は実力も、“星”も“運”も持ってるからいけると思う』って言ってくれたよね。それを信じてやってこれたよ。ありがとう!」って言われました。一将は世代世代で優勝してるから、よく「“星”を持ってる」って言われます。私もそう思うけど、人並みならぬ練習をしているから、“星”や“運”をもっともっと引き寄せてるんだと思います。
そんな男だから、プロに入るだけで終わるわけがないと思ってる。今までも周りから「無理なんじゃない?」って言われてきたけれど、一将は「見とけよ」っていう強い気持ちを持って臨み、周りの評価を覆してきました。だから今回も、「162センチでやっていけるの?」って言う人もいるけれど、きっとやってくれるって私は思います。 「ここからは、いかに生き残れるかが勝負。守備固め、代走、バント要員、なんでもいいから試合に出て、なんとか生き残るってことしか考えてないよ。俺の生命力、見ててね」って一将。もちろん、これからも今まで以上に見守り、応援させていただきます! 新宿生まれで新宿育ちの一将、見た目はとってもチャラい(笑)。よく飲んで、よく遊んで…。でも、どんなに遅くなっても次の日の練習はしっかりやります。遅刻なんてことは一回もない。見た目から、適当なヤツって思われることもあるけれど、やるときはやる。シャイだからみんなの前で自主練することはめったにないけど、陰で必死にやっています。 小さいころから練習練習でここまできた一将、今でも練習こそが自信につながっています。私はそんな一将が大好き。応援したくなるんです。一将はプロの舞台できっと輝く! 信じてます。 ◆漫画「あぶさん」に“出演”一将はオリックス新入団発表の際、俳優・柴田恭兵の知り合いということで話題になった。漫画家・水島新司さん率いる草野球チーム「あぶさん」に所属していた父がそこで恭兵とチームメートだったのだが、一将はもちろん水島さんとも知り合いで小さいころからかわいがられていた。そして一将は中学のころ、なんと、「あぶさん」に実名で登場。足だけでプロ入りしたという設定で、球団は中日。ロッカールームで福留らと会話している姿などが描かれている。
◆あらかると◆坂本一将(さかもと・かずまさ) ▼生年月日1990 (平成2)年11月16日生まれ ▼サイズなど 162センチ、65キロ、右投げ左打ち。50メートル5秒9 ▼小学1年 淀四ライオンズで野球を始める ▼中学1年 武蔵府中リトルの9番ショートでリトル日本一。ワールドシリーズに出て世界一。公式戦、ショートで何百球も打球を処理して無失策の快挙 ▼中学3年 武蔵府中シニアの2番セカンドとして3年夏の日本選手権大会優勝に貢献。ベストナイン受賞。ジャイアンツカップ準優勝し優秀選手賞。155センチの小柄ながら右翼席に弾丸ライナーのホームランも打った ▼高校 森監督のおとこ気にほれて浦和学院へ。埼玉初の夏3連覇の代。1年夏はスタンド、2年夏は背番号16でベンチ入り。3年夏は1番ショートで甲子園出場 ▼大学 東洋大では1つ上の藤岡貴裕、鈴木大地(ともにロッテ)らと黄金時代を経験。1、2、3年春にリーグ優勝。2、3年の全日本大学選手権優勝。3年春の日本選手権でサヨナラ勝ちで優勝を決めた時にホームインしたのが一将 ▼社会人 セガサミーでは1番か9番ショートとして3年間レギュラー ▼独立リーグ 石川ミリオンスターズでは1番ショートとして西地区で前後期優勝。前期の優勝を決めるタイムリー、後期のホーム最終戦ではサヨナラヒット <瀬川ふみ子> 本紙「みんなのスポーツ」のリトルシニア担当。中学硬式野球の取材を通じて出会った選手を、高校、大学、社会人、独立リーグと応援。さらにはプロ野球もチケットを買ってでも追っかけて応援にいき、アマ球界だけでなくプロ野球選手にも親交の深い選手が多い。夫はリトルシニアチームの監督、高2の長男は甲子園球児、長女は来春から高校野球の女子マネジャーになる予定と、野球にどっぷりの45歳。 ◇ 首都圏のアスリートを全力で応援する「首都スポ」。トーチュウ紙面で連日展開中。 PR情報
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