年末年始で実家に帰ってきて、中学生や高校生のいとこ達と久しぶりに会った。
これは皆そうなのかもしれないけど、彼らを見るたびに「あの頃の自分に比べてこの子たちは幼すぎないか?」という思いを禁じ得ない。
航空機や自動車が好きでネットでいろいろ調べたり本を読んだりするのが好きな中学生だったけど、無邪気な少年だった自分が青年に近づいたというか、自分のことを客観的に見つめることができるようになったきっかけがあったのを思い出した。
NHKのBSで放送していた「2001年宇宙の旅」を観たことだ。
中学2年生のことだったと思うけど、その頃は「シスの復讐」をきっかけにスター・ウォーズシリーズにハマっていた時期だった。もっと小さいころからテレビで放送される映画を観るのが好きだった。娯楽SF映画を特に観るのを楽しみにしていた。
そんな中で、「2001年宇宙の旅」に出会った。今でもあの衝撃をよく覚えている。最後まで見ていれば話が分かる、普通に地上波で放送しているような映画と違って、最後まで観ていても何がどうなったのか、全く分からない。ポカーンとしながら「美しき青きドナウ」が流れるエンドロールを見つめていた。
それから、ネットでいろんな人の解釈を漁ったり、小説版を読んだりして、やっと意味がつかめてきた。
映画版があまりにも意味不明なのは意図的にそう作られていたからだと知ったのは、町山智浩氏の「映画の見方がわかる本」を数年前に読んだときだった。
そして当時の自分は悟った。今まで自分が見ていた映画が、いかに型にはまった物語を描いたものであって、そういう映画だけを見て「自分は映画が好きだ」と思っていた自分の視野がいかに狭小なものであったかを。
それをきっかけにして、「自分が今まで考えもしなかったような視点が存在する」ということに当時中学2年生だった自分は気が付いた。いわゆる「メタ思考」的な考え方をできるようになったということかもしれない。自分の考えていることや言動が、周りの人からみてどのようなものであるか、ということを俯瞰して見つめる、自分の中のもう一人の自分が生まれたような感覚だ。
母親の実家に行って祖父母に会ったときに、「祖父母は孫である自分たちをどのように見ているのか」「親はどのような気持ちで自分たちを祖父母のもとに連れてきているのか」といったことを考えるようになった。
自分はクラスの中で典型的な「勉強はできるけど友達のいないかわいそうな奴」というポジションの存在であることにも気が付いて、最低限抑えたほうがいい振る舞いに気をつけるようになった。過去の自分が「誰かがやらなきゃいけないからやろう、などという動機でクラス委員などを引き受けてしまう、都合のいい人間」であったということを認識し、諦観にも似た境地に達するようになっていた。
そういうことに気が付くようになる年頃だっただけなのかもしれないが、それでも「2001年宇宙の旅」を観たときのあの衝撃がきっかけになっていることは間違いない。
今自分が見ている中学生や高校生のいとこ達は、そのような経験を既にしているのだろうか?
親戚何人かで紅白歌合戦をテレビで見ているときに、「太鼓の達人がしたい!」と言い出すような彼らを外から見ている限りでは、とてもそのような視点を獲得しているようには見えないのだが・・・
町山程度で感動してるアホの人間理解なんてそんなもんだからあんま難しく考えないで適当に生きろよ
子どもにまっすぐな視線を送れる大人になれるといいね
読んでて恥ずかしくなる
比較対象に自分しか出てこない時点で友達いなかったんだろうなと思ったらその通りでワロタ 「勉強はできるけど友達のいないかわいそうな奴」ポジションなのに上から目線なのなw
よくもまぁ……自分を俯瞰で見れるというなら、今のゲスさ加減もわかるだろうに