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(参院選投票日までリンク)
全国比例区の投票先をまじめに考えよう
全国比例区の投票先をまじめに考えよう②
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文字情報の価値、また個性と能力について①
昨日は、情報を発信するに当たっての真の価値として、
① (読者にとって役に立つ)独自の見解・考察
② 閉鎖された情報の保持と公開
③ 速報性
④ 娯楽性
ということを示し、テレビで紹介される死ぬほど無価値なツイートについて考えてみました。
例えば勝谷誠彦さんの配信メールなどは①②④を恒常的に満たしており、場合によっては③すらあります。
三橋さんは①②が強いと思います。人によっては④の要素も強いでしょう。
正しい歴史認識さんは②③④でしょうか。
「厳選!」さんはたま~に③がありますが、④にほぼ完全に特化していますね。
最上位のブログの中では非常に特殊なタイプだと思います。
また『パチンコ屋の倒産を応援するブログ』さんや、私がよく訪問するMGRさんのブログ(※比例区候補者データへのリンクありがとうございましたm(_ _)m)などは①④の性質が強いと思います。特に①です。
だって、MGRさんのブログを読んで「②閉鎖された情報」や「③速報性」を享受できますか。そういうのは全く無いでしょ?(すんません 笑)
つまり、誰でも手に入れられる情報しかない中で、それでも多くの人が「気づかなかった!」とか「新しい!」とか思うことを、しかも面白く書けるというのが①④の要素です。
そして私のブログは④しかありません。
私にしか思いつかない独自の要素なんてものはこのブログにはありません。ごくたま~にマグレがありますが、その程度です。これは謙遜でも何でもなく、オノレのことを自覚して言っているのだから間違いありません。というかですね、この世に何十万とあるブログなんてのは99%が④しかないので謙遜のしようもないんですよ。④以外があるのなら、それは大いに自慢できることなのです。
私のブログはほんの2日ほど更新しなかっただけで、例のブログランキングの順位がガラガラ~っと下がります。その後に毎日更新を続けても順位を戻すのにかなり日数を要します。訪問される方の流動性が割と高いのかもしれませんね。(それはそれで良いことだと思いますが。)
しかしそれでも、独自の考察も無く、閉鎖された情報も持たず、速報性も無い中で30位前後にいられるというのは過分な評価だと感謝しています。
私がこのブログで唯一創造性を発揮したのはおそらく一点のみです。それは、例えばあるニュースを見て多数の人が「おかしい!!」と感じながらも、実際に言葉や文章にしようとするとなかなか面倒で難しいだろう…ということを、長文で一々あげつらってみたら面白いんじゃないかと考えたことです。つまり当ブログは、誰もが分かっていることを七面倒くさい長い文章で"辿っていく"だけの内容です。その財産一つで30位という結果があるのだと思います。
ここから上の人達って、やはりすごいと思うのですよ。特に15~16位あたりから上は格が違います。だって50人や100人読者が増えたって順位が1つも上がらないんだから。ポイントを別カテゴリに配分しているブログもあるし、"マジパネェ"ってやつです。
中には変なこと言ってる人もいますが、それだって一日に何千という人間の手を動かしてクリックさせるのだから、大した個性であり能力なのです。言っていることの政治的有用性はともかく、私はその個性の強さや非凡さを認めるにあたり、障害となるものを一切持ちません。素直に「大したもんだ」と思います。
そしてそれとは全く反対に、①②③④とは全く無縁なツイートをテレビという装置―――誰もが受動的に見ている、受け手にはほとんど手の下しようのない画面―――の端に、恥ずかしげもなく「さあ読め」とばかりに登場することを知っていながら文字を垂れ流すことの愚鈍さに目を覆うのです。言い換えれば、無価値なものは能動的に求められるところに存在する場合のみ価値あるものになるということです。それは、例えば趣味が合う者同士の集まりや知り合い同士の井戸端会議などと同じ、"局地的娯楽性"としての価値です。しかしテレビほどに「局地性」と遠いものもないでしょう。
そうして考えるとマスゴミという自称公器が、このテレビという受動的フィールドに出てくるべきでない無価値なものを有り難がり、頷き、甘やかすということは、一切社会のためにならないばかりか、害悪ですらあるのです。(例えばメインキャスターの二人が、不法滞在者を憐れむツイートを肯定したように。)
本来の価値を知ること、そして反対に壊滅的なまでの"無価値さ"を理解することは本質を知る大きな助けとなります。
例えばサンデーモーニング的「弄された言葉」の数々を知性というフィルターにかけ、価値あるものと無価値なものに選別した後で我が物とするのです。そうした時、あの番組の、いかに「切り捨てられるべき」「どうでもいい」情報の多いことか。
このフィルターを持たず視聴するサンデーモーニングは、何かを理解したつもりになった人々を大量生産し、またそれらの人々は副作用として無駄に不安を覚え、無駄に深刻さを感じ、茫洋とした政治への不満、社会への不満を持たされ、かといって全国比例区の候補者を満足に選ぶこともできず「政治が分かりにくい」などと不平を垂れる悲惨な状況を生み出し、挙げ句の果てには、
「××の問題はしっかり対策すべきですね」
「若者の政治参加について真剣に考える時期が来ています」
などといった絶望的ツイートをテレビに垂れ流すに至るのです。
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ここまで述べてきたように、例えばテレビのようにほぼ完全な受動的メディアに文字情報を出すからには、少なくとも何らかの価値を持ったものでなければなりません。
ここで言う「でなければなりません」というのは、もちろん法的にという意味ではないし、また道義的な意味でもありません。それは大変簡単なことなのです。つまり、テレビ番組が政治、経済、社会問題等を扱うということ、それそのものの目的に沿うため、という意味においてです。
そもそもテレビ番組は、政治経済、社会問題を取り扱うとき、何を目的としているのか。マスゴミと呼ばれるゆえんたる、裏側にあるおぞましい政治的意図やイデオロギーはひとまず置いておくとしても、少なくとも表向きには「視聴者に政治経済、社会問題をよく理解してもらおう」という目的があるはずです。さらに、その「よく理解」する先にあるものは、我々の国が世界的普遍的価値であると信じる自由であり、法治であり、民主主義であるはずで、便利な言葉で言うと、
「より良い国、より良い社会」
のため、という目的があるはずです。
私はここに敢えて断言を試みますが、一般人のツイートを、担当者がオノレの番組の目的すら認識しないままに選択し、個性も能力も皆無な、即ち番組にとって全く無価値な文字情報を垂れ流すことは止めるべきです。ましてやそれら絶望的なまでに無価値な情報をメインキャスターどもが甘やかし、あまつさえ法に反するとも思われる反応(例えば不法滞在者送還の件のように)を見せることは、番組の目的に反するということです。
それとも、このアメーバにログインすると「ブログのネタに困ったらこの記事でも読んでみたら?」といったリンク先がありますが、あのツイートはそうした位置づけなのでしょうか。つまりネタの供給ということなのでしょうか。そこまでしてブログを書く必要など無いのと同様、それなら報道番組なんぞ止めてしまえ。素人の手に頼るようになったら終わりです。
政治的意図があろうと、イデオロギー的であろうと、反社会的集団であろうと、もうお前らはそれでいいから、情報発信のプロとして番組を作るのが最後の矜持なのではないでしょうか?
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/ i f ,.r='"-‐'つ____ こまけぇこたぁいいんだよ!!
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