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朱美が魔法が使える、というよりも、朱美がシモンに気があった、という事実のほうが、彼女いない暦=実年齢のシモンにとってはよほど衝撃的であった。 後はなんとなく気まずくなり、ともかく魔法の謎を解くのは後回し、原理不明だから、むやみやたらに使わないこと、今日は後は朱美は前の日記のチェック、シモンは朱美が戻る方法を探す、と整理して、シモンは朱美と別れた。 別れしなの朱美の所在無げな表情に、シモンは思わず何度も声をかけようとしかけたが、そこでかけるべき言葉も思いつかなかった。 やるせないやら情けないやら、である。 というわけで、シモンは独り「おち○ちん」を探す旅に出る。 無論、正確には探すフリだ。プラナリアじゃあるまいし、ちぎれたおち○ちんが丸2日ほうっておいて無事であるはずもあるまい。 いや、プラナリアなら、ちぎれたおち○ちんから逆に「朱雄」が再生したりするんだろうか。 ん、そもそも、プラナリアって両性生殖だったっけか・・・・・・。 朱美の日記や魔法のことをなるべく考えないようにするために兎に角別のことを考えようとしすぎて、だんだん思考が迷走しはじめた、と自覚しはじめたとき、シモンは自分が物理的にも迷走していることに気がついた。 いつの間にか「特進棟」に入ってきていたのだ。 光世堂学園――要するにこの学校のことだが――は、「普通コース」と「特進コース」の二つのパートに分かれている。普通コースは文字通り普通。普通のカリキュラムで普通の大学に進んでいくコースだ。この学校の9割の生徒はこのコースで、シモンもご他聞に漏れずこのコースにいる。 「特進コース」は、その中でさらにエリート、超有名大学にいくためのコース、と、世間的な感覚からすればとられるが、この学園では少し毛色が違う。どちらかというと、世間一般の枠にははまらない、特殊技能や特殊な経歴を持った生徒が入るクラスだ。アイドルだったり、世界レベルのアスリートだったり、なんとかとなんとかは紙一重っぽい人物だったり・・・・・・、普通コースとはほとんど交流がなく、どんな生徒がいるか、シモンもほとんど知らない。 ただ、唯一知っているのは、全員が女生徒だということだ。これは、この学園がもともと女子校だったことが理由だとかなんとかいう都市伝説もあるが、正直よくわからない。 そういう意味では、うちのクラスの藤谷碧も、松田朱美も、青木遼子も、「普通」とはかなりかけ離れたレベルにいるのだが――一人は「学業」で、もう一人は「スポーツ」で、さらにもう一人は「家庭の財力」でだが――このコースにいる連中は、それをさらに統計学的に言えば2シグマか3シグマほど先をいった連中、という話だ。 「という話」、というのは、所詮は又聞きの話だからである。 そもそも、特進棟と普通棟は、渡り廊下でつながっているものの、普段は防災扉で行き来できないようになっている。今日はたまたまシャッターが開いており、気がつかないうちに来てしまったのだ。 まずいな。シモンは一人ごちる。 特進コースは女子校みたいなものだから、そんなところに「普通」の男子生徒がまぎれていれば、何か怪しい意図を持っていたと思われるに決まっている。 あわてて踵を返そうとした瞬間、 「あなた、どこから入ってきたの?」 硬い声が背中からぶつかってくる。 できるだけ自然なリアクションで振り返ったつもりだったが、そんなシモンの努力も、目の前の、シモンより頭ひとつ小さい女の子が睨み上げてくる視線に含まれる敵意に色を失う。 そこに立っている少女は、肩までかかる栗毛がふわふわとしているが、眉は細く、いかにも気は強そうだ。 だが、背は、ちんまい。そのちんまい体を、なるべく大きく見せたがっているのか、ややそらし気味にして、シモンを見上げている。 アレだ。記憶にあるぞ。こいつは満員電車で真後ろに立ってた女子C学生に痴漢を疑われたときに睨み付けられた視線の部類だ。しかも数十倍も強力な。 思わず言葉を言うタイミングを失ったシモンに、少女は、しかし、 「……あなた、何だこのチビ女、って思ったでしょう」 「は?」 「言わなくてもわかる。あなた、視線を思いっきり下げたもの。もっと背の高い娘だと思ったんでしょ」 ずびし、とシモンに向けて指を突きつける少女。胸元のヴァイオレットのリボンが跳ねる。特進コースのトレードマークだ。 しかし、悲しいかな。その突きつける指の仰角が、彼女とシモンの背丈のギャップをいみじくもあらわしてしまっているのだ。 「いや、いや、そんな意図はない」 突込みどころそこなのか?と思わんではないが、ともあれ全否定するシモンに、更なる追及をしようとする彼女の後ろから、鈴のような声が響く。 「あら、お客さん?」 「お姉さま!」 お姉さま、と声をあげてそのままバタバタ、と暗がりに駆け寄る少女。 その少女とともに、暗がりから現れた女性が現れ出でる。 さっきの少女とは対照的に、すらりとした長身、それでいながら、制服の上からでもメリハリのある体躯であることがわかる。さらに髪型も対照的で、いわゆるみどりの黒髪、という表現がぴったりの艶やかで豊かな髪が腰まで伸びている。 胸にはさっきの娘と同じヴァイオレットのリボン、特進クラスだ。だが、胸にさしている校章の色で、上級生だということがわかる。 「お姉さま、聞いてください。痴漢です!」 「いや、待て、それ飛躍しすぎ」 「あらあら、チカンさんですか、珍しいですね」 「いや、鵜呑みにされましても……」 それを聞いてか聞かずか、にっこり彼女はシモンに微笑みかけ、 「せっかくですから、お茶でもいかがですか?今日はおいしい生菓子を頂いたんですけど、少し多すぎて困っていたんです」 どこまでもマイペースを崩さない長身の上級生と、「来るな、お前なんか来るな、この痴漢変態!!」と言わんばかりに殺人的な視線を自分に向けてくるちんまい下級生を見比べながら、シモンは曖昧にうなずくしかなかった。 「あんた、何で来たのよ。厚かましいったらありゃしない」 「断れってのか?何なら『お前の茶なんぞ飲めんわ!飯がまずくなる!!!』とか今から言って卓袱台でも返そうか?」 「お姉さまのお茶が飲めないなんて、そんな失礼な言い草ないでしょう!!!」 「馬鹿、声でかいでかい」 「二人とも、お茶が入りましたよ〜」 「ああ、お姉さま!そんなことは私がやります!!!」 『生徒会長室』と麗々しく書かれた広い部屋の中、応接用のソファで向かいあわせになる形で、シモンは初対面の二人の女生徒と茶をしばく羽目になる。 出された抹茶の生八ツ橋をパクつくシモン。 むすっとむくれて喋らないものの、その代償と言わんばかりにイチゴ八ツ橋を次から次へと口に入れる小さな少女。 そんな二人より圧倒的に八ツ橋と緑茶を飲む姿が様になる長身の女生徒が、湯飲みを一口飲んでテーブルに置くと、 「ヨツカドさん、でよろしかったですか」 シモンも八ツ橋を食べる手を止める。 「はぁ、でも何で俺……じゃなくて僕の名前を?」 「全校生徒の名前やプロフィールを知悉しておくことは、会長の義務ですから」 カイチョー? はて、会長は碧ではなかったか、とシモンが疑問に思いながらも、そのカイチョーさんは続ける。 「最近、ヨツカドさんのクラスでは、幼稚園部向けの演劇の練習をされているそうですね」 「は、はぁ……」 「仕上がりはどうですか?」 「まあ、順調だとは思いますが……」 思わず言葉を濁してしまったのは、監督兼脚本兼演出兼脇役女優の娘が一人行方知れずになっているからである。 「フジタニさんやマツダさんも随分と一生懸命やっているみたいですね」 フジタニ、マツダ……ああ、藤谷碧と松田朱美のことか。 なんで二人のことを知っているのか、とも思ったが、シモン如きを知っているのだから、学内の有名人である碧や朱美のことは当然言うまでもない、ということであろう。 すみません、その主演級女優の片方もメンタルでトラぶってるんですけど、と言うわけにもいかず、さらに曖昧な笑みにシモンが磨きをかけていると、「会長」さんは、シモンに向かってさらに問いを投げかける。 「……ヨツカド君は、ペトロフスカさんと仲が良いそうですね」 誰ですか、それ、と反問しかけて、ああ、ダリアのことか、と思い出す。 しかし、なんで、カイチョー様が、そんなことに興味あらせられるのですかね? シモンが問いを投げかけようとしたそのとき、ドアの外からノックの音がする。 「どうぞ」 会長の言葉に、 「……失礼します……、ヨツカド君?」 その声に、シモンが顔をあげると、そこには碧が立っていた。 しばしの歓談、というにはきわめて社会辞令的な碧と「カイチョウ」のやり取りの後、シモンと碧は一緒に「生徒会室」を辞した。 「なあ、委員長」 「……なんですか?」 長い廊下の中で、シモンと碧は歩を進める。先行するのはカバンを肩にかけ、みかん箱ほどのダンボールの箱を抱えた藤谷碧、それに4メーターほど間をあけて歩むはシモンであった。 「あの二人、何者だ?」 先行していた碧が歩みを止め、シモンを見やる。 「……知らないんですか?」 「知らん」 あきれた、と言わんばかりの表情を浮かべて、それでもつきあいのいい彼女は、まじめに答える。 「……紫堂(しどう)会長と書記の一色(いっしき)さんです」 「会長はお前じゃないのか?」 「……私は委員長です」 「何が違うんだ?」 納得しかねる表情を浮かべていたのがわかったのか、「委員長」は続ける。 「……あなたは、アメリカの大統領と下院議長の区別はつきますか?」 どうやら、「委員長」というのは、個々のクラスの「学級委員」の長であり、「会長」というのは、全校生徒の直接投票によって決まる職らしい。 細かい役割分担はあれこれあるらしく、委員長は簡単に説明してくれたが、そこは学校の統治機構に疎い上、去年の会長投票権はがっちり放棄しているシモンにはさっぱりわからなかった。 「それにしても、あの会長えらく情報通だったな、うちらのクラスの演劇の話も知ってたぞ」 その言葉にぴく、と碧が反応して、シモンを見やる。 「……何か言ってましたか?」 「え、……いや、委員長と松田が一生懸命やっているか、とか、そういうことを聞いてきたけど……なんで?」 「………………………………いいえ。何でもありません」 私が前に雑談で話したことを、覚えていたのでしょう、と、何か付け足すようにいうと、話題を転換してくる。 「……それにしても、何で特進棟にいたのですか。何か用があったのですか?」 「いや、なんと言うか……」 「……特進棟に、普通科の生徒が用がないのに来ると警備員を呼ばれますよ」 「お前だって普通科じゃないのか?」 「……私は学級委員の仕事の関係がありますから、フリーパスなんです」 そんな特進棟に用がある仕事があるのだろうか、と疑問がちらりと脳裏をかすめたが、そういわれては取り付く島もない。先ほどの生徒会長室での具合を見る限り、どうも碧と会長は面識もかなりあるらしかったし、委員会の仕事の関係で行くこともあるのだろう。 沈黙が続く。どうやら藤谷委員長は回答を求めているようだった。 「……迷ったんだ。道に。そしたら、あの小さい……書記の女の子に見咎められてな」 言い訳としても上等ではないが、実際本当だから仕方ない。 「……では、長居は無用です。戻りましょう」 特に疑う様子もなく委員長はそういうと、踵を返して2歩ほど歩み、そこでちらりとシモンを見やる。 暗黙の圧力。 せっかくめったに来れない特進棟に来たので、いろいろ物珍しいこともあり、うろついてみたくもあったが、こうなれば是非もない。シモンは藤谷の後ろについて、普通棟に向かおうとしたその瞬間、藤谷が抱えているダンボール箱の中に、いろいろなガラクタに紛れて、見覚えのある白い小さなスプレー缶が2つあることに気づく。 ――洗脳薬。 思わず叫びそうになる声を呑みこむ。 いや、確証はない。単に何のラベルもついていない、白いスプレー缶というだけ、かもしれない。 ただ、普通、世のスプレー缶というのはラベルが貼ってあるものだ。 そして、シモンの知る限り、ラベルなしの白いスプレー缶なぞ、ダリアが持ってた件のスプレー缶しか記憶にない。 しかし、もう少し確証が欲しい。確か、ダリアのスプレーにはご丁寧に『洗脳薬』と書いてあったはず。 「……委員長」 「……なんですか」 「何なら、そのダンボール、もってやろうか?持ちにくいだろ、カバン持ったままだと」 「………………………………」 シモンの真意を見測るように、じぃ、とシモンを見やる藤谷碧。 「いや、カバン持ちながらだと、運びにくいだろう、と思ったから……」 しまった、柄でもない言葉を吐いたものだから怪しまれたのだろうか、いささかたじろいだシモンだったが、 「……ありがとう、ございます」 藤谷は意外に素直に、シモンにダンボールを渡してくれた。その後、肩を少し上げ下げしているところを見ると、無理な姿勢でダンボールを運んでいたせいか、だいぶ肩こりが激しいようだ 朱美が以前、「碧は肩こりが永遠の持病だから」と言っていたが、それはその超高校生クラス、というか超日本人クラスの胸のサイズのせいでもあるだろう。 シモンがちらりと、ダンボールの中のスプレーを見ると、その一つの缶にはやはり "洗脳薬・NO12" とマジックで書いてある。間違いない。 「なあ、このダンボール、どこから拾ったんだ?」 「……生徒会室の脇においてあったんです。危ないから、捨てようと思って」 確かにダンボールの中は、スプレー缶のほかに、ガラスのビンやらよくわからないメカやらが入っている。可燃物の日にゴミだししようものなら、町内会のおば様軍団にお目玉を食らってしまうようなものばかりだ。 あのアホ。なんで特進棟の奥にある生徒会室前なんぞにそんなものを置いてくるか。 ここにはいない某小娘に対して悪態をつくシモン。 しかし、これは僥倖、ここ数日繰り広げてきた朱美とのスラップスティックスの一切合財を解決するチャンスである。 「なあ、捨てるならもらってもいいか?」 「だめです」 珍しくノータイムできっぱり言う委員長。 「……そのビンの中身、劇薬なんです。専門の施設で処理しないと、罰せられます」 ですから、こぼさないでくださいね、と涼しい顔でのたまう委員長。 ヲイヲイ、そういうことはダンボールを渡す前に言うべきなのではないか? ならスプレーは?と言おうとしたところでシモンは言葉を詰まらせる。 ビンの中身は劇薬、というからには、ビンのラベルを見て確認したうえで言っているのだろう。となれば、このスプレーに書かれた「洗脳薬」の文字も如才ない委員長なら確認済みに違いない。 なんでそんなものが必要なんですか?と問われたら三手詰の詰将棋のごとく即死である。 「……ヨツカド君、ここにおいておいてもらえせんか?回収業者の人、週に1度しか来ないから、それまでここに保管しておきましょう」 シモンが煩悶しているうちに、いつのまにか普通棟に戻ってきていたようだ。委員長は、理科準備室のドアの鍵を開けて、シモンを差し招く。 「……ここに入れてください」 委員長が準備室の一角にある、鍵のついた金属製のロッカーの中を指差す。 シモンは素直に抱えていたダンボールを入れる。 「………………スプレーも」 鋭い。碧が視線を切った隙に床に置いたスプレー缶を目ざとく見つけたのか、あるいは持ったダンボールの重さで悟ったのか、箱にスプレーが入ってないことを気づいたのだろう。 意を決して、シモンは戦略を執行することにする。 「あ」 「……え?」 シモンが委員長の後ろを指をさすと、やはり人が良いのか育ちが良いのか、委員長は一瞬後ろを向く。 その隙にシモンは床においてあるスプレーの一つを掴み、委員長に向かって思いっきり噴射する。 「ちょ……ごほ、ごほっ、何するの……けほ、けほっ……」 激しく咳き込む委員長。 「わ、悪い、今、目の前にゴキブリが飛んできて、つい」 言い訳としても拙劣だし、殺虫剤を人の顔面めがけてぶっ放すほうがゴキブリに比してもなお人道にもとるようにも思えるが、何も言わないよかマシである。 シモンは時間をあけず、 「委員長、大丈夫か?気分は?」 「……頭が少し……めまいがするみたい……」 「大丈夫、少し休めば直るから、ほら、そこに座って」 シモンは委員長を理科準備室特有のパイプ丸椅子に腰をかけさせる。 「……けほ、…さっきの、スプレー……殺虫剤じゃ、ないんじゃ……」 「大丈夫、落ち着いて、今は何も考えないで、僕の声だけを聞いて、そう、力を抜いて、眼を閉じて…………深く息を吸って、吐いて…………」 シモンの言葉に導かれるまま、まつげの長い委員長のまぶたが、痙攣しながら、ゆっくりと落ちていき、やがて、完全に眼が閉じた瞬間、だらり、と腕が白い太ももに落ちる。 「そう、何も考えないで、頭を真っ白にして、ただ僕の声だけを聞いていれば、僕のいうことを聞いていれば、すぐ体は治るから大丈夫……今からみっつ数えると、完全に眠ってしまう、だけど僕の声だけは君の心の奥底に直接伝わるよ……いち、にの、さん!」 パンとシモンが手をたたくと、委員長はそのまま机に突っ伏して、すぅ、と寝息を立てはじめた。 なんとかうまくいった。 シモンの心臓がバクバク言っている。 洗脳薬でもなんでもなかったら非人間どころではすまないところだったが、どうにか明日からも幸せな学園生活を送れそうである。 シモンが額の汗をぬぐいながら、もうひとつ床においてあるスプレー缶を拾い上げる。 こっちを使って、朱美を「女の子」に戻してあげれば、万事解決だ。 委員長の記憶は、なんとでも操作しておけばいい。今から15分なら、どんな暗示でも刷り込めるだろう。 悪い、委員長、君一人の犠牲ですべての人間(約2名)が救われるんだ。あとでこの埋め合わせはしてあげよう。 だが、ちょっといいことした気分でシモンの表情が弛緩していたのも、そのスプレー缶の表面に書かれた三文字を見るまでのことであった。 そこには、「はずれ」と書かれていたのだ。 "人に向けてスプレーをかけてはいけません" 今時幼稚園児ですらマスターしている社会常識を破った人間には、やはり報いあれ、ということなのだろう。 気のせいか、どこからかダリアの高笑いが聞こえてくるかのようだ。 ためしにその「はずれ」スプレーを押してみたが、その名にふさわしく、プシューともクシューとも反応しない。もとよりガスが入ってなかったらしい。 スプレー製作者の「そうは楽をさせてなるものか」という悪意が感じられるが、ここはいたしかたない。 ため息をついて、シモンは寝入っている委員長を見やる。 「薬」がよく効いている委員長。 しかも放課後の理科準備室に二人っきり。 これを据膳シチュエーションと言わずして、何を据膳というべきだろう。 いや、いや、待て待て、シモン落ち着け。 洗脳薬が完璧かどうかは、わからない。100%の保障はない。 確かに朱美にはがっつり利いている。だが、「No.12」ということは、朱美に使ったバージョンよりだいぶ前のものだ。ダリアは「ようやく完成した」と言ってたではないか。それであれば、そもそもこれは未完成版なんではないか。たとえば、単に意識を失わせる効果はあるが、洗脳効果はそれほどでもない、とか。 確かに、さっきの委員長の雰囲気を見る限り、まったく暗示効果がないわけでもなさそうだが、とにかく「危険な火遊び」は避けるべきだ。 まずはマストでやるべきことを処置してからだ。 忘却暗示を入れる。ここで目が醒めても、さっきまで起こったことはシモンの無礼な振舞いは綺麗さっぱり忘れるように。 たいした手間もなくこれも終了したが、それを終えても幸か不幸か、まだあと10分は残っている。 さてどうするか。 寝息を立てる委員長を前にシモンはいささか考え込む。 長く、黒い髪。 白い肌。 整った顔立ち。 制服の上からも目立ちすぎるくらいにわかる胸の膨らみ、そのボリュームに似つかわしくない絞り込まれたウェスト。 それでいながら、成績優秀、教師陣からの信頼も厚く、クラス委員長を――聞くところでは小学1年生からずっとらしい――を勤めあげている少女。 シモンももちろんこの年になるまで、それぞれのクラスで一番「頭のいい」人間というのを見てきているが、心技体の揃い方という点で、圧倒的に碧は図抜けていると思う。 ……もっとも、一見冷静沈着、クールで虫も殺さないような風でありながら、口を開けばかなり毒舌家で、「ヴァルキリー」劇の役者割り当てに対するシモンの異議申し立てへのあしらい方など、とにかく理に合わず、と思った時は徹底的に譲らない気の強い面を持つ。 もちろん彼女に対して面白く思っていない生徒もいるとは聞くし、あまりに取り付く島がない、冷たい、という陰口を耳にすることはある。 ただ、碧が、そういう陰口に動ずる様子を見たことはない。 彼女は人に「弱み」を見せない人間だ。 いつも弱音と愚痴を吐き散らしているシモンとはわけが違う。 そんな彼女に、シモンはある「暗示」を試してみようと考えついた。 委員長に試すに当たって都合のいい暗示として、シモンの頭の中で、ひらめいたのは、碧に今困っていることを相談させる、というものだ。 碧のような人間がそう簡単にシモンに相談するわけもないから、碧の悩み事を聞きだす、というのは、洗脳薬の効き目を試す上で、都合がいいテストになる。 また、外形的には質問に自発的に答えてもらっているだけだから、あとでバレてもさして問題はあるまい。 時間もない。理科準備室のカーテンを閉め、ドアの内鍵をかけると、早速シモンは実行に移す。 「委員長……ではなくて、碧。聞こえるか」 朱美と同じく、洗脳過程では名前を呼び捨てにしておく。ある種の儀式めいたものだ。 普段は藤谷、あるいは委員長、としか呼びかけられないシモンに呼び捨てられても、碧は何も意に介する様子もない。 「……はい」 「それでは、碧。ゆっくりと眼を開いてみよう。ただ、碧は眼を開いても、碧の心は、真っ白で何も考えることができない。ただ、僕の声だけが聞こえる、いいね?」 「……はい」 従順に、碧はうなずくと、ゆっくりとまぶたを開く。 普段は、冷ややかな視線か、無関心な視線しか彼女から向けられたことのないシモンだったが、今、彼女がシモンに向ける視線は、今まで見たことのないような、茫洋としたうつろなものだった。 いや、一度だけ、見たことがある。 前に喫茶店でダリアに碧と朱美が催眠をかけられたときだ。 「……えーと、それでは、碧。碧が今抱えている悩み事で、今まで誰にも話せなかったことを相談してみましょう」 「……それは……」 躊躇していたが、暗示の圧力には勝てないのか、やがて、虚ろな瞳のまま、重い口を開くと、 「…………………………………………肩こりが……最近ひどくて……」 「………………そうか」 もう少し込み入った内容を告白されるかと思ったのに、意外とライトで残念な感じもする。 事情をもう少し聞くと、どうも最近また胸が大きくなった(!)とのことで、さらに勉強やら生徒会やらの仕事が忙しく、近頃は腕を回すたびに痛みが走るほどつらいらしい。 とはいえ、クラスの女子には原因が原因であり嫌味にもなるので相談もできず、男子にも当然言えず、学生のお小遣いではマッサージに通うわけにもいかず……ということらしい。 なるほど、となれば、一応「誰にも話せなかった相談ごと」ではあるわけだ。 そこまでひどいなら専門の医者にでも行ったほうがよいかもしれない、と思ったが、意外と肩こりというのは精神的なものだとも聞いたことがある。存外、この「洗脳薬」の応用で、楽にすることができるのかもしれない。 ちらり、と碧をもう一度見やるシモン。 せっかくの機会だから、もう少し踏み込んだ暗示をしてみたくもあったが、何せここは学校の教室。いくら鍵をかけカーテンを締め切っているとはいえ、後で言い逃れの聞きようのない振る舞いはリスキーだ。 だが、マッサージ程度なら、仮に暗示が解けたり後で記憶が戻ったところで、なんとでも言い逃れが利くだろう。 「よし、では、碧、よく聞け。……実は、君の同級生のヨツカドイサオは、親戚の経営する店で子供のころからマッサージの修行を積んでいて、彼の手にかかれば、どんな肩こりも、あっというまに治り、それどころかあまりの気持ちよさに中毒になってしまうほど気持ちがよい、と評判が立つほど、その筋では有名なマッサージの名人で、君のクラスメートはみんな彼にマッサージをしてもらったことがあるくらいだ。 非常に辛い肩こりを持っている君は、そのうわさを聞きつけて、今日、ヨツカドイサオに頼んで、マッサージをしてもらうことにしたんだ。 マッサージは人によって相性があって、君はほかの人のマッサージではなかなか凝りがほぐれない。だけど、ヨツカドイサオが手を触れたところは、不思議なくらい気持ちよくなっていく。それだけでない。体がほぐされるだけでなく、心の中までとろとろにほぐされていく、そして身も心もほぐされて、気持ちよくなっていくんだ」 「……身も心も……気持ちよく……」 「そう。男の子に体を触れられるのは、勿論慣れないかもしれないけど、彼はプロだから、変な下心は一切ない、彼が触れるのは、すべて合理的で意味のあるセラピーで、君のためを思ってのこと。 だから、君はすべてを彼に委ねて、彼にほぐされるがままになるんだ、君が身も心も委ねればゆだねるほど、君の気持ちはどんどんどんどん気持ちよくなっていく……」 シモンが調子に乗って余計な暗示まで入れ込んで暗示を深めようとした矢先、碧は無表情のまま、 「…………………………いや、です」 と拒絶の言葉を吐く。 「……い、いや?」 「……男の人に、……体触られるの……いや……痴漢……大嫌い……」 聞けば、碧は、その胸のせいか、中学生のころ、電車で痴漢にあって、それからというものの男の人に体を触られるのは超絶的トラウマだということだ。 ぬぬ、シモンは腕組みをする。 あの婦警を公園で「銃の検査」という名目でフェラ○オさせたり、朱美に「男」と思い込ませるほどの効き目を持つ洗脳薬をして、拒絶させるのだから、相当のトラウマだったのだろう。もちろん、碧の生来の潔癖症も相俟ってのことなのだろうが。 ここで諦めて、目を覚まさせて、何もなかったことにしてしまうことが一番無難なのはわかっている。 しかし、洗脳薬としての効果が上がっているのは明らかなのにも関わらず、ここで手を引いてしまうのもいささか癪である。 高い山に挑む登山家のような心持ちで、シモンは攻略法を考える。 以前の婦警のケースや朱美のケースとの違いはなんだろうか。 婦警のケースでは、ダリアが徹底的に、「いたいけな少女を助けなくてはいけない」という「婦警としての使命感」や、「銃の検査」という「婦警としてやるべき当たり前のこと」という「設定」をうまく利用していた。 朱美も、おそらく元からの快活なキャラクターからか、自分が「男」という「設定」は、比較的受け入れやすいものだったのだろう。 ――もちろん、いきなりお前の汚らしいイチモツを咥えこめ、だなんて言ってもおそらくは彼女は言うことをきかなかっただろうな。だが、ケーサツカンは上下関係に弱い。だから、まずはミカグラ、とかいったかな、この上司のケーカンを通じて、このポニーテールの、モリタだったな、部下のケーカンに命令させていったわけだ。だから多少無理な命令でも彼女は従ったわけだ。それから後は少しずつ思考の方向性を限定したり、認識や論理展開をずらしてやっただけさ。他にもいろいろとテクニックは使ったが、たいしたことは無い―― シモンは、かつて、婦警を操った後のダリアの言葉を思い出す。 碧にとって、体を触れられる、というのは、以前のトラウマもあり、かなり受け入れがたいことなのだろう。 何か碧にとって「マッサージ」を受け入れやすいような、「設定」を与えてやればいいのではないだろうか。 どこまでこの薬でできるのか、まずはやってみよう。 少し考えて、シモンはひとつ、最近彼女が没頭せざるをえなくなっている、ある「設定」と「エピソード」を利用することを思いついた。 シモンはコホンと咳払いすると、 「あー、碧。君は忘れているかもしれないが、君は『魔法戦士 ヴァルキリー』の一員、風のルピアなんだ」 「……風のルピア……」 その言葉に、びくっと碧の体が反応する。 「そう、覚えているだろう?あの凛々しき魔法衣に身を包んで、人々を守るために、君は命をかけて、悪のネメシスと戦っていたではないか。忘れてしまったのか?」 「…………………………いいえ……覚えています……」 よし、シモンは続ける。 「そうだ。君は風のルピアだ。……だとすれば、君は以前、ネメシスの『シモン』に囚われて、『家畜』としての調教を受けたことがあった。そうだよね?」 「…………調教……家畜……」 実は、「魔法戦士ヴァルキリー」のテレビアニメ原作の中に、ヴァルキリーがネメシスの木端悪役の『シモン』の罠にかかって囚われて、「家畜調教」を受けてしまう、という、かなり刺激の強い一話があり――その中で、炎のカーネリアは「犬」として、そして風のルピアは「牛」として家畜として飼われてしまう、という、誰の趣味だかなかなか奮ったものだったそうで、そのテレビ放映が流れたときは、ネット掲示板はそれで大騒ぎになってしまったとかしなかったとか、という話をダリアから又聞きしたことがあるのだが――、ダリアが書いた「劇」のシナリオの原案にも、そのエピソードを土台にした一場面があったのだ。 だが、原作ではかなりお子様向けにぼやかされているシーンまで克明に描写し尽くした、出来がよすぎるダリアの脚本は、あまりに内容が過激過ぎて、各自が個別に台詞覚えまではしたものの、結局全体練習もロクにせぬままお蔵入りとなってしまったのだ。 ボツになり、シモンがいささかがっかりしたのは内緒である。 ともあれ、真面目委員長のことである。ボツになって通し練習がなかったとはいえ、少なくとも、彼女は、台本を一生懸命読み込んで、その内容をよく熟知しているはずである。 それをシモンは利用することを試みる。 「そう、その後、君は仲間に助けられて、なんとか日常生活に戻っては来られたけれど、君の心と体は、そのとき『シモン』から受けた調教のことを忘れられずにいる。ネメシスで受けた調教は、とても心地よかった……そうだよね?」 「……心地……よかった……?」 シモンは椅子に座ったまま虚ろな表情を浮かべる碧の側頭部に手を添えると、ゆっくり、ぐるぐると彼女の頭を回し始める。 「そう、すごーくすごーく気持ちがよかった……ネメシスに囚われていたあの頃、君は家畜として飼われる悦び、そしてご主人様である『シモン』に尽くす悦びに、君は何もかも忘れて浸ることができていた。 ……牧場で飼われている牛や馬が、牧場主にブラッシングされて気持ちよさそうにいているシーンを見たことがあるだろう?あれと同じだ。君は、大切な家畜として、滋味溢れるミルクを生産する牛として、『シモン』に毎日丁寧に、丹精込めて体をマッサージされていたんだ。 ……『シモン』から愛情をたっぷり注がれていたあの日々、無味乾燥な学生としての生活からも、魔法少女としての苦しく辛い戦いの日々からも解き放たれていたあの日々は、ずっとずっと気持ちがよかった。……君の心も体も、そのことをすごーくすごーくよく覚えている。……だから、ご主人様である『シモン』にされるマッサージが恋しくてたまらない……」 ヴァルキリーの不倶戴天の敵であるネメシスの、そのまたやられ役的役どころの『シモン』が、家畜として捕らえたヴァルキリーを丹念にマッサージする、というのも妙な気がするが、馬や牛をブラッシングするようなシーンは、テレビでもよく流れる光景だ。そんな牧歌的なシーンを喚起するようなフレーズをちりばめながら、シモンは、彼女のすべすべした頬から、白く細い首筋を伝って、さらには夏服仕様の薄いブラウスの上を通して下腹まで――ボリュームたっぷりの胸は、あえて、敏感な部分は避けて、その脇を伝うような形で――、手の甲で、軽く、撫でていく。 「さあ、繰り返してごらん、君は、ネメシスに、飼われていて、すごく大事にされていた。今よりもずっとその頃のほうが気持ちよかった、ってね」 「…………………………私……飼われてた…………大事にされてた……今より………………ずっと……きもち……よかった……」 かなりデリケートな部分をシモンに撫でられても、特段の拒否反応も示さず、もう一方のシモンの手で頭をゆっくりと回され続けたまま、呆けたような表情でシモンの言葉を繰り返す碧。 「もっと撫でてほしい……触ってほしい……そうだよね?碧……いや、『ルピア』」 こくり、と頷く碧。 シモンは、その瞬間、碧の首の動きも愛撫も止める。 「そう、すごく気持ちよかった……だけど、そのネメシスの支配下から解き放たれて、日常生活に帰ってきた今、君の体や心をほぐしてくれる人は、もう誰もいない。家畜として飼われていた間は毎日毎日、ご主人様である『シモン』から丁寧なマッサージを受けていた君は、本当はマッサージしてもらいたくてたまらないんだ。だけどそれが誰にも言い出せないでいる。つもりつもって、そのストレスのせいで、君の体は今、かちこちに固まって、本当に苦しい状態になってしまっている。ほら、苦しいね、肩も、首も、もうがちがちだ、動かすだけで辛い、苦しくてたまらない……」 さっきまでの安らかな表情が消え、碧の顔に煩悶の表情が浮かぶ。 「でも、大丈夫。君の同級生の、ヨツカドイサオが、君の肩こりの事を心配して、マッサージを申し出てくれた。 もちろん彼はネメシスとは関係ない普通の人間だ。たまたまあだ名は『シモン』だが、もちろん彼は、君が魔法少女であることも、君がそんな過酷な監禁を受けていたことも知る由もない。 彼はただ純粋に君のことを心配している。そして、彼はプロフェッショナルだから、痴漢目的も下心も何もない。とても安心して、君は身も心も任せることができる。 彼が手を触れたところは、すぐにとろけるように気持ちよくなる。そして、体がほぐされるだけでなく、心の中までとろとろにほぐされていく。かつて、ネメシスの『シモン』に飼われていた時、いや、それ以上の快楽が、君の身も心をとろとろにほぐして、君はすっかりリラックスすることができる」 「……ほぐされる……身も……心も……」 「そう、もう我慢できないね、一分でも、いや、一秒でも早く、ヨツカドイサオに、……いや、『シモン』に触ってもらいたい……そうだろう?」 シモンの言葉に、深く頷く碧。 「よし、それでは、今から3つ数えて僕が手をたたくと、君はすっかり目を覚ますことができる。眼を覚ますと、今まで僕に話されていたことは、君の中ですべて本当になる。だけど、君は、眼を覚ます前に起こったこと、たとえば僕にスプレーをかけられたことや、今僕に話しかけられていたこと自体は、何も覚えていない。覚えていないけど、僕に話しかけられたこと、君が望んだことは、君の心の中で真実になり、君の心と体の中に完全に刷り込まれ、決して消えることがない……君は自らの欲望に忠実に、僕のマッサージを求め、その心地よさに身も心も委ねるんだ、わかったね?」 シモンの言葉に、従順に頷く碧。 普段の、鉄壁冷静の委員長然した碧の立ち振る舞いからは全く想像できないものだ。 思わず下半身に血が巡りそうになるのを感じる。邪念を振り払うようにシモンは一段と声を高くして、 「それではいくぞ……、いち、にの、さん!」 パチン。 シモンが手をたたくと、碧の眼に焦点が戻る。 「あ、あれ……」 明らかに困惑している碧。 「何、慌ててるんだ?」 碧の後ろから問いかけるシモン。 「……え、その……なんで私……こんなところに……」 ついでにいえば、何でこんなむさい男と二人っきりで、といったところだろう。シモンはしらっと、 「何言ってるんだ。お前が呼び出したんだろ?」 「……私が?」 「そう、肩凝ってたんだろ?マッサージしてほしいって頼んだの、お前からだろう?」 「……え?私?」 「そうだよ、最近肩が凝って本当につらい、って言ってたからさ。で、俺、親戚にマッサージ屋開業している人がいて、子供のころだいぶ叩き込まれたことがあるって言ったら『それならお願いしたい』って話になったじゃないか?」 覚えてないのか?とシモンが返すと、 「……あ、……そう……でした……ごめんなさい」 と碧は素直に謝る。記憶が混乱しているのだろうが、シモンの言葉がトリガーになったのか、シモンの言葉を『真実』ととったのだろう。 シモンはこほん、と咳払いして、 「気にするなよ。それでは、はじめるぞー」 努めて明るく話すシモン。 背もたれがある、教師用の椅子に碧を移動させる。こっちのほうがマッサージには都合がいい。その座っている碧の肩に、シモンは両手で触れる。途端、碧は、びくっ、と反応する。 「……どうした?」 「……何でもありません」 「そうか」 シモンはそのまま、肩を揉んでいく。 なるほど、これは聞きしに勝る肩こり加減だ。なんというか、筋張った冷凍の肉をほぐしているような感覚がある。夏服のブラウスの上からですら『はり』がよくわかる。 親指に力をこめつつも、柔らかな肌や筋を傷めないように気を使う。 「ん……んふ……ん……」 声を出さないよう気を使ってはいるのだろうが、どうしても艶かしい声が碧の口から漏れる。 シモンは素知らぬ風を装って、いかにもプロに徹して、揉み解していく。 肩筋、うなじ、そして頭の後ろをぐりぐりとやっていく。もちろん「親戚が店をやってる」は大嘘ではあるが、実際のところ、子供のころ身内のマッサージを手伝わされていたのは事実なので、マッサージはシモンの得意分野でもある。 「んん……!!!」 うなじから頭にかかったときに、碧の声が少し甲高くなる。 「大丈夫か?」 「ん……大丈夫……ちょっとびっくりしただけ……」 「ああ、そうか。大丈夫、すぐに気持ちよくなるよ、最初は少し痛かったり、くすぐったかったりしても、すぐに気持ちよくなる。触ったところがふわぁ〜っとして、力が抜けて、なーんにも考えられなくなるくらいふわふわしてくる……」 そういってシモンが碧の肩をゆっくりとゆらしていくと、碧の首筋から力が抜け、かくん、と白い喉がむき出しの恰好になる。 「そう、気持ちいい、僕に触られるところがすごく気持ちよくなる……」 そういいながら碧の頬をつつ、と撫で回すと、碧の口から艶かしい、鼻にかかったようなうめき声が漏れる。 長くつややかな碧の髪の毛をそっと梳くと、碧の体がびくっと震える。 「気持ちいい?」 碧は、シモンの言葉に、少しだけ頭を縦に動かす。 シモンは心得たとばかり、碧の体を――いやらしいことは抜きで極めて誠実に――ほぐしていく。丹念にほぐしていったせいか、最初のころよりはだいぶほぐれてきている気がする。だいぶリラックスしてきたのか、碧の表情も当初の険が取れつつある。 ちらりと、シモンは壁の時計を見る。 残念ながら、暗示に手間取ったせいで、だいぶ残り時間が少ない。 本当はいろいろとやりたいことはあるのだが、後始末の暗示の時間も必要だ。それに、今のところは「単なるマッサージ」の範囲で片付いているが、これ以上やりすぎるとあとで万一露見したときに大爆発しても困る。 そろそろ潮時か。 そう思ってシモンが手を肩から浮かせかかると、ぱし、と白い手がシモンの手に重ねられた。 碧の手が、シモンの手を掴んだのだ。 「……」 「……あ……」 思わず掴んでしまった、という表情を碧は浮かべるものの、その手を離すこともできず、碧はシモンから目をそらす。 「……もっと触ってほしいのか?」 「ち……違います……」 いつもの委員長然した振る舞いからはかけ離れた気弱な声。上気した頬。 シモンの中の嗜虐心が沸き起こる。 「正直に言ってみたら?楽になるよ?」 「…………」 首を振る碧。だが、その手を離そうとはしない。 わき上がる衝動と理性のせめぎあい。彼女の心の中の葛藤が、手に取るようにわかる。 更に背中を押してやろう。 シモンは、掴まれていない方の右手を碧の前に見せると、 「碧、これは魔法の手だ。これに触られると、触られたところは、すごくすごーく素直になってしまうよ……」 そういうとシモンは、碧の唇に指を近づける。 「……ちょ、ちょっと、やめてくださ……んんん!!」 のけ反ろうとするが、所詮座っている状態では限界がある。あたかも口紅を塗るように、シモンの指は碧のつややかな唇を一周する。 「あ……」 途端。 碧の目から光が消える。 「さあ、碧、どうしてほしい?」 「……もっと……………………触ってください……」 言ってしまって、はっと正気に戻って口を押さえる碧。 「ち、違います!今のは、違うんです!!」 しかし、シモンは、言質をとったとばかりに、 「そう、ならあと少しだけ。ああ、こっちの右手は『魔法の手』だからね、そこのとこ、よろしく」 シモンは碧の目の前で右手をひらひらさせると、その手で右肩を、ぎゅっと揉む。 「んぁぁ……」 途端に、碧の瞳から光が薄れ、熱い吐息が漏れる。 「どう?気持ちいいでしょ?」 「…………う……あ………………」 「強情だね。でもね、この右手に触られたところは、もっともっと素直に、気持ちよくなるよ?」 シモンはさらに碧の首筋、肩をそして二の腕を揉み下す。 「あ……んん……」 喘ぐとも呻くとも知れない鼻にかかった声を出す碧。 苦しげに喘ぐ碧の唇をつつきながら、 「碧、気持ちいい?」 唇にシモンの指が触れられるたびに、理性が擦り切れていくかのように、その表情が一層朦朧としていく碧。 「どうかな?碧。気持ちいい?気持ちよくない?どちらかで答えてくれると嬉しいな」 シモンの言葉に、ついに何かに屈するかのように、ひとつ大きな熱い吐息とともに、碧は小さく呟く。 「……………………………………気持ちいい……です」 「どれくらい?」 「……すごく……」 「やめてほしい?」 「……いや……やめてほしくないです……」 「ずっとこのまましてほしい?」 「……して……ほしい……」 一旦素直になってしまった「唇」は、シモンの質問にもはや抗うことができず、碧のありのままの感情をそのままつむぎ出す。快楽を自白する自分の言葉に更に酔っているのか、碧の瞳からはいつもの理性は失われ、動物的な快楽に支配されているのがわかる。 もう少し踏み込めるのではないか。 悪戯心が刺激されたシモンは、もう少しだけ調子にのる。 シモンは、ワイングラスの縁を縁取るように碧の唇を右人差指で触れながら、 「そう、碧は僕に触られれているところが全部気持ちいい。だけど、もっともっと気持ちよくなる方法があるよ……教えてほしい?」 「……教えて……ください……」 呆けた表情の碧の耳元で、シモンは低く小さな声で囁く。 「碧、唇や舌って、人間の粘膜がむき出しになっているところで、神経もたくさん集まっているから、すごく敏感なんだ。……だから、唇で唇を、舌で舌をマッサージされると、すごく気持ちいいんだ。今、服の上から手で肩を触ってもらっているけど、これより、もっともっと、10倍も100倍も気持ちいいんだ」 「……く……くちびる……で……くちびる……」 「そう、だけど、これは、僕から触っても駄目なんだ。マッサージをされる側、つまり君が自分から触りにいかないと、本当に気持ち良くならないんだ」 「……自分から……」 「気持ちよくなりたければ、碧、自分から動くんだ」 椅子に座っていた碧の唇を軽く弾いて、シモンが指を唇から離すと、その指を追い求めるかのように、碧は体をよじる。勢い、自分の背面に立っているシモンの胸板にすがりつくような形になる。 「あ……」 シモンと眼が合うと、気恥ずかしいのか、途端に碧は眼を逸らす。が、その視線は、シモンの顔を、いや、唇をちらちらと見ては、ごくりと唾を飲み込んでいる。 シモンはあくまで休めの姿勢。両手は後ろに回し、ただ碧を見下ろす。 碧は、シモンの両肩に手を乗せる。 そして、ゆっくりとシモンの体ににじり寄るようにして、シモンの顔に顔を寄せていく。 互いに息がかかるくらいの距離。その距離で碧はシモンを見つめる。 そのまま、碧は唇をシモンの唇に近づけかけて、しばらくそのまま、体を震わせていた後、――顔を背けて、小さくつぶやく。 「……だめ……キスは……だめです……」 「これはキスじゃなくて、マッサージの一環だよ?」 シモンの言葉に、碧の瞳がまた熱く潤み、シモンの顔を見つめるが、再び唇を真一文字に切り結び、俯く。 「………………………………………………………………………………でも……………………………………………………………………だめ……」 シモンはちらりと壁かけ時計を見る。 残り5分。 ここが潮時だな。さすがに悪乗りしすぎた。 あっぱれ委員長。傍から見ても、明らかに彼女の中に沸き起こる情欲――もちろん、その大部分は、偽装された調教記憶から導き出されたものではあったが――にほとんど支配されかかっていたにもかかわらず、それに打ち勝ったのだから、たいした精神力と言って良い。あっさり『男の娘』になってしまったどっかの娘さんとはわけが違う。 「悪い。そもそもやっぱり俺ごときが、委員長様にマッサージすること自体が、身分違いだったな」 「違います!そういうのではありません!!」 碧がシモンにすがりつくようにして、鋭く叫ぶ。 思わずその真剣な眼差しにシモンも息を呑む。 自分の声の大きさに自分自身が驚いたように碧は眼を見開き、その後、顔を伏せ 「……ごめんなさい、大きな声を出して……でも、そういうわけではないんです。ヨツカド君には、無理言って、すごく丁寧にマッサージしてもらって、本当に感謝してます……」 「いや、その、勘違いしないでくれよ、俺、別に委員長に、マッサージ、断られたからって傷ついているわけじゃないから。こっちこそ、ちょっとやり過ぎた。悪かった」 さすがに騙くらかしている自覚があるので、罰が悪くなってきたシモンはそう言うと、碧の体を引き剥がそうとする。勢い、シモンの両手は、碧の柔らかな二の腕に触れる。 瞬間。 「…………!!!」 油断していたところに触られたためか、碧の眼が見開かれて、一瞬こわばった途端、脱力し、椅子から滑り落ちかける。椅子がグラリとバランスを崩し、碧は椅子もろとも床に叩きつけられそうになる。 むにゅ。 危ない、とシモンは思わず碧の体を抱きかかえようとして、その柔らかく、そしてボリューミーな左胸を思い切り右手で掴んでしまう。 「ひゃうぅ……んんん……!!!」 大声を叫びかける碧。あわててシモンはその右手を胸から開放して碧の口を塞ぎかけると、その手に先んじて自ら口を塞ごうとした碧自身の手が重なる。 「んんんーーーーーー!!」 シモンは右手で碧の手と口を押さえながら、そして左手でその体を支えながら、ゆっくり碧を床に下ろした。 碧はそのまま座り込み、顔を伏せ、ぎゅっと縮こまらせながら、体をわなわなと奮わせている。 「わ、わるい、碧。今のは本当にわざとじゃないんだ。すまん!」 シモンはちらりと時計を見る。残り3分ほどか。そろそろ「後始末」にかかるか……。 「大丈夫か?碧」 シモンが、体を震わせ続ける碧を覗き込もうとした刹那。 碧の右手が、突然シモンに突き出され、そのまま、バランスを崩したシモンは、碧の前の床にもんどりうって仰向けに倒れ込む。 「あだ!あたたたた……」 背中をしたたかに打って息が一瞬できなくなり、視界が涙で滲む。 目をこすって立ち上がろうとした途端、柔らかい重みにのしかかられていることに気づく。 碧の体がシモンの体にのしかかり、その両腕がシモンの両肩を床に押し付けているのだ。 いわゆる「押し倒されている」状況。 目の前に碧の顔がある。その瞳は虚ろで、何かに魂を奪われたかのように、そして何か飢えに取り憑かれているかのように、唇を真一文字に切り結んで、シモンを見つめている。 「おい、碧、大丈夫か?」 その声に、碧の瞳に光が戻る。 「あ……ご、ごめんなさい……なんで……私……」 碧はもぞもぞとシモンから体を引き離そうとするのだが、なぜか碧の右手は、まるで別の生き物のようにシモンの左手を掴むと、そのまま碧自身の右胸に押し当てる。 「……ちょ、ちょっと、何するんですか!!」 「いや、待て、待て、よく見ろよ、お前、自分でやってるって!!」 「え、やだ、ちょっと……」 碧の右手は、シモンの左手を自分の乳房に鷲掴みにさせると、そのまま襟元に移動して、器用にブラウスのボタンをはずしていく。いや、それどころか、ブラのフロントホックまで外しにかかる。 「ちょっと、やだ、ヨツカド君!見ないでください!!」 と、言われても、馬乗りにされた挙句床に仰向けにされている身では、見ないでくださいというのが無理だ。重力に耐えかねたように、碧のあまりに豊かな乳房がこぼれおち、シモンの眼前にまろびでる。 「な、何で、手が止まらない……きゃう!!!」 そのまま、シモンの左手を再び碧の右手が掴むと、ぐい、と自分の左胸に、押し当てる。 さっきとは違って、今度は直だ。いや、「ナマ」というべきか。 数日前、あの公園でもダリアに同じことをされたが、ダリアには悪いが、弾力というか柔らかさというか規模というか重みというか肉厚というかマグニチュードが違いすぎる。 碧の手はシモンの手首をがっちり掴んでいるせいで、シモンの手のひらには碧の胸の突起の感触がありありと伝わってくる。それだけでない、碧の心臓の鼓動が、掌を通じて感じられる。 唯一助かるのは、手を押し当ててるせいで、乳首を見ないですむくらい……いや、それすら助かっていると言えたものかどうか。 「あ……あの、碧さん……僕、手、動かしていいのかな?」 「だめです!!だめです!!駄目に決まってます!!!!」 それは確かに駄目かもしれない。何せ、碧の手ががっちりシモンの手首をロックしているせいで、指を動かせばその柔肌、いや柔乳にシモンの指はめり込むし、掌を動かそうとすれば乳首をさすってしまう。アイアンクローをダイレクトに乳房に実施している状況、といっても差し支えない状況だ。 前門の虎、後門の狼の亜種的状況だが、こういう状態を的確に表す諺が思いつかない。両手に花、ではない。虻蜂取らず、でもない……。 シモンの頭がいささか奈辺に飛び掛っていったところを、碧の叫び声に引き戻される。 「ちょっと、動かさないでください!!」 「……でも、委員長が、僕の手を動かしてるように見えるんですけど……」 そう、碧の言葉とは裏腹に、碧の手はシモンの手を自分の胸に押し当てたまま、自ら揉みしだくような動きを見せつつある。 「ん……あ……あふ……」 碧の手は、あたかもシモンの手を通じて、自らの胸をマッサージ……いや、マッサージなどという生やさしいレベルのものではなく、むしろ「揉みしだく」、いや、「絞りとる」かのような動きを見せる。 「あふ……ん……くぅ……」 口からあえぎ声ともうめき声ともしれない声が漏れそうになるのを、残る理性がなんとか押しとどめようとしている、そんな甘い苦しみの声が、碧の口から漏れ出でる。 「あふ……ち、違う、違うの……私は……んん……人間なの……家畜なんかじゃないの……」 「だから…あ……こんなので……気持ちよくなったり……しちゃ……だめなんだから…………ミルク……絞られて……喜んだり……しないんだから……絶対に……負けたり……しないんだから……」 シモンがさっき入れた暗示と混濁しはじめたのか、うわごとの様な台詞を口にしながらも、シモンの手を使った愛撫がとまらない。理性はやめなくてはと思っているのに、体が発情しきってしまい、止まらないかのようだ。 シモンは碧の後ろの壁にかけられた時計を見る。薬を使いはじめて15分経過するまで、あと2分というところだろうか。まだ間に合う。 シモンは、唯一自由になっている右手で、碧の両目を塞ぐ。 視界を塞ぐのは相手に暗示をかけやすくする、催眠の王道だ。 「止まれ!碧!!」 碧の体と手の動きが、シモンの言葉に鞭打たれたかのように、びくっと止まる。 「そう、そうだ、よく聞け、碧、今から僕が3つ数えると……」 シモンがこの状況をすべてリセットするため、碧の視界を遮るように右手を碧の顔に押し当て続けながら、解除暗示を入れようとする。 その時。 「……よつかど……くん……」 シモンに目隠しされたままの碧の声が、理科実験室に静かに響く。 ひゅぅ、と、どこからともなく、部屋の中を一陣の旋毛風が舞い、碧の長い髪と制服のスカートをそよがす。 「よつかどくん…………どこにいるの……」 碧の左手が、自分を目隠ししているシモンの右手首を、ゆっくりと掴む。 「……よつかど……くん……みえない……どこにいるの……」 「い、いや、ここにいる……けど……」 その声に呼応するかのように、碧の手がシモンの手を自分の顔から引き剥がす。 その下から現れた碧の表情は、最初茫洋としていたが、シモンと眼が合うと、蕩けるような表情を浮かべ、シモンの首に抱きついてくる。 「あぁ……いたぁ……いてくれたぁ……よかったぁ……」 碧は、ぎゅぅと抱きしめてくる。碧のはだけた胸が、シモンの胸に押し付けられ、たわむのがありありと感じられる。 先ほどまで、胸に触られることにあれほど恥らっていたのに、今はまるで気にする様子がない。 いや、むしろ、自ら積極的に胸を擦り付けてくる。 それは、快楽を貪るため、というよりは、寧ろ、何か寒空に暖をとるかのような動きに見える。 胸だけでなく、碧はシモンにその柔らかな頬も擦り付けてくる。そして火照ったその頬が動くたびに、碧の髪から漂うフローラルのシャンプーの香りがシモンの鼻をくすぐる。 「……ずっと……私は独りでした……」 ぽつん、と碧が呟く。 「ずっと独りで戦って……戦いから戻ってきてもずっと独りで……教室でも、家でも……本当のことは誰にも言えないで………………ずっと、我慢してきて……………………」 「…………我慢してきた、ずっと我慢してきた……………………でも………………思い出してしまったから……………………もう我慢できない……………………あの時の気持ちよさ…………思い出したら………………もう独りは………………いや……………………………………」 碧の独白が、何を指しているのかがよくわからない。おそらくは、ヴァルキリーの台本に書かれていた「家畜調教」の台本やら、「風のルピア」としての設定やらが、ごっちゃになってしまっているのだろう。 「よつかどくん……」 ぎゅっとシモンを抱きしめる碧。 「私……たぶん……おかしくなってると……思います……」 「よつかどくんに、さっき、触ってもらっている間……私……幸せだった……胸……触られて……幸せだなんて……変な女の子って思われてしまうと思うけど……私…………こうしてもらえないと……もう……だめになってしまう……………………そういう女になってしまったって……………そういう女なんだって………さっき……よつかど君に、マッサージされて……頭を撫でてもらって……胸を……ぎゅっと、絞られて…………………………わかりました…………………………」 熱い吐息が、シモンの耳朶にかかる。 「……よつかどくんは……わたしのこと……どう思いますか……」 「ど、どうって?」 裏返りかかっている声を押さえつけるようにするシモンに、碧はさらにかすれかけた声で、 「……こんないやらしい、女は……駄目ですか……」 耳元で囁く碧。 絶句するシモンに、そのまま碧は、さらに問いを重ねる。 「……恋人で、なくても……いいんです……時々……たまにで……いいんです……」 「……迷惑だと……思いますけど……」 「……こんな……みだらで……いやしい…………ぶざまなわたしを……受け入れて……私の……体を……撫で回して……このふしだらな……胸を…………家畜のように……扱ってくれませんか……」 あまりに唐突な問いかけだったが、拒絶の返事でもした日にはそのままスリーパーホールドでもかけかれかねない体勢である。 「あ、ああ……」 曖昧にシモンが頷くと、碧は顔を起こして、シモンを見つめる。 「……ありがとう……ございます……」 碧は、微笑みながら感謝の言葉を述べると、そのままシモンの唇にその柔らかな唇を押し当てる。 あまりに自然な動きだったので、5秒ほどシモンの思考が止まる。 「……………!!!」 「んん……んふ……ん……」 鼻にかかったような声で、甘えながらシモンの唇をむさぼる碧。 いや、唇どころではない、彼女の唇から、ぬる、とした何かが入って来てシモンの舌と絡まっていく。それが碧の舌だということに、シモンは気づく。 確かに、前にケーキ屋で催眠状態の碧にキスをされたことはある。しかし、それはあくまで軽いキス、唇と唇を合わせる程度のもの。 ここまで「濃い」キスは、年季の入った童貞のシモンにとっては当然未体験ゾーン。 ふと、碧の背中越しに、時計がシモンの眼に入る。 まずい、洗脳薬の効き目が切れるまで、あと数十秒もない。 シモンが唇をはずそうとするが、碧はがっちりシモンの唇、頭、体を、その柔らかな体躯、そして両腕、両脚、そして唇と舌でロックして、シモンは身動きができない。 その中でも、くちゅくちゅと碧の舌がシモンの口腔を犯していく。 な、なんでだ?さっきまで「キスだけはだめ」だなんて乙女なことを口走ってた委員長様がなんでこんなことに……。 シモンは自分の右手に視線を動かす。 あ。 ……碧、これは魔法の手だ。これに触られると、触られたところは、すごくすごーく素直になってしまうよ…… 俺、この手でどこに触ったっけ? まず、唇は触った。 そして、倒れかけた碧を支えようとして、勢いで胸にタッチ。 それでもって、叫びかけた碧の口を押さえようとしたときに、碧の右手が俺の手に触ったような。 その後だったよな、碧が俺を突き飛ばして、いきなりその手で服脱ぎだして、俺の手を自分のおっぱいに押し当てて……。 パズルのピースが嵌る。 なんのことはない。シモンの「右手」が触った部分が、まさに洗脳薬の効果覿面、「素直」になってしまっただけだ。 そして、最後に触ったのは……碧の目、というかおでこ、というか、前頭葉。 前頭葉は、確か、人間の感情と理性を司る場所。 さっき、シモンにキスによるマッサージを持ちかけられて、それを全力の理性で押しとどめた委員長。 その、つっかえ棒だった「理性」が、自分の気持ちに素直になったせいで蒸発してしまったとしたら? そして、「感情」がダダ漏れになり、完全に自分の「本能」のままに、暗示で捏造された「調教」で刻印された「情欲」に突き動かされるまま、素直に行動してしまったとしたら?? シモンは自分がかなりまずい状態に陥っていることに気づく。 「んーーーーーーーーんんんんーーーーーーーーーー!!!」 碧に向かって「離せ、碧、話せばわかる!!!」としゃべったつもりだが、シモンの唇を碧は決して離そうとはせず、むしろ逃げようとするシモンを逃すまいと、メデューサのように密着度を増していく。 碧の甘い唾液の匂い、そして、柔らかくふくよかな双つの乳房の感触。 すべすべとした太ももがシモンの股間を圧迫する。意識的ではないのだろうが、シモンを逃さないように、碧の太ももはシモンの脚を押さえつけるように、擦り付けるかのような動きをする。 その刺激とやわらかさに、すでにシモンのブツはギン立ちになっている。 理性を失った碧の腕力は、普通の女子校生のものではなく、シモンはまるで柔道のオリンピック選手の寝技をかけられたように動けない。 まずい、このままだと窒息死してしまう。 リミッターが外れた碧に、貧弱体力には自信ありのシモンではとても物理的に太刀打ちできそうにない。 押してだめなら引いてみろ。シモンは、「北風と太陽」の故事にならい、これまでとは逆の方向で脱出を試みることにする。 シモンは、碧の頭をゆっくりと優しく撫でる。 「んん!!」 触られた瞬間、碧は体を一瞬こわばらせたが、やがて、その体全体から力が抜けていくのがわかる。 そのまま碧はその手で頬もゆっくりと撫でていくと、その動物的な、そして精神的な快楽に蕩けたのか、ようやくスリーパーホールド状態だった碧の腕が緩む。 シモンは、そこで逃げ出すのではなく、あえて舌先を、ぐいっと碧の口腔の中に突き刺し、さらに、乳房をむんずと掴む。 「ふわああ!!」 敏感なところを責められて海老反りになる碧。ようやく碧の唇からシモンの口が自由になる。 「碧、俺の目を見ろ!」 碧の視線がシモンの目を捉える。 「いまから俺が3つ数えて指を鳴らすと、お前は眠る。いち、にの、さん!」 ぱちん。 シモンが碧の目の前で指を鳴らす。 が、 碧は目をパチパチさせたままシモンをみつめている。が、やがて、その瞳に涙が溢れてくる。 ひゅう。 また理科準備室に風が舞い始める。碧の髪の毛が、気のせいかその風と連動してざわざわと波打っているかのように見える。 「ヨツカド君……やっぱり……わたし……要らないですか……。……私では……あなたに……飼ってもらえる資格は……ありませんか………………………………あなたの家畜には……なれませんか……」 立て付けが悪いのか、準備室のビーカーを入れたガラス戸が、カタカタとゆれ始める。 「ち、違う違う、そんなわけないだろ、お前は俺の大事な……」 「……だいじな?」 碧の熱を帯びた視線が痛い。シモンはちらりと時計を見た。 もう、すでにタイムリミットから5分は軽く過ぎている。 さっき、指を鳴らしても暗示が解けなかった。 洗脳薬の時間切れだ。 シモンは、溜息を心の中で盛大につき、だが、そんなことはおくびにも出さずに、涙にぬれる碧の頬を撫でて、 「……お前は、俺の大事な家畜だ。……お前が望む限りはな」 途端、 碧は、その言葉に、顔を綻ばせる。 皮肉にも、それは今日一番の笑顔。 「ヨツカド君………………ありがとうございます……」 その笑顔のまま碧はシモンの懐に飛び込み、シモンの頬に顔を摺り寄せる。 シモンはそんな碧を、幼子をあやすように、背中をぽんぽんと叩いてやる。 いつの間にか、部屋で舞っていたつむじ風も止んでいる。 やがて、碧の体の震えも収まったところで、 「あ、あの、ヨツカド君……もうひとつお願いがあるんですけど、いいですか?」 碧がシモンを見つめる。 「……家畜の割には注文が多いな」 「……すみません……」 しょげる碧。 「ああ、いいよ、いいよ、わかったわかった。で?なんだ?」 「……あ、あの……」 碧は少しためらっていたが、やがて、意を決したように、 「……ヨツカド君のこと、これから、『シモン様』と呼んで、いいでしょうか?……」 その後は、碧に服装を整えさせ、いくつか「家畜」としての心得を教授することに時間が費やされた。 その1。これまでも普段どおりの生活をすること。 その2。シモンと碧との関係も、ほかの人がいる場所では、これまでどおりとすること。 その3。その1とその2に反しない場合、すなわち、碧と二人っきりの場合は、碧はシモンの命令には絶対服従。 その4。その1からその3までをきちんと守られているのであれば、家畜としての「ご褒美」をあげる。 碧はだいぶ「その1」と「その2」には不満があるようだったが――つまり、普段から徹底的に「家畜扱い」してほしいようだったが――、「その3」と「その4」により何とか納得してくれた。 もっとも、もとの頭がいい娘だから、朱美と違って変なへまは打つまい。 長い長い学内での放課後をようやく終えて、帰路につくシモン。 すでに夕暮れ時、というよりは、夕闇に空は占拠されつつある。 あらためて、今日一日を振り返る。 なんというか、想像以上に「ヴァルキリーの魔法少女」という設定は、碧にはどっぷり溶け込んでいる設定だったらしい。 ここまでのものになるとは想像していなかった。 「最後は、『シモン様と呼んでいいですか』、だもんなあ……」 委員長は人のことを渾名で呼ぶことを好まない。だいたいクラスの連中がなんのことはなく呼ぶ「シモン」という渾名ですら、碧は律儀に苗字で「ヨツカド君」と呼ぶ。 それが、『シモン』どころか一足飛びで『シモン様』である。 なんとなく、イメクラめいた感じもあるが、たしか、ヴァルキリーの台本でも、ルピアは「シモン」に調教される設定だったから、飼い主たる人間を「シモン」と同一視したほうが「設定」上、入り込みやすかった、ということなのだろう。 それにしても、あまりにも刺激的な経験をしすぎて、いまだにアレが甘勃ちしている。 もちろん、あの理科準備室での「マッサージ」の後、碧は完全に「家畜モード」だったので、如何様にもできたに違いないが、学校でそんなことができるはずもないし、かといってそういったことをするような場所もない。 ホテルにいけるような金も時間もない、となれば、解散するしかない。 それに、いくらなんでもあの展開で成り行きで「やってしまう」のは、いささかシモンも躊躇があった。もともと、碧は洗脳するつもりはなかったし、洗脳を解き損ねたのも「事故」以外の何者でもない。 自分の方もしんどいが、どちらかといえば、発情しきった碧のほうが若干不安である。そこは何度も噛んで含めて、まっすぐ家に帰って寝るように言ったのだが……。 ともかく、はやくダリアを見つけて洗脳薬をつかって、あの「家畜モード」を解除せねばなるまい。いつまであの状態で持つかわからない。碧も自分も。 取り急ぎ、自分のほうは今日はとっとと家で右手の恋人のお世話になろう、と思っていると、唐突に、街灯の明かりが消え、あたりが真っ暗になる。 あれ?とシモンがいぶかしげにおもうと、背中に、とん、と硬いものが押し当てられる。 「動くな。そして騒ぐな。声を立てたら、撃つ」 冷たく、固い、女性の声。その言葉で、ようやくシモンは、その背中に押し当てられているものが、銃口の形状をしていることに気づく。 そして、そこにいたってようやく、後ろを取られていることに気づく。 「両手を挙げろ」 言われるままに両手を挙げるシモン。 「ヨツカド、イサオ君だな?」 よくよく今日は本名で呼ばれる日だ。 声を出そうとして声がでず、ゆっくり首だけ縦に振るシモン。 「ここから100メートルほど先に車が止めてある。ご同行願おう」 シモンはそこまで来て、ようやく自分が拉致連行されそうになっていることに気がついた。 < つづく >
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