人の集団あれば秘密結社あり
ぼくが小学生の頃、友だちと徒党を組み、学校終わりに近所の山や藪の中に作った秘密基地で飽きずに遊んだものです。その基地の場所は決して口外してはいけなかったし、秘密基地で何をして遊んでいたかも仲間内の秘密でした。
こういう子供の遊びも、定義を広げれば「秘密結社」とも言えるかもしれません。
秘密結社の定義は明確でなく「その活動や構成員を秘密にしていること」「入会には儀式や審査が必要なこと」がありますが、その目的は様々。
単なる青年クラブや社交クラブ的なものもあれば、体制打倒を掲げる政治結社、宗教の秘儀を受け継ぐ団体など様々です。
代表的な秘密結社フリーメーソンは「世界経済を裏で牛耳る」「世界大戦を起こして金を儲けた」などと陰謀論の黒幕のように言われたりしますが、
彼らのやっていることが表からは見えにくいから、「何か裏でコソコソやってんじゃねえんだろうな?」という疑惑をもたれやすいのであります。
秘密結社は星の数ほどありますが、その中でもマイナーな秘密結社をピックアップします。
1. カイロネイア騎士団(イギリス)
*1: Work by Giovanni Dall'Orto. ))
20世紀前半のイギリスのホモセクシャル結社
カイロネイアと言えば、紀元前338年にマケドニアのフィリッポス2世とアテネ・テーベ連合軍が闘い、マケドニアが完勝した歴史的な戦いです。
テーベ軍の主力を担ったのは「神聖隊」と言われる同性愛のカップルたちで結成されたエリート軍だったのは有名ですが、この故事にあやかって1899年にイギリスで結成された同性愛者の政治結社が「カイロネイア騎士団(Order of Chaeronea)」。
セシル・イビスは、同性愛者たちが「迫害を恐れることなく自分自身を表すことができ、同じ仲間たちとコミュニケーションを取ることができる場」として組織を設立しました。カイロネイア団は通常の秘密結社と同様に組織の秩序を重んじ、儀式を重視しました。性的な交流目的での組織への入会は固く禁じられ、厳格な規則が存在しました。
ま知識人を中心として社会的上流の人々が結社に加わり、組織は世界中に拡大。同性愛者の権利拡大運動の草分け的な存在となりました。
2. カーヴス・ヘッド・クラブ(イギリス)
イギリス共和派による「勝利の集会」
イギリス国王チャールズ1世は、1649年にオリヴァー・クロムウェル率いる共和派によって処刑されてしまいます。
国王の処刑は当時の大事件であり、もちろん反対派も多かったのですが、処刑を熱狂的に支持した一派がカーヴズ・ヘッドクラブ。直訳すると「仔牛の頭団」。
メンバーは国王が処刑された1月30日に集まり、象徴的な夕食を食べて共和派の勝利を祝いました。
真上に斧が吊るされた食堂に集まった一同。メニューは王党派の連中を象徴する「仔牛の頭」、王自身を象徴する「タラの頭」、そして王の圧政を象徴する「大きなパイク(淡水魚)の頭に中に小型のパイクを詰めたもの」。
食事を終えると王の死を称える賛美歌を歌い、仔牛の頭蓋骨で出来たカップで盛大に乾杯をしました。
1660年に王政が復活するとおおっぴらには集まれなくなり、メンバーは地下に潜り活動を続けましたが、1735年に会議中に王党派の暴徒の襲撃を受けリンチされ、組織は崩壊しました。
3. アリオイ(タヒチ)
Photo by American
タヒチの土着の司祭集団
タヒチはキリスト教が広まる前は土着的な宗教が根付いていました。
社会階層は支配階級、上位貴族、下位貴族、平民の4つに別れていましたが、この土着的な宗教を司るとされたのが「アリオイ」と呼ばれる秘密結社的司祭集団。
アリオイにはどの階層の人物からも就くことはできましたが、正式にアリオイになるには試験を受け合格する必要がありました。その試験というのが「儀式のダンス」。正確に踊るというのはもちろん、いかに「美しく踊れるか」というのがアリオイに加入できる条件でした。アリオイ階級は守護神オロの崇拝を行い、「性的に自由な生活」を説きました。実際にタヒチの人々はキリスト教が広まる以前はかなり自由に性交を楽しんでいたようで、子ができると堕胎を行うのが普通でした。アリオイも性交は自由でしたが、子を設けることは許されなかったので、やっぱり堕胎をしていたのでしょう。
フランスの植民地支配が確立され、キリスト教が広まると、19世紀にはアリオイの制度もなくなってしまいました。
4. スコッチ・キャトル(イギリス)
Photo from "SCOTCH CATTLE: THE WELSH MOB WHO TOOK NO BULL" WELSNOT
悪い労働条件に抵抗し労働者の側から発生した結社的労働組合
1820年代、ウェールズの炭鉱夫は不公正な労働条件に対抗するために、「スコッチ・キャトル」という秘密結社的労働組合を結成しました。キャトルとは牛のことで、スコッチ・キャトルとはこの地方名産の凶暴でゴツい牛を指します。
どの町の炭鉱にも炭鉱夫の組織があり、リーダーは「Bull」と言われました。仮に雇い主が炭鉱夫に対し不当な扱いをしたり、給与を下げたりなどしたら、荒くれ者の男たちが集団でその原因と思われる人物に殴り込みをかけ、暴力的手段で問題の解決を図りました。また同じ炭鉱夫にも関わらず、出し抜けに安い報酬で仕事を受けた者に対しても容赦せず、最初に文書で警告を送り、それが無視された場合は深夜に牛の格好をして男の家に押しかけ、徹底的に破壊しました。そして去り際に「赤い雄牛」の絵を書き精算をしたのでした。
19世紀半ばに組織的な労働組合が成立するまで、このような労働者の結社はワークしました。
お上による民衆の世界を壊す破壊的圧力に対し、暴力的手法で解決を計る結社的組織やマフィア集団は世界中で見られ、ハンガリーやスロバキア、ウクライナなどでは義賊という形で現れています。
5. 孔雀天使騎士団(イギリス)
ヤズィーディー教の教義に基づく秘密結社
1960年代にイギリスで結成された「孔雀天使騎士団」は、北イラクに住むクルド人の一部が信仰するヤズィーディー教の教義に基づき、「孔雀天使」マラク・ターウスを崇拝します。
会議室の中央に祭壇が置かれ、神聖な孔雀天使の像が置かれる。そしてメンバーは黙って願いを表現しながら、祭壇の周りをゆっくり踊るのだそうです。そして踊りは次第に興奮したものになっていき、踊りが佳境に入ると、皆トランス状態に陥り、孔雀天使がメンバーに憑依したとみなされる。そうして歓喜と満足に満ちた儀式は終わるというわけです。
孔雀天使騎士団のメンバーはイギリス国内だけで数千人はいると考えられ、またアメリカにもメンバーが存在するそうです。
6. レオパード・ソサイアティ(西アフリカ)
死を司る西アフリカのカルト集団
レオバード・ソサイエティはナイジェリアやシエラレオネに存在した秘密結社。メンバーはヒョウの皮を被り、金属の爪と牙で武装していました。
この集団は負傷者や障害者など「死に至らない者」を生贄の儀式に捧げられ、死体の肉は切り取られメンバーに配布され食されました。また、犠牲者の血は「超自然的な力が得られる薬」と信じられていました。
第一次世界大戦後に英仏の植民地当局によって取締がなされ、絶滅したと考えられていましたが、第二次世界大戦後に再び現れ40人以上を殺害。地元の人々は復讐を恐れて口を閉ざしましたが、1948年に勇気ある住民の証言のおかげでアジトが見つかり、メンバー34人は逮捕され、39人は処刑されました。
7. バード・ノッバーズ(アメリカ)
バード・ノッバーズ(Bald Knobbers) とは、直訳すれば「ハゲの騎兵」という意味で、名前も見た目も超怪しい。
この集団は南北戦争の後にミズーリ州南西部に拡がった治安悪化に伴い、自警団組織として発生しました。創立者はナット・キニーという男で、しばしば「裸の山頂」で秘密の会合を設けたためこのような名前がつきました。
彼らは地方政府の腐敗に反対し、犯罪者に懲罰を与え、地域社会の宗教的な慣習に反した者にも処罰を与えました。
彼らのやり方は過激で、しばしばしターゲットを殴り殺すほど激しいもので、人の目から逃れるために角の生えた怪しいコスチュームを身にまとっていました。
彼らは1887年、自分らに批判的な人物2人を襲って殺し、その家族を負傷させた罪で逮捕され、4人が処刑されました。翌年にはキニー自身もライバルに殺害され、1889年までに組織は壊滅してしまいました。
まとめ
秘密結社と言っても、別にどれも陰謀を企てているわけではなく、その目的も手法も様々です。
今回は紹介程度に留まっていますが、秘密結社という存在の定義や特徴、事例などを体系立てて説明している本としては、「秘密結社 (講談社学術文庫)」が非常に詳しいしオススメです。
参考サイト
"10 Strange And Obscure Secret Societies" LISTVERSE
*1:Credit: ((A funerary stele for a Panchares (possibly fell in the battle of Chaeronea, 338 b.C.), showing a relief of a footman killed buy a Macedonian horseman, topping a loutrophoros vase (meaning that the man died unmarried). On display in the Room of the so-called "Monuments for the Metics", at the first floor of the Archaeological Museum of Piraeus (Athens). 338 BC? Picture by Giovanni Dall'Orto, November 14 2009.