卓球界とプロレス界の“邪道”が奇跡の合体を果たした。大のプロレスファンと公言するリオデジャネイロ五輪卓球男子シングルス銅メダル、団体銀メダルの水谷隼(27=ビーコン・ラボ)が、プロレスラーの大仁田厚(59)と初対面。いよいよ引退カウントダウンに入った大仁田から貴重な“邪道アイテム”を贈られた卓球界のスーパースターは、口も滑らかに今後の野望を激白。2人の異色トークに耳を傾けろ!
大仁田 まさか会えるとは思わなくて、ドキドキしましたよ。普通は「プロレス好き」っていうと偏見の目で見られるし、メジャー団体のほうに行く。なのに大日本プロレスやインディが好きだとか!?
水谷 中学2年生くらいの時にプロレスラーになりたいって時があって、そこから興味を持ち始めました。13年くらい前にはドイツでWWEを見るようになったんですよ。デスマッチが印象深くて、日本でもデスマッチを主流でやってる大日本の試合を見に行くようになりました。
大仁田 これは批判じゃなく、卓球がこんなに注目されるとは誰も思ってなかった。女子ばかり、福原(愛)さんばかりが注目される中「コノヤロー」って男子に引き戻したのが水谷選手だと思うから功績は大きい。卓球の魅力って何ですか?
水谷 ソフトボールにサッカー、いろいろなスポーツを経験したけど、一番卓球が難しかったんです。極めたい気持ちがありました。
大仁田 挫折は?
水谷 たくさんあります。最近で言えば(2012年)ロンドン五輪が終わった後に4か月くらい卓球から離れていて、成績も伸び悩んで…。でも「自分の力をまだ見せつけてない」「もっとやれる」っていうのが心のどこかにあって、ロシアリーグに挑戦したり、プライベートコーチを雇ったりして環境を変えた結果、すごく伸びました。
――ところで大仁田選手の印象は
水谷 電流爆破マッチをよくネットで見ます。やっぱり痛いじゃないですか。分かっていて飛び込む勇気がすごい!
大仁田 一緒だよ。コートに上がるのが嫌な時ってあるだろ!? 誰も好きで有刺鉄線に当たり、1442針の傷を負ってるわけじゃない。自分が確立したジャンルに勇気を持って行くしかないなって。ぜひ(引退と定めた17年10月の)還暦電流爆破には来てほしい。
水谷 行きたいです!
大仁田 特別レフェリーやってもらおうか。「電流爆破(のリング)に入った最初の五輪選手」って、そのほうが記事になったりして。
水谷 重いです…、セコンドだとうれしいんですけど。ひいきしちゃいますよ(笑い)。
――卓球でプロレスの影響を受けたことは?
水谷 13年くらいに「ヒールやります」って宣言して、あえて強気発言をしていた時期があった。ヒールをやりたいのがあったし、注目を集める意味でも。結局、ただのビッグマウスだと批判されて終わったんですけど、今考えたらいい経験だと思ってます。
大仁田 ボクは(東京ドームで)6万人の新日本ファンを敵に回したことがあるけど、どう思われるとか計算したらダメで、貫くしかない。
水谷 カリスマ性のあるヒールっているじゃないですか。(米WWEの)トリプルHみたいな選手に憧れていた。大仁田さんにも尊敬できる部分が多くて、(自分と)同じ匂いを感じます。
大仁田 ドナルド・トランプ(次期米国大統領)はWWEに絡んだことがあるから、プロレスの影響がある。水谷選手はトランプとよく似てる。勝って床に寝転んでガッツポーズやった時に賛否両論があったっていうけど、革命児はそうでなきゃ。徹底的に暴れて「卓球界の邪道」と呼ばれてほしいな(笑い)。
水谷 光栄です。とにかく人と違うことを突き進んでいきたいし、否定されればされるほどうれしくなります。
大仁田 たった一回の人生なんだし、エリートにはなってほしくない。
水谷 試合を頑張ることもそうですが、卓球のプロリーグをつくりたい。それにセカンドキャリアを考えたり、やるべきことはたくさんある。全日本選手権(1月16~22日、東京体育館)もある。五輪後で注目されるだろうし、優勝できれば歴代最多の9回で記録に残るので頑張りたいです。
大仁田 五輪は4年に一度じゃないですか。モチベーションとパフォーマンスを保つ方法ってあるんですか?
水谷 五輪が終わった直後に4年後(を考える)って難しいですね。メダルを取ることを目標にやってきたけど、これからは金メダルを目標にやらなきゃいけないので。五輪は最重要な試合ですけど、それより目の前の試合が重要ですね。(大仁田が邪道革ジャンをプレゼントし)観戦に行く時は着て行きます!
☆みずたに・じゅん=1989年6月9日生まれ。静岡・磐田市出身。5歳から卓球を始め、8歳で全日本選手権バンビの部(小学2年生以下)優勝。五輪は2008年北京大会から3大会連続で出場した。世界ランク5位。172センチ、63キロ。
☆=おおにた・あつし 1957年10月25日生まれ。長崎市出身。74年4月14日の全日本プロレス後楽園大会でデビューした電流爆破マッチの先駆者。2001年には参院選で初当選した。還暦を迎える17年10月で引退。現アジアタッグ&爆破王タッグ王者。181センチ、98キロ。
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