百貨店やアパレルショップなどで販売促進のために活用されるマネキン。トレンドアイテムを纏うマネキンは時代の影響を受け、変化するため「時代を映し出す鏡」とも言われています。今回は「コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)」や「イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)」が使っている株式会社七彩の「NANASAI ARCHIVES 彩sai」で展示されている商品と「NANASAI 2017 不易流行-」で披露された最新作を画像で振り返り、マネキンを通して時代の移り変わりを見ていきましょう。
マネキンにもトレンドが?写真で振り返る70年のマネキン史
動画でマネキンの歴史を振り返る
1920年代:まるで彫刻、石膏で作られた現存する日本最古の洋装マネキン
1925年、彫刻家の荻島安二によって制作された現存している日本最古の洋装マネキンです。2体は子供の姉妹をイメージし、材質は石膏で彫刻の延長で制作されています。
1950年代:年間生産数歴代トップのマネキンも、マネキンの形が大きく変わる
1952年、七彩の初代社長 向井良吉が制作した「SA-10」。向井良吉は当時彫刻家としても高く評価されていた人物で、ポーズや表情など美しさにこだわったデザインが特徴になっています。この時代から石膏ではなく、島津マネキンが開発した楮製紙(ちょせいし)をメイン素材にしたファイバー製マネキンへ移行しました。当時はカツラがなかったため、髪も同じ素材で作成されています。
1950年代後半に村井二郎によって制作された楮製紙製のマネキン。写真1枚目左の「FW117」は1955年に発表されたもの。経営不振が続いた七彩でしたが、「FW117」がヒット商品となり経営を立て直すことができたそうです。七彩の年間マネキン生産数は多い年でも約2,000体ですが、そのうちの1,650体を「FW117」が占め、社内では「救いの女神」と呼ばれているようです。指先の表現や上品な顔立ちが評価されて、2011年の連続ドラマ「カーネーション」で小篠綾子が経営する洋品店のウィンドウにも登場しました。村井二郎は他にもヒット作を連発、当時のヒットメーカー的な人物だったそうです。
七彩は1959年から1986年までの27年間、フランス人のジャン・ピエール・ダルナにマネキンの制作を依頼していました。ダルナのマネキンデザインは当時の日本の作家が持っていなかった感覚で作られており、極端にくびれたウエストや特徴的な顔立ち、大胆なポーズが特徴。実在する人物をモチーフにするのではなく、ダルナのイメージを基に作られた誇張されたバストや極端に細いウエストは後のマネキン作家に影響を与えました。ダルナは七彩だけでなく日本のマネキン史にもその名を刻んでいます。
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