12/25
アコーディオンをサンタさんからもらって
20年が経ちました。
マジかよ…
今までの20年間は
あっという間だったような
長かったような。
1人で アコーディオンを練習して
サンタさんにまたアコーディオンを
お願いする なんて日が
昨日のことのような
随分前のような。
来てくれた皆さん
ありがとうございました。
数年前じゃあこんな
昼夜合わせて600人強
ソロライヴで集まるなんて
ありえないことだもんなあ。
最初から最後まで
登場人物は私だけでしたが
やりたい事をやるだけのライヴ
ほぼほぼ喋りに時間が費やされたような
気もするけども
色々な昔話も話せて良かったです。ほほほ。
後半のライヴの時に思い出した
エピソードもあるんで
なんとなく思い出しながら書いておきますねー
7歳の時にサーカス(シルク・ドゥ・ソレイユ
のアレグリア)
でアコーディオン弾きを見て
アコーディオンをサンタさんにお願いして
このアコーディオンを貰った事
それをずっと押入れで練習
サンタさんにもう一度
アコーディオンをお願いした
(2度目に貰ったのは鍵盤式)時に
担任の先生がアコーディオンを趣味でよく
教室内で弾いている人だったので
2台目の鍵盤式アコーディオン
を教えて貰って
(それは家から見つけることが
できなかったので
会場には無かったのだけど)
少しの期間
鍵盤式アコーディオンだったのだけど
まあヤンチャな小学生時代
ヤンチャ過ぎて(すぐに足が出る過激派)
10歳の時に公立から私立に転向
転向先で
アコーディオンを
習っている男の子と同じクラスになり
アコーディオンを習いに行くようになる
手が小さいし弾きやすいだろう
というような理由から
ボタン式(クロマチック)
アコーディオンに変わる。
(先生が突然持って来た)
で、13歳あたりで突然の
13キロのアコーディオンを買ってもらい
アコーディオンて重いなあと思いながら
友達と遊ぶタイプでもなかったので
アコーディオンを練習する時間は
増えるばかり。
ここからアコーディオンの大会
コンテストに出まくる。
勝ったり、勝たなかったり。
賞を貰って嬉しくなったり。
ならなかったり。
そんでもって16歳の頃
チャラン・ポ・ランタンの前に組んでいた
インストバンド
Minority Orchestra
(マイノリティオーケストラ)を
その時テナーサックスで入部していた
ブラスバンド部の中で暇そうだった
部員のドラム サックス トランペット
トロンボーンの奴らと結成。
(ドラムは
今でもバンド編成で叩いている ふーちん)
そのバンドと、小春個人で
小学校の時から(あまり人と関わらなくて
お金がもらえそう…という理由から)
憧れだった大道芸 のライセンス
東京都公認 ヘブンアーティスト というものが
あるということを(母から)教えてもらい
試験を受け めでたく合格
17歳の時 大道芸人として
上野公園やら新宿やら井の頭公園で
大道芸をしてお金をもらう日々。
道端で出会った人から
結婚式での演奏やパーティでの演奏を
頼まれるようになり
お金をもらえるなら…と
人と関わりたくないものの引き受ける毎日。
そこでライブハウスのブッキングの人にも
声をかけられて
ライブハウスでも演奏するようになる。
(ノルマなしならやります…とか
生意気なこと言ってました、ああ生意気)
そこらへんから
MCでは話してなかったけど
高校に通いながら
音楽の専門学校にも通う。
勿論 超劣等生だったけども…
そこで楽典やらコードの仕組みを初めて知る。
(もう半分くらい忘れちゃったけど…)
昼 高校 または 大道芸
夜 専門学校 または ライブという生活。
大道芸でジャグリングのと男の子と
ユニットを組んで
プラノワとしても活動。
19歳の頃
YouTubeに載せたMinority Orchestraの
動画を見た海外の人から
ピンクフロイドのイベントで演奏して欲しい
と 言われる。
初海外。イギリス。チェルシーへ。
セッションもしよう!と誘われたものの
参考として貰った曲の動画を見て
なんだか難しい曲だったので
「また今度ね!」と断ることに。
後に日本に帰ってからピンクフロイドが
随分凄いミュージシャンだったことを
知る。
そこらへんからプラノワで
海外のサーカスイベントや大道芸イベントで
パフォーマンスの仕事をするようになる。
日本→海外→日本→海外
を、繰り返す。
そこらへんで 色々な事務所と
関わるようになる。
レコーディングした会社が
潰れたりとかして
リリースが無かったことになったり。
懐かしいなあ。
20歳
RolandのV-accordion(電子アコーディオン)
の世界大会 の第一回 日本代表予選 が
ある事を知る
優勝者にはV-accordionが貰えるということで
V-accordion欲しさに参戦。
めでたく優勝して日本代表。
ローマに向かう。
大会でケチョンケチョンにやられる。
世界はすごいと思い知る。
ローマで21歳の誕生日。
その後に親知らずを抜く。
親知らずの治療がとても長く
治療の痛みを紛らわすために
曲を考える。
考えたのに治療が終わらないので
歌詞をつけてみた。
「親知らずのタンゴ」完成。
歌モノを初めて作ったので
誰かに歌ってもらいたいなあ と思うものの
あまりいい人が見つからず
同じ部屋にいた女(妹:ももちゃん)を
誘うことにする。
「お前 歌とか歌えんの?」
ということで
Minority Orchestraのゲストボーカルとして
ももが登場。
ももちゃん初ステージ。
それまでの間に出会った
ホームレスのおじさん(モーゼ)や
新宿で声をかけられた伝道師
渋谷で絡まれた占い師の話
そしてそこで出来た曲たちを
色々と演奏したりしました。
井の頭公園でいつも見に来てくれてた
5円さん(5円しか投げ銭くれないから)
のエピソードも交えて
思い出の曲を弾いたりもして
ソロライブじゃあこんなに
この話に時間使えないぜーってな感じで
たっぷり昔話を。
出会った人たちとのエピソードは
ここには改めて載せたくなったら載せるね。
チャラン・ポ・ランタンで
アコーディオンを知って
アコーディオンを弾き始める って人を
何人も聞きます。
すごく嬉しいです。
楽器って 弾かれなくなったら
消えてしまうものだから
もっとアコーディオン弾きが
増えたらいいなあと
切に願っております。
自分の好きなメーカーが
どんどん無くなっているんだ。
アコーディオン弾きが
増えますように。
5 ■小春ー! iloveyou
小春ー!
iloveyou