大男が宵闇の霊園で、すすり泣いている。墓石の縁端に両手を付き、がっくりと肩を落とす男の傍らには、不安気な表情でうつむく女性の姿も…。この一種異様な写真が撮影されたのは、今から34年前の昭和50年9月4日、場所は東京・台東区谷中にある瑞輪寺墓所内だ。
時を前後して大相撲、二所ノ関部屋では跡目争いが勃発(ぼっぱつ)していた。この年の3月に8代二所ノ関親方(元大関・佐賀ノ花)が白血病で死去。9代目には一門の最長老であった湊川親方(十勝岩)が暫定的に就任したが、これ以後、10代目選定をめぐって大きなトラブルに発展していく。
後継には部屋付き親方の押尾川親方(元大関・大麒麟)が本命視されていたが、8代未亡人がこれを拒否。結局、元関脇・金剛が亡き8代目の次女と婚約して娘婿になることで10代二所ノ関に決まり、27歳の若さで部屋を継承した。
実績、人望がありながら後継争いに敗れた押尾川親方は、自分を慕う多数の力士を引き連れ、部屋を脱出。8代親方の眠る谷中の同寺に立てこもったのだ。写真は師匠の墓前で悔し涙にくれる押尾川親方。当時、この内紛問題を渦中で取材したサンケイスポーツの今村忠記者はこう回想する。
「本当に懐かしい写真。女性は押尾川親方夫人の光恵さんです。この1枚は富永さんというベテランカメラマンが撮影した特ダネで、当時1面を飾りました。相撲界には古くからこうした内紛が多く、たもとを分かって篭城(ろうじょう)…というケースが見受けられたものです。今では考えられませんが、この二所ノ関騒動は、その最後のケースかもしれませんね」
押尾川親方はこの後、押尾川部屋をおこして独立。長期化した内紛に終止符が打たれた。
■東京・大手町の産経新聞社には過去の報道写真などが保管されている資料室があり、中には膨大な量のスポーツ関連写真も含まれている。まだ取材規制が緩やかな時代、ファインダー越しの構図はユニークで、スター選手らの表情は光り輝いている。時代を切り取り、歴史を刻んできたセピア色の報道写真を、21世紀の今、振り返る。