
2016年11月5日 東京都港区 人権教育啓発推進センター
第12回 親の知る権利を求めるシンポジウム 葛西りまさんのお父さん
葛西剛さんからの報告
私は、青森県青森市立
浪岡中学校 2年葛西りまの父、
葛西剛です。
私の娘、りまは今年の 8 月 25 日に同級生たちによる
いじめを苦に自ら命を絶ちました。
まだ 13 歳でした。
娘は特に SNS、LINE で執拗に
いじめを受けていました。
「ブス」「きもい」「学校に来るな」「死んで」などと心ない暴言をあびせ続けられていました。
そのようなことを SNS にあげていた生徒たちは、今でも特に何も思っていないのでしょう。
「悪気はなかった」「そんなつもりはなかった」などと言い訳をしています。
一人ひとりが言った言葉は些細なものと思っているのかもしれません。
しかしそれを 10 人の人間がたった一人に言うのだとしたら、その言葉の暴力は 10 倍にもなって
心に突き刺さります。多勢に無勢とはまさにこのようなことだと思います。
その言葉の暴力に対して、一人で必死に耐えていた娘の気持ちを思うと、とてもやりきれるものではありません。
親に心配を掛けまいといつも明るく笑顔でいたりま、ほとんど弱音を吐かず、逆に友達の悩みを一生懸命聞いて解決する方法を一緒にさがしていたりま。
なぜこのような子が
いじめを受けなければいけなかったのか、私たちはこの先ずっとその答えを探していくのだと思います。
りまは、津軽民謡に合わせて踊る津軽手踊りが大好きでした。
亡くなる前日も、8 月 27 日にこの東京で行われた全国大会のために、大好きな仲間とたくさん練習していました。
その練習の場には、私の父も津軽三味線で参加しており、練習のおわりに父の「頑張って優勝しような」との言葉に「うん!」と笑顔で応えていたそうです。
その父はりまの死を悲しむ余り、体調を崩し入院してしまいました。妻も体調を崩し車も運転できない状態になり先月で仕事を退職し、りまの姉は心に大きな傷を負い高校を退学しました。
私も悲しみや怒りにより心身ともにおかしくなりそうでしたが、今、自分がここで倒れてしまっては、残された家族は誰が守るのか、そしていつか会うであろう娘に顔向けできなくなれば困る思いで今ここに立っています。
「自分のような子はもう出さないで、
いじめをなくして」という娘の願いを叶えるため、絶対に倒れることなく、
いじめと戦っていきます。
自責の念は一生消えることなく、いつか娘に会っても消えることはないでしょう。
しかしそれで萎縮してしまっては娘の思いを成就させることはできません。
いじめは社会全体、特に学校に主点があると思います。中学生くらいの一日は家族より生徒同士や先生方との時間が多くなります。生徒たちの学校生活は、ある意味いずれ社会に出てからの、会社勤めなどの縮図と思います。
大人の社会にもいじめはあると認識していますが、大人は子どもに比べ、自分を守る術を知っています。が、子どもたちはその術を知らず、一握りのいじめグループから自分を守る方法が、いじめグループに加担し自分自身がいじめる側になることなのでしょう。いじめに加担しない子はいじめの対象として、ますます、ただ辛く、悲しく、苦しく、むなしく、最後にはそれらいじめから解放されるべく、またいじめの存在を知らしめるため、命をなげてまで訴えることになるのでしょう。
学校内で何かあったときに、その場ですぐ頼れる大人は先生しかいないのです。
保護者も然りで、子供からいじめの訴えがあれば、まず先生に相談し、守ってもらうべく対策等を依頼します。
娘は
遺書で、そんな存在であるべき先生達に感謝の言葉を残しておりますが、
父として思うのは、それは
娘の優しさ故の言葉であり、本当は
いじめを認識し、厳しくそれをやめさせて欲しかったのだと思います。 いじめている相手や、どのようないじめかは、私たち家族が先生に相談しているので詳細はご存じの筈です。
昨年 6 月頃から、りまとその友達は、
とある女子 3 人から無視される、暴言を吐かれるなどの嫌がらせを受け始めました。理由はわかりません。このことを妻は担任に伝え、指導して欲しいむねを伝えました。
しかし夏休みをはさみ、2 学期が始まってもいじめは収まりませんでした。
9 月頃からは、何かされるたびに担任に伝えていました。1 回や 2 回ではありません。それこそ
何 10 回もです。
それでも
担任は聞き流すだけで、具体的な行動に移してはいませんでした。
また、妻が担任との面談の折、このような嫌がらせがあることを相手の保護者には伝えているのか聞いたところ「知らないと思う」との答えがあり、では伝えてくださいとの要望をしました。
そして当時の担任は、
こちらが
「いじめ」という言葉を使わなかったため、相談内容をいじめと認識しなかったと言います。
つまりいじめ防止対策推進法を認知していなかったと思われます。
今年の 6 月の心ない噂の件で、私が
2年の担任にいじめをしてくる生徒に、りまに関わらないでほしい、そしてそのことを保護者にも伝えて欲しいと言い、このことはりま本人も先生に伝えました。
ところが担任は噂を流した生徒達に指導はしたが、保護者には伝えていませんでした。
指導の中で「次にやったら親に言うからね」と言ったとのことであり、私達は必死の思いで訴えているのに、なぜそのような猶予を与えたのか疑問に思います。
これらのことからも教師への教育もきちんと行われていないということがうかがえます。
特に
1 年時の担任は新任であり、経験不足、指導力不足から教育委員会からの指導が入っていたと聞き及んでいます。そのような人物に、いきなり担任をさせていた学校にも問題はあるのではないでしょうか。
娘が亡くなった後の学校の対応ですが、当時
校長は
「いじめた奴らは絶対に許さない。葛西さんに何でも全力で協力する」と言っていました。
しかし実際は最初にアンケートをとったきり、やっていたことといえば、
インタビューには答えるな、ツイッターに何も書くな、などの
箝口令を出すことだけでした。
次第に連絡もよこさなくなり、来たと思えば月命日や、四十九日の時だけ。
アンケート内容を見せて欲しいと言ったときは「隠すことでもないので、いくらでもみせます」と言いました。
しかし、実際に見せられたものは
パソコンで打ち直したものであり、内容は箇条書きにされ、全校生徒
約 430 人のうち 21 人分だけでした。
私はたったこれだけかと思い、原本を見せて欲しいと頼みました。
校長はアンケートの原本がどこにあるか把握しておらず、一緒に来ていた担任に聞く始末です。
校長という立場の人がそのようなことでいいのでしょうか。
またアンケートの回答もまるで中身がなく、なんのために行われたアンケートなのか疑問に思いました。
学校と私たち遺族と情報の共有をしようという意思が全くみうけられません。
先月の月命日に最近の学 校の様子や、今後学校側ではどのようなことをしていくのか伺ったところ、
・
特に何もする予定はない。
・いじめた側の生徒が心療内科に通っている。
・ネットの書き込みの削除に必死 などの返事でした。
私が娘の友達と話をした時には、学校内にはまだいじめがある、と言いました。
何もしないということは、いま現在起きているいじめについても何もせず、
このまま隠してしまおうとしているのではないかという疑念が出てきます。
娘と私たちが訴えてきたことを「
よくある生徒同士のトラブル」ですませてしまうような学校です。
担任も「悲しいだろうけど今までどおりの生活をしましょう」と言ったそうです。
今までどおりということは、このままいじめを続けろということでしょうか。
いじめをなくしたいという娘の思いが少しも届いていないのではないのでしょうか。 現在学校側からはなんのリアクションもないどころか、いじめグループは何事もなかったかのように学校に行き、相変わらずいじめのターゲットを娘の友達などに代え、何食わぬ顔でいじめを繰り返していることを学校は本当に知らないのでしょうか。
それとも何かの圧力のため、娘が亡くなった次の日の祭りで大きな声で
「りまの奴、あのくらいで死ぬんだ!」と笑ういじめグループを守るため必死になっているとしか思えません。
娘の遺書には先生たちへの感謝の言葉もあり、真に学校側に期待し「学校側には何の不満もありません」と発表しましたが、今現在このような対応をされていると
裏切られたのではないかという思いです。
娘は、結果はどうあれこうあれ生き返りません。家族の心の傷は一生消えることはありません。
今は、ただいじめをなくするため、命をかけた娘の思いを成就させるため、皆様方のお力をいただき戦うのみです。
本日は、このような素晴らしい場所で、天国にいる娘、そして私たち家族の思いを伝えることができ感謝いたします。
本当にありがとうございました。