万人と万人がお互い裏切りという言葉でもつれ合ってしまった。しかし、誰が誰を裏切ったのかは問題ではない。皆が裏切りの悪霊に取りつかれているのだ。裏切りの悪霊に取りつかれると、諦め状態から自殺したり、悔しさのあまり歯ぎしりしながら報復の誓いを立てたりする。どちらにせよ結末は悲劇的なことに変わりない。真実と忍耐が定着する暇さえ与えない。裏切りは、鳥インフルエンザ(AI)を拡散するかのように危ない感情をまき散らす。人がサソリの毒を持つようになる。社会の空気が穏やかではなくなり浄化機能はまひしてしまう。
犠牲者を引きずり出して罰を下せばシステムが浄化されると思われがちだが、それはとんでもない誤解と言わざるを得ない。裏切りの悪霊に取りつかれると、身は引き裂かれ、精神はずたずたにされる。不信のほこりがまるで青酸カリのように空中を漂う。諦めの逃避の穴倉にようやくのことでたどり着き、猫もしゃくしもアヘンにおぼれた百数十年前の都市に似つつあるのだ。
寒くて暗かった裏切りのトンネルはもうこりごり」だ。いや、しっかりと観察してみよう。悪霊なんか存在しない。憲法裁判所の判決が下されれば、大統領府(青瓦台)を覆っていた黒いマントも取り払われるだろう。裏切りなどもあり得ない。裏切りという言葉を口にしないようにしよう。忠誠の方法に誤解が見られ、忠誠の方法に誤りがあったため違法になったと考えることにしよう。今年ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)のビッグデータを見ると、裏切りという悪霊は憎悪の悪霊と常に行動を共にしていることが分かる。いい加減、裏切りの悪霊がおとしめた泥沼から国を引き上げなければならない。