- トップ
- 銀座1号店 店長インタビュー
おいしい笑顔を、求め続けて。
1971年7月20日。
銀座の三越に、日本初のマクドナルドが開店しました。
それはまだ、
ハンバーガーという存在すら一般的ではなかった時代。
文明開化の象徴の街・銀座から始まった
マクドナルドストーリーを、
当時の店長を務めた山迫さんに聞きました。
さあ、45年前にタイムスリップした気分で、
どうぞお楽しみください。
ロサンゼルスでの再会。
- ――山迫さんとハンバーガーの出会いについて
教えてください。 -
最初に出会ったのは中学生の頃です。当時通っていたのがキリスト教系の学校ということもあり、近隣にあった淵野辺キャンプの米軍とよく交流の場がもたれていましてね。キャンプで開催された卓球大会にご招待いただいた時だったと思うのですが、そこで米軍が山ほどのハンバーガーとホットドック、それからコーラを用意してくれたんですよ。まだ牛肉すら一般的でなかった時代ですから、「なんだこの食べ物は」と。でも、食べてみたら、猛烈にウマくてみんなで取り合いになりました(笑)。
その後、ロサンゼルスのダウンタウンでマクドナルドに出会い、私の人生は大きな転機を迎えました。忘れもしない、1968年のこと。見聞を広げようと海外遊学を決意し、それまで勤めていた自動車メーカーを思い切って退職しました。まずは学生時代の友人が住むロサンゼルスに飛んだのですが、そこで、友人に連れて行ってもらったのがマクドナルドでした。
店内は多くのお客様で賑わっていました。それもそのはず、当時は、ハンバーガーにマックフライポテトのS、それからコーラのMを頼んでも1ドルで20セントのおつりが来た。そして何より、本当にウマかった。信じられないぐらいウマいと思いました。あの価格で、ビーフ100%で、肉汁たっぷりでジューシーで……。夢中になって、15秒ぐらいで食べました(笑)。こんなに手軽でおいしい食べ物がこの世にはあるのかと心底感動し、ハンバーガーをはじめて食べた当時の楽しかった記憶が鮮明によみがえりましたね。
2年間の遊学を経て、帰国したのが1969年。翌年からは、大阪万博でアルバイトをするなど、自分なりにやりたいことの試行錯誤を繰り返していたのですが、これという確信を得られずにいた。そんな折に、とある新聞で見つけたのが、「マクドナルドの店長候補募集」の求人広告だったのです。
トレーニング中の1コマ。左から3番目が山迫さん
「マクドナルド流」を
叩き込まれた1カ月。
- ――それでマクドナルドで働こうと
求人に応募したのですね。 -
はい、ピンと来て即応募しました。広告に応募したのが、1971年の5月。幾度かの試験や面接を経て、6月14日に入社しました。それからはもう、怒濤のトレーニングの日々でした。中でも印象的だったのが、当時のお取引先様の本社工場に設けた「ミニマックイクイップメントシステム」です。これはわかりやすく言えば、日本の店舗をイメージした模擬店舗なのですが、工場の社員食堂を大胆に改造して、それをアメリカ本社の指導で瞬く間につくってしまった。マクドナルドには“Right Now Business”(今すぐやる、即行動のビジネス)という言葉がありますが、その仕事ぶりを目の当たりにしましたね。
それから私たちは、間近に迫った店舗オープンに向けて、10人ほどの仲間とともにハンバーガーの作り方などのトレーニングに打ち込みました。教材はすべてアメリカ本社の研修機関であるハンバーガー大学で使用していたもの。当然、すべて英語です。毎日、講師の方がその日の分の日本語の対訳を配ってくれて。みんなが激務の中で、1号店のオープンに向かって必死で取り組んでいました。
店舗業務のトレーニングのため、グアムのマクドナルドにも行きました。お店に立ち、お客様を迎え、ハンバーガーを作り、会計する。現地の店長やクルー(=アルバイト従業員のこと)の方にずいぶんと丁寧に教えていただき、なんとか仕事の感覚を身に付けることができました。
そんなトレーニングの最中、私は一足早く、日本に帰国することになります。銀座店の開店準備のためです。7月18日、私は他のメンバーに見送られ、グアムを後にしました。
株式会社学生援護会発行(現、株式会社インテリジェンス)アルバイト情報誌『an』の前身となった『アルバイトニュース』と掲載された求人広告(1971年当時)
喜びよりも、プレッシャー。
- ――そして、銀座店のオープンを迎えます。
当時の心境を教えてください。 -
とにかく、しっかりお店を開店し、しっかり店舗運営をしなければ、という気持ちでした。
子供の頃はエルビス・プレスリーにあこがれ、アメリカの映画や音楽に強く惹かれてレコードを買い集めていた私でしたが、当時のマクドナルドはそんな“欧米文化の象徴”とも言える存在。いざ銀座店の店長を務めるとなると、「自分にこの大役をこなせるだろうか?」という気持ちでした。喜びももちろんありましたが、プレッシャーの方がはるかに大きかったのが本音です。
これは関係者には有名な話ですが、銀座店は、三越デパートの営業の妨げにならないよう、日曜日の閉店(18時)から1日休業日をはさみ、火曜日の9時までの実質39時間の間に開店しなければなりませんでした。この難題に入念なシミュレーションを繰り返して挑んだのですが、実際の工事の最中になんとマクドナルドの大看板が落ちて壊れてしまったのです。後の2号店である代々木店で使用するはずだった看板に急きょ差し替えたときは、冷や汗をかいたことを覚えています。それでも結果的には時間内に工事を終え、無事に開店。私たちはお客様をしっかり迎えなければというプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、華々しいテープカットを眺めていました。
昨日より今日。今日より明日。
- ――オープンしてからは、どんな日々でしたか。
-
銀座店では毎日が新しい挑戦の連続でした。
そもそも、当時の飲食店は席で注文するのが一般的でした。銀座店のように、店先で並んで商品を買う習慣はなかったのです。この新しいスタイルが注目を集めたのか、オープン直後からたくさんのお客様にお越しいただきました。でも、正直、お店は大混乱。あまりに大勢のお客様を間近に見たあるクルーは、真夏で店内が蒸し風呂状態だったこともあり、一瞬気を失ってしまったこともありました。そんなことが起きたから、私は苦肉の策でこの列はハンバーガー、この列はドリンク、とメニューごとにPOSを分けたりもしました。セット販売が当たり前の今では信じられないかもしれませんね。でも、セットがない当時は、これが最も効率的だったのです。それでもあまりに忙しくてキャッシュレジスターが故障してしまったときは、それは大慌てで、10名ほどのスタッフに急きょそろばんで会計係をお願いした、なんてこともありました(苦笑)。
また当時は、「買い食い」や「食べ歩き」の習慣もありませんでした。すでに歩行者天国はありましたが、そこはやはり銀座ですから、食べ歩きには抵抗があったようです。立って食べるのを避け、家に持ち帰ってから食べるお客様が多かった。しかし、あまりに家が遠いと、せっかくのハンバーガーが冷めてしまうし、マックシェイクなどは溶けてしまう。ほどなく代々木の2号店がオープンした頃にはお店のクルーと話し合い、お客様がどちらにお帰りになるかを伺い、その方角によっては2号店での購入を勧めるなど、日々の営業の中でよりよい対応を試し続けていました。
食べ方に大きな変化が生まれたのは、歩行者天国に客席を置いてからです。三越さんに相談し、店先の路面にパラソル付きの客席を置くことを提案。三越さんからは「店先を決して汚さなければ」という条件付きで許可をいただくことができました。ならばと、掃除を専門にするクルーを配置。創業者レイ・クロックは、"Clean as you go" (動きながらきれいに)と言いましたが、まさしくそれを実践しようと。今でもマクドナルドには近隣を掃除するクリーンパトロール活動がありますが、この活動は、今にして思えばその走りとなった取り組みだったかもしれません。
1号店ですから、もう毎日がはじめての連続。私もクルーも、ただただ必死に、昨日より今日、今日より明日という気持ちで働いていました。
Fun Place to Go
- ――あれから45年。
マクドナルドは変わったと思いますか? -
私は、規模の面では大きく変わりましたが、根底の部分は変わっていないと思います。マクドナルドの最大の魅力は、突き詰めると「おいしさ」だと思っています。ここでいう「おいしさ」は、味だけではありません。明るくて清潔な店内で、身だしなみのしっかりしたクルーが笑顔で働き、おいしいメニューを提供する。そうした、マクドナルドで味わえる体験のすべては、お客様の笑顔のために行われています。マクドナルドには、“Fun Place to Go”(マクドナルドに行けば何か楽しいことがある)という言葉があります。マクドナルドはお客様にとって、「何か楽しいことがある場所」であり続けようとしてきたから、今があるのだと私は思います。
- ――最後に、マクドナルドのお客様と、今マクドナルドで働く従業員にメッセージをどうぞ。
-
マクドナルドをご愛顧いただいてきたお客様には、改めて、心からの感謝をお伝えしたいと思います。マクドナルドはいつも、お客様に笑顔をお届けしようと最大限の努力をしてきました。これからもずっと、その点だけは変わることはないと思います。これからのマクドナルドにも、どうぞご期待いただければという気持ちです。
そして従業員の皆さんには、ぜひお客様からの期待に応えるよう、努力し続けてください。マクドナルドで、ぜひ一人でも多くのお客様に笑顔を届けてください。それができたときは、きっとあなた自身もまた、笑顔になれるはずです。
- 山迫 毅(やまさこ つよし)
- 1942(昭和17)年生まれ。広島県福山市出身。1971年6月、日本マクドナルドに入社。銀座1号店の店長を務める。2001年、日本マクドナルド退社。現在は、地元の小中学校の総合学習にボランティアとして参加し、子供たちに働くことの楽しさ・難しさを、ご自身の経験をもとに語り続けている。