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こんなのあったの?「ティレル 6輪 」とは!?

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経緯

このプロジェクトは1974年8月に開始され、翌1975年8月1日に設計図面が完成、同月中旬から3週間かけてプロトタイプが製作され、9月22日にプレス発表された。デザイナーであるデレック・ガードナーは、空気抵抗の減少を狙い、フロントに小径タイヤを履き、それをスポーツカーノーズの陰に収めるレイアウトを考案。タイヤ接地面積の減少は、フロントタイヤを4輪とすることで補った。このアイデアには当初ケン・ティレルも当惑し、シャーシ名を「00×」ではなく別プロジェクト「P34」として開発を許した。
ロンドン・ヒースロー空港ホテルでの発表時、内容が明らかでなかったため、仏ルノーのエンジン供給の発表ではないか、との噂が記者の間でまことしやかに流れていた。会場に用意されたマシンを隠すシートはリアから剥がされ、エンジンが見慣れたDFVであることがわかると会場はため息につつまれたが、フロントの4輪が見えると、一転して静まりかえり、そのあまりに奇抜なスタイルにジョークと勘違いした一人の記者が笑ったのをきっかけに、会場は止むことの無いどよめきに変わったという

1976年

P34のデビューは第4戦のスペインGP。プロトタイプP34を実戦投入のため燃料タンクの拡大を含めたモノコックの刷新とカウリングの変更、新レギュレーションに対応したインダクションポッドの小型化、フロントタイヤの様子を見るためのサイドミラー下の小窓や、シフトノブの当たりを逃がすカウルのふくらみの追加等を行い、P34/2として1台のみデパイユのドライブで登場。翌第5戦ベルギーGPからシェクターもドライブし、第6戦モナコでは2・3位、続くスウェーデンGPにおいてデビュー4戦目にしてワンツーフィニッシュで初優勝。このシーズンにチームはコンストラクターズ3位を獲得した。最終戦の富士では、雨の中デパイユが一時トップを走行し最終2位でフィニッシュした

1977年

チームはシーズンオフにエンジンまで覆うフルカウルを開発。テスト並びにシーズン序盤の予選時に好成績を収めたが、あくまで前年のモノコックの流用であること、新カウルの重量過多などで次第に低迷。また、グッドイヤーが新たに参入してきたミシュランとの競争に力を入れるために特注の小径タイヤの開発に難色を示し、開発規模を縮小。フロントタイヤが小径のためコンパウンドを通常より硬くしなければならないが、硬すぎると温まりにくくなるというようにP34のフロントタイヤの開発にはタイヤメーカーとの連携が不可欠であった。よって開発の進むリアタイヤと開発されないフロントタイヤとのグリップバランスに苦しんだ。第5戦スペインGPには前年型のカウリングを装着したP34が持ち込まれたがあまり状況は改善されなかった。この頃、デザイナーのガードナーの離脱が発表されるなど、体制の不安定も手伝ってチームのモチベーションも著しく低下していた。第9戦フランスGPから、前輪のグリップを改善させるために前輪をワイドトレッド化、更にデパイユ車はオイルクーラーをリヤからフロントノーズ先端に移動しフロント加重の増加によるハンドリングの改善を狙ったマシンを投入(ピーターソン車は第12戦オーストリアGPより)。フロントタイヤをノーズの外側に広げたことで開発当初の空気抵抗の減少という利点を減少させ、オイルクーラーの移動や度重なる改造による車両重量の増加がマシンの俊敏性を奪ってしまった。シーズン後半は成績も多少好転したが、1977年終了とともにP34は使用されなくなった

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