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過去の広宣部 様

 投稿者:誰か私を呼んだ?  投稿日:2016年12月31日(土)19時10分53秒
  どうぞよろしくお願いします。

会則改訂で、宗教的独自性を強めた結果、
宗教的正統性が曖昧になり、

御祈念文の改訂で、化儀と教義の矛盾を解消した結果、
教義自体が曖昧になり、

学会仏宣言で、宗教的正統性を明かした結果、
僧宝教団から仏宝教団への昇華という、

本門と迹門、佐前と佐後のような、
大きな変化に立ち会っている身の福運に感謝したい気持ちにもなります。

ただし、過去の広宣部の主張の多くは、
ブーメランのように帰って来るでしょうし、
それを避けきれるだけの準備がされているのかは、
いささか心もとない限りです(笑)
 

ありがとうございました!

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年12月31日(土)19時06分55秒
  本年はみなさま大変お世話になりました。
あつく御礼させていただきますm(__)m

来年もよろしくお願い致します。
それでは皆様、良いお年を^^
 

栄光の日々名誉会長と我らの人生3

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年12月31日(土)18時34分26秒
  【第3回】8000人の自由勤行会
岩手水沢2010-1-29

「思う存分、叫ぶのだ!」「明日は、自由勤行会にしよう!」池田名誉
会長の提案が伝えられた時、時計はすでに午後8時を回っていた。
名誉会長が6年半ぶりに岩手・水沢訪れた昭和54年(1979年)1月11日。
夕刻の新年記念代表幹部会を終えた後だった。

明日は、だれでも自由に来ていいよ──吉報は口伝えで、瞬く間に広った。
県として日本最大の面積を誇る岩手三陸の久慈、宮古、釜石、大船渡、
県北の二戸、そして北上、花巻、一関、盛岡からも、友は勇んで名誉会長
のもとへ。師の呼びかけに呼応し、広大な大地から涌き出でるかのように
集った地涌の同志は8千人。

まるで法華経の会座のごとき、歓喜踊躍の勤行会。名誉会長は綴った。
「生き生きと、伸び伸びと、人生の花を咲かせゆく、霊鷲山の縮図があっ
た」

「嬉しそうにしていますが、何かあるんですか」水沢駅へ向かう列車。
ウキウキしている会員に、乗客は思わず声を掛けた。「水沢に行って、
池田先生に会うんです!」釜石や宮古の友。列車で向かう人は、早朝5時
には自宅を出発。何度も乗り換えて約6時間の道程。車に乗り合わせた友は、
つづら折りの仙人峠を越えた。

天候の良い日でも困難な山道を、吹雪の中、懸命に走り越えた。師が待つ水
沢には、光が差していた。午前も午後も、何度も行われた自由勤行会。名誉
会長は進んで司会を務めた。指名された参加者がマイクの前へ。「話をする
のが好きな、天下の学生部であります」。突然のことに支離滅裂。ドッと笑
いが広がる。「そこの、おじいさん!何か一言どうぞ」すると「きょうは、
池田先生にお会いできて、皆さん、うれしいですね。

ありがとうございました」──あの人も、この人も、あいさつに立った。
絶妙なやりとりに、笑顔が輝く。「うれしい、うれしい。岩手の実家に帰っ
たような気持ちです」と名誉会長。ユーモアを込め、身ぶり手ぶりも交え、
大声援を送る。その一挙一動に、お腹を抱えて笑う。汗をかくほど笑う。

先生も一緒になって笑っている。幹部は思った。「岩手の会員が、こんなに
明るく笑うなんて」名誉会長は語った。「自由に話させるんだ。思う存分に
叫ぶんだ。そこから岩手の新時代が始まるのだ!」◇勤行会の合間。名誉
会長は、役員に語りかけた。「どのくらい来ているか見てきてほしい。

自分の目で見てくるんだよ」急いで外に出た。水沢駅から会館に向かって、
途絶えることのない同志の流れができていた。山間部の大変な地域で信心に
励んでいる人がいる。悪侶に苦しめられてきた友がいる。信心から遠ざかっ
ていた人までいる。みんな、一人一人が先生との強い絆で結ばれているんだ。

この絆を断ち切ることなど、誰にもできない!午後8時を回った。「もう
会えないかも」と、はやる心で駆けつけた友。案内された先には名誉会長が。
「どこから来たの」「遠いところご苦労さま」と温かく包み込むように励まし
、記念のカメラに。「20年経った時に、今日のことが、どれほどすごいこと
だったか分かりますよ」◇嫉妬に狂った悪侶が、跳梁した二戸。
すぐさま歌を詠み、友に贈った。

恐るるな
  共に仏子と
     地涌舞

出会いから3年後の昭和57年1月、二戸では学会の青年主張大会が開かれた。
会場からあふれる人々。市長も喝采を送っていた。別室に、冷たいタオルで頭を
冷やす名誉会長の姿があった。時間になると、「戸田先生が見ていてくださる」
と立ち上がり、会場へ向かった。師を思えば無限の力が涌く。「先生!先生!」
と叫んで勝ち進め!それが真正の弟子だ──名誉会長の激闘は、夜まで続いた。

凍てつく大地を打ち破った自由勤行会。師のもとへ。師と共に。強い絆と不屈の
魂で結ばれた岩手の友。その勝利の舞が、今再び始まった。
 

ご心配なく!

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年12月31日(土)17時50分24秒
   一人のSGIさん、ご心配なく! 「言葉がきつかった」? 「不快な思い」? 全然です(笑い)。

 「己心の法」ですから、その人の「一念三千」が、他の人とまったく一致することはないと思っています。実は、赤胴鈴之助さんのお誘いを尻込みしたのも、そこらあたりからです。互いの「三千」の確認から出発しなければなりませんもの(笑い)。

 同じ“大地”に立っているのか、向かうべき方向が同じなのか――ここが大切です。大地も、方向もまったく一致していると思っています。早く、次のテーマを出してください(笑い)。


 

元旦号みました

 投稿者:匿名希望  投稿日:2016年12月31日(土)17時44分32秒
  元旦号を見ました。

原田会長、新春あいさつ…
  先生のご指導で、会長就任から2年間が勝負(趣旨)。

→原田会長は、2年で何をやりましたか?会長就任直後は、頑張っていたと思いますが、今はどうですか?

会員が歓喜溢れるような学会でしょうか?

永石婦人部長→
  2016年11月に先生・奥様と懇談したとありますが、未だに懇談時の写真が掲載されていません(他の幹部の懇談時も)。

竹岡青年部長→
  特になし。

 

財務について

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年12月31日(土)17時23分29秒
編集済
  『来年もいつまでも、有ると思うな!人と金!』

のんべんだらり会運営を行って、いついつまでも現場組織が維持出来ると思い込んでいたら、大きな間違いですよ。
右肩下りの急激な減少は、急降下です。あの重厚長大産業事務機構の創価公達村を解体して、軽量少数の人員体制へ明年は猛ダッシュして下さい。聖教の新社屋も必要有りません。即時転売をお願いします。来年からは皆さん、多部数購読しませんよ!

財務が減少している原因を池田先生のせいだと思い込んでいるのも間違いです。
大口財務してきた方々が、次々と亡くなっている。経済的に豊かな創価家族は堕落していて子供たちの大半は未活動で信心に無関心、社会性も無く財務など無駄な出費はしません。

うちの組織では、アホな財務納金確認患部は、居ませんでしたが、財務部員(広布部員)の減少は続いています。前に投稿した通り、未活動の子供の名前で納金していた親が亡くなったり、施設送りになった場合は、減2とか減3とかが発生しています。統監数字など実態が伴わない数を頼りにして会運営をしてはいけないと言う事です。現場は複雑で有り、その地域毎に諸事情があります。悩み、苦しんで数字を出す支部幹部、本部幹部も多くいる事をご存知なのでしょうか?

県(圏)区、方面幹部、中央幹部はこの実態をよく理解しておかないと、近い将来誰も成り手がいなくなり(役職受任拒否)、全て兼任の兼任ばかりが顔を揃えるオカシナ組織になります。これが未来の現実の姿なのです。
 

小作人@地上の発心様

 投稿者:過去の広宣部  投稿日:2016年12月31日(土)16時58分17秒
  ありがとうございます。
下手な投稿になると思いますが
よろしくお願いします。
 

寝たきりオジサン様

 投稿者:過去の広宣部  投稿日:2016年12月31日(土)16時53分54秒
  ありがとうございます。
寝たきりオジサン様が数々の体験談の投稿を
懐かしく拝見しておりました。
特に、逃げるを挑むに!
全国中等部葬の話など、
激励や折伏に使わせて頂いていました。
これらの体験談を語って下さった方を懐かしく
思い起こしておりました。
これからも楽しみにしています。
 

過去の広宣部様、はじめまして

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年12月31日(土)16時50分0秒
  最初から自分の中に明確な結論があって、それを滔々と書き記すのじゃなくて、
普段何気なく心に浮かんだ事をその都度、思い思いにつぶやく感じでいいと思いますよ。
やはり基本は現場でのフェース・トゥ・フェースの対話なんで、ここに書いたり、
意見を交わすうちに、主義主張を理路整然と他人に語れるような力も付いてきます。

あと一般の学会員さんは殆どの方が「広宣部」の存在自体、今も昔もご存じないので、
そういった人たちにちゃんと伝わる平易な言葉遣いを心掛けるだけでいいと思います。
だから変に専門的にならずに、誰でも知っていそうで知らない事を提起してみたり
するのが一番価値ある掲示板の使い方じゃないでしょうか?

気が向いた時にいつでもどうぞ。
 

財務について

 投稿者:ひどいな  投稿日:2016年12月31日(土)16時45分23秒
  ある筋から聞いたら、今年の財務は
かなり減ったと聞いた。

一時期は、4千億とも言われたが
いまや、600億前後

やはり名誉会長がいないからだね、
 

過去の広宣部さま

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年12月31日(土)16時36分58秒
  初めまして、大丈夫ですよ!アホな私でも投稿してるぐらいだから(笑)
みなさんやさしいですよ、どんどん投稿してくださいね^^
 

HAPPY NEW YEAR 2017 謹賀新年

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年12月31日(土)15時19分42秒
編集済
  宿坊の皆様、本年は大変にお世話になりました。

来年2017年は私が学会員となって60年の大きな節目。

宿坊様とここに集い来る皆様方のお陰で・・今年、気づきと新たな命をいただくことができました。

本当にありがとうございました・・

2017年、私と皆様にとってさらなる目の覚めるようなホッシャクケンポンの歳でありますように !

(最近は忙しくあまり投稿はできませんが、毎日、皆様の投稿に目を通させていただいていますよ・)
 

レベルが高くて(涙)

 投稿者:過去の広宣部  投稿日:2016年12月31日(土)14時53分9秒
  久保田哲様へ。
初めての投稿はすごく勇気が入りました。
掲示板は全てにおいてレベルが高く、
私のレベルでは閲覧している方が良い。
下手な投稿して、突っ込みが入ると答えられない。
コイツ、無知だな。などとマイナス思考になっていますが、頑張ってみます。

Say Say Say 様。
[実名告発  創価学会]も、別の友人が持っているので
お借りして読んでみます。本当は自分で購入すべきですね。
私の友人は、お三方の座談会に参加されました。
 

肩を叩く2

 投稿者:サンダーバード  投稿日:2016年12月31日(土)14時02分7秒
  ヨッシーさん、弓と森のあほさ加減が良くわかりました。肩を叩いてきなさいと言われたのに、言葉の意味が分からなかったのでしょう。妄想も凄いですね。  

アルバム・対話の十字路写真秘話

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年12月31日(土)13時23分33秒
  日本を代表する
財界人・岩佐凱実氏
「小異を残して大同を求める」

(聖教2006/10/18)


◇略歴紹介 岩佐凱実 いわさ よしざね(1906年~2001年)

東京生まれ。1928年(昭和3年)、東京帝大法学部卒。安田銀行入行。敗戦後、安田銀行は富士銀行となる。岩佐氏は富士銀行初代外国部長として、1951年(昭和26年)、戦後どの銀行よりも早くアメリカの銀行にトレーニー(委託訓練生)を派遣した。1955年(昭和30年)、丸紅と高島屋飯田の合併を手がけた。

1963年(昭和38年)、頭取就任。系列を超えた企業集団をめざす「芙蓉グループ」を形成した。1964年(昭和39年)~1965年(昭和40年)の不況時に起きた山一証券の取り付け騒ぎでは、日銀の宇佐見洵総裁、興銀の中山素平頭取らと日銀の特別融資を実施。恐慌の危機を回避した手腕は「電光石火」と驚かれた。

1964年(昭和39年)、訪米経済使節団の団長として訪れたニューヨークで、アメリカ人の誤った日本観を正すため「日米関係の神話と現実」と題して講演した。これは大反響を呼んだ。1967年(昭和42年)、「フォーチュン」誌の世界の実業家ベスト20人に選ばれる。

経済同友会代表幹事、全国銀行協会連合会(現・全国銀行協会)会長、経団連副会長、アジア経済研究所会長などを歴任した。


◇◇◇◇◇

◇岩佐氏の誠実な姿勢

岩佐凱実(よしざね)氏と初めて会った帰路、池田名誉会長は、「苦労なさってきた方だ」「立派な人格を持っておられる」と、感銘深く語った。

明治39年(1906年)生まれの岩佐氏は、20歳以上も年下の名誉会長を、深々と頭を下げて迎えた。その鮮やかな印象が、名誉会長の心に、いつまでも残った。

氏の誠実な姿勢は、終生変わらなかった。


◇岩佐氏は東京大空襲を経験した

大正9年(1920年)、アメリカ・カリフォルニア州で排日土地法が成立した時、開成中学2年だった岩佐氏は友人と「日米は戦うべきか否か」という討論会を開いた。そのとき氏は「アメリカと戦っても、日本は惨敗するだけだ。そんなことは考えない方がいい」と主張している。

戦争中、一家は食糧難に苦しめられた。安田銀行(富士銀行の前身)の営業部貸付課長になったその月に東京大空襲。自宅の防空壕が焼かれ、中に入れていた物は丸焼けになった。家財道具もすべて失った。

敗戦の詔勅は、安田銀行の本店で聞いた。

「日本をこういう状態にしたのは、われわれの世代なのだから、何とか早く元の姿に戻して、次の世代に引き渡さねばならない」 この使命感を胸に、氏は戦後の復興期を生きた。


◇岩佐氏は民間経済外交の立役者

岩佐氏は昭和38年(1963年)、富士銀行頭取に就任。日本の民間経済外交の立役者でもあった。日米交流とともに、日中友好にも尽力した。周恩来総理や鄧小平氏などと会見を重ねた。

「人間の大きさ」は、その人の「志の大きさ」である。

日中関係を考える際には、周総理が言われていた「小異を残して大同を求める」が、氏自身の信条でもあった。

小異を、「捨てる」のではなく、「残す」。

これは日中問題にとどまらず、「日米関係をはじめ、日本が国際間に処していく上で重要なことだと思う」と記している。また、「破局に至る前の段階で、妥協点に達する英知と手段」を、日本は世界から学ぶべきだ、とも。


◇岩佐氏の池田名誉会長への思い

昭和44年(1969年)に綴った「厳しさと温かさの人」という文章で岩佐氏は、名誉会長との出会いを次のように振り返っている。

「初めて池田さんにお目にかかったのは、5、6年前のことである。深い信心に根ざされた強いバックボーンをお持ちの信念のある方だというのが、初対面の直観的な印象であった。

同時に、人の話をよく聞き、理解され、その人の立場にたってものを考えられる思いやりが、初めてお話ししたときから心に残った。この方なら、ものの見方や考え方に多少の違いがあっても、それを率直にお話しすれば、充分に理解したうえで、ご自分の考えをお述べになるだろう。気やすく対話のできる方だ。そのように思ったのである。

そして、幾度もお会いして、学会の諸活動、国内海外の諸情勢等々についてお話しを重ねるごとに、ますますそれがはっきりわかってきた」

名誉会長にとっても氏は、真剣勝負で日本と世界の未来を語り合える、数少ない日本の指導者だった。対話は重ねられた。政治・経済の体制、国際関係をはじめ、話題は文化、思想を交え、多岐にわたった。

昭和41(1966年)年9月18日。阪神甲子園球場で行われた、あの「雨の関西文化祭」にも、岩佐氏は来賓として出席した。「企業を育てる」ためには「大衆の利益を常に考えるべきだ」と言い切る氏である。圧倒的な民衆の生命力の放熱を、どのような思いで見つめていただろうか。

名誉会長に対する岩佐氏の期待は率直だった。

「いま、わたくしが池田さんについて、もっとも関心をもっているのは、人間精神の革命に基いて価値を創造していこうとする考え方であり、またその実践である。池田さんは、社会あるいは家庭という、人間が活動するあらゆる面で、この価値の創造を中心にすえておられる」


◇根本的に守るべきは「庶民の生活・平凡な家庭」

どのような企業も、根本的に守るべきは、「庶民の生活」であり、「平凡な家庭」である。その土台が崩れれば、自らも崩れるのだから。岩佐氏が東京帝大を卒業する前年(1927年=昭和2年)に日本を襲った金融恐慌や、戦争の悲劇は、その実例だった。

金輸出解禁(1930年=昭和5年)の時には、小舟町(こぶなちょう)支店の窓口で、定期預金の解約に来た人々を思いとどまらせるために「涙の出るような苦労をした」と回想している。

岩佐氏の世代の財界人たちは、「銀行ですら潰れてしまう」「国家ですら滅びてしまう」という冷厳な事実を、骨身に染みて知っていた。そうした体験から、大きな志を持った、大きな人物が生まれたのかも知れない。


◇責任ある指導者には使命感が求められる

岩佐氏は「企業の社会的責任」をいちはやく唱え、それが「日本の国際的責任」につながるのだと訴えた。責任ある指導者たちが志を忘れて、私利私欲に醜く走る時、政治も経済も、庶民を苦しめる暴力と化す。

岩佐氏の自叙伝は、日本の行く末を憂う次の一文で結ばれている。16年も前に書かれたこの言葉は、日本の「今」の課題を、まっすぐ射抜いているように思われる。

「日本は先頭を走る機関車になろう、などという気を起こしてはならない。仮に、実質的には、日本が中心になって動くにしても、自らいやしくも傲慢になったり、うぬぼれたり、自己宣伝的なものになったり、いわんやエゴ的なものを出すようなことがあってはならない。他人のためにというか、アジアのためにというか、太平洋諸国全体のためにというか、ひいては、それが世界平和に繋がるんだ、という信念をきちっと持って、それでモノを言っていけば、日本に対する非難は決して起こらない」

「パックスアメリカーナ(アメリカによる平和)が終わって中心がなくなった状況のなかで、皆で協力していく場合の日本の役割について、とりわけ政治リーダーたちの間に、使命感、理念というものが欠けている。この点が歯がゆくてしようがないのである」

名誉会長の「今」の行動は、この大経済人の叫びと、微塵もずれるところはない。
 

[名字の言] 「変革は地方から起きるもの」と山口闘争

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年12月31日(土)13時08分51秒
  (聖教2006/8/26)


「変革は中央からではなく、地方から起きるもの」とは歴史家・奈良本辰也氏の洞察であった。

高杉晋作が民衆による奇兵隊を創設したのは、山口県の下関。師・吉田松陰の遺志を継ぎ、若き弟子たちが本州最西端から明治維新へのうねりを広げた。

かつて馬関と呼ばれた下関の地名は、牧口常三郎初代会長が著した『人生地理学』に「重要航路の交差点に位する港湾」であり「発達地点となる」要衝として記されている。

1941年(昭和16年)、初代会長は九州指導への途中、下関に下車。戸田第2代会長も1957年(昭和32年)、この地に足を運んで会員を激励。そして若き日の池田名誉会長(当時、青年部室長)が陣頭指揮を執った山口闘争の第一歩もまた、にぎわう下関の駅頭であった。

本州西端から燃え上がった広宣の炎。28歳の室長を先頭に、10倍を超える拡大闘争の波動が全国を揺り動かし、恩師・戸田会長の遠大な構想への突破口を開いたのだ。

あの山口闘争から50年。三代会長有縁の大地で今、新入会の友が次々と弘教を推進する地区や近隣11世帯が相次ぎ入会した地区など、最前線に拡大の勢いが増す。

21世紀は「地方から世界へ」と開く時代。地方発の変革の波は、広布の大波を起こす。
 

過去の広宣部様へ

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2016年12月31日(土)12時05分30秒
  栃木の久保田です。m(._.)m

はじめましてm(._.)m

私もこちらの宿板の論客の皆様を尊敬しております。

私の場合は信心の正しい軌道を示してくれる所と確信しております。

たまに変なのが出てきますが、続けて読んでると書き手の正邪が正しく判断出来るように成ってくるとと思ってます。

自分自身が間違っているときは指摘してくれますし、

只者ではない論客の皆様が居りますので私のような一筋縄ではいかない者でもひれ伏して納得してしまいます。

今後もよろしくお願いいたしますm(._.)m

 

武装親衛隊大佐ヨーヘン パイパー

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2016年12月31日(土)11時54分32秒
  ユダヤ人虐殺を指揮したハインリヒ ヒムラー、ナチス親衛隊長官の副官を務め、第二次世界大戦ではパイパー戦闘団を率いて各地を転戦。1944-5年のアルデンヌの戦い、通称バルジ大作戦では市民や捕虜を虐殺したことで有名になりました。筋金入りの狂信的な武装親衛隊指揮官。狂信的なエリートと云う点で、今日の何処ぞの宗教団体トップを連想しました。狂信性故の非常識。南無南無。  

パワー・トゥ・ザ・ピープル

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2016年12月31日(土)11時47分13秒
  『21世紀の御みやづかい』を私の読解力ではどれだけ理解できているかは分かりませんが、思うに、奴隷志向の草食動物ニッポンジンは一人ひとりが賢くならなければなりません。一人ひとりが強くならなければなりません。そうでなければ「一人立つ」も出来ないし、「一人ひとりを大切に」することも出来ません。
もたれ合うのではなく、互いに学び合って、互いに力をつけ合って、賢く、強くなっていく。それが池田先生が教えて下さっていることだと思います。

来年はペースメーカー的な元職員の動きに連動して討幕への動きが加速していくような予感がしていて、その為には「層の厚さ」が必要になります。
確かに宿坊には20勝級エースや40発級ホームラン王のような論客がたくさんいらっしゃいますが、それだけでは第六天の魔王(ただいま『信濃藩家中見聞』特別出演中)には勝てません。地味なようではあっても、他に和田・関本級の犠打の名手や平田・北村・吉竹級の守備の名手や田村・遠山級の左殺しらが必要です。

過去の広宣部さんも他の皆さんもぜひ我々に陽気に加わって下さい。
論客の皆さんもはじめからそうだったのではないと思います。「因」を積み重ねて来られたからこそ今の「果」があるのだと思います。
言論戦には裏付けが必要です。教学・三代会長指導を知ることは最大の武器になるでしょう。これを互いに磨き合って魔王と戦うのです。今まで(宗門の)奥に隠れていたラスボス(『北斗の拳』でいうラオウ)が姿を見せ始めました。これを倒すには一人ひとりが奴隷から抜け出して、立ち上がり、何よりも一人ひとりに確信と歓喜と功徳の3Kが必要です。そのため、「誠実には誠実」で応えます。
種々、質問を頂ければ答える努力をしたいと思いますし、参考になる資料や文献があれば紹介したいと思います。(私は23歳で入信した時から中学生向けの『なぜ信仰は必要なのかⅡ』を大切にしていて、新しい人にも勧めています。最初から高度な本を読むことはお勧めできません。)
ぜひ、思い切って宿坊に投稿、質問を投げかけてみて下さい。お互いに力をつけていきましょう! お互いに力をつけ合っていきましょう! 民衆に力を!!!

“革命が必要だっていうんなら 今すぐ力を合わせるんだ”
“両の足でしっかり立ち上がって 通りに飛び出すんだ”
“そして歌おう 民衆に力を 民衆に力を 民衆に力を 今すぐに”
“人をやたらコキ使う奴らを見かけたら 俺たちの本当の力を示してやるんだ”
“この俺たちが町に現れたら そんな連中 放っときはしないぜ”
“みんなで歌おう 民衆に力を 民衆に力を 民衆に力を 今すぐに
“さて おまえたち仲間に聞きたいことがある 自分の女房をどんなふうに扱ってる?”
“女に身も心も捧げてもらいたいと思うなら まず 彼女の人格を尊重してやることだ”
“さあ 歌おう 民衆に力を 民衆に力を 民衆に力を 今すぐに”
“そうさ 民衆に力を 民衆に力を 民衆に力を 今すぐに”
『パワー・トゥ・ザ・ピープル』ジョン・レノン
https://www.youtube.com/watch?v=RtvlBS4PMF0

それでは皆さん、よいお年を!!!

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
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「信濃藩家中見聞」-外伝 “弓と森”  後編

 投稿者:ヨッシー  投稿日:2016年12月31日(土)11時45分20秒
  弓「俺は、ハッと気づいた」

森「わかったわ、秋谷大老が、化猫一味の仕業を見て見ぬふりをしたいうわけやな。それにしても、あの時の殿の怒りは尋常やなかったで」

弓「それは仕方ねえ、自業自得だからな。だがな、殿の耳に入るまで放っておいて、いや、殿の耳に入るように仕向け、瓦版にまで流したのは、大老さ。化猫の野望に乗っかって、殿の命で明電叩きに本気になっていた拙者を潰しにかかったのさ」

森「ま、せやけど、オヌシ一人を潰したところで、殿の明電攻撃の流れは止められへん。あの当時、ワシだって勃樹から命ぜられて明電叩きをやっとったし、、、明電の守の元同僚やった連中かて、脅しまで入れて明電から手帳を巻き上げよった」

弓「そうさ、あれには、流石の秋谷大老も困りはてただろう。だから明電も本気で逆襲に出てきた。もう大老の手綱はあてにならぬと」

森「せやけど、オヌシの事を瓦版にまで流したんが、大老やという根拠はあんのかいな?」

弓「ある。瓦版に情報を流したのは、大老と明電の守のパイプ役をしていた重川無信心之進(おもかわ・むしんじんのしん)だ」

森「無信心之進か。奴が瓦版との窓口いう立場を利用しよって、それまでもいろいろ殿やご一族の身辺情報なんどを漏えいしておったいうことは聞いとるで。せやのに、大老や大目付殿の指示で動いているとかで、全くお咎めなしやったからな」

弓「瓦版の窓口やってただけじゃない。無信心之進は、大老の命を受けて、明電の守のところへ、毎月のお手当を運んでおったのじゃ。だから、明電の守が手帖を強奪された当日、真っ先に噛みついたのが、無信心之進のところだった」

森「さよかー、ほんでどないなった?」

弓「手帖召し上げが殿のご指示だという裏事情を全く知らない無信心之進は、手帖強奪事件のことを大老に知らせねばと思い、慌てて報告へ行くと、大老の眉間にいつもの数倍も深い縦皺が寄っていたとか」

森「とっくの昔に、報告が入っていた、、、」

弓「そう、その通りだ。で、明電は、殿との徹底抗戦を決意したんだ」

森「ちょうどその後、明電が頼みとしよった大老も大老職を追われ、現ご城代と交代させられてしもうたしな」

弓「明電の守一族が、脱藩届を出したのも、城代交代の後だった。それまでの間、除名はおろかなんの処分もされなかったのは、秋谷大老が守っていたからに他ならぬ」

森「せや、せや。五四の変で殿を追い落とそうとした二人の結束は半端あらへんからのう」

弓「殿は二人の繋がりをあぶりだすために、あえて手帖を召し上げさせて明電の守を挑発し、公儀の御沙汰に持ち込ませたんだ」

森「ほんで、役臣たちも幕府評定所で徹底的に事を構えてはみよったが、結局、敗れて手帳も返却させられてもうた。裏の悪人たちも炙り出せぬままな。おまけにちょうどその頃やで、丸衆峠の戦に大敗して鳩山幕府にかわってもたのは」

弓「殿は相当失望しただろうよ、いい気味さ、俺を“ケダモノ”呼ばわりしたんだから」

森「その政権交代の8カ月後やったな、殿が倒れはったんは」

弓「そうさ、それで俺も再起を決意したのさ。殿さえいなければ生きる道はあるとな」

森「おもろいなあ、ほんで、その後は、どないなったん?」

弓「そのころだ、明電が書を世に出したのは」

森「あの有名な『乱脈勘定』やな」

弓「そうだ。あれで本当に震え上がったのは他でもない、今や拙者の主人となった頼綱さまだ」

森「なるほど、あんだけ暴露されれば、ビビルわなあ。前大老も、明電の守の余りの切れっぷりに心底、縮み上がったと聞いとるで」

弓「しかも、明電は第二弾を構えていた。その内容があるところから流れて来た。それを見た時の頼綱さまの怯えようは、今でも忘られぬほどじゃ」

森「で、一気に和解の方向へ向かったわけやな」

弓「当時、借りをつくってまで、幕府の重役・仙石某を動かして明電を説得にかかった」

森「そのころや、ワシの方にも和解へ向かうちゅう指示が飛んできたんは」

弓「ところがだ、明電にしてみれば藩重臣が何と言おうと、殿が存命であれば自分への攻撃は止めるはずがないと言って聞く耳を持たない」

森「さすが明電、ある意味、殿のことをよく熟知しとるのー」

弓「そこでじゃ、本来、箝口令の敷かれていた殿の容態を、瓦版を使って暴露し、殿が再起不能であると喧伝して、明電に納得させたのさ」

森「例の“厳戒病室”ちゅう記事やな。あないな記事、流されよっても、殿の側から何の反応も無かったさかいな」

弓「さよう、あれは頼のダンナが、重川無信心之進を使って仕掛けた、“せんてんす・すぷりんぐ”との出来試合さ。あいだに一人、宗教ゴロの情報屋を挟んでおるがな」

森「なるほど。明電にしてみれば、殿さえおらんかったら無理な喧嘩をする必要もない。それより信濃藩の重役たちに貸しを作っとったほうが何かと使える。一方の重役たちもこれ以上古傷を暴露されんで済む。利害は一致したわけや」

弓「しかも、この“和解”をさも、皆行の守の手柄のように仕立てて、勃樹を次期城代候補にまで押し上げ、傀儡政権をつくる準備にしちまったところなんざ、俺も舌を巻いたよ」

森「流石は頼綱さま。崎山軍師の一番弟子だけのことはあるのー」

弓「その通り、今、藩を裏で動かしているのは、ご城代でも勃樹でもねえ、頼綱さまよ」

森「どこまでもついていこや」

弓「だな、いつか、日の目を見れるやも知れんしな」

森「そのためにも不満分子を殲滅して、点数稼がなあかん」

弓「そう、稼がねば、、、」


(おわり)


「信濃藩家中見聞」-外伝 “弓と森”  前編
http://6027.teacup.com/situation/bbs/62148
 

ヨッシー様、ヽ(^○^)ノ

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2016年12月31日(土)11時37分31秒
編集済
  栃木の久保田です。m(._.)m

ヨッシー様、信濃藩家中見聞ー外伝ヽ(^○^)ノ

いつも爆笑しています。ありがとうございます。m(._.)m

しかし弓にしても森にしてもろくでなしだ┐(´д`)┌

その親分達もクズばかりだ(/。\)

信心はカケラも無いし、一般の社会の中では通用も

信頼もされない特殊な奴らだ┐(´д`)┌

池田先生たった御一人で・・・・・・・・・・

どれ程偉大な先生なのか?

それに比べて近くにいながら執行部達やその子分共は

なんと情けないことか?

少しは現場で戦え(# ゜Д゜)

根っこが腐っていて正しい判断が出来なくなってるのかな?

不思議だ?

そっかヽ(^○^)ノ悪鬼入期身だから魔の行動しかしないんだなヽ(^○^)ノだったら不思議じゃないわヽ(^○^)ノ

これ以上(^○^)悪業重ねないように早いとこ居なくなれ

(/。\)

 

ありがとうございます。

 投稿者:過去の広宣部  投稿日:2016年12月31日(土)11時21分3秒
  誰か私を呼んだ?様。
ご助言ありがとうございます。
御書研鑽は、池田先生の講義集に学び。
三代会長につきましては、会長全集に学ぶように
しているのですが、なかなか難しです。
[新版  日蓮の思想と生涯]は、まだ、読んでおりません。
友人が、持っているので、お借りして読んでみます。
須田論文は目を通しているのですが、

太ちゃん様。
お気に止めて下さりありがとうございます。
河合師範の寝屋川での御指導のコピーは
青年部時代に家庭訪問と、折伏にと、よく使いました。
自身の唱題行の時も同じです。現在も自己に言い聞かせていますが、なかなか、組織不信・幹部不信になるとかなりきびしいです。

Say Say Say様。
男子部のころ、御書が好きでした。
広宣部になって、御書の読み方が変わり、眼からウロコ状態でした。

少しずつ学んでいきます。

 

来年も意義あるお年を

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2016年12月31日(土)11時13分30秒
編集済
  小作人@地上の発心 様

  >人間性にとっていやなことをなさねばならぬときの心理的防衛は〈合理化〉と〈すりかえ〉
  〈責任の分担〉などである。SS隊員がにやにや笑いながら、泣き叫ぶユダヤ人から乳飲み子
  を奪いサッカー・ボールとして蹴り殺す残虐なふるまいのなかにこそ、彼らの“人間性”の証が
  のぞいている。彼らはユダヤ人を〈人間でない品物〉とみないかぎり、それをなす勇気が
  なかった。にやにや笑わなければならなかったのである。彼らの自己聖化は、ユダヤ人が
  ゴミでなく、人間であることを知っていたからであった。逆説的であるが、ヒムラーとSS隊員の記録が  証するかぎり、人間性は本能的に〈性善〉である。<

>人間性にとっていやなことをなさねばならぬときの心理的防衛は
〈合理化〉と〈すりかえ〉〈責任の分担〉などである。<

まさに学会の中枢部分を担っている方々の行動の規範は、これではないでしょうか。

意見の合わない会員には去っていってもらう事で、組織の「合理化」を図り、その理由づけは「すりかえ」られた教義や過去の指導であり、自分の良心の呵責から目を背ける為の、自分だけが決定した(悪事を)訳ではない、、という責任転嫁に繋がる心理状態は、異常なほどの数の上層幹部による他人事の様な感覚で決定されていく「責任の分担」という隠れみのに身を隠す、卑怯な態度に他ならないのではないでしょうか。

そして、それに少なからず気づいていても、何もしようとしない弱い心の奴隷になってしまった様な私達多くの会員も又、「責任の分担」という「すりかえ」の理論で、隠れみのに身を隠している姿といえなくもないでしょう。

小作人様が、地域の方に動執生疑を起こす機会を作れた、とのこと。よかったですね。


>人間性は本能的に、<性善>である。

法身は善悪両方備えていても、報身如来「南無妙法蓮華経如来」は、性善(仏性)です。
そしてそれは例外なく、どの生命にも備わっていると説くのが大聖人の教えであり、それを引き出す為の修行です。

なまいきな様で恐縮ですが、今、私達が抱えている問題の究極的な解決法は、やはり私達ひとりひとりの心の中に「心の王」である「南無妙法蓮華経」を打ち立てる事でしょう。
そして、この究極の「善」を打ち立て、そこから波及する人類の宿命転換を目標にすることこそが今、特に一番私達に問われている事ではないでしょうか。

>悪い〇〇をここまでのさばらせた責任は狭い善意に安住し無関心を通した我が日常の所作振る舞いにこそある、と<

同感です。


螺髪様

返事が遅くなり、大変失礼しました。

先々回の投稿で私の言葉がきつかったとのご指摘がありましたが、不快な思いをさせたかと思います。
どうもすみませんでした。お詫び申しあげます。
御本尊に関してその相貌の削除に言及されると、どうもアレルギーの発作の様に体が異常に反応する様です。(笑い)
特別に螺髪さんや須田さんに個人的に闘争心を持っているわけではありません。
もとより、違う意見も尊重したいというのが、私のモットーですから、、。
螺髪さんの、深い思索の姿勢にはいつも感銘をうけています。
又、よろしくお願いします。


管理人様、皆さまには、今年は、私の拙い考察などを載せていただけたことを感謝しています。
新しい年、何かが変わる兆しもみえます。
どなた様もお体には気をつけて、素晴らしい新年を迎えられます様、お祈り申しあげます。
ありがとうございました。

 

SGI会長は苦しみの心知る指導者

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年12月31日(土)06時17分16秒
  (聖教2011/10/07)

50年以上前から「21世紀はアフリカの世紀」と提唱し、その実現に尽力し続け
てきた池田SGI(創価学会インタナショナル)会長。その行動と哲学を讃え、
アフリカでは、4カ国5大学から名誉学術称号が贈られている。

ケニアの名門・国立ナイロビ大学も、その一つ。1992年12月に「名誉文学博士
号」を授与している。SGI会長への授与を推薦した、同大学文学部教授のヘ
ンリー・インダンガシ博士に話を聞いた。

◎ヘンリー・インダンガシ
ナイロビ大学文学部教授。ケニア作家協会会長。1947年、ケニア生まれ。1983
年から同大学文学部学科長を5期にわたり務める。2000年4月から半年間、交
換教員として創価大学に赴任した経験をもつ。

----------------------------------------

◇「自分が変われば環境も変わる」
◇「いかなる運命も、自らの意志と努力によって転換することができる」
◇アフリカは『貧しい大陸』なのではない。強奪されて『貧しくさせられた』
のだ。


――ナイロビ大学が、池田SGI会長への名誉文学博士号の授与を決定した経緯
についてお聞かせください

そのことを語る上で、外すことのできないエピソードがあります。それは、19
91年。わが大学の名誉学位委員会において、池田会長への名誉博士号の授与が
検討され始めていた時のことです。私たちは、会長の長年にわたる世界的な平
和運動をはじめ、その膨大な著作について認識を深めていました。しかし、委
員会の会議が開かれる数日前。私は、いまだ触れたことのなかった、会長の一
編の詩に出あったのです。

そのタイトルは「人道の旗正義の道」――非道なアパルトヘイト(人種隔離
政策)と戦い抜いた南アフリカの人権の闘士、ネルソン・マンデラを讃たたえ
謳うたったものでした。そこには、こう綴られていました。

「空を覆うむら雲も
赫々(かっかく)たる太陽の光を
隠すことはできない
肉体は
くびきに繋(つな)がれるとも
不屈の魂を
屈服させることは
誰びとにもできはしない」
「敵をも心服させる
あなたの大きさ
万人をも包みゆく
あなたの深さ
その人類愛の光彩は
すべての
人間のなかに脈打つ
大いなる実在を
強く優しく
輝かせてやまない」

私は強い感動と共に、こう確信したのです。“池田会長は、マンデラの経歴を
詳しく調べているだけではなく、マンデラの心に共鳴している。「アフリカの
心」を深く知ってくださっている!”と。
※マンデラ元大統領は27年半の獄中闘争の間、SGI会長のエッセーを
読んで共感していた。

そして迎えた名誉学位委員会の席上。この詩が高らかに読み上げられた時、そ
の場にいた誰もが感嘆の声をあげました。私たちは池田会長の中に、深く、大
きな、思いやりのある思想家の姿を見いだしました。さらに、人間性の価値を
高め、文化や人種の壁を破る「平和の勇者」の姿を見いだしたのです。私たち
は、会長を讃え、交流を育んでいかねばならない――名誉学位の授与が満場一
致で決定した瞬間でした。


――ナイロビ大学では、SGI会長の著作が学ばれていると伺いました

私が所属している文学部では、2003年から3年連続で会長の著作を学ぶ科目が
開講され、反響を呼びました。私自ら講義を担当したこともあります。会長の
対談集をはじめ、児童文学、詩などを通し、「会長の平和思想」「対話の精神
の重要性」について学び合ったのです。

現在、文学部では、「平和と文学」について研究する新たな講座を検討中で、
その中で池田会長の著作をさらに深く学んでいく予定です。


――SGI会長の思想・哲学は、学生にどのような影響を与えていると思われ
ますか

現在、ケニア社会は、経済格差や高い失業率、民族間の軋轢あつれき・摩擦ま
さつといった問題を抱えています。まず、その中で学生たちは、貧しい生活に
もかかわらず、「ケニア社会に尽くす人材に成長しよう」と、わが大学の門を
たたくのです。年齢層はさまざま。20歳前後の若者だけでなく、50代以上の壮
年・婦人もいます。働きながら、未来のために学ぶ人も……。

こうした学生たちにとって、会長の「自分が変われば環境も変わる」「いかな
る運命も、自らの意志と努力によって転換することができる」との哲学は、希
望の光源として映っているのです。


――インダンガシ博士ご自身は、SGI会長の行動や哲学をどう評価されてい
ますか

大きくは二つあります。まず第1に、世界平和への「たゆまぬ行動」です。ケ
ニアは、独立以来、長きにわたり、平和という状況が保たれていました。しか
し、2007年12月の大統領選挙への抗議行動から暴動が引き起こされ、国民に苦
い教訓を残したのです。

私たちは知りました。平和とは、自分たちの力で育てていかなければならない
ものである、と。さらに、そのために努力し、護り続けていかなければならな
い、とも。そのためにも、私たちは、池田会長の行動と哲学を、繰り返し学ん
でいかなければならないと思うのです。

第2に、会長が「21世紀はアフリカの世紀」と語られている点です。私は、会
長の次の言葉に耳を傾けたいのです。

「アフリカは『暗黒大陸』ではないのだ。『暗黒』は外からもたらされたのだ
。アフリカは『貧しい大陸』なのではない。強奪されて『貧しくさせられた』
のだ……そして冷戦の時代には、東西の代理戦争の舞台となり、大国の武器商
人が儲けた」

「こうして疲れはてた人々に対して、かけられた言葉は、『だからアフリカは
、だめなんだ』であった。なんという倣慢か」

「『人間』として見ない『レッテル』で見る――これは南アフリカだけの特殊
事情ではない。人権抑圧の根っこには、いつも、この錯誤がある」

池田会長は、アフリカを、そしてアフリカ人を、きわめて包括的に、温かな人
間主義の眼でとらえておられます。これほどアフリカに対して、人間的な心で
向き合ってこられた日本人が、指導者が、他にいるでしょうか。

会長の言葉の通り、この21世紀がアフリカの世紀となることこそ私たちの希望
です。私たちは会長と共に、平和へ進んでいきたいのです。

 

悪いのは自分じゃない!

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年12月31日(土)06時01分35秒
   小作人@地上の発心さん

 お気を留めて頂いて、ありがとうございます。

 この回以前については、かなり専門的かな、とも感じていましたが、

>あえて言うならば、創共協定の頓挫から「4.24」へ至る負の歴史は、単純に池田会長にまとわりついた“君側の奸”にのみその責を負わせるべきではなく、広布第二章の真髄を最後まで理解し得ぬまま、ひたすら毎日の活動ルーティンに没頭するのみで師匠を守ることの意を汲み取れなかった現場の一人ひとりが引き寄せた当然の帰結であったと銘記せねば、たとい現在跳梁する「四人組」なるものの排除に成功したとしても以後の禍根を絶つことは難しいのである。……<

>「素直さは大事であるけれども、打ち出しを下してくる側がまともな人間であるかどうかもよく見極めねばなりません」と巻頭言の呼び捨て表記を例に挙げて、ささやかだが動執生疑を……(投稿者:小作人@地上の発心   投稿日:2016年12月31日(土)02時51分55秒)<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/62166

 ――あたりからは、私にも理解できる“領域”となりました。同感の部分と、少し違うかなというところがあります(これはどんな人も、どんな事柄でもあり得ることですが……)。
 「広布第二章の真髄を最後まで理解し得ぬまま」は、同感部分です。

 まったく同じにでないにしても、どなたかも、これに近い表現がありましたね。これからを楽しみにしています。


 

21世紀の御みやづかい~変容する日本社会と仏法者

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年12月31日(土)02時51分55秒
編集済
     《第9回  善意の所在、自己完結する小善生活㊦》


1.
 悪いのは〇〇だ(自分じゃない)〇〇をやっつけたら世の中が良くなる――という短絡的思考で加虐行為に及ばないためには何に気を付ければいいか?

  ~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~

  「反ユダヤ主義はシラミの駆除と同じである。シラミを除くことはイデオロギーの問題でなく、
  清潔の問題である」(ヒムラー)
   人間性にとっていやなことをなさねばならぬときの心理的防衛は〈合理化〉と〈すりかえ〉
  〈責任の分担〉などである。SS隊員がにやにや笑いながら、泣き叫ぶユダヤ人から乳飲み子
  を奪いサッカー・ボールとして蹴り殺す残虐なふるまいのなかにこそ、彼らの“人間性”の証が
  のぞいている。彼らはユダヤ人を〈人間でない品物〉とみないかぎり、それをなす勇気が
  なかった。にやにや笑わなければならなかったのである。彼らの自己聖化は、ユダヤ人が
  ゴミでなく、人間であることを知っていたからであった。逆説的であるが、ヒムラーとSS隊員の
  記録が証するかぎり、人間性は本能的に〈性善〉である。ヒムラーの強調するSS部隊員への
  激励は、水に薄められた形で、ほとんど現代のまじめなビジネス・マンへの上司の与える訓示に
  ひとしい。私(たち)がその類似性にギョッとしないならば驚くべきことである。

    (赤間剛『ヒトラーの世界――ナチズムの思想的核心とはなにか――』三一新書;1977年)

  ~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~

 「シラミ駆除」の一環でユダヤ人の赤ん坊をサッカー・ボールにして蹴り殺したSS隊員も、一日の任務を終えて帰宅すれば良き夫、良き父親として楽しい団欒のひと時を送る。バッハやベートーベン、ゲーテやニーチェを生んだ母国の民らしく知性も高く芸術・文学を愛好するSS隊員も数知れず、ナチス政権崩壊の日まで程度の差はあれ、かように知的で家族や友人には誠実な態度で接し続けたナチ党員がドイツ社会の〈正義〉を体現していたのである。

2.
 衆参両院に議席を有し、財布の中には最低十万、二十万云々という具体性を持った広宣流布の未来図を参謀室長が提示してから15年、正本堂落慶を契機に次のステップを踏もうとの第三代会長の深謀遠慮に善意みなぎる現場会員はどこまで呼応出来ただろうか?
 かつて「貧乏人と病人の集まり」と蔑んだ者たちへのルサンチマンの昇華という暗い情念をひきずってはいなかったか? 15年の歳月でどれだけの学会員が「深く大きく境涯を開き」広布第二章へ歩を進められる機根を整えられたかが問われたのではなかろうか?
 皮肉に聞こえるかもしれないが、戸田時代から池田時代への飛躍的な会員数の増加に伴う機構整備によって学会活動の洗練度が高まった結果、会員個々の自主性・主体性の脆弱化を招き、信濃町官僚の増長を促すに至ったと言えなくもないのである。

 一定の規則性のもとに活動現場での各人の役割が細分化されるにつれて、組織活動のマニュアル化が進む。そしてこの流れは21世紀の今も基本変わりなく続いているように筆者には思える。
 群盲象を撫でるがごとく、肥大化した組織の全体像を俯瞰する視点を持ちようがないまま、各人の主観に依った「出来ること、出来ないこと」の取捨選別がはっきりとなされ、池田会長から心躍るようなテーマやスローガンの提起、学会内部にとどまらない社会全体への提言があっても、受け手の温度差がこの頃には以前と比較にならぬほど大きくなったのである。

 広布第二章期に果敢に展開された各種の社会活動。
 青年部の核廃絶署名運動や反戦出版活動、婦人部が牽引した各地での反公害・環境保護活動、僻地の無医村での医療活動に従事するドクター部の活躍・・・聖教紙上等で華々しく克明に報じられることがあっても、一方でマニュアル化の渦中にいる現場活動家には微妙なズレが生じてきてはいなかっただろうか?
 二度にわたる石油ショックの余波を受け「自己完結しつつあった小善生活」のリズムが変調を来たす中で、どこか日々の自分の戦いとは直接結びつかない他人事と捉えて関心を向けるゆとりがなくなってきた心の奥で54年へ至る通奏低音が鳴り出したのだと思う。

3.
 そうこうするうちに「先生、何しに中国・ソ連に行きはるの?」というような感慨の人も内部で無視できない数でいたのだろう。
 宮本顕治氏との会談、創共協定の締結について、外部以上に学会内部、しかも末端に行くほど激しい抵抗があったのが今となっては容易に想像がつく。

 あえて言うならば、創共協定の頓挫から「4.24」へ至る負の歴史は、単純に池田会長にまとわりついた“君側の奸”にのみその責を負わせるべきではなく、広布第二章の真髄を最後まで理解し得ぬまま、ひたすら毎日の活動ルーティンに没頭するのみで師匠を守ることの意を汲み取れなかった現場の一人ひとりが引き寄せた当然の帰結であったと銘記せねば、たとい現在跳梁する「四人組」なるものの排除に成功したとしても以後の禍根を絶つことは難しいのである。

 師への敬愛がいささかも揺らいだわけではなく、ただ黙々と日々仕事に勤しみ、時間革命で学会活動にも全力で取り組む。善意と誠実の塊であるかのような無名の庶民群像が、それだけでは新たな時代の扉を開くには及ばなかったことを54年問題の教訓の一つとしてどう学び取れるかに、現下の破邪顕正の戦いの成否がかかってくる。
 悪い〇〇をここまでのさばらせた責任は狭い善意に安住し無関心を通した我が日常の所作振る舞いにこそある、と。。

 「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」のフレーズがある座談会御書を仕事で出席できなかった地区部長に代わって講義を請け負いつつ、やんわりと「素直さは大事であるけれども、打ち出しを下してくる側がまともな人間であるかどうかもよく見極めねばなりません」と巻頭言の呼び捨て表記を例に挙げて、ささやかだが動執生疑を起こす機会を作れて本年を締めくくることが出来ました。

////////////// /////////////// ///////////////

本シリーズ、年内はこれで打ち止め。手前勝手だがようやく半分まで来た感。
予定より大幅に伸びて桜が咲くころまでは続きそうです。
少なくとも螺髪氏あたりには期待はずれの内容だろうなと承知の上で今しばらく試行錯誤が続きます。
 

矢野さんを5人でつるし上げた時の模様

 投稿者:サンダーバード  投稿日:2016年12月31日(土)02時18分28秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs?page=187&reverse=1
投稿順で187ページの中にある

谷川佳樹尋問調書①
投稿者:新宿A  投稿日:2014年 9月11日(木)17時48分0秒

谷川佳樹尋問調書② 反対尋問のみ
投稿者:新宿A  投稿日:2014年 9月11日(木)17時52分49秒

http://6027.teacup.com/situation/bbs?page=188&reverse=1
投稿順で188ページの中にある

谷川佳樹尋問調書①
投稿者:新宿A  投稿日:2014年 9月12日(金)20時52分29秒

谷川佳樹尋問調書②主尋問のみ
投稿者:新宿A  投稿日:2014年 9月12日(金)20時56分24秒


谷川佳樹尋問調書の反対尋問は読み易くした投稿が同じページにあります。

2005年5月14日の戸田記念国際会館で矢野さんをつるし上げた時の模様が分かります。つるし上げメンバーの5人は、谷川佳樹、杉山保青年部長、弓谷照彦男子部長、森井昌義関西青年部長、丹治正弘の様です。読み易くした投稿から少しだけ抜粋します。代は被告矢野代理人(弘中惇一郎)、谷は谷川佳樹。

--------------------

代 49ページ、569項、これは森井さんの発言なんですが、「明日、あの関西青年部総会、やるんですけどね。関西青年部総会の会場に来て謝罪せよと、もっとひどいメンバーは土下座しろと。そうしないと、言葉だけだと信用しないと。これがみんあの、おー、おお、大きい声なんですよ。」と言ったわけですね、森井さんは。

谷 はい。

--------------------

代 この甲49号証ですけど、封筒もたしかありまして、池田大作先生御机下とありますよね。

谷 はい。

代 中の手紙のほうのあて先も池田大作先生になってますよね。

谷 はい。

代 そうすると、これは矢野さんが池田大作先生におわびされたわけですよね。

谷 いえ、これはもともとこの謝罪というのは、4月6日の話から始まったことですので、まず、矢野氏が現在どういうこの手記についてお考えを持っておられるのか、もし、それについて言っておられるとおり申し訳なかったというふうに思っておられるんであれば、その謝罪を公表するということを了解されるかどうかということでしたので、その確認の意味で書いていただいたものですので。

代 あて先は池田大作先生になっているのは、間違いという意味ですか。

谷 いいえ、そんなことありません。

代 池田大作先生にお見せしたんですか。

谷 お見せしてないと思います。

代 お見せしてないんですか、なぜです。

谷 これは、この謝罪状という話は、会長との打合せで始まったことですので、会長に提出して、会長が保管されているということで。

代 最初の青年部の文案は,だれあての文書になるということだったんですか。

谷 青年部の文案も先生あてということだったと、たしか記憶してますけれども。

代 その青年部の言うとおり池田大作先生あての文書を書いたのに、池田大作先生は、それを読みもしなかったということですか。

谷 いや、名誉会長は、私たちにとって信仰の師匠ですので,それはもう弟子として戦っていく,誓う相手といったら、これは名誉会長しかいないわけですね。名誉会長の指導を受けて,そのとおり実践していこうということで日々努力しているわけですから、誓うとしたら、それは対象は名誉会長ですけれども、そういったものを全部直接名誉会長のところに提出するかというと、そんなことはありません。

--------------------

宿坊の掲示板投稿から、先生の発言とされているもの(本当なのかは不明)

2005年4月 CPが杉山青、弓谷男を呼び、「最後の最大の敵である矢野をやる」と宣言し細々と指示。

2005年ごろ 宗門と学会の勝敗はついたと。その次に創価学会の中の悪と戦うよ!創価学会の善と悪の戦いになるよ!
〈中略〉
そして最後の最大の敵に、私(池田先生)自ら戦ってもいいのだがと前置きし、最高幹部2名を呼ばれ悪との戦いを厳命された。(矢野追撃の指示)

先生の矢野糾弾の中で8億という数字がでていました。

最近の会合で先生が矢野が2億、竹入が10億の党の金をとったことを明らかにしてましたね。

先生は矢野の悪事は知っていたのですから、(いくつもの会合で矢野を厳しく叱っていました)それ自体を問題視して、矢野を責めたのでは無いでしょう。

秋谷に対しても、早く除名しろと、在籍時に指示をされていたし、先に脱会された時には、何故早く除名しなかったと秋谷を厳しく叱りつけていました。矢野に連なる悪の本質を暴くのが目的だと、皆は大体理解していたと思います。

「学会が崩れていくならそれは幹部(職員)と議員からだ。議員は学会を舐めてはいけない!公明党は竹入、矢野を攻めたのか!」(参加の場内の公明党議員からは一人も反応無し。)
 

過去の広宣部さんはじめまして

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年12月30日(金)22時24分47秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/62159

はじめまして!
一騎当千ともいえる学会員さんがここにはひしめいていますね。
これだけ内容の濃いものはちょっと見ないです。
教学的部分なら師弟不二アーカイブさんでまとめられていますよ?
http://sgi-shiteifuni.com/

他に、組織におられるなら、河合師範の有名な講義を知ってるとは思いますけど。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/58089
河合師範の指導  平成10年6月2日寝屋川文化会館

いろんな側面を網羅してる優れた講義と感じます。
いろんな重要部分をうまくコンパクトにまとめられているので、信心の自己点検するのに最適な内容に感じます。

河合師範のいう一念。
しきりに一念についての話が文中に登場します。
【信仰というのは、行動の因果ではない。ただ頑張ればいいのではなく、一念の因果、どういう一念で頑張るか、その一念に功徳がある】と。

仏の境涯と同じ「感謝」をテーマにした日常へと変革しゆくところに、顕益も冥益も起こるのが実体験できるんですね。
感謝の一念(の効果)を信じた行動を心がけるところに、顕益も冥益も起こってるんです。
組織でやってない僕でさえ明瞭な功徳があるものを、過去の広宣部さんのように真面目な心境の学会員さんに功徳が出ないわけがないんです。

ただ、確信にもコツがあるかもね。
功徳の現象が起きるものを基準にしたほうが実践的理解が深まりやすいです。

信じて行動した - 功徳が起きた - 歓喜とさらに深い信で行動した - さらに大きな功徳が出た

というのを地道にするのが確実で一番早いんじゃないかと思いますね。
感謝をテーマにした日常へ変革しゆくところに功徳が起こっていくので、それで勤行・唱題の儀式の時の一念が大切になるんです。
【信仰というのは、行動の因果ではない。ただ頑張ればいいのではなく、一念の因果、どういう一念で頑張るか、その一念に功徳がある】と。

そして、儀式の時の心境のまま人と接することで、自分の周囲の人がまるで自分の諸天の働きをしてしまうことが増えるんです。
これはたぶん、相手の生命の仏界に感応・共鳴することで、相手の善性を引き出しやすくしてる結果なんじゃないのか、と感じてるんですけど。
そして、諸天のような働きは、こういう対人関係に限らずで、物事の流れでも起きていくのが実感できますね。

しかし、そうならない場合もあります。
実際にやってみればわかることだけど、多少個人差はあるけど早い人で即日で功徳を実感したりで、しばし平穏な日々ののち、やがて徐々に三障四魔や三類の強敵というのが自然に登場しますね。

つまるところ、掲示板でずっと話してきてるのは、第三の僭聖増上慢にどうするべきか?ということを中心になってるように感じますね。
おそらくこれは一生に渡って学んでいくことでしょうけど。

54年に池田先生に何があったのか?というのを知ることで、現在起きてることの本質を知ることができるのではないでしょうか。
アーカイブさんに書いてあるけど【深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む】と。
過去の広宣部さんの御本尊様はそのためにこうしてコメントさせたのではないか、そう感じました。

今後ともよろしくお願い致しますm(_ _)m
僕は教学知識はあまりないから自分の体験から話すしかないけどf^^;
他の人のほうが断然優れてるから

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

過去の広宣部 様

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2016年12月30日(金)22時00分5秒
  私もさ迷い、宿坊に辿り着いた一人です。その御礼は誰かに返したいと思っています。
どこまでお力になれるか分かりませんし、他の人もどう反応するか分かりませんが、「誠実には誠実で」応えたいと思います。まずは投げかけてみて下さい。反応に対しては恨みっこなしで。
勿論、自分で研鑽することも大切で、宿坊ではグリグリさんや螺髪さんらの教学講座的な投稿も過去ログにたくさんあり、また師弟不二さんリンクでは、それらを見つけ易くしてくれています。
どうか、おおらかな気分で、お互いに学び合っていきたいと思います。
 

過去の広宣部 様

 投稿者:誰か私を呼んだ?  投稿日:2016年12月30日(金)21時18分26秒
  あくまでも、私の考えですが、

ここは、御書学習の場ではないと思います。

御書については、先生の講義をはじめとする、学会の公式出版物を学ばれるのが正道だと思います。
その上で、学問的な視点から鳥瞰したいということであれば、須田晴夫氏の、
「新版 日蓮の思想と生涯」
http://www.choeisha.com/pub/books/55752.html
を読まれることをお薦めします。

また、先生の御指導についても、先生の全集など、公式出版物から学ばれるのが王道で、
板の趣旨からも、ここで網羅するものではないと思います。
 

イケディアンの住人(正義の獅子同盟)様

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年12月30日(金)21時17分33秒
  そうなんです、池田先生と一対一で話をしたことはありませんが
会合で何度かお会いしました。

本幹同時中継のときに、放送が始まる前に先生が入場されて
会場を見わたされて「青年部が育ってるね!」と言われたん
ですけど、その時の先生の顔が忘れられません。

ものすごく無邪気にニコニコされてたんです。
ああ先生はこういう方なんだ~って思いました。

ところが放送が始まると一転して厳しい顔をされて
スピーチされました。今度はああ先生は命がけで
真剣勝負されてるんだなと感じました。

本当に先生には一切の虚飾がありませんでした。
 

弓谷助兵衛とあっちもこっちも卑怯な中野総区幹部

 投稿者:ブリジストンみつのぶ  投稿日:2016年12月30日(金)21時10分25秒
  ヨッシー様
はじめまして。ブリジストンみつのぶ
です。

弓谷助兵衛おもしろいです。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/62148


ところで、中野の査問、除名には弓谷助兵衛が動き回っていたようですね。
そういえば、教学部レポートや遠藤文書でも弓谷助兵衛が「あっちもこっちも」で動き回ってました。

中野で処分された男子部は教学部レポートの真偽を確認してほしいと訴えていました。

訴えを聞いた
松山副会長は「出所を教えろ」

石橋区長は「忙しくてそんな暇はない」

とはぐらかしたそうです。

そして男子部を村八分にし、組織からの離間させ、その後除名となりました。

中野区はアホな幹部のせいで大きな汚点を作りました。

組織の引き締めが相当かかっています。
なぜなら、一つでも認めてしまえば、自分たちの最初の判断が大間違いだったことを認めるからです。

中野の幹部は自分たちの間違いを微塵も認めることができず、人権侵害のようなことを繰り返しているんです。
 

此の場は?

 投稿者:過去の広宣部  投稿日:2016年12月30日(金)20時46分43秒
  初めて投稿致します。
過去の広宣部と申します。
よろしくお願いします。
宿坊の掲示板は、御書を学べますか?
此の場は、三代会長の御指導を包み隠さず
学べますか?
私の手元には、教材が・指導集があまりにも
少ないので、
自分の考えが・想いが・今からの期待が、
今迄、自分の人生の全てを投げ打って来たのですが
あまりにも、学が無いからか?
確信を持てずに居ます。
長い期間(約一年)閲覧のみでした。
が、
無学な私ですが、
皆様の教学の次元をどうか、
下げて頂きながら、教えをいただきたいと
思っています。

 

生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)様

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年12月30日(金)20時13分37秒
  レスありがとうございます。
早いもので明日は大晦日ですね。

私は時間があるので明日も投稿させてもらいます。
皆勤賞ですね(笑)
 

原田稔会長原稿のゴーストライター西原伸一郎、佐藤潤も

 投稿者:役員室より  投稿日:2016年12月30日(金)19時15分43秒
  丹治一派である。

人事にて、彼らが役員室に異動になったのちに、丹治一派は宴をひらき、そこで中村伸一郎は大笑いしながら、これで役員室に貸しをつくったと天下取り気取りしていた。

ことが、のちに緒方、石嶋両副会長に提出された、丹治問題あれこれがまとめられたY口レポートに詳細に綴られている。

レポートの中身には、丹治らが権力集中のため、棚野をピエロの様に踊らしていたことなども書かれており面白い。棚野の頭の悪さが露呈していて、全国幹部の質の低さに驚いたものだ。
 

Believe and Destroy

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2016年12月30日(金)18時43分38秒
編集済
  フランス人歴史家クリスティアン アングラオのCroie et Detruireの英訳。日本語訳はナチスの知識人部隊。ユダヤ人虐殺を遂行したナチス親衛隊の高級将校たちのプロフィール紹介。博士号を持った知的官僚たちの無慈悲。知的官僚たちの無慈悲。何処かの宗教団体トップも東大閥で固められています。とても、重い一書。フランス語原文は難解で、英訳、和訳がこなれています。アングラオの処女作黒いハンターも英訳が宜しい。  

飾らない人柄・気さくな生き方に会員は共振する!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年12月30日(金)18時37分30秒
  人柄に共感するのは、単なる優しさや語り口だけでは有りません。カッコ良さや口先では無いと言う事です。

私は、青年時代、時間の概念に深く傾倒して様々な書物を乱読して、特に対談集(左右関係なく)モノを図形化して測っていました。そして、池田先生の対談は、明らかに違うことを感じていました。

それは、「飾らない人柄」・「気さくな人」です。本にされる対談では、左右どんな思考を持っている者でも、かなり脚色めいたセリフが入っているものですが、池田先生の対談のほとんどが、率直・素直な対談となっています。早い話が、おかしな編集をしていないと言う事です。二十世紀の教訓でのゴルバチョフ対談でも、噛み合わない話しが延々と続き、送本相手の方が感嘆していました。私も深く驚きました。

社会的立場(公人)の者がここまで喋ってしまって良いのか?と言う話です。読んで無い方はさっぱり何を言っているのか分からないと思いますが、創作された後年の対談集ではないものは、明らかに一本の筋が通っています。何が?率直・素直に話をしているのですから。
 

兄とともに

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年12月30日(金)18時14分44秒
  創価中学校3年生(当時)

 僕が今まで生きてきた年月の中で、心に焼き付いて離れないのは、兄のことだ。

 僕の兄は小さいころの病気がもとで普通の子より、ちょっと学力が遅れており、また、手も不器用だ。けれども今は無事、T養護高等学校へ通っている。

 そんな兄がある日、「僕、任用試験あかんかってん」僕にこういうふうに言った。僕は、“なんでもっとがんばれへんかった”と、言おうとしたが、ふと兄の右手の中指に目が引きよせられた。今までなにもなかった中指に、小さい今にもこわれそうな“まめ”が赤くなってできていた。

僕は兄の肩をたたいて、「来年があるんだぞ、がんばれ。僕といっしょにうけるはめにならないように、来年は絶対うかれよ」と、ちょっとからかった口調で言うと、兄は、「ハハハハ……。クソウ」と。

 僕が小学校の時である。学校から家に向かう道のまん中で、僕より一つ年上の男が三人、僕の前に立ちふさがった。

やがてまん中に立っていた男が「おまえ、あの知恵遅れの弟やろ。おまえの頭は大丈夫か」と、言われた。僕はそいつらの顔をなぐろうとした。

しかし前に兄をばかにした友達をなぐって、先生に指導を受けた後だったので、僕はなにもせず「おれの兄さんの悪口を言うな!」と、言って涙をためて家に帰ってきた。

僕は、くやしかった。そしてすぐ、仏だんの前にすわり、涙をうかべながら題目をあげた。
 「そうだ、池田先生も言われている。“人を身なりで判断してはいけない”と…。兄ちやんは悪くないんだ。そうだ、おれが偉くなればいいんだ。僕が兄ちゃんをかついでいける人材になったら、悪口なんか言われないんだ」と、思った。

 僕はふと、兄ちゃんの部屋に顔を出した。兄ちゃんはいなかった。まだ学校から帰っていないみたいだ。机の上に一冊のノートが置いてあった。国語のノートのようだ。僕は表紙をめくった。めくるたびに、涙がはげしく流れた。

月日が付けてあって、漢字が一日三行ずつ書いてあった。がたがたな字で書いてあった。ふるえをおさえて、うまくうまく書こうとしているせいか、力がはいって次のページにも、また次のページにも字の跡がうつっていた。“兄ちゃんも地道ながら一生懸命やってるんだなー”と、しみじみ感じた。

 その日から僕は兄といっしょに、題目を五分ずつあげるようになった。兄に題目をあげる時に願っていることを聞いたら、運動会が近いので、徒競走で一番になることだと言った。

とうてい無理な目標だと思ったが僕は「絶対になれるぞ。よーし、ぼくも一番だ!」とはげましてやった。


前進をめざす兄が、とってもうれしかった。兄は食事の時にも、それを家族に話した。父も母もみんな兄ちゃんをはげましてくれた。僕もうれしかった。

 運動会の当日がやってきた。僕と兄ちゃんは、体操服を着て、ナップサックを背おって、家を元気よく飛び出した。

 「僕、胸がドキドキするよ」

 「大丈夫だよ。大丈夫」

 そう言いながら学校へ向かっていった。たとえ一番にならなくても、なにか得るものがあるにちがいない。足が自由に動かないという、苦しみを持っていながら、自分一人の力で挑戦しょうとしているのだから…。

 徒競走が始まった。兄ちゃんの番だ。ドン。いっせいに走った。と同時に兄ちゃんはころんだ。前を走る群は5メートル、10メートルと離れていく。

しかし兄ちゃんは立った。走り出した。僕は思わずかけより手をとっていっしょに走りだした。あと10メートルだ。ゴールイン。僕の目から涙が流れた。うれしかった。兄ちゃんとともに信心を通して成長したことがうれしかった。

いつのまにか、僕や兄に悪口を言った友も手をたたいてくれた。“信心はすごい。一日5分の努力でも”。そう体で感じた。どろだらけの兄の顔は僕の胸に焼きついて今でも離れない。





第9回「作文コンクール」優秀作品
(中学生文化新聞 昭和53年9月3日掲載)より



 

21世紀の御みやづかい~変容する日本社会と仏法者

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年12月30日(金)17時59分2秒
編集済
     《第8回  善意の所在、自己完結する小善生活㊤》


1.
 “知的であること、人として誠実であること、ナチ党員であること・・・この三つの属性が同時に併存することはありえない”
 1933年のナチス政権誕生にあたってドイツの哲学者カール・ヤスパースが警句の意味を込めて提唱した有名な「ヤスパースの定理」である。
 云く、、、知的で誠実であればその人はナチ党員ではない。
     知的でナチ党員であればその人は誠実さを欠く。
     誠実なナチ党員であればその人には知性がない。。。

 だがナチス敗北から70年を過ぎて、ここにいちいち例証を挙げずとも私たちは「知的で誠実なナチ党員」など掃いて捨てるほどドイツ国内にいたことを歴史の常識として弁えている。

 柔和な笑顔を浮かべて「素直に上からの打ち出しどおりに戦うのが一番だよ」と語る我が支部長は、仕事熱心で温厚篤実を絵に描いたような非の打ちどころのない好人物である。時おり自虐ネタをかましながら夫婦仲の良さを口にし、三人のお子さんも皆、立派に社会へと巣立って行かれた。座談会も協議会も彼がそこにいるだけでほっこりした空気に包まれる。
 査問、除名、役職剥奪、活動停止、、、どこ吹く風といった感は当地に限らないだろうが、それも上辺だけの話。昨年秋の党員登録更新を断わった地区部長は、年明け早々、唐突にその任を“卒業”させられた。恐懼すべき出来事が眼前で起こり得たとしても他言無用でやり過ごすうちに正常性バイアスが現場の一切を支配する。

 良き人の集まりで、良き話のみが交わされ、良き思い出だけが残されていく。
 座談会や地区講義で月に一、二度、大白蓮華を数ページ読み合わせるのが教学研鑽の体裁として「学会」の名に違わぬ知的営為とされ、
 入決・本流、新聞推進(拡販)、選挙の票取り、ご供養の金額・・・数量に反映しゆく功徳と思しき何かを追求する愚直さが人としての誠実さの表れとして推奨される。
 内向きの善意に彩られた内向きに閉ざされた論理。
 「味方」を通り越して「身内」に等しき存在を集団の中に絶えず追い求める人間の習性が、その依拠する集団の結束力に比例して強くなる内向きの論理から逃れられなくなることで害悪を外にまき散らし、やがては自他ともの死をもたらす事態を招く。

 それでもなお、慌ただしき毎日の身過ぎ世過ぎの中で、他人の立てたスケジュールを淡々とこなすうちは取り立てて違和感を覚えることもなく、皆ほっこりした空気に浸りたくて会合に足を運ぶ。

2.
 「広宣流布の時には参議院議員、衆議院議員もいてさ、皆な財布の中には少なくとも十万や二十万入れて、洋服も月賦じゃないの着てさ・・・」昭和32年9月6日付・聖教新聞紙上の池田参謀室長指導。
 戸田会長逝去の約7か月前であり、ご承知の通り、この時点で創価学会は白木義一郎氏ら三名の参議院議員を擁していた。

 「・・・要所要所を全部ね、学会員で占めなかったら広宣流布出来やしませんよ。一つ天下取るまで諸君は大事な体だから、うんと修行して行きなさいよ」(同)

 正本堂の落慶と時節を合わせて池田第3代会長が「広布第二章」の幕開けを宣したのはこの15年後のこと。今思えば驚嘆すべき短時日での出来事と言っても過言ではなかろう。

 参議院に続いて公明党結党で衆議院にも進出し瞬く間に第三党の地位を占め、名実ともに政界のキャスティングボートを握ることになった。
 では、学会員個々の姿はこの15年でどう変わったか?

 財布の中に少なくとも十万、二十万、といかなくてもそれなりの貯蓄は出来た・・・学会員総体で見れば。。
 洋服も家電製品もクルマも煩わしく月賦にしなくとも欲しい時に買える物の率が高くなった・・・学会員総体で見れば。。

 「自分のことで手一杯でしょ? 今は目の前の仕事にしっかり専念しなさい」と、32年の初信当時はこんな感じで幹部指導を受けた方も多かっただろうが、目の前の仕事に専念する「今」がいつまで続くのか推量する暇もないまま、真面目な人は真面目な分だけ仕事と学会活動の両立に苦心しながら、強靭さを増していく集団のダイナミズムにどんどん没入していく。
 善意にあふれた居心地の良い空間を確保したことでそこに埋没し、個人の内面に育まれるはずの社会性が巨大組織のそれの維持を至上命題とするフィルターで濾過され変質したものが世上に表出する。
 創価公達なる奇怪な種族の生成要因の一部を私たちはそこに見出すことが出来るのではないだろうか?

 信心して15年経った。創価学会はこれだけ発展した。だから学会員である自分も発展・成長しているに違いない。信心の実証は毎日のように示していて(かなり話をふくらましているが)活動報告・体験発表で皆の称賛を浴びている。楽しく学会活動出来ているのだから自分の信心は、そして自分の人生はこれで問題ないだろう、間違ってはいないだろう・・・

 明るい笑い声が飛び交う穏やかな雰囲気に呑まれて自己肯定の論理が完結する。
 「自分は功徳を頂いているに“違いない”」「宿命転換・人間革命しているに“違いない”」・・・肥大化した肯定感に支えられて高度成長の恩恵を享受出来た人々は日常生活の物質的充足をもって信心のバロメーターに替えていった。見方を変えれば些末な自己暗示とも言えようが、善意の殻に閉じこもると外聞を気にすることもなくなる。

 巨大集団のダイナミズムに守られた、自己完結する小善生活。
 それは人によっては、かつて「貧乏人と病人の集まり」と嘲り笑い蔑んだ者共の立場に自分が成り代わろうとする一種のルサンチマンの昇華でもあった。
 ルサンチマンの昇華、もしくは極めて歪な形状への進化。21世紀の日本と世界を混沌状態に陥れる迷惑集団・信濃町官僚の心に深く巣食う闇は、それを支える現場学会員の善意の集積が生み出したものとの自覚を持つ必要がある。

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いったん締めて、今夜中に㊦を投稿します。




 
 

重要な投稿なので、再掲します。

 投稿者:通りすがり  投稿日:2016年12月30日(金)17時44分34秒
  重要な投稿なので、再掲します。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/13832

***********************

ある時期からの先生のご指導  投稿者:解説員  投稿日:2014年10月20日(月)18時08分5秒

●ある時期から先生のご指導に明確な変化があわわれます。

補足としてこの事実を指摘しておきます。


●先生が学会の幹部を公然と批判し始めたのは、2004年3月に

野崎FKが亡くなってからです。

それ以前にも矢野とか竹入とか一部の幹部への叱責、叱咤、批判はありましたが、

これほどまでの激しさはなく、ここから批判のトーンが明確に変わりました。

ネジを巻き始めたと思います。

ご自身の体調面のこともあったことと推察しますが。

野崎FKの死去以降から「悪いのは、日達、日顕、北条、野崎だ!」

明確におっしゃいました。

徐々に竹入、矢野、秋谷へと進んでいったのはそれからです。


●最大の敵、矢野追撃の指示も2005年です。

先生のご指導を理解していれば矢野和解はありえません。

この一点で谷川と弁護団の背信、先生への裏切りは明らかで許してはならない痛恨の出来事です。


●先生は2010年で80歳になる時点において、公から姿を消すことを宣言していたわけですから

学会を永遠に発展させていくためには、真実を明らかにし、学会幹部の悪をたたきだす

姿勢を明確にされたのだと思います。

2009年の御指導では私が死ねばこのままでは学会が潰れるとまで発言されています。

そうなってはいけないから、公然と悪い幹部を批判しているとの意味です。


●信濃町さんが言われていましたが、87年の会合で既に

宗門、学会幹部、公明党が日本の三大悪であるとの指導があったとのこと。

また、全体の流れについてもすでに下記のような説明がされていますね。


●踊らされいる職員らしき書き込みをされている方、みっともないから辞めた方がよいよ。


●先生が復活されたとき、明確に仰っています。
昭和58年 インテレクト会にての発言。

 ○○と、悪い坊主をやつけるぞと宣言。
 外も当然だが、内部と戦うと宣言

 五重相対の後に、6番目の相対を確立された1990年からの10年間、
 2001年を迎えるに当たって、2000年の暮れに宗門に対して大勝利宣言をした。

 日顕宗門に対してのシアトル・芸者・遺骨、すべてに勝利宣言される。
 創価新報の特別企画室と言う部署も解散。

 2000年以降は次の相対へ行くよと。
 2005年ごろ 先生はいよいよ内部に巣くう悪と戦うために、このように言われています。

 宗門と学会の勝敗はついたと。その次に創価学会の中の悪と戦うよ!
 創価学会の善と悪の戦いになるよ!

 (54年のときは)
 戸田の命よりも大切な創価学会が、このまま行けば昭和54年当時破門されちゃうと!
 そうなったら創価学会がつぶれちゃう、公明党も潰れてしまう。
 だからここは池田大作にストップをかけないといけない。
 安易に池田先生よりも創価学会を取ったのです。(最高幹部が)

 そして最後の最大の敵に、私(池田先生)自ら戦ってもいいのだがと前置きし、
 最高幹部2名を呼ばれ悪との戦いを厳命された。(矢野追撃の指示)


 原島とか山崎はぬいていますが、おおむね合っていると思いますが如何でしょう!
 

杉山青もいましたよ。過去ログ読みましょうね!!

 投稿者:通りすがり  投稿日:2016年12月30日(金)17時25分2秒
  矢野絢也と学会が和解するに至るまでを年表にまとめたものです。ご参照ください。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/13923


1932年4月  大阪府八尾市生まれ
1951年3月  大阪府立山本高等学校を卒業。
1953年    創価学会に入会。当時、京都大学経済学部3年生。
1956年3月  同大学卒業。4月大林組に人社。
1963年4月  大阪府議会議員に当選。
1967年1月  34歳で衆議院議員に初当選。直後の臨時党大会で公明党書記長に就任。

1970年    言論問題を利用し、竹入らと公明党の学会(CP)支配からの独立を画策
      (いわゆる政教分離として一般報道されているもの)

1977年~79年 宗門問題に乗じて、秋谷、藤原行正、内藤国夫らとCP打倒を画策。
      (CP=池田先生のこと、週刊誌に情報をリークして先生のイメージを貶めた)

1986年12月  公明党委員長に就任。
1988年12月  明電工事件発覚。
      (株取引により10億の利益)

1989年5月  公明党委員長を辞任。同党最高顧問に就任。
1993年6月  政界を引退。以降は政治評論家に転身。「闇の流れ」「黒い手帖」等の
       連載・出版行う。

2005年4月   CPが杉山青、弓谷男を呼び、「最後の最大の敵である矢野をやる」と宣言し細々と指示。

2005年5月14日 欧州から急きょ帰国し戸田国際に直行した矢野を谷川、弓谷らがつるし上げる。
2005年5月  創価学会から激しい非難を浴び、矢野は謝罪し、評論・執筆活動を自粛。
      夕刊紙に連載していたコラムも中止に。公明党OB3人に手帳を渡す。

2005年7月   弓谷男子部長解任事件。
2005年7月   週刊現代「学会&公明党のタブ――矢野極秘メモ100冊が待ち去られた!」
2005年8月   公明党議員OB3人が、『週刊現代』に掲載された記事で矢野の手帳を強
       奪したかのように報じられ名誉を傷つけられたとして、矢野と講談社らを提訴。

2007年12月  手帳裁判の一審判決。学会側が全面勝利。矢野に総額660万円の損害賠償
       金の支払いと謝罪広告の掲載を命じ、手帳返還請求を棄却する判決を言い
       渡した。

2008年5月1日 創価学会を(自主)退会。
2008年5月12日「評論家としての活動をやめるよう強要された」などとして学会と学会幹
       部を相手取り、5500万円の慰謝料を求める民事訴訟を起こした【1】。

2008年5月15日 週刊新潮「矢野絢也を窮鼠にした『創価学会』の脅迫と誹膀中傷」
2008年5月20日 谷川佳樹は、『週刊新潮』の矢野に関する記事で名誉を棄損されたとし
        て、矢野や新潮社らに1100万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めて提訴【2】。

2009年3月   手帳裁判の二審判決。学会側逆転敗訴。矢野側の主張を全面的に認め、
       持ち去った手帳の返却と合わせて300万円の支払いを命令。学会側による音
       声データの改竃を認定。

2009年6月  公明党議員OB3人が「闇の流れ」「黒い手帖」に記載された虚偽の記述
      で名誉を棄損されたとして、講談社と矢野らを相手に6600万円の損害賠償と
      謝罪広告の掲載等を求めて提訴【3】。
       また「新潮45」2009年6月号の記事についても同様に名誉毀損にあたると
      して、3300万円の損害賠償等を求めて提訴した【4】。別件裁判でのICレコ
      ーダーの音声データ改ざん認定の汚名返上を狙う。

2009年9月  最高裁が二審判決を支持、上告を受理しない決定を下し、学会側の敗訴が
      確定。
2011年1月  東京地裁が谷川勝訴の一審判決。矢野・週刊新潮・早瀬編集長に33万円の
      賠償金の支払いを命じたが、その一方で、谷川が矢野を脅迫した事実は認定
      された。双方が判決を不服として、東京高裁に控訴。

2011年4月  谷川・矢野二審裁判の裁判長が交代。和解勧告の流れへ。
2011年10月 矢野の暴露本第一弾「乱脈経埋――創価学会vs国税庁の暗闘ドキュメント」発刊
2011年10月 週刊文春「池田名誉会長『厳戒病室』本当の病状」
2011年12月 週刊文春「読者より」投稿欄の中に「編集長から」
      (小さなべ夕記事で疑惑の手打ち!)
2011年12月 竹岡光城(※現男子部長)の結婚式
      (和解の舞台裏の面々勢揃い、父親はヤモトモの部下で謀略部隊の一員)

2012年2月  双方が裁判所の勧告を受け入れ、【1】~【4】の4件すべての訴訟を取り下げた。

2012年2月  アクセスジャーナルが矢野と学会との和解をスクープ。
2012年2月  週刊朝日3月9日号「(矢野・学会和解の陰で)お蔵入りした『暴力団』
      本の中身」
2012年3月  FACTA4月号「(矢野との和解で)創価学会次期会長に谷川事務総長が確定」
2012年7月  週刊実話7月19日号でFACTAの記事を「山田直樹」の名前で蒸し返す。

*弓谷くん
何故、創価学会は仏敵と和解などしたんだろうか。
失ったものの大きさ。。その代償はなんだったんだろうか?。

追伸:一部補足をしています。矢野はすごい豪邸にすんでますね。竹入と仕組んだ学会か
らの党分離により党の財政を私物化し、8億ともいわれる党資金を私用でつかったとされ
ている。(先生の矢野糾弾の中で8億という数字がでていました。)
 

肩を叩く

 投稿者:サンダーバード  投稿日:2016年12月30日(金)15時32分43秒
  弓「失脚する三カ月ほど前、拙者は侍若衆の代表として殿に呼ばれた。その時、殿より矢野明電の守を徹底的に叩くことを命ぜられたのだ」

ヨッシーさん、どこを叩くのか具体的にお願いします、杉さんも同坐してたのですか。

私が思うに、肩のこりをほぐしてあげに行きなさいと、命ぜられたのでしょう。
 

「信濃藩家中見聞」-外伝 “弓と森”  前編

 投稿者:ヨッシー  投稿日:2016年12月30日(金)14時59分57秒
  隠密同心  心得の条
他人が命 なんとも思わず
査問の儀、あくまで陰にて
己の淫行伏し
ご下命いかにても果すべし
なお
死して屍拾う者なし!
死して屍拾う者なし!!


弓「オヌシも、今や“犬”の身かえ」

森「しゃあないわ、ワテも脛に傷持つ身や、勃樹は嫌らいやが、今は点数稼がなあかんしな」

弓「お互いせつないのう」

森「オヌシは要領ええやんか、あれだけの騒ぎを起こしとっても、拾おてもらえたんやし」

弓「まあな。だが、あの騒ぎには、いろいろ裏があったんだぜえ」

森「裏やって?」

弓「そうよ、拙者が失脚したことで得をした者がおる。オヌシは、誰が一番得をしたと思う?」

森「そら、誰がどうみても、化猫丹治(かねこ・たんじ)の一味やろな」

弓「その通り。拙者が勤めていた侍若衆は、若頭以下、要職はぜんぶ化猫配下の連中で占められた」

森「せやったな。“化猫組にあらずば若衆にあらず” ってなもんや。それもこれも、お側用人の中野擁丹が、殿に化猫を押しまくっとったさかいな」

弓「そう考えれば、拙者を追い落とした奴が誰かは一目瞭然だろ」

森「なんや? 助兵衛、オヌシの失脚は陰謀やったと? てっきり身から出た錆だと思っておった」

弓「ま、不徳の致すところは間違いござらん。だがな、前年の秋、身辺整理は済んでおったのだ」

森「どないうことや? たしか、オヌシは暮れに、祝言を挙げとったのう」

弓「そうだ、一人のおなごに絞るのは、手を付けるより大変だったが」

森「そらそやろ、聞くところによると、これまで契りを結んだおなごは、ミニマム8人、マキシマム20人やったとか、、、"来世は必ずソチと一緒になる" などと歯の浮くような空手形を乱発したいうことやないか。よく整理しよったのう」

弓「まあな、当時の大老・秋谷嫌師守殿をはじめ、おっさん達の力を借りて、なんとかお側用人方の女官だった今の女房を娶ったのさ」

森「せやけど、前年すべて片が付いてたのやったら、なしてあのようなことに?」

弓「それが、よくある、、、」

森「よくある、なんや?」

弓「女房がすぐに身ごもってしもうて、、、」

森「めでたいことやないか。それが、どないした?」

弓「女房の腹が大きくなると、、、。あっちの方もご無沙汰に、、、」

森「そらしゃあないわな、女房殿がご懐妊では。我慢もせにゃ、、、」

弓「でもってさ、皆が、天下分け目の江戸の法戦に戦っている最中、昔のおなごと焼け木杭に火が付いてしもうてな、、、」

森「なんやと? オヌシはあの法戦の最中、昔のおなごとチョメチョメしよったのか、、、」

弓「本当に、本当に面目ないm(_ _)m」

森「嫁が妊娠中の亭主の浮気ちゅうやつか。骨の髄までケダモノやなぁ~、オヌシは。ほんでどないなったんや」

弓「そこで出てくるのが、化猫じゃ。拙者とそのおなごとのことを嗅ぎつけた化猫の一計で、城中の奥方連中の間に、鎖盟流(チェーンメイル)が流れたんだ」

森「鎖盟流とな!!」

弓「そうだ。それが、回りまわって、まぐわったおなごの母君の耳に、、、。その母君というのが、殿の信任の最も厚いマル女の、、、」

森「なるほど! それでやな、殿が親の猛抗議で、夜中、丑三つ時まで寝せてもらえんかったと申されたんは、、、」

弓「そうだ。殿にそこまでできるのは、その母君しかおらんからな、、、」

森「そらよくわかる話やで、せやけど、前年、オヌシの身辺整理を後押ししてくれよった前大老・嫌師守殿らは、守って下さらなかったんかいな?」

弓「状況が変わったからな」

森「どないうことや?」

弓「失脚する三カ月ほど前、拙者は侍若衆の代表として殿に呼ばれた。その時、殿より矢野明電の守を徹底的に叩くことを命ぜられたのだ」

森「ほー、そないなことが、、、」

弓「オヌシも知っての通り、それまで明電の守に対する藩の対応は、極めて曖昧なものだった」

森「たしかに、、、そないな空気やったな」

弓「それは当時、明電の守と裏で繋がっていた秋谷大老が、手綱を引いていたからだ」

森「そらわかるでえ」

弓「だが、殿から直接命を受けた拙者は、やる気満々だった。これで思う存分、明電を叩けると、、、これを成し遂げれば間違いなく拙者の時代が来ると、、、」

森「その直後かいな、オヌシの女問題が発覚したんは」

弓「そうだ、それまでだって役臣たちの女問題はたくさんあったが、あそこまで事を大きくされ、殿にまで細かな報告が上がったのは初めてだった」

森「なるほど、オヌシの明電攻撃を止めさせたい大老に、格好の材料を与えてしまったいう訳やな」

弓「そういうことだ。いつもなら隠ぺいして無処分、もしくは、遠くへ飛ばしてハイ終わりだったくせに」

森「せやけど、あの人数に手え出してはなぁー、、」

弓「それをいうなよ」

森「まあな、たしかに不祥事が起きたかて、たいがい上層部も、己らの監督責任を問われるのを恐れて握りつぶし、遠くへ追い払ってお茶を濁すのが常套手段やったもんな」

弓「その通り、あわよくば隠ぺいしてやったことを恩に着せて、使い勝手のいい子分にさせることも、、、」

森「思いあたる奴がぎょうさんいてるなあー」(ちょっと、ワシもその一人やが、、、)

弓「ところが、あの時ばかりは違った。事の子細が殿の耳に入ったばかりか、世間の瓦版にまで載ってしまった」

森「そやねんな、殿がご出席の藩全体寄合の内容まで流れてもうて、殿の激怒の模様がありていに書かれてもうたわな。有名な『あっちも、こっちも』や」

弓「それで、俺は、ハッと気づいたんだ、、、」


(つづく)
 

「しあわせになった私」

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年12月30日(金)14時15分9秒
  涙・涙・涙・・・凄い御本尊様です・・  

『しあわせになった私』

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年12月30日(金)13時59分58秒
  私は千葉県の松戸市立松飛小学校4年1組、鎌田千秋です。
私は青森県三沢市で生れました。5歳の時、家庭のじじょう
でおとうさんとわかれておかあさんと2人で松戸にきました。2年ぐらいた
った時、おかあさんは私をつれてさいこんしました。新しいおとうさん
は、お酒が大すきで朝からばんまでお酒をのんで、仕事もしませんでした。

おかあさんと私は毎日毎晩いじめられて家にいると、ころされる位ぶたれ、
そのたびにひっしになって外へにげました。山の中で二人ですごしたことは
数えきれません。おかあさんもそのたびに私をしっかとむねにだきしめて、
「千秋、大きくなったら、おかあさんのぶんまでしあわせになるんだよ」と言
いました。2年生のある日、私が、学校へいっている間に、とうとうお

かあさんはがまんできず、私をのこして家を出て行きました。その日からお
とうさんとくらしていましたが、自分はお酒をのんで私にはごはんをつくっ
てくれませんでした。おかあさんがいなくなったので、ますます私をころす

みたいにホウキでぶち、小さな私のからだはいつも、あざだらけでした。そ
のたびに私をおいていったおかあさんがこいしくてどこへいったかと毎日毎
日学校にもいかず、さがしてあるきました。夜、おかあさんとにげた山へ、

もしかして来ているのではないかと一人で行ってみましたが、だれもいませ
んでした。そのままつかれてねてしまったこともありました。10日位た
ったころ、そのおとうさんも私を一人おいて、家をでていきました。とうと
う一人きりになったとき、どうして私はおとうさんやおかあさんにすてられ

なければならないのかと、毎日泣いていました。たった一人になった私は、
しんせきの家でめんどうをみてくれるといって、ひきとられました。おば
さんの家にもおとうさんがいませんでした。そこには5年生と6年生の女の
きょうだいがいました。私もその日から家族同ようにくらしましたが、女の
子が3人あつまるとかならず私は一人になってさびしいおもいをしました。

そのたびに、おばさんも「きょうだいのなかがわるいので、こまった、こま
った」と言っていました。私も、しんせきの家なので小さくなっていました
。おばさんもとうとう私をこれ以上めんどうをみることは出来ないといって

どこへも行くあてのない私をしせつにやると言いました。おばさんの家
には、ごほんぞんさまがありました。私は「これなあに?」おばさんにきき
ました。すると「千秋、このごほんぞんさまはどんなねがいもかなえること
が出来るすばらしいごほんぞんさまですよ。おかあさんに1日でもはやく帰
ってきてほしければ一生けんめいに御きねんをしなさい」と言われました。

はやく帰ってきてほしいので、おかあさんのことをごほんぞんさまに御きね
んをして、題目をあげました。そうして少年部員会にも出席して、お姉さん
やお兄さんのたいけんをききました。私も必ずねがいのかなうようおだ
いもくをとなえました。そのとき少年部の佐藤さんというお兄さんに「法華
経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる」というもんしょうをならい
ました。私は冬でした。学校の授業参観日には、おかあさんがいないので、

お友達のおかあさんを見て、親子で顔を合わせているのを見たとき、私は「
うらやましい」と泣いたこともありました。私にはおかあさんがいなくとも
ごほんぞんさまと池田先生が守ってくださると、自分にいいきかせて、かく
しんをもって毎日1時間のお題目をとなえました。ちょうど、お題目が100

万べんをすぎた時、近くにすむ鎌田さんの家で子どもがいないので私をよう
女としてもらってくれるというお話がありました。その時、ごほんぞんさまは
本当にすばらしい。私のねがいをきいてくれました。おかあさんが帰って来

たわけではありませんが、新しいおとうさん、おかあさんが出来て、2月16
日鎌田さんの家にいきました。2月16日といえば日蓮大聖人さまのおたんじ
ょうびです。この日に私はみごとにしゅくめいてんかんができました。鎌
田さんの家も学会員です。その晩は、新しいおとうさん、おかあさん、私と

3人でごほんぞんさまの前で「ありがとうございました」とお礼をいいまし
た。池田先生、私は今までふこうで泣いてばかりいましたけれども、ごほん
ぞんさまのくどくでしあわせになりました。「池田先生のおっしゃるでん
じの人に、必ず育ちます。みていてください」このすばらしいごほんぞんさ
まを知らないお友達にお話していくことをちかいました。鎌田さんの家に来

てからは、服もくつも、皆新しいものを着て学校へ行きました。するとお友
達やたんにんの先生まで目をキョロキョロして、どうしたの、まるでシンデ
レラひめみたいと、私がきゅうにへんしんしたのでおどろいていました。本
当に御書のとおり冬から春になりました。私はげんざいしあわせです。今ま

では勉強も頭の中に入りませんでした。たんにんの先生が家庭ほうもんに来
て、「千秋さんは、ちかごろ本当に明るくなりましたね。先生もおどろいて
いるのよ」と言われました。私は「信心をしているおかげです」と答えまし
た。これからは今までのぶんまで勉強に力を入れてせいせきがよくなるよう

にがんばります。そうして、池田先生におあいしたいので、現在の私のねが
いは、かならずかなうようにごほんぞんさまに御きねんをしております。か
ならずねがいがかなうことをかくしんしています。私の大好きな御書の中で

四条金吾殿御返事に「いかなる乞食(こつじき)には・なるとも法華経にき
ずをつけ給うべからず」があります。そのいみは「信心をしている私たちが
たとえ、たべていけないようになってもごほんぞんさまにきずをつけるよう

な行動をしてはいけない」ということを新しいおかあさんからおそわりまし
た。人生の中のしっぱいも苦しみも、すべて未来のためのざいさんになる
んだとも、教えてくれました。ごほんぞんさまが私をきたえてくれているん
だと信じています。どのようなこんなんにであってもけっしてしりぞかない

、勇気ある少女部員にそだっていきます。池田先生を師しょうにもった私は
、さいこうのこうふくものです。これで私のたいけんをおわります。

●『前進1974/11月号NO.174』
 

劔捨様の投稿より

 投稿者:まいえっくす爺  投稿日:2016年12月30日(金)10時25分37秒
  いよいよ新・人間革命30巻「大山」より開始である。
池田先生お一人の人間革命歴史の完結である。
随筆79の真実が執筆されなければ、創価三代の魂はない!!!
54年執行部の裏切りの本質の流れは今も変わらずである。
本部幹部会(本番)の先生の激怒もすべて54年の裏切りにある。
悲しいが創価学会の未来は堕落の方向への始まりである。


創価三代の心と一にする 執行部側近幹部よ! 全職員よ!
戦え!戦え! 目を覚ませ! 戦え!戦え! 目を覚ませ!


http://6027.teacup.com/situation/bbs/62122
 

ケアレス・ウィスパー

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2016年12月30日(金)10時22分44秒
  黄金柱様
『大山1』の速報、ありがとうございます。お約束通り、1979年2月16日ホンコンからスタートですね。

一つ、私が変によく覚えているのですが、1990年頃、池田先生が一度スピーチで「あまり好きじゃない言葉だが」と前置きして“絆”という言葉を使われました。
東日本大震災以来、流行語の様になった“絆”という言葉ですが、なぜ池田先生は「あまり好きじゃない」のでしょうね。「もたれ合い」であってはならない、自分の頭で考えて、「一人立つ」精神がなければならない、ということでしょうか。

東京にいた頃、私もそんな一人でしたが、年末年始になると「民族大移動」が一斉行動として行われる。「みんな一緒」じゃなきゃダメ。独りは不安だし。村八分はもっと怖いし。
「嵐の4・24」は「みんな一緒」になって、誰も反対することなく、第三代会長の生首を差し出すことで宗門権力様のお怒りを鎮めた……これも“絆”???

「魂の独立」なんか本当にあったのか分からないが、今度は自民党権力様がお怒りにならないように。誰だ? 安保法制反対などという奴は! また池田か……奴め、トインビー対談で余計なこと言いやがって。しかし「♪故意も二度目なら少しは上手に~哀のメッセージ~伝えたい~」(中森明菜?)という。上手く、会員の方を切ろう!? ザ・絆!!

『大山』で冬を過ごして、春、どう咲くか。様子を見ましょう。

“もう二度と あんな風には踊れない 罪の意識を背負ってたんじゃ”
“心の底からリズムに乗って 踊るなんて無理なんだ そうじゃない”
“フリもやればできるけど そんなことをしてみても 誤魔化せるわけないよ”
“友だちを裏切るなんてバカだった せっかくチャンスがあったのに”
“だからこの先もう二度と あの頃一緒にそうしたように 無邪気にダンスはできやしない”
『ケアレス・ウィスパー』ジョージ・マイケル
https://www.youtube.com/watch?v=71IIZWKcepQ

(ジョーカーさん、2017年に向けて、年内にもう一回、何か投稿して下さいね!)

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
http://amzn.to/2fxRlFX
 

お見事

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2016年12月30日(金)09時45分44秒
編集済
  カンピースさんの昨日29日の投稿はズバリです(笑)

全面的に同感です。

特に下記の部分は全くその通り。

>さらにお笑いで~す(笑)

>連日、全力で疾走、繰り返される宗門僧の攻撃から会員を守るため、烈風を一身に受けて突き

>進む、勇猛果敢な師子の姿が、つづられていきます<

>(12月29日政教珍聞より引用)

>師子としたのはどうしてデスか~(笑) 師匠は確かに、勇猛果敢でした~、でも弟子(執行

>部)は師匠を裏切って、自身の安全を求めたので~す。

>原田怪鳥様、後日のことデスが、空き家サマが政教珍聞に、弟子が敗北したとハッキリ書かれ

>ているのを知らないのデスか~(笑)

>なんか、師匠(先生)とともに弟子(執行部)も戦ったんだ~的な、言い訳のような表現はや

>めましょ~う(笑)

この第一次宗門問題の際もしかり、今回の第二次宗門問題もしかりです。

会員さんの手前、会合や聖教新聞紙上では威勢が良いですが、煽るだけで、言いたい放題言って

いますが、現実には言っているだけでリアルにガチで戦った事など見た事も聞いた事もありませ

ん(笑)四の五の言って実際は何もしていません、というか何も出来ません。

さも戦ったかのような言い方は止めてもらいたいものです。

敵からどれだけ先生に対する非難中傷があっても学会員さんがバカにされても何の反応も反撃も

しない信濃町界隈の方々が、ご自分たちの事を言われたくらいで、それも敵ではなく会員さんか

ら言われただけで過敏に反応し、目くじらたてて対策とやらを行っている事は滑稽の極み。

やればやるほどご自分たちのすねに傷があること、後ろめたさを証明しているようなもの(笑)

カンピースさん同様、師匠(先生)とともに弟子(執行部)も戦ったんだ~的な、言い訳のよう

な表現は止めましょう(笑)

何もしていない方々、言うだけの方々、傍観している方々には語る資格は全くありません。

現場で本気で戦ってきた方々、戦っている方々に失礼です。

今後気をつけましょう(笑)

ネット対策の面々も1年ご苦労さんでした。ちゃんと報告書あげておいてね。


それでは宿坊の掲示板をご覧の皆様。各論客の皆様。これで2016年の投稿納めとさせて頂きます

今年もお世話になりました。明年も宜しくお願い致します。

寒さも本格的になっています、お身体ご自愛の上、穏やかな年末年始をお過ごし下さい。





 

SP元旦号 2017です。

 投稿者:黄金柱  投稿日:2016年12月30日(金)09時21分11秒
  皆様おはようございます。

元旦号届きましたので掲載しました。
新人間革命は予定通りですが、これからですね。。
しかし聖教新社屋には驚きましたが・・それとも記念館として残すためか・・・?
 

【定期】「教学部レポート」「遠藤文書」のご案内!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年12月30日(金)09時18分12秒
  【教義変更の経緯・今の執行部の狂いの元を知る為に】

■教学部レポートを読みたい方
★☆詳しくはこちらから☆★
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56053

希望者には「遠藤文書」もお送りしています。併せて読むと事実の経過がより判ります。

【ご参考】遠藤文書の概要
http://6027.teacup.com/situation/bbs/20205

【ご参考】「教学部レポートとは」(英訳あり)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/53571

送付までは1~2週間程度かかる場合があります。

《注》確認が必要な方にメールを送っています。レポートが届いていない等、お心あたりのある方はメールの着信をご確認ください。
 

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