2016年が終わる。

 世界中で「分断」「亀裂」があらわになった。

 ニッポンは、どうか。

 「言葉」で振り返る。

 政治では、悲しいかな、ことしもカネの問題があった。

 「私の政治家としての美学、生き様に反する」

 業者から現金をもらった甘利明経済再生相は1月に、こんな発言を残して閣僚を辞めた。その後の国会を「睡眠障害」で欠席し、関係者の不起訴が決まると、さっさと復帰した。

 「公用車は『動く知事室』」

 東京都の舛添要一知事は公用車での別荘通いや、1泊20万円のホテル滞在で袋だたきにあった。そのうえ政治資金の私的流用を「せこい」と酷評され、6月に知事の座を追われた。

 「飲むのが好きなので、誘われれば嫌と言えない性分」

 700万円近い政務活動費を飲食やゴルフなどに使った富山市議が8月に辞職した。似たような地方議員の税金乱費が、各地でぼろぼろと見つかった。

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 国会はさながら「安倍1強」劇場だった。安倍晋三首相は夏の参院選に勝ち、自民党総裁の任期延長に異論も出ない。

 「結党以来、強行採決をしようと考えたことはない」

 「こんな議論を何時間やっても同じですよ」

 首相の答弁は、ぞんざいさを増し、与党は「数の力」で採決を強行していった。

 国連平和維持活動(PKO)に派遣する自衛隊に「駆けつけ警護」の新任務を与えた。強引に憲法解釈を変えた安全保障関連法の初めての具体化だが、首相の言葉は軽かった。

 「もちろん南スーダンは、例えば我々が今いるこの永田町と比べればはるかに危険な場所」

 南スーダンでは武器で人が殺されている。それを稲田朋美防衛相はこう説明した。

 「それは法的な意味における戦闘行為ではなく衝突である」

 この種の「言い換え」が増えた。沖縄県でのオスプレイ大破は「不時着」だった。安倍政権は「積極的平和主義」で「武器輸出三原則」を葬り、「防衛装備移転三原則」と称している。

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 ご都合主義的な言葉づかいの極みが、首相の6月の消費増税先送り会見で飛び出した。

 「再延期するとの判断は、これまでの約束とは異なる新しい判断だ」

 「新しい判断」は公約違反の逃げ口上だ。2年前には「再び延期することはない。ここでみなさんに、はっきりとそう断言する」と言ったのだから。

 しかも国会での追及をかわそうと、閉会直後に表明した。ところが、野党も増税延期を唱えていたため、参院選の争点にすらならなかった。

 「確実な未来」である人口減少と超高齢社会に備えるための国民の負担増を、政治家が先送りし、多くの有権者がそれを歓迎、あるいは追認した。

 医療も介護も年金も生活保護も子育ても、財源難にあえいでいる。この厳しい現実から目をそむけ、社会全体が「何とかなるさ」とつぶやきながら、流されてゆくかのようだ。

 その流れは、政治家の粗雑な答弁や暴言をも、のみ込んでしまっているようにも見える。

 この夏、101歳で逝ったジャーナリスト、むのたけじさんの著作に次の一節がある。

 「(日本人が)ずるずるべったり潮流に押し流されていくのがたまらなかった」

 敗戦直後の世の中への感想だが、どこか現在に通じないか。

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 9月、安倍首相は所信表明演説で言い切った。

 「非正規(労働)という言葉を、みなさん、この国から一掃しようではありませんか」

 だが、働き方の問題は深刻かつ多岐にわたる。

 「保育園落ちた日本死ね!!!」

 この匿名のブログへの反響の大きさが、待機児童問題の窮状を物語っている。

 過労自殺した電通の女性社員(24)の言葉も切ない。

 「大好きで大切なお母さん。さようなら。ありがとう。人生も仕事もすべてがつらいです」

 衝撃的な事件があった。

 相模原市の障害者施設で19人を殺害した男は言った。

 「障害者は生きていても無駄だ」

 この異常な偏見に対する確固たる反論を、だれもが心に堅持し続けねばならない。

 ことしも、いじめを苦にした自殺を防げなかった。原発事故の自主避難先で、いじめられた少年の手記が話題になった。

 「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」

 それぞれの「言葉」が、ニッポンのありのままの姿を映している。だから聞き流すまい。立ち止まって受け止めよう。

 このまま来年も流されてしまわぬように。