核と人類の命運とを一手に握る米大統領の、いよいよ交代です。時代がうねる年明け。核廃絶への暗がりに、被爆国日本がかざすべき平和の松明(たいまつ)とは。
来月の交代時、その黒カバンは恐らく最高機密の引き継ぎ案件となるのでしょう。中身は米大統領の核攻撃用指令装置、俗称「核ボタン」。今年、オバマ大統領と共に広島にも持ち込まれました。
七十一年前の爆心地で、当事国の首脳が核廃絶への誓いを新たにする傍らに、核攻撃装置がちらつく光景は、人類が抱える矛盾をまさに象徴しているようでした。
それは唯一の被爆国日本だからこそ際立つ矛盾であり、その後も国連などで幾度か際立ちました。直近は十一月、日本とインドの原子力協定署名です。
核保有国なのに核拡散防止条約(NPT)未加盟のインドに原発を輸出する。核兵器に転用されるかもしれず、核軍縮に逆行する矛盾です。しかも、傷心まだ癒えぬ原発被災地の人々にも背を向け、また別の矛盾が重なります。
そこまでして、日本が原発輸出に執着するのはなぜか。
今年六月、米テレビでのバイデン米副大統領の発言が、微妙な含意をもって響きます。
北朝鮮の核抑止に真剣に取り組むよう、中国に求めた席で「さもなくば日本は一夜で核武装ができるのだから」と釘(くぎ)を刺したことを自ら明かしたのです。
真意は定かでないが、定かなことは、原発大国の日本が、核兵器製造に必要な技術・施設を一式国内に完備している事実です。そんな国は、NPT下の非核保有国で日本だけ。これを踏まえれば、発言の真意は、日本の原発を「潜在的核抑止力」に見立てた外交戦略の一環だったかもしれません。
◆同盟とは別次元の理想
外交上もそれほど重要な原発技術だからこそ、多少の矛盾は押し切っても何とか維持したい。インドへの原発輸出も、つまりはそういうことでしょうか。
核の矛盾が押し切られる時の言い訳は大抵「核抑止力」に頼るためです。日米同盟でいえば、日本は米国の「核の傘」に入るしかない。それが安全保障政策の紛れもない現実ではあります。
しかし、ここで立ち戻るべきは私たちの原点です。そもそも戦後日本の平和主義は、原爆のむごたらしさを基点に戦争の愚を悟った当時の人々が、不戦の誓いを新憲法にも刻み、代々守り継いできたものでした。被爆国日本ならではの気概ともいえるでしょう。
少し前まで多くの日本人の心には、そうした非核の気概がしっかりと息づいていたはずです。
一九九八年五月中旬。インドの核実験翌朝、都内の大使館前に現れた武村正義・新党さきがけ代表(当時)は、ぶぜんとして「マハトマ・ガンジーの国なのに。残念というより悲しい」と語りながら館内へ入り、抗議文を手渡した−。本紙の夕刊報道です。
非暴力主義の国父に独立を導かれた国が、究極の暴力というべき核兵器を手にする矛盾。紙面からは、冷戦後の時代にも逆行するインドに、日本の人々が募らせた悲憤が伝わってくるようです。
国際社会においても、被爆国にしか果たせぬ使命は明快でした。苛酷な被爆体験を遠く未来の人類にまで伝え続け、核兵器の非人道性を広く知らしめることによって核廃絶の先導役を担うのです。
多分、終戦体験世代が高齢化するにつれ、日本の政治は専ら、日米同盟を重視する現実路線に舵(かじ)を切り、核廃絶の理想はあえて遠ざけてもいるように見えます。
けれど、核廃絶で目指す人類普遍の恒久平和と、「核抑止力」で同盟や国益を仮想敵から守る「平和」とは、およそ別次元です。政治もこの際、核政策は米国に気遣うことなく、現実の安全保障政策と切り離して、別々に取り組んではどうか。「核の傘」が欠かせぬ政治の現実は理解するにしても、人類の核廃絶を希求する私たちの心まで、日米同盟に支配される道理はないのだから。
◆原爆の対抗では滅ばず
マハトマ・ガンジーが日本への原爆投下の約一年後、公表した論考『原爆と非暴力』の一節から。その要約です。
<原爆がもたらした最大の悲劇から正しく引き出される教訓は、暴力が対抗的な暴力によっては打破できないように、原爆も原爆の対抗によって滅ぼされることはないということだ。人類は非暴力によってのみ暴力から脱出せねばならない。憎悪は愛によってのみ克服される。対抗的な憎悪は、ただ憎悪を深めるのみである>
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