毎年夏と冬に有明に行くようになって、かれこれ10年を数える。
初めてコミックマーケットに参加したのは中学二年生の冬。当時好きだった個人サイトの方がサークルを出すというので初めてその名を耳にし、一体それがどんなイベントなのかも曖昧なまま、朝8時頃から冷たい海風の吹き付ける駐車場に並び始めたのを覚えている。
実際に会場へ足を踏み入れる前、私が「コミックマーケット」に対して抱いていたイメージは、同じ作品を愛好する人々が集うお茶会のようなものだった。お茶会とは言わないまでも、ちょっとしたサロンのように、集った参加者同士が声をかけ、語らいあう、そんな交流の場を思い描いていた。恥ずかしながら、人が私に声をかけるきっかけになればと、私はフェルトで好きなキャラクターのマスコットを手作りし、鞄にちょこんとつけたりまでした(当時大好きだった鋼の錬金術師のエドとウィンリィだった)。それを見た誰かが、「可愛いですね、私もハガレンが好きなんですよ」と話しかけてくれることを祈って。
全然違った。
実際のコミケは、私が事前に思い描いていたそれと、全然違った。
人々はお目当てのサークルに一目散に突進し、黙々と本を漁り、一般参加者同士の交流などほとんどない。みんな、自分一人だった。何人か親しげにサークル主と話し合っている人もいたが、人見知りの自分にそんな勇気は到底なかった。ましてや自分は周りの参加者と比べても明らかに幼すぎた。
私はビクビクしながら二、三冊の薄い本(全年齢)を買い、会場をあとにした。
ただ一つだけコミケが私の事前イメージと違わなかったのは、それが間違いなく「俺たち、私たちの場所である」という、会場を包み込む帰属意識だった。
そして私はその帰属意識にのめり込んだ。そこには自分の居場所があるように錯覚した。
その翌年の夏コミも私はコミケに参加した。今度は他のアニメ好きの友達も誘った。その年の冬コミには始発から並んだ。
ことに、勉強に生き勉強のため生きた高校三年間などは、盆の三日間が終われば年末の三日間を、年が明ければまた夏の盛りを、指折り数えて生きるほどに、私はコミケに依存した。
この十年間、サマースクールで東京を離れた一回を除き、二年にわたる海外留学の期間でさえ一時帰国にかこつけて日本に戻り、一度も欠かさずにコミケに参加してきた。
依存していた。
国外の友人に列移動のラプス動画をシェアしては、コミケのスタッフと参加者がいかに統率されているかをこれ見よがしに語り、会場独自の暗黙のルールがあることを誇ってさえもいた。
「社会不適合」なんて言葉で自らを揶揄する人々も(もちろんそうではない人々も)誰もが許され、自分らしくいられる場であるのだと、そう思っていた。
そんなわけなかったよね。
自分らしくの意味、過大解釈していたよね、自分。
先に断っておくと、私がコミケを愛していることに変わりはないし、誇らしく思うことも、これからも参加を続けるだろうことも変わらない。
ただ、なんというか、これまで自分は無意識にその場所を自由の象徴として賛美していたけれど、それは少し違ったよね、という当たり前の気づきについて語っている。
まさしくコミケは、人々が自分の思いを表現し、その人らしくあれる場、だと思う。
でもその場所を守るために、数多のルールが敷かれ、人々は無言のうちに互いを監視しあっている。それは日本社会からの逃避や解放ではなく、むしろ極めて純粋な日本社会の再現ではないか。人々が「適合できない」と言った、まさにその日本社会の。
彼女たちがイベントへの参加に関心を示して以来、どこにも明文化されていない数多の「ルール」を、訓練されたTwitter民が盛んに教えたという。
叶姉妹のマーケティングは一流だったと思う。部外者への拒否反応の強いオタク界隈に巧みに溶け込み、「売名のためだけにコミケを利用するな」というバッシングになりえた全体意見を極めて好意的なものに変え、自分たちを「拝む」対象のキャラクターとして確立した。私のタイムラインでも、怖くなるほど、彼女達に対するネガティブな意見を一切見かけなかった。
実際叶姉妹が東ホールに入場した時、私はちょうどその場に居合わせたのだけど、驚いた。多くの参加者が、携帯を取り出し、自分のスペースを立ち、大きなうねりとなって有名人の後ろを追いかけていった。ホール一面がざわめきに包まれた。
そこで私が見たのは大衆だった。一人一人ではなく、人気ゆえに人気を讃える大衆だった。
そういえば全てがそうだった。人気ジャンル、大手サークル。大衆理論に基づいたイベント、それこそがコミックマーケットだった。
帰り、ビッグサイトから東京駅までの直通バスに乗った。
渋滞に巻き込まれたバスは通常より二倍とも思える時間をかけてノロノロと進む。人いきれで車内は熱され、窓は一面白く曇った。多分、乗客はみんな疲れて、イライラしていたと思う。
私は普段一人で乗るときは本を読む。しかしこの日はたまたま友人たちと乗り合わせており、話をしながら車内の時を過ごしていた。
大きな声を出していた自覚はなかったのだが、もともと自分は声がいわゆるアニメ声に近いところがあり甲高く、演劇向けでよく通ると言われており、そのことに気が至らず話していたためだろう、前に立っていた一人のオタク男性がくるりとこちらを振り向き、こう言った。
「さっきから喋ってるアンタさぁ、車内って普通喋る場所じゃないだろ。楽しいのは分かるけどさ、静かにしろよ」
私は何度も謝罪したが、車内はシーンと凍りついたようになってしまった。
昔、両親に「お前がいると空気が悪くなる」と言われたことを思い出し、またしても私は自分の存在が人々を不快にしてしまったと、反省する気持ちの中に少しだけかなしくなってしまった。
もちろんこのこと自体は、男性が言う通り、公共の場で周囲に気を遣わず話をしていた私に非がある。社会マナーの欠如。
それを承知であえて言うならば、でも私は、そうしたルールの上に成り立つコミケが、私は好きで、でも同じ土台の上に立つ日本社会が、大嫌いだった。
私は大学一年の頃、海外の学生を引率して日本各地でディスカッションをする学生団体の活動に従事していたことがある。
そこの同い年のサブリーダーが、とても厳格で、ルールに厳しい人だった。
一年を通じた活動の間、ズボラで柔軟さを重視する私と彼は、たびたび衝突した。彼自身は、実は心根が優しく、そのギャップが私は大好きだったのだが(本当に、アニメキャラだったら一番好きなタイプだった)、共に企画を進める中でストレスが溜まり、私は一年の終わり、海外の学生を招いたその最も重要な本番一週間に高熱を出し寝込んでしまい、週半ばからの参加になった。
薬で熱を下げ、途中で合流した私が見たのは、日本を訪れ、興奮したように駅のホームで話すアメリカからの学生達に対して、「アー・ユー・スチューピッド?」と怒鳴る彼の姿だった。
「ここは日本だ。郷に入ったら郷に従え。駅のホームでは騒ぐな」
アメリカの学生達は、うなだれたまま、何も喋らなくなってしまった。
それを見た途端、一年間私の中に折り重なってきたものの抑えが、決壊した。人前で負の感情を見せることは絶対にやめようと思うのに、ましてや人前で泣くことなんて絶対にごめんなのに、涙が溢れて止まらなくなってしまった。
自分が怒られたわけでもないのに突然シクシクやりだした私にアメリカの学生達はますます驚いてしまったことだろう。電車を降りたあと、一人の学生が私に近づき、そっと肩を抱いて、「Are you sad?」と聞いてくれた。
(ちなみに、これは私が生きてきた中で一番優しい言葉だった。なぜと問う代わりに、ただ、「悲しいの?」と聞く。それ以上は聞かない。代わりに抱きしめる。こんな優しさが、他にあるだろうか)
私はその一週間の後、翌年はその団体を続けることなく、やめた。日本組織に、私は属することができないと思った。
欧米では、人は好きな場所で、好きなように騒ぐ。声を上げる。公の場で自分はこれが好きでこれが嫌いだと言う。
フランスやスペインでは、電車の中の至るところで、金のないパフォーマーや、あるいは単なる乞食が、乗客の許可も得ずに大音量で音楽をがなりたて、それでも乗客は(たまに少し嫌な顔をするけれど)文句ひとつなく乗っている。
正直アメリカで、隣で私が寝ているのにも変わらず部屋で騒ぎ立てる人達に辟易したり、欧州の鉄道で押し付けパフォーマーをうるさく思ったことも何度もあるけれど、私はそのある種の寛容性と、他人への配慮のなさが、気楽でもあった。
海外には日本ほどルールがない(あるいは異邦人としての私が不文律に気づかなかったという可能性もあるにしろ)。
ルールに律された、訓練された日本社会は美しい。
それは内部にいる人々の自由を守ってくれる。日本は美しい。
けれど、それを当然として、それ以外のあり方を許容しないような形で誇るのは、オタク的な閉塞主義であり、日本社会の排外主義であり、私は、それが、ときどき、少しだけ、怖い。
自分は日本社会の同調思考と和の精神にどうしても馴染めない。
社会マナーも、常識として自然に身に付けることができない。マナーは、覚えるべき何かである。
あらゆる点において、私はいわゆる社会不適合者だ。
暇と金を見つけては海外に行き、留学も何回も経験し、日本社会から逃亡する、そのたびにまるで息継ぎをしているような気がする。
完璧すぎて、時に息苦しささえ感じる、日本。
今までずっと救いだと思っていたコミケは、そんな日本社会と、全く同じ構造をしていた。
改めて言うけれど、私はこれが悪いとか変えるべきだと言っているわけではなくて、単純に極めて明快な真実に、私が気づかずに10年を過ごしてきて、今更思い至ったということについて話している。
明日は大晦日。
私はまた朝早くから、その愛すべき人混みに身を投じに行く。
私はそれでも、コミケも、日本も、大好きで仕方がないのだ。