神風特攻隊について語るスレ

1411 : ななしのよっしん :2016/12/27(火) 08:11:45 ID: 1xJ1KH1bVB
つまり、アメリカで大恐慌が発生した時点で
大日本帝国が開戦して敗北し焦土となって降伏することは避けられなかった という自分の逆説的な意見でいいってこと?

失策 に関してもそれ以外の選択肢をとることはできなかった というなんだよね?
1412 : ななしのよっしん :2016/12/27(火) 08:15:03 ID: 1xJ1KH1bVB
宿命論に基づくと例えば日開戦にいたる近衛麿あたりの責任も うやむや というかなかったことになる。
時の人間にはそれしかなかった ということらしいのだから。

特攻隊を組織した上層部も 当時はそれしかなかった らしいのだから責任を追及したり非難する権利は 現代の々にはない ということ?
1413 : ななしのよっしん :2016/12/27(火) 08:18:10 ID: 1xJ1KH1bVB
>むしろ史実はが残って復できた分マシルートだったのかもしれない。
ましなルート という言葉をあなたが持ち出すはどういうこと?

当時の日本選択肢はなかったのでしょ?
それとも当時の日本に よりよい選択肢は存在せず、当時日本は史実以上のバッドルートを避けた最良の選択肢を選び続けた としたいの?
1414 : ななしのよっしん :2016/12/27(火) 08:20:21 ID: 1xJ1KH1bVB
>>過去日本の選択に問題があった。しかしそれ以外の選択肢を取ることは出来なかった。

上のレスと被るけど
当時の日本選択肢はなかった のか 当時の日本は常に"選びうる中で最良の"選択肢を選んでいった のどっちの意見なの?
1415 : ななしのよっしん :2016/12/27(火) 10:55:04 ID: Ae6T4ir5+f
日本が常にベストの選択を選んできたとは言わんし。愚かな行動をとった結果、が焦土になったことも否定はしない。だが、日本がしたのと同じくらい独ソ中も愚かな行動をとっていたので、日本一だけの行動を善したところで開戦が単に1941年12月8日でなくなるだけで世界史の流れは変わらない。
そういう「愚か」な人間が集中的にあの時代に登場し、最悪のタイミングで最悪の行動をやらかした
結果には原因が存在する。結果を変えるために原因をいじくるとそれはまた別の因果に伝播する。
歴史ifることに意味がないと言われる所以。
1416 : ななしのよっしん :2016/12/27(火) 12:16:00 ID: G+4FHeQmkI
>ID: 1xJ1KH1bVB

短文投稿サイトじゃないんだから、小刻みに区切ってレスすんな。まとめて返せよ。駄にログが流れるだろ。

それと議論と言ってたが、あんたのやってるのは議論じゃないぞ。
なんでなんで?とひたすら質問を繰り返す、所謂教えて君と呼ばれて嫌われるヤツの行為だ。意識にやってんなら気をつけな。
1417 : ななしのよっしん :2016/12/27(火) 14:44:41 ID: G+4FHeQmkI
っと、>>1414はこちらへの返信か。見落としてたわ。レス番号ぐらい付けてくれ。への返信かわからん。

他に取りうる選択肢かったのなら、最良も最悪もないだろう。選択の良し悪しってのは相対的に較して論じられるべきもんだ。較対すら存在しないのに、良いも悪いもへったくれもあるか。
あんたは一つだけの選択しか選ばざるを得ないときに、これは最良の選択肢だな、なんて思いながらそれを選ぶのか?

つかこっちの質問は視ですか。自分がきかれた事は視して相手に延々と質問を投げ続けるって、これ荒らし煽り的でよく使われるテクニックなんだがね……。
その質問も知的好奇心に基いてというより揚げ足取りを優先してるように見えるし、ひょっとして無知じゃなくて確信犯か?
1418 : ななしのよっしん :2016/12/27(火) 19:35:15 ID: QEEOLEK40V
http://blog.goo.ne.jp/ngc2497/e/ba5a09f8a081009c2f0cf2515f578088
元特攻隊員「特攻を然と賛美するらにが立つ」スレNTUY発狂

「何で生きてるんだよ」
「特攻もしてないのに元特攻隊員名乗るなよ
「生き残った恥さらしが何言ってんの」
「特攻隊名乗っていいのは死んだ特攻隊だけだろ」
1419 : ななしのよっしん :2016/12/29(木) 23:13:29 ID: S5DFIXvKAG
「代案」と「歴史の修正」か
無敵だわこりゃ
1420 : ななしのよっしん :2016/12/30(金) 01:28:50 ID: G+4FHeQmkI
そうやって化してに答えないあんたもな。

過去ログ見たら数年前から似たようなレスしてかしてねーし。
自分からは踏み込んで何かを言わず、ただ人の言うことに延々とケチつけてるだけ。かれたことは適当に流してに答えない。
これやってる限り負けないんだから、あんたの言うとおり「無敵」でしょうよw

で、結局、あの時の日本は他に何が出来たんだ?
散々批判してきたんだから、当然こうすりゃもっとマシだったってのがあるんだろ?
1421 : ななしのよっしん :2016/12/30(金) 03:30:03 ID: cHqy0f74gD
>>1420
いや、な話ドイツ降伏前に降伏するのが良かったんじゃないか
そもそも、長期戦ができないから一撃講和って方向性になっていたわけだけれど
ミッドウェーで負けてほぼ不可能になったんだから、潔く敗北を受け入れるべきだったな
特にドイツが降伏する前、優勢な時点で降伏することができればアメリカイギリス兵站が楽になっていたはずなんだわ
ソ連日本とは不可侵条約があったから交戦していないけれど
潜在的な敵対が後方からくなるから、その分ドイツに集中できるし

とりあえず中国大陸における権益、マーシャルフィリピンは確実に失うだろうけれど、それ以降は交渉次第かな

後、特攻戦術は長期戦、時間稼ぎ狙いなら全に愚策でしかない戦術だから
長期戦に向いた戦術ってのは敵にダメージを与えるより自軍の被を少しでも抑える事だから
1422 : ななしのよっしん :2016/12/30(金) 09:37:17 ID: S5DFIXvKAG
>>1420
だって選択肢はなかったっていう前提に反駁してたら「諸説あるよね、代案を出せ」で片付けられちゃったんだもの
煽り々に関しては君に言われたくないです
1423 : ななしのよっしん :2016/12/30(金) 09:53:02 ID: Ae6T4ir5+f
それで?
具体的にどういう手順でその和交渉進めるつもりなの?
何処のに仲裁役を当てにするつもり?
ルーズベルトからどうやって体護持の譲歩を引き出すの?
ドイツ優勢なら踏んっていれば戦況が有利になったかもしれんのに反発する人が出てくるだろうけど、どうやってそいつらを押さえるの?史実でさえクーデター未遂がおこったんだけど。
大体そんなプラン史実を知ってるから出てきた後知恵だがら論外。
1424 : ななしのよっしん :2016/12/30(金) 10:37:13 ID: G+4FHeQmkI
>>1422
選択肢はなかったという前提に反駁してんだから、選択肢はあったと思ってんだろ? 違うのかよ。

じゃなきゃ、選択肢はなかったと思ってんのに、選択肢かったという前提に反駁してるという、意味不明なことになっちまうだろうが。
1425 : ななしのよっしん :2016/12/30(金) 10:53:29 ID: plF4pYUSXE
近衛が悪い
1426 : ななしのよっしん :2016/12/30(金) 14:01:20 ID: S5DFIXvKAG
選択肢はなかった!とするための根拠って言ったほうがよかったか
私としては可性があったか否かというより他所に「追い詰められた」責任を転しようって態度が気に食わねえ(の精)ってのが大きいので代案なんざ知らん

>>1423
前二つはそれこそ後知恵じゃない?
どこにも仲介が期待できないと認識していたならばソ連仲介工作はなんだったのかという話だし
ルーズベルトは話が通じないレイシスト、とするなら口実を与えるような真似は慎むべきであったし
第一論拠にしてるカサブランカ会談での宣言なんて開戦してしばらく経ったあとの話でしかも連合優位に傾いたタイミング(=世論も暖まってる時期)で出されたものじゃないか
いろいろと根拠は出してくれるけど、そういう認識を当時日本帝国政府が持った上で判断したとは思えない

クーデター防止はまあ・・・理だな!もっとも身から出た錆だけれど
1427 : ななしのよっしん :2016/12/30(金) 14:51:14 ID: cHqy0f74gD
>>1423
仲裁役はヤルタ会談以前ならソ連に頼むというのが一番現実的かな
ヤルタ会談以降だと史実の通りにしかならないけれど(だから、ドイツ降伏前という条件が付く)

後は実際にやってみないとわからない部分も多いから難しいんだが……少なくとも特攻を続けるよりはましな結果になったとは思うよ
というかさ、特攻って短期決戦前提なら一度きりの奇策としては有りだとは思うが、何回もやるもんじゃない
人員や資限にあるというのなら話は別になるかもだけれど、有限だからね、人員も資
特攻ってのは人員も資も前倒しで浪費しているようなものだから、長期戦でやるとあっという間に兵が枯渇しちゃうのよ
だから、時間稼ぎの戦術としては論外中の論外
手に暴れてから即降伏という戦略なら有りっといった所
1428 : ななしのよっしん :2016/12/30(金) 17:03:44 ID: G+4FHeQmkI
>>1426
つまり気に食わない意見だから文句言ってるだけですってか。今まであんたに話してきた相手(もちろん自分は含まれない)が哀れだなおい。

結局言ってることは何も変わらない。ルーズベルトに口実を与えるなと念みたいに繰り返すだけ。

ルーズベルトに口実を与えるな。どのタイミングでどういう選択をしたら良いかは知りません。そんなことが現実的に可だったかも知ったこっちゃない。でもルーズベルトに口実を与えるんじゃない。

いやー、凄いね。こんなふざけた考えの馬鹿呆だと罵られるんだから、当時の日本導者も大変だ。
1429 : ななしのよっしん :2016/12/30(金) 17:16:31 ID: Ae6T4ir5+f
>>1427
ドイツ降伏前ならソ連に仲裁なんて尚更不可能だと思うが
何でレンリース打ち止めか減らされるかもしれんリスク犯してまで日本のために仲裁なんて買って出る義理がソ連にあるわけ?
その特攻を続けるよりマシという根拠は何処からでてきたの?
交渉を続ける間も連合軍に進撃は日本の事情とはお構いしに進んでるんだけど、それをどうやって遅らせるの?
特攻を非合理と罵るのは結構だけど、なら通常攻撃でもこの記事に書いてある以上の戦果を挙げられて、機体と搭乗員の犠牲も押さえられる戦術を教えてくれ。
1430 : ななしのよっしん :2016/12/30(金) 17:29:17 ID: G+4FHeQmkI
ヤルタ会談前のソ連が仲介してくれたという可性もありえんだろう。

ソ連日本が邪魔で大陸から追い出したかった。ついでに自由洋に出ていける港も欲しかった。しかし日本がこうした条件を飲むことは不可能(それが出来たら最初から戦争なんて始めてない)。
だから中途半端な状態で講和をしたところで、ソ連にとってはメリットがない。

ソ連にとって最も望ましいケースは、史実が示す通りだからいちいち解説するまでもないよな。まぁ北海道が奪えなかったのは誤算だったろうが。

だいたいソ連日本米国の和を望んでいたなら、米国に対日参戦する方向で謀略戦をしかけたりはしていないだろうが。
これ言うとまたコミンテル陰謀説と決めつけて視するつもりだろうが、ソ連がこうした工作を行っていたことは、ソ連崩壊時に流出した文書から明らかになってる事実だからな。

そんな相手が日本が持ちかけた講和の話を聞くとはとても思えないので、これを現実的だと言うのなら、それが夢物語ではないと考えられるような解説をお願いしたいところだ。
1431 : ななしのよっしん :2016/12/30(金) 17:35:13 ID: G+4FHeQmkI
続いて>>1427で特攻が意味だったという点に反論しようかと思ったが、既に>>1429でなされているので省略

つか何度通常攻撃よりも特攻の方が効果は高かったと摘されればいいんだよ。頭にも程がある。
1432 : ななしのよっしん :2016/12/30(金) 23:11:14 ID: SvFGvC5G2X
特攻機の命中率は総出撃数の一二弱であったと推定されている。
賛美は、大きく見て二つの論拠に立っている。すなわち、一つは、体当たりは戦術として有効であったとする軍事的効果論。もっとくから実施していたら戦勢逆転も可であったろうという極端なものまである。
体当たりは戦術として有効であったとする軍事的効果論について、森本忠夫は次のように反している。
「当時、日本海軍は、一九四四(昭和一九)年六月の「マリア戦」において、その決戦であった空母に壊滅的な打撃を受け、アメリカ軍との聞のパリティが決定的に乖離していた。まさにこの戦の乖離こそが前代未聞の特攻作戦を発起させる物質的基盤となっていたのである。
だが、特攻作戦そのものがいたずらな兵消耗の悪循環をもたらす作戦であり、この不吉な連環が日本の対劣勢を日を追うて深め、遂には自滅の破局へと繋がって行ったのだ。この段階の日本軍には、もはや、作戦と呼ばれるに値する作戦は存在していなかった。特攻作戦を発動し、
これを全軍特攻にまでエスカレートして行った軍中央と現地の指揮官たちや参謀たちは、日本の若者に死を強制し、死を自己的とする虚無的なファナティシズムの心的状況に陥ることで、作戦そのものを放棄し、同時に彼らが戦争導者であり、指揮官であり、参謀であることを放棄していた。」
長崎大学教育学政治学研究室「「死者」のまなざしの中で:特攻体験と戦後」
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/25985/1/kakyo3_1.pdf#page=3
1433 : ななしのよっしん :2016/12/30(金) 23:14:37 ID: SvFGvC5G2X
>>az4167904322

角田和男(少尉
フィリピン戦で大きな戦果を上げた特攻も、米軍の対防御が強化されるに従い、その効果を減じていった。(156) 十二月末頃、「この日、隊、武隊は敵に会わず、セブに帰投し、翌十二日再び出撃したが発進後間もなくレイの手前に待ち伏せていた優勢な敵戦闘機群に遭遇して、全滅した」と言う事を聞かされた。(178

原田要(中尉
特攻は次々と行われていくようになりました。当初こそ、そこそこ腕の良い者、良い機体もあったものの、次には少し未熟な者に間に合わせの機体と、兵士たちも機材もどんどん特攻に注ぎ込むようになっていきました。(343
ある日のことです。霞ヶ浦の基地に、参謀の飾緒をつけた偉い人たちがぞろぞろとやってきて並び、私たち教員を前にして演説をしたことがあります。「いま特攻に行っている操縦者たちは技術が未熟であるから、戦果が上がらない。このままでは日本は大変なことになってしまう。教員である君たちが志願をして欲しい」
佐藤さんは、私に「こうなったら仕方ない。は特攻に志願するよ」と言って、私にも志願書を書くよう勧めてきました。私は断りました。
佐藤さん、特攻の成功率を見ていますか? 零戦に二五〇キロの爆弾ってヨタヨタ飛んでいっても、弱いF4Fグラマンにすらかなわないんですよ。戦えと言われれば、っ先に飛んでいくつもりだけど、戦闘機乗りとして納得できる死に方をしたいんです」(344~345
後年、この本にも登場している角田和男君に特攻の現場の生々しい話を聞く機会がありました。
角田君は、特攻機を敵機から守り、どの船にぶつかったかを報告する役でした。現実には、特攻機はほとんどあたることなく、標に届く前に撃ち落とされてしまう。そして、運よく命中したら、そのことを戻って報告すると、基地の偉い人たちが「良かった」「杯」と喜びあう。
その有様を見て、本当に情けない、死んでいった人たちの命があまりに惨めすぎると感じたそうです。角田君は、ご自分の本にも書いていませんが、私には越な言葉も漏らしていました。
敵船が見つからずに帰ってきた特攻隊員たちに、「なんで戻ってきたんだ、臆病者」「死んでこい」と罵倒するような荒した特攻隊基地の様子など、十分に伝わってきていました。(345~346
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