私がブログをやめられん理由、いろいろあるけど、やっぱ別に私を仲間よりも上に見るつもりはないけど、私から見える現実を、ある一部の仲間とだけ共有する、というのはどうしても違うと思うねん。
”ある一部の仲間とだけ”と書くと、部分的にしか信用していない、ということになって、そうではないと言いたいけれども、やっぱそうとも言いたい。
私から見える現実を、ちゃんと全部受け止めて理解してもらっているとも思ってないし、それは正直人間誰もについて難しい。
けれどもそうすると、ある仲間とだけ根源的に団結する・・・・、という発想は違うのではないか?
”細胞”というのは、やはり個人個人が細胞なのであって、細胞が自律的に連携していくことが必要なんじゃないかと、私は思ってしまう。
わかりやすい例をたとえると、団結する仲間がおるやろ。
けど、その仲間は仲間だけを信頼しているのではなくて、自分の配偶者と別に団結しとるやろ。
団結する仲間がいるんだから、配偶者とは別れろ!ということにはならん。
それは親とだって同じで、基本的に人間は親と団結しとる。(私は違うけど)
そうすると、いくら仲間を信じるといっても、それは自分のある側面であって、全部を仲間に依拠する、というわけではないと思う。
もちろん、仲間に少しでも理解してもらえる努力はする必要はあるけど、・・・自慢するつもりはないけど、私はカンが鋭すぎて、私のカンに勝つヒトに会ったことがないのも事実や。
私のカンと、人類史上いろいろと波長が合うのは、唯一カエサルだけや。
たとえば、もう4年半以上前になるけど、日立製作所のヤツらが、私がどうしても休職に応じないからといって、私ではなくて兵庫の実家に説得に来たことがあった。
そのとき、私は、何人来るのか?を想像したら、上司、勤労、医師、法律家、の4人は要ると思うた。
けれども、フタを開けたら、来たのは元上司と勤労だけやった。
そのときの音声データもあるぞ。
実家面談
https://docs.google.com/open?id=0B1zRzD_3tvlRTUxQdUJRN2syTmc" target=new>
そもそも兵庫の実家に日立製作所の人間が来ること自体おかしいんやけど、そんなおかしい中でも、説得するためには4名必要なところ、なんでたった2名やねん?バカにするのもいいかげんにしろ!と思った。
とにかく、目の前に見えてなくて、フツーは想像できんねんけど、フツーは想像できんもんについて想像するようになる、コレはやっぱ革命にとっては大事やわなあ。
私はその大切さを、これまでの戦いの延長上で主張してきたいねん。
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