一般的に第2次大戦が始まった年はドイツがポーランドへの侵攻を開始した1939年とされている。しかし厳密に言えば、これはヨーロッパに限った戦争の始まりだった。名実ともに世界大戦となったのは、日本がハワイの真珠湾を奇襲攻撃した1941年12月だ。日曜日の朝に突然攻撃を受けた米国が日本に宣戦布告すると、日本の同盟国だったドイツとイタリアが米国に宣戦布告し、世界中が戦争の嵐に巻き込まれた。
2回にわたり行われた真珠湾での空襲は、時間にするとわずか数分に過ぎなかった。しかし戦艦8隻を含む19隻の船舶が沈没あるいは大破し、117機の爆撃機を含む328機の航空機が破壊され、2403人が命を失った。犠牲者の半分以上は魚雷攻撃で沈没した戦艦アリゾナの乗組員だった。その後、米国はアリゾナを引き上げなかった。そのため今も多くの遺体がアリゾナの中に残っており、米国はその上に戦没者を追悼する記念館を建てた。上からみればこの記念館の建物と海中のアリゾナの影は十字架のように見える。
卑劣な奇襲攻撃だった。「汚いジャップ」というイメージが米国で定着した。「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」はその後の太平洋戦争はもちろん、欧州戦線でも米兵たちの合い言葉になった。米国は真珠湾攻撃から8カ月後、太平洋の小さな島で反撃を開始し、それからさらに3年後には2発の原子爆弾を広島と長崎に投下して戦争は終わった。その間の戦闘でも日本は敗退を繰り返していた。ビン・ラディンが米国に復讐されたように、真珠湾攻撃の司令官も米軍の攻撃で命を失った。最終的に235万人の日本人が命を失い、韓国人もこの他人同士の戦争で数万人が犠牲となった。