7年ひきこもった男が藝大合格を目指す受験ブログ

20代中盤、社会不安障害患者、元場面緘黙症、中学不登校、通信制高卒の底辺です。人生をやり直すために東京藝術大学を目指しています。

120 消える

感情のままに書き散らした。許してください。




目次
・前年度の予備校の某講師について
・パー
・以前の記事の後編について





前年度の予備校の某講師について
確かに僕は、親に望まれて生まれてきた人間ではないかもしれません。
しかし自分自身に、何かを証明しなくてはならない。
俺は生きていていいんだ、と。
そのためには上手くなりたいし、合格したい。
過去の記憶は消したいですが、記憶は消せません。だからもっともっと自分と向き合わないと。



きょうは案の定、猛烈にイライライライライライライライラしまして、特に講師が後ろに立っている時、近くに立っている時に、本当に身体が震えて描けません。


絵具を混ぜるふりをしてひたすらやり過ごしています。
これは始めたときからそうで、多くの人もそうなのかもしれませんが、僕の場合、前年度の予備校の例の主任講師(過去に何度か書きました)がかなり大きいようです。
もうとにかく着彩になるとあいつが頭にきて、イライライライライライライライラするのです。


というのも、存在感の強い彼は、僕が着彩している時に、後ろで鼻で笑うんですよ。それでいて何も言わない。立ち去る。
身長を高く見せるためのヒールかブーツみたいなのを履いているらしく、足音がカツカツものすごく響くから、やって来たらすぐ分かる。

で、また後ろで鼻で笑う。これ、実際にやられ続けた人間じゃないとわからないと思います。あの講師と接した人間じゃないと。
経験の少ない人間が一生懸命もがいたり失敗したりしている姿を、鼻で笑う。
そして講評の時間に「へったくそだなぁ」と感嘆するように嘲笑う。
こちらが固まっていると、聞かせるためのわざとらしい大きな溜息。


理論を思わせぶりに匂わせてそのまま教えなかったり、こちらに「俺が描いてるところをビデオに撮ったとしても、お前なんかには何やってんのか全然わかんねえだろなぁ?」と言って自分に酔ってたり。
また、初めて予備校に入って間もない頃の石膏デッサンで、僕が絵を離れて見ている際に上半身の伸び(僕は首のヘルニアで、長時間座っているだけで激痛が走っていた。そのため、定期的に腕をあげて左腕を後ろに曲げ、その肘を右手で持って引くストレッチをすることがあった。普通のストレッチである)をしたときだ。


その講師はそのストレッチが気取っているように見えて癇に障ったのか何なのか、急にこちらに突っかかってきて、「恰好つける暇があったら形ちゃんと確認しろよ」と煽るトーンで言ってきたことがありました。


それを見て、ガチ裕福な女の子たち(こいつらのことも忘れない、喋ったこともないのに「ずくさんに悪口を言われて~」と先生に言ってる子だったり、そのくせ話した時には明らかに思ってもいないような「うまいですね!」を平気で言う子だったり、完全に見下されていた)が後ろで凄い嫌味な感じでクスクス笑ってましたね。
以降、僕はいちいちトイレに行ってから身体の伸びをするようになりました。



ふざけるな!!
今だから言えるけれど、人を馬鹿にするのもいい加減にしろ。
こういうことをまた中途半端に書き出したら、「講師のせいにするな」という人が出てくるでしょう。


しかし今回はハッキリ書かせていただきます。あの講師は、現代の美術予備校の講師として、明らかに問題があったと思います。
当時の僕は着彩において、彼のおかげで身体が震えて全く手が入れられなくなりました。
受験を受け持っている講師の立場で、生徒にたいして「お前の人生になんか興味ない」と言い放つ人間がどこにいるのですか?


他人の存在をオモチャや踏み台にして自分に酔うナルシストなのは結構なことですが、調子に乗るのも大概にしろよ。
僕だけではなく、どうやら他の十代の女の子(他の科)にもそれを言ったりしてたようで、その子が大泣きしながら別の女の子に話していたのを見たことがあります。


受験というのは、人生を左右しています。その間の期間、当然、生徒は不安でいっぱいでしょう。
そりゃ競争です。勝つ人間と負けていく人間とがいて、彼の「少人数制だろうと経験の浅い人間だろうと、できてない人間は淘汰する」姿勢は正しいと思います。


結果を出すのが必要な講師の立場からすれば、期待できない人間は徹底的にこき下ろして、いなくなってくれた方が楽なんでしょう。それで奮起してくれりゃもうけもの、程度の認識だったのだと思います。


それは働いてる側に立てば理解できます。しかし、こちら側の立場では大金を払い、生徒として学校に入っているのです。
もちろんあちらが上の方ですから敬意を払えなんて言いませんが、生徒が相談をしてきたらそれに親身に応対してあげるなど、最低限の「講師としての仕事」があるんじゃないですか? お金もらってるんでしょ? なめてんのはどっちだ? え? 他人の人生舐めとんちゃうぞヴォケ!!!


この講師については、どうやら過去にもたくさん生徒とトラブルを起こしていたらしく、生徒側が泣き寝入りで予備校を変えた話しをよく聞きました(浪人生の子たちの会話で)。
長年、藝大の実績が出ていない理由もわかりました。


十代の子だと泣いて他人に愚痴るしかないのかもしれませんが、僕は社会人になってから受けましたので、その美術予備校のネットレビューがあればいつか直接書きに行くかもしれません。

もちろん僕にも問題は大いにあったのだと思います。感謝している面やお世話になった場面もたくさんありますし、たまにあった講義については文句のつけようがありませんでした。


しかしそれ以上に、彼のトラウマの方が圧倒的に残っており、今もそれに苦しんでいます。
これを「講師のせいにするな」で片づけていいのか、僕には甚だ疑問です。
子供の数が凄かった昔なら、あの態度ややり方でもいいのかもしれませんが、現代の少人数制の予備校でアレはいかがなものなのか。


おかげさまで、着彩の時にイライライライライライライライライライラして仕方ありません。
彼が後ろで鼻で笑ってくる。へたくそだなぁという言葉がぐるぐる回る。


他の予備校の講師でも似たようなことはあるでしょう。しかし、彼は立場とキャラが強く、有能故の正しさがあり、言葉や態度がこちらにはキツすぎました。
ただでさえ受験中で不安定なのに、こちらを煽ってくる、見下す。


他の講師のひとりも彼に影響されてか、「へったくそだよね~!」と嘲笑ってきて、挙句の果てにピークの1月には、藝大を受けるために田舎から上京してきているこちらに対して「藝大受けるんだっけ?」と講師としては配慮がなさすぎる発言をしてくる始末。
(この界隈では、わざわざ田舎から上京した人間が東京藝大を受けないわけがありません。それはあちらもわかってるはず。つまり完全にこちらの絵を煽ってきた意味か、私あんたに全く興味なんかありませんし眼中にありませんからっていうのを示してきたか、どちらかでしか受け取れませんでした。その講師とはこちらから話しかけたりもしてましたし、志望は言ってたはずなのですが。この方はなんか博士になったらしいですが、あういう人が博士になるんですね……。いや、あういう人だからこそなのだろうか)



そりゃすべて「小さなこと」であり、講師の態度や言動なんか一切見てない人間、ある種舐めてる生徒が、勝つんでしょう。理解しています。
だからあの主任講師も舐められたくなくてあういう態度を取り続けていたのかもしれない。
でも、それで片づけていいんでしょうか。僕は非常に、思うところがありました。


序盤は僕のひどすぎる絵の面倒を見ていただいた面もありましたので(そのころから色々ありはしましたが)、その感謝がずっと頭にあり、どうしてもこのブログには愚痴以上のことは書けませんでした。
しかし今は、やはり講師としての彼には問題があったのでは、と思うのです。

彼は自分が貧乏で苦労人みたいな言動や空気を出していましたが、僕がその予備校の彼らを見て思ったのは、東京美術予備校の講師の多くは結局のところ、「10代の頃から自分の好きなことをやれて(見つけられて)、選べて、それを前提の上で生きてこれた人間なのかな」ということでした。

そういう人は、他人への配慮を欠く言動をすることが多いように思いました(もちろんすべての人ではありません)。やりたくもない辞められない仕事の人間関係で苦労した経験(色んな事。自分だけが真面目に仕事していればうまくいくわけではないから難しい)、つまりそういう意味での「生きる苦労」をした経験があまりないからかもしれません。社会的弱者の世界や環境などを想像すらしたこともないと思われます。


好きなことでしていた中での苦労というのは、苦労ではないと思うのですが、違うんですかね。
更にいうなら、他人の事情や背景を想像できない苦労というのは、本人が思ってるほど大した苦労ではないのでは。
ちなみに僕自身は過去にも何度か書いていますが、自分が苦労してきた人間だとは全く思っておりません。僕は大した苦労はしてきてないので。
でも、そういう僕ですら、彼らには思うところがあったのです。


その主任講師は僕にとっては「講師」であり、それ以上でもそれ以下でもありません。ですから、講師としての彼の仕事を見るしかなく、そしてそれは以上の通りでした。



東京美術予備校講師のイメージは、その講師のおかげで僕にとって最悪のものでした。
しかし現在自分がいる予備校の講師の方たちや、動画で上がっている某予備校の講師の方たちを見ていて、ちょっと思い直しました。
この界隈のすべての人間があういう人たちばかりではないんだな、と。


そしてまた、前年度の予備校についても、バイトの年下の講師の方には大変お世話になったため、その感謝は一生忘れません。
彼はまさに講師に徹しきっていた方でした。ものすごくフォローしていただきましたし、会話していて色んな事を教えられました。
彼がいなかったらホンマに精神的につぶれていました……涙が出るくらい感謝しています。
二度とお会いすることはないでしょうし、彼は僕のことは確実に忘れていると思いますが、僕にとっては最高の出会いでした。
感謝は永遠に消えません。僕の憧れです。僕は彼のようなカッコいい男になりたかった。



話しが凄まじく逸れた上に何の話をしていたか忘れましたが、要は着彩の時の精神的な弱さ、やはりここでしかないんだと思いました。
これは、子供の頃からの父親の監視(=講師の視線)、その記憶の克服の試練にもつながっているのかもしれません。


耳栓の購入も検討しています。やはり自分との戦いでしかないんだと思います。
まだ他人への甘えがあるため、一人の時間をもっと機械のように過ごせたら、準備できたら、と思います。
結局精神的な弱さというのは、一人の時間の過ごし方に甘えや隙があるからなんでしょう。


耳栓をして、完全に他人をシャットアウトして、自分が生き残ることだけを考えないと、ホンマに終わります。
いま目の前の光景や関係というのは、いずれ消えるものです。たった一年間の小さなことに過ぎません。
もっともっと、甘えを決定的に消さないと。
他人を思考に入れるな!!



ちなみに今はイライラしてません。
というのも、先ほどコンビニで、レジに置いている「いももち(チーズ入りィ!)」という100円のやつを買ったんですね。
そしたら、店員がそれをレジに打ち込んでいないミスがありまして。


以前、僕はこのブログで、別のコンビニで「チーズチキン(138円)」を店員のミスでタダ払いさせられたことを書いたと思うのですが、


あれが頭にあり、思わず帰り道でふっと笑ってしまいました。
人生ってこういうもんだよなぁって。得も損も、結局戻ってくるんだよって。
なんかそういう下らない事があって、ふっと思考が戻りました。
人間って面白いもんですね。



今一度冷静になりたいので、明日は学校を休んで、着彩の細密をやったり、メンタルの調整など、色々考えます。
とにかく今の僕に必要なのは「無」、「冷静」、「視界を狭める(他人の存在を目にも思考にも絶対に入れない)」ことです。


何とか訓練していきます。今それができないなら、この先もこの自営業の世界では生き残れません。
着彩の時に講師が後ろに立った時も、講師の存在を意識に強烈に入れてしまってるからです。
この程度の意識ではそりゃ、試験の時の空気で合格する絵を描けるわけがありません。


できれば講師の方に「筆で描いているときに見ないでほしい」と言うのが一番いいのかもしれませんが、克服するしかない。
自分だけを意識に入れる、その訓練ができないと、終わりです。
自分の絵に「冷静に客観的な視点を持ったまま、しかし夢中になる」のが大事ですよね。




パー
そういや人間って、パーソナルエリアがあって、これって決まってるそうですね。
以前、10歳年上の方(同じ予備校の生徒で、ブログを通じて知り合った受験仲間)と外で話した時に思ったのですが、彼と話している時、彼が全く他人の様子に気づいていないのがビックリしました。


例えばエレベーターの中での会話とか気にすると思うんですが、彼は生粋の東京生まれ東京育ちだからか、ホンマに気にしないようなんですね。
幼少期から大勢の他人が当たり前だったからです。


僕は集落の人間で、典型的な田舎の人間なので、人間がいた環境にはいませんでした。
横のつながりが強烈な村社会の遺伝子があるからか、めちゃめちゃ他人を気にする方だと思います。東京にきてから、それでもだいぶ変わった方だとは思いますが……。


でも理由を分析したところでそこは流石に変えられることじゃないし、やはりもう、強くなるしかないですよね。
自分と似たような人間もたくさんいて、自分の人生に独りで立ち向かっている人が大勢いる。
僕もその一人になりたい。今は格好の悪い小物かもしれないけれど、変えられるように頑張ります。
ましてや、この受験というものを10代で経験している多くの他人に、僕は敬意を表します。ホンマにすごい……。
大学生になっている10代の子たちの努力、すごさが身に沁みます。



神が見ているとは、すなわち自分が自分を見ている、監視しているということです。
一日一日を、自分に嘘がないように過ごして、それを継続するしかないですね。


耳栓購入したら、瞑想をガチで再開することを検討しています。
今の予備校の難点は瞑想する場所がないことなので、朝やるしかないのかなぁ、と。
ちょっと考えてみます。


例えば明らかに調子に乗っている言動をしているうまい浪人生とかいたとしても、その言動とかが耳や目に入ってイライラするのは完全に自分の弱さですよね。


そこを克服して自分のゾーンに入れないと、藝大に合格するのは無理です。
藝大に合格した男の空気がナルシストだったり強気だったりするのは、理解できます。
そういう人間じゃないと無理なんだろうな、と。


僕も自分を変えなきゃいけない。
とにかくもっともっともっともっと、生き残るために自己中心的になれないと。
社会はもっと残酷で、それは見てきた通り当たり前のことで、その中で生きていくというのはそういうことだし、機械のようになれないと……。
甘ったれた情は捨て去らねば。




以前の記事のこと
ちなみに以前、前編(114)をあげた記事についてなのですが、後編(115)は既に今月の初めには書き終わっています。


ただ、あげるかどうか迷っていまして、合格してからあげるべきかな、とか……。
うん。迷ってます。
もし待っている人いたら(いるのかわからんけど)、すみません。まだ悩んでます。


自分のことを前編のあの記事で話せて、少しだけ楽になりました。
あのあと、書けたあと、どこかホッとしたからなのか、何故か涙が出ました。泣くってほどじゃなかったんですけど、涙が勝手にポロッて。
少しずつ、色んな事を受け入れていきたいです。
もし114の記事を読んでくださった方いましたら、ホンマにありがとうございますm(__)m



あと、これも以前に何度か書いていましたが、原因不明の顔面の痙攣についてです。
これは現在の予備校に来てから完全になくなりました。
講師との面接などがあったり、講師と対峙した時や講評の時など、顔面が勝手に痙攣しだす症状があって悩んでいたのですが、調べたところ、疲れではなく「脳みそのストレスの症状」らしかったのです。


現在の予備校では講師との面接などでその症状が出ることもなかったし、今もないので、大丈夫かと思います。
ホンマ良かったです……。






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