71 敗者は去るのみ
先生のお気に入り、その一浪の子(超金持ち、多摩美も受けたようで発表はまだだが、ほぼ間違いなく合格しているだろう)に対する態度が、もう完全に藝大に合格するノリで、特別扱いでべったり指導、僕の方は完全に無視。
現役生でもうまい子がいて(やはり両親が多摩美出身のようだ)、彼女も指導されまくっていて、一次通るかもしれないねと言われている。
先生含めて彼らは和気あいあいと楽しくやっていて、アドバイスももらいまくって、情報交換もしまくって、僕は隅っこでひとり、黙ってコソコソしている。
誰ともしゃべらない。
ずっとこうやって生きてきたもんな、って思う。ずっとこうやって。
ホンマは僕もあの輪の中に入りたいのです。でもうまくいかない。
仕事ができる人間だけが好かれる。僕は仕事がまだできるようになっていない。他人に好かれる、信頼される資格を「まだ」持っていないのだ。
そう、まだだ。まだなだけだ。この一年を通して、最後の最後でそう思えるようになった。絵でやっと色々わかってきたからだ。
以前の僕なら、あの光景に発狂してたと思う。
いや、確かにここにぶちまけたいことは色々あるんだけど、でも今の僕は、それらの光景を力に変える精神力が育っていると思っている。
もしあの一浪の子が一次で落ちて、僕だけが一次通るようなアクシデントがあったら、面白いと思わないか? と。
もちろん現実的に厳しいだろうというのはわかってるけどね。
しかし一次なら客観的に見て可能性は絶対にある。石膏デッサン、最後の最後で色々気付いたし、ホンマによくなったと思うからね(対策してない二列目がきたら、一気に厳しくなるけど……その場合はしっかり図り棒使って、手数を入れるというよりは、徹底的に丁寧にやるしかないかな)。
実際、藝大や美大の試験は強烈に運が絡むのだ。一次の石膏は出題される石膏の種類もあるし、席位置だとか周囲の席にうまい人がいるかとかでも全然変わってくるし、着彩のモチーフがはまるかどうかで大いに変わってくる。
石膏にもよるが、形さえ合えば、ホンマに一日目さえ冷静にハマれば、一次通過は十分に可能性がある。もうやることはわかってるから。
一次通れば、落ちても面子は保てて予備校内での先生からの待遇が大きく変わるし、かなりの学費免除もされる。
結果がすべてなので、試験での一枚で成功すればいい。
素直に言ってくれるバイトの若い先生には、良い時の絵が出れば一次はまず通るといってもらってるし、僕によく声をかけてくださったそのバイトの先生には、涙が出るくらい心から感謝している。
彼がいなければ、ホンマに終わっていた。純粋にそう思う。その感謝をうまく口にできる人間に産まれてこなかったのは、とても悲しい。
伝えたい感謝の気持ちは一次通過という結果で出すしかない。
きょうはロッカーの荷物を整理し、太陽の空気をまとって談笑している先生・生徒たちを背に、僕は今まで描いてきた絵を持って帰った。
今は臭い飯を部屋でひとり、食べている。あえて絵のことはあまり考えてないし、クロッキーもそこまでしてない。
敗者は去るのみだ。そして俺は惨めな敗者になりたくない。誰も自分に興味など持ってくれない。誰も自分を助けてはくれない。
今ごろ色んな事に気づいたっておせえよって思う自分と、気付けて良かったと思う自分と。
良い一年だったと思う。
最後の最後で、たくさんのことを考えられたし、ずっとひどかった絵もよくなってきた。
逃げてばっかいた自分や、目に映る光景にやっと向き合えるようになってきたというか。孤独を絵の練習や勉強の力に変えられるような、そういうきっかけは掴めそうな感じがある。
きっと精神的に成長できてきているのだと思う。
地元のことを思い出す。
誰も自分のことなんて覚えていないだろう。
でも、誰も自分のことを覚えていなかったとしても、自分は色んな人に迷惑をかけたことを覚えているし、色んな人への感謝の気持ちは忘れていないし、這い上がりたいと思っている。
情けない子供の自分を変えるために、東京にきた。そのことを再度確認した。
あの過疎った集落に戻る気はない。帰れる場所はない。
今年度落ちても、来年度はまだ生きていられるので、しっかり頑張りたい。
ギリギリを楽しめるようにならないとなぁ。
「全て小さなこと」。若いバイトの先生に言ってもらった言葉を、忘れないようにしたい。
↓ランキングに参加しています。ポチッと押して応援して頂くと励みになります!