63 怒りと悔しさの極み
目次
・最低の週
・怒り
・王様多浪生
最低の週
でした。きょうやっと休み……。
実力不足を痛感していますが、まだ時間はあります。最後の一枚まで伸びることを信じて、やるしかないですね。
一週間後にセンター試験がありますが、絵のことで頭がいっぱいでそれどころじゃないです。
そもそもセンターの成績が全く関係ない一次試験(デッサン)を通れるかどうかもわかんないですからね。
学科もゼロの状態で絵を初めて、一年で藝大に受かるなんて流石に思ってませんが、合格してやるぞという気持ちで一枚一枚を大事にしたい。
着彩さえうまくなれば、来年度に十分につなげられるので、何とかしたいところ。
とりあえず一枚だけ絵をあげます。お正月な感じのモチーフたちでした。
(いつも通りの透明水彩での着彩、12時間。P20パネル。
構図に関しては自分が決められない裏構図で、表の人間が王様な感じの三浪の子(後述)だったので、どうしようもなく。
本当はビニールを描きやすくしたかったり、小豆を散らしたり、縄の位置や向きを何とかしたかったりしたのですが……マツの練習だと割り切って描きました。
奥の四角い小さなやつは袋入りのモチだったのですが、ひどすぎますね。完全に下地の時点でミスり、グダグダになりました。あとミカンのネットも強すぎてミスった。メインのマツと桶は良かったかなと思う。)
この着彩、自分の実力の低さを考えれば、頑張った方だと思います。裏構図でモチーフが寂しいおかげもあって何とか最低限にはなったけれど、やはり時間配分や馬力のなさも課題かな。
この日は帰ってから白系統の繊細な色などを探すため、パレットで混ぜてました。
後は一浪の子がもう芸大レベルなので、その美しい色ですごく自然に上手なビニールなどを見て手順を分析していました。
やはり色感においても差があることは実感しています。
僕には色感がないため、「ビニールだったらこういう色を置いたらこう見える」みたいなのを、一つずつ覚えていくしかありません。
絵のいいところは、生まれ持った体格の才能とか関係なく、勉強の努力で何とかなるところだと思う。休みの日に時間の合間を縫って、チョイチョイ練習するしかないですね。
いま、僕は圧倒的に実力が下です。特に着彩に至っては現役生よりも下です。
僕も実質的にちゃんと絵を始めて教育を受け出したのは4月からで、夏期講習なども全部は出ておらず、9月~10月の間に一ヶ月くらい休んだり、「下手くそ」を連呼されて精神的に大荒れして完成から逃げまくったりしていたので、二学期もすっぽ抜けており、枚数的にはぶっちゃけ現役生の子たちとそこまで大きくは変わりません。
けれど、じゃあ一浪の子が実力差ほどに僕と枚数の差があるのかといえば、そんなこともないと思います。
その時点で僕の今の実力のなさは、言い訳できません。明確に実力で上下があります。
結局、枚数なんて他人からしたら一切関係ないし、絵がすべてなので、自分でもがくしかない。
僕は一浪の子のように頭が良くなければ、現役生の子たちみたいに色の感性も良くないし、成長も極めて遅いです。
でも、ひとつひとつ「気づき」を増やしていって、泥臭く、変わっていくしかないなと思います。僕は絶対にスマートなタイプじゃないからこそ。
今年度はハッキリいって非常に厳しいです。
学科の勉強の時間もろくに取れてないですし、センターの成績は最低限の点数以下になりそうな気配もあります。
しかし残りの試験までの一ヶ月半ちょっと、来年度につなげる意味でも一枚一枚を大事にしていき、今の自分ができることを一つずつ増やしていきたいですね。
先生には「下手くそ」と言われるか全く相手にされないか(優秀な一浪の子につきっきり)、入試直前の最後である現在にお世辞みたいな感じのことを言ってもらえるようにはなりましたが、自分の実力、成長の遅さはわかっています。
スマートにいけない人間だからこそ、全く特別じゃない人間だからこそ分かることもあるので、いつか藝大に入れたら、なにか自分の中のものを絵にしていきたいですね。
とにかく良い意味での自己中心的な、向上心だけを忘れないようにしたいです。
振り返ると、自分がバカだったなと思います。
確か夏場辺り、何とか時間内に完成させようともがいてやっていたのですが、明らかに自分が実力で下で惨めな中、それを先生に「下手くそだなぁ」と一蹴されて講評で恥をかかされるような毎日だったので、「下手くそ」を深く取りすぎ、完全に精神的な悪循環に陥ってしまいました(当時の記事リンク:「ヘッドフォンの虹」「毒親と薬」[「アリ地獄」「復帰戦」など)。
でも先生の「下手くそ」って言葉に別に深い意味はなかったし、枚数を素直に重ねていれば後の経験値に繋がったのに、もったいない一年だったな、と思います。
自分は委縮しまくっていて先生とも最後までチグハグでした。一方で、うまく立ち回っていた自信家の一浪の子は普段の会話の中でもアドバイスされまくっていて、順調に伸びていったわけです。
競争における自分の幼稚さ・未熟さを実感しました。
来年度は予備校を変えるので、コミュニケーションの面、精神面をしっかり鍛えたいですね。
他人は全員敵だからこそ、敵にせず自分をスムーズに向上させるための振る舞いが大事なんですね。そして他人もそこの面の努力を見ている。
正直、今の予備校じゃなかったら、どうなってたかな? とは思います。
前半は「この予備校で良かった」と思うことが多かったですが、夏場以降は完全にドツボる原因にはなりました。
だから何ともいえないし、そんなこといってもしかたないのですが……でも、やっぱちょっと思っちゃいますね。
でも色んな意味でたくさん気づけたことはあったので、この予備校で良かったのかな、とは思います。
特に自分が思っていた以上に僕は絵に対する誠実さも欠けていたな、とか。少人数制じゃなければ気づけなかったこともたくさんあったように思うので、良かったのでしょう。
うん。
書きたいことは色々あるけれど、なんていうか、ホンマ孤独やなぁと。
すべて競争。そしてそれをみんな受け入れて生きているわけで、悲しい気持ちになります。
目に映るひとりひとりの人生なんて考えてたら、重すぎてコミュニケーションなんて取れないし、生きていけないよなぁと。
考えたらアカンよね。
誰も自分に興味はない。基本的に他人は全員が敵なわけで、そのうえで人間関係の競争の中で立ち振る舞いが要求されるし、仕事で勝つか負けるかがすべて。
負ければイジメられて惨めな思いをするだけ。
良い経験を、東京でできていると思う。
ちなみに最低の週ではありましたが、最後の最後で、疲れがピークながらも残って描いていた僕に先生が声をかけてくださり、布のデモンストレーションを少しだけやってくださいました。
それがとても大きかったです。やはりへこたれずにやっていれば、何かは起こってくれるのだと思いました。
もっと頑張ります。結果がすべてなので、結果を出さないといけない。
怒り
実は先日、6時間着彩があったのですが、ホンマにゴミでした。
構図でパニくって、途中で精神的に折れてしまい、着彩にすら入れず。
優秀な一浪の子の立派な絵の横で、僕はひたすら惨めな状態。
で、半年ぶりに出講してきたある先生に何げなく、嫌味とかじゃなくて、本当に何気なく普通に言われた一言。
「藝大受けるんだっけ?」
ホンマに強烈な怒りでした。深い意味のない言葉だったからこそ。
屈辱、という言葉をあえて使います。屈辱の極みでした。
最高に自分の存在を軽んじられた言葉だったように思います。
あの瞬間の感じをどう表現したらいいかわかりませんが、カッ、となりましたし、ズーン、ときました。
もちろん先生にではありません。自分にです。自分への怒りです。すぐにへこたれてきて、すぐ精神的に折れる現状の自分にです。
僕の講評はさらっと終わり、一浪の子は技術的なレクチャーを長々と受ける。いつもの光景でした。
いつもの光景に、悔しさから出る強烈な怒りしかありませんでした。
こういう系統の、怒り、が出るのは初めてのように思います。
そして一浪の子の、どことなくチラチラ見え出してる天狗的な態度(実際は違うのかもしれないけれど、ともすればそう見える時がある。自信家なのだろう)やロレックスの時計をしている三浪のやつの王様な態度、膝の破けて汚れたジーンズを履いている自分は全く相手にされず、完全に下の扱いを受けている「当たり前」の現状。
優秀な金持ち浪人生ども、実力のない自分への怒り。
ここまで、精神的に「競争」「勝つか負けるかがすべて」を強く実感したのは、とても良かったように思います。
この「当たり前」の光景を壊さなければ、全てが終わります。
僕は変わるために東京にきました。
ある意味この怒りが出たのは、絶対に変わらなければいけない段階にこれたということ。
この怒りを消してはいけないと強く思っています。
王様三浪
金持ちの三浪の子(高1だかくらいから今の予備校でやっていて、かなりの金持ちのようだ)については以前からたびたび書いている(この記事など)。
彼に対して、素直に「すごいな」と思っていた時も一時期はあったのですが、彼にとても言いたい一言がある。
「一回、バイトでいいから働いてみれば?」
って。
基本的に日本画科の静物着彩では、一卓を2対2の4人で囲み、モチーフの配置などの構図を決められる側の2人を「表構図」、決められない側の2人を「裏構図」と言います。
で、さっきあげたマツの画像の着彩の際、三浪のやつが先にきていて表構図の真ん中キープで座っていたため、僕が言ったんですね。
「隣、良いッスか?」
彼は「はい」と一応は応じました。
ところが。
隣を譲らないのです。
一人で描くこと前提のセンター位置を徹底的に譲らず、無言で勝手に構図を決め、一切しゃべろうともしない雰囲気なので、どうしようもありませんでした。
内心で「もうええわ」と思って裏にいきましたが、彼の普段からの王様な振る舞いへの強烈な怒り(以前からこいつについては俺に対する態度で、書きたいことがたくさんあったし、昨日もちょこちょこあった)、実力差の惨めさ・悔しさを痛感しました。
以前の自分なら、弱弱しく泣きそうになって終わっていたと思いますが、徐々に実力がすべてであるという「はねっかえり」精神が育ってきていたためか、「ならモチーフ少ないし、細密着彩のつもりでやってやる」と精神的に割り切って持ち直せました。
描いている間も王様君が縄を動かしてそのまま戻さなかったりして、僕の方が無言で絵を直すしかなかったりしましたが、全て「動じないぞ」というエネルギーに変えました。
結果、三浪の王様君の調子が悪く、僕の方が上の位置の絵になり、三浪の王様くんがイライラしている様子で、「ああ、そうだな、もうこれがすべてなんだ。他人に対して『ざまあみろ』って気持ちを育てて仕事のエネルギーに変えるのが大事なんだ」と思うようになりました。
ある種、優秀で自信家な一浪の子が明らかな上にいるのは、とても楽なことではあります。
超えるべき壁があり、僕はそれを目標や手本にして追い抜けるまで頑張れば良いだけなので。
「お前の鼻っ柱を折ってやるぞ」って気持ちでやらないとダメですね。
以前よりは明らかに気持ちの切り替えがうまくなってきたように思います。自分の中のどこかにあった他人依存がなくなってきたのかな、と。
着彩に関しては、とにかく描写しまくって失敗していくのが今の自分には大事だな、と思います。
着彩はホンマにメンタル面が特に大事なスポーツという感じです。守りに入る必要はないし、どんどんやるしかないですよね。
ホンマに競争。負ければすべて終わり。
昔、野球の三塁手で明らかにイップス気味になっているやつがいて、エラー連発してて顔が泣きそうになっていたのですが、相手チームは徹底的にサード方向を狙ってボコボコにしている光景がありました。
精神的につぶしにいく意味も兼ねていたわけです。全ては勝つため。
勝ち負けの競争なのだから当たり前の光景だったわけですが、いま形は違えど自分がやっていることは競争なのだ、と改めて強く思いました。
敗者には何もない。イジメられるだけ。
ドチビの中学時代、体格の良い集団にリンチされていたのも、自分がすべてにおいて弱かったのが悪い。殺されても良いから相手の目玉に殴り返すくらいの気概がなかったことがすべてだった。
勝つしかないのだ、と思います。競争では人格や人生や人の気持ちなんてものはない。
受験を通して、良い勉強になりました。
来年度で飛躍的に向上させたいので、今年度の残りはしっかりやっていきたいです。
失敗を恐れずにやるのが難しいですね……。下手くそ、と連呼されて精神的にドツボってしまい、怖がって全く完成させようとできなかったり積極的に失敗していけなかったりしたことが、大きな後悔というか、成長の遅さの原因だったように思います。
先生ではなく、競争に対する自分の精神的な弱さと甘さが原因です。
でも今年度で絵以外の部分でも色々経験になって、だいたいわかったので、落ちた場合は来年度は予備校を変え、精神面やコミュニケーションの面で絶対に失敗しないようにします。
それに、順位が何位だろうと、最終的に藝大にさえ受かれば勝ちなのです。
修行は受かったあとでも更にできる。言い訳になるようなことは深く考えないようにしたいですね。
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