7年ひきこもった男が藝大合格を目指す受験ブログ

20代中盤、社会不安障害患者、元場面緘黙症、中学不登校、通信制高卒の底辺です。人生をやり直すために東京藝術大学を目指しています。

23 クソガキ多浪生



絶不調です。いや、実力か。ホンマにグダグダな一週間やった。このデッサンは自分への戒めとしてあげる。三枚やったが、三枚とも全く仕事ができなかった。


このデッサンについては特に前と後ろの関係性の部分に意識がちゃんといってなかった。だから張り付いているみたいに不自然になっている。距離が全く出ていない。単純に仕事不足です。手が出ない、動かない、入らない……。涙は嫌でも出るのにね。


もうさすがに場数はだいぶ踏んできているので、何を言っても言い訳になる。昨日の精神状態はちょっとやばかった。ずっと呆然としていました。
特に着彩が全く伸びないし、4月よりはデッサンが少し伸びたからこそ、今の自分に課題だらけなのがわかっていて、八方塞がりの状態。




浪人生たち
精神的にきた原因のひとつとして、やはりほかの生徒の存在にある。
昼間部はあとふたりいるのだが、男の三浪のやつがひとりと、女の子の一浪がひとりいる。ふたりとも偏差値70以上の進学校の出身で、頭がクソ良いらしい。


一浪の子は高1だか高2のはじめだかで基礎科からやっていたらしいが、それでももはや一浪のレベルではなく、俺の精神をへし折ってくる。
確かに俺はまだ枚数的には少ないし、基礎科から積んできたわけではないが、言い訳に過ぎないのだ。


それがわかっているなら頭を使って一生懸命努力するしかないのだが、俺には頭がない……わからないと頭がカッとなる面がある。それが上達の速さの差になっているのだろう。くっそ辛い。


高3から始めた現役生たちもうまく、嫉妬しか出てこない。彼女たちはあれで学生生活の習い事や勉強も頑張っていて、充実している。俺は……。


本当に自分という生き物は平凡なのだ、と自覚する。
絵に限らず、何に対しても才能のかけらもない。頭の良くないチビである、というのが一番致命的であるように思う。
我ながらどうしようもないし救いようがない。




太郎くん
閑話休題。
今回話したいのは、前述した三浪の男の子についてだ。便宜上こいつを「太郎くん」と名付けることにする。


この太郎くん、一言でいえばクソガキであり、シャイっぽいのにすぐにイライラしだしたり、他人ばかり見ていて主体性に欠けるところが若干昔の俺とキャラがかぶっている。


太郎くんは昼休みに女の子たちと話をしているのを聞いた限り、案の定親の頭が良くて金持ちで、絵を高1からやっていて、現在3浪目らしい。ずっと今の少人数制の予備校で、基礎科からやっていたようだ。


勉強がめっちゃできるらしいが、太郎くんに関していえば、必死の努力というよりただ単に環境に恵まれたことや知能の遺伝だろうと思われる。


彼は「頭の良い努力家」というよりも、典型的な「勉強だけできる頭の悪い子」って感じがする。しゃべり方にしても何にしても、文章では説明できないが、年齢以上に子供っぽいのである。
年下の芸大の先生がいらっしゃるのだが、その先生と太郎くんの歳が対して変わらない事実が本当に信じられない。


散々太郎くんをディスっているのにはワケがある。
この太郎くん、天狗にでもなっているのか、俺にだけなんか態度が違うというか、こう、軽んじられているというか、見下されている節がある。


エピソードを語ればすごく細かいことだし、人に説明できるようなものでもないので省略するが、俺とは関係ないところで、ひとつ彼について印象に残っているシーンがある。


太郎くんがのけ反る形で机に肩肘をかけ、左手で頭を抱えて斜め上を見るような、いつものクソガキっぽい姿勢を取りながら他の生徒としゃべっているときのことだ。


予備校の掃除をしている人に足を引きずりながら働いている、かなり小柄なおじいさんがいるんだけど、その太郎くんが舐めた口調で陰でおじいさんを「ホビットさん」呼ばわりしているのは耳を疑った。ドン引きした。
室内がちょっと散らかっているときに、「ホビットさんがやってくれるよ(笑)」みたいなこと言ってたり。


確かに自分というモノがなく、他人を気にしているあまり人前だと恰好つけて、実際に思っていることと逆のことを言ってしまったりだとか、他人が怖いからこそ相手の反応をうかがうためにわざと憎まれ口を叩いたりだとか、思春期のころは俺もあった覚えがある。
彼もその類の人間なのかもしれない。


しかし彼は三浪なのでもう20歳のはずである。今年度で21のはずだ。さすがにどうなのだろうか……。
あれは俺から見ても、いや育ちの悪い俺にも部分部分でクソガキっぷりに覚えがあるからか、ちょっと見てて恥ずかしい。


有名な東京の進学校出身で勉強めっちゃできるらしいけど、何を学んでいたのだろう。ちょっとしたバイトすらしたことが一切ないのだろう、と一発でわかる。


あとは「人によって態度を変える人間が大嫌い」みたいなことを話しているのをよく耳にする。要するに自分には優しくしてもらいたいんだろうなぁ。


去年までの彼に対する先生の態度を見ても思ったが、内向的な十代は俺のようにイジメられるか、あるいは大人たちから甘やかされるかどっちかだと思うが、彼は環境に恵まれて努力のフリができていたために、周りから相当甘やかされてきたのだろうと思われる。


「人によって態度を変える人間が大嫌い」なぁ……。
それならお前の俺に対しての態度は何なのっていう。明らかに態度が他と違うんだよなぁ。
おそらく25で高卒で無口な俺のことを見下している以外にも、俺が生徒たちとは必要以外は話さず、先生とは時々話すから(先生から話しかけられて)、それが彼の癇に障っているのかもしれない。


彼が俺を見下しているのだけは間違いない。
以前、4月の終わりごろ、先生が俺の英語の成績を彼が座っている横でバラしてしまい、恥ずかしい点数が彼の耳に入った。
それ以降、明らかに場面場面の態度で俺を舐めている感じが見て取れるようになった。


そのテストの英語点数は39点だった。むしろ俺はセンター試験レベルの英語でそれだけ取れたことに驚いて、2月~3月に中学レベルからの英語勉強をやっていた成果を実感していたくらいだった(ちなみに国語は現代文と小説で大幅に稼げるおかげでセンターでもそのテストでも5割は取れていた)。


俺の人生は彼のような人間には見下されきるのは仕方ないと思うが、正直、チビで育ちの悪い、頭の悪い集落出身の小物であることを俺も開き直ってきているので、舐められているのは我慢ならない。


こちらも受験期間は大人になる余裕がない。美術予備校は職場でもなければ、俺は自分でお金を払って来ているのだ。
時々、シンドイ時に彼にエラそうにされて、ブチ切れそうになるのを抑える瞬間がある。彼もシンドイのだろう。それはわかる。しかし正直に書くが、ガチで殴りたい。しばきたい。


裕福なガキにエラそうにされるのはここまでイラッとくるもんなのか、と逆に驚いている。
東京都内に実家があって裕福で遺伝的に知能高くて身長も平均以上あって体格に恵まれていれば、まあ人生イージーすぎていろいろ舐めるわな。


あとはそうだ、最近あったこと。
俺が休みの日に学校にいき、描いていたことがある。
その際、手近なところにしまわれてない、放置されたイーゼルがあったので、それをもって別の場所で描いた。そして終わった後にイーゼルをしまった。


翌日に太郎君がキレ気味で「あそこのイーゼルしまったの、ずくさんですか? 僕が個人的に描くときに使っているやつなんで、動かさないでください」と言ってきた。


ここはお前だけの私的な場所じゃねえよ。
と言いたくなるのをぐっとこらえた。少人数制の予備校でしかやってこなかったから、本来は多人数でやっている公共の場所だということがわからないんだろうな、と思う。
イーゼルもパネルも学校のものやで? お前が買ったもんちゃうやろうがボケ。っていう心の叫びね。


だが悔しいけど、あのクソガキ太郎くん、どんどんうまくなっている。
彼は経験枚数のわりに、明らかに伸びが遅く、俺も初めて見たときは「高3から始めた不器用なタイプの一浪くらいかな?」と思ったくらいだった。


しかし今の彼は元から伸びていたデッサンに加えて明らかに着彩が伸びていて、描いているときの様子から甘えも抜けている。
一方で俺のほうは着彩が伸びない。時間に間に合わない。実力で勝つしかないんだ。それはわかっている。実力で見返すしか……。


しかしそれにしても……冷静になって我にかえったが、こんなことをブログで文章に出して愚痴る25歳の俺は、いったい何なのだろうか?


あまりにみじめな小物すぎて嫌になる。スケールが小さすぎる。でもこれが俺なんだよなぁ……。




階級
話を変える。
この界隈、太郎くんに限らず、そういう上流階級ばっかりでシンドイ。この界隈自体がそうで、いる人間のほとんどが先生も含めてそうなのである。


東京の美術予備校でみんな芸大を目指しているから当たり前かもしれないが。
バイオリンだのバレエのお稽古だの……なんなんだこの上品な世界は。


俺のコンプレックスを毎日刺激してくる。俺の見てきた世界とは正反対だ。
みんな根本的に「人が良い」感じがするのだ。
半分くらいの人はアーティストらしく天然な変態性が潜んでいるっぽいのもいるが、別に下品に表に出す感じは一切ないし、なんていうか、みんなとにかく俺がそれまで見てきた人種たちとは違うのだ。


俺だけ浮いているような気がする。
俺にとっては絵というそのものが異常なものである。底辺人生にまったくかかわってくるものではなかったし、ましてやさらに絵で競争するなんて考えもつかなかった。


浮いているのは自意識過剰だと思いたいが、やはり共有できるものなどない。考えてみれば、俺の歩んできたような人生で、環境で、東京の美術予備校にくるなどまずありえないだろうと思う。俺も絵に出会ったのは偶然だったので、共有できそうな人間がほとんどいないのは当たり前である。


けれど、結局は孤独に戦う世界。競争だ。特に年齢を考えれば、最初からこうなるのはわかっていたはずだ。


先生が昔の美術予備校の話をちらっとされていたのだが、当時はA判定が出た絵以外は講評されなかったそうだ。本当に最上位クラスの数枚や数人以外は、一切まともに相手してもらえなかったらしい。上下関係が明確な世界だった。


B以下は自分の頭で考えて這い上がるしかなかったのだ。俺はその話を改めて聞いて、また自分の甘えについて考えさせられた。
昔とは競争の形の出方が変わっただけで、競争の厳しさ自体は昔から変わっていない。


昔は厳しさがわかりやすく、今は情報化が進んで優しいっぽくなった時代になって、表面的に厳しさがわかりにくくなっただけなのだ。
厳しさ自体は何も変わっちゃいない。


俺も這い上がるしかない。もっと考えなければ。結局、どんな世界だろうと頭を使えるやつが勝つ。そして頭を使えるやつというのは自分を持っているやつのことだ。


俺は頭が良くない。頭の良い人間には絶対に勝てないとこの環境にきて分かったが、それを自覚できているのは年齢故だ。


俺がやっているのはお勉強ではなく絵なのだから、その部分を周りと違う個性として生かさなければならないし、そういう人間が勝つ方法を模索しなければならない。


甘えは徹底的に抜かなければ。しかし弱さはやはり出る。時間も全然ない。着彩の練習だけはできるときにしておかないと……。








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