DOW JONES, A NEWS CORP COMPANY

世界最大のヘッジファンド、社員の脳でアルゴリズム構築(前編)

経営を自動化するための「未来の書」とは?

世界最大のヘッジファンド会社ブリッジウォーター・アソシエーツを率いるレイ・ダリオ氏 ENLARGE
世界最大のヘッジファンド会社ブリッジウォーター・アソシエーツを率いるレイ・ダリオ氏 Photo: Matt Furman

 世界最大のヘッジファンド会社、ブリッジウォーター・アソシエーツの内部では、ソフトウエアエンジニアが極秘プロジェクトを進めている。同社の創業者レイ・ダリオ氏はこのプロジェクトを「ザ・ブック・オブ・ザ・フューチャー(未来の書)」と呼ぶこともある。

 プロジェクトが目指すのは経営のほとんどを自動化する技術だ。この技術は同社を徹底した公開性が確保される場とし、そしてダリオ氏が去っても存続しうる企業に育てるという同氏のライフワークの集大成となるはずだ。

 ブリッジウォーターでは、ほとんどの会議が録音され、社員は常に互いの問題を指摘することが求められる。社員の欠点は頻繁に調査され、個人の業績は多くの資料に基づいて評価される。ダリオ氏はその全てを見守っている。

創業者の頭脳をコンピューターに移植

 新たな技術が実現すれば、ダリオ氏の型破りな経営手法は1つのソフトウエアシステムに収められる。社員がある特定の電話を掛けるべきかどうかに至るまで、このソフトは社員のあらゆる行動について、GPS(衛星利用測位システム)並みに詳細な指示を与えることになるかもしれない。

 ソフトは現在開発中で、その運用の詳細については今も社内で議論されている。このプロジェクトに詳しいある社員は、「レイの頭脳をコンピューターにしようとするようなものだ」と語った。

ブリッジウォーターの運用資産額の推移(2015年12月末時点まで) ENLARGE
ブリッジウォーターの運用資産額の推移(2015年12月末時点まで)

 ブリッジウォーターはヘッジファンドとしては最大の1600億ドル(約18兆円)の資産を運用している。顧客の資金をヘッジファンドに投資するLCHインベストメンツによると、ブリッジウォーターは同業他社の2倍もの総利益を顧客にもたらしている。調査会社インスティチューショナル・インベスターズ・アルファによると、ダリオ氏の昨年の個人としての報酬は14億ドルだった。

 ところが今年は同社の旗艦ファンドの運用成績が一時、前年同期比で約12%減となり、社内に危機感が募った。このファンドはその後持ち直し、今月中旬には3.9%増となったが、これより手数料の安いファンドは8.1%増だった。

「戦いを選ぶな。全ての戦いに挑め」

 ブリッジウォーターの社員が従うべき規則は「プリンシプルズ(原則)」という名称で知られる123ページの公開マニフェストの中に収められている。社員は全員、この原則を身につけ、実行するよう求められている。原則には、「長期的に見れば、人間は概して自分にふさわしいものを手にすることになる」などという格言と共に、「戦いを選ぶな。全ての戦いに挑め」といったダリオ氏からのアドバイスがずらりと並んでいる。

 ブリッジウォーターによると、新入社員のおよそ5分の1が1年目を終えることなく退社するという。現役社員と元社員の5人に話を聞いたところ、プレッシャーが非常に大きいため、会社に残った社員がトイレで泣いていることもあるそうだ。本稿はこの5人に加え、10人を超える現役社員と元社員、さらに、同社に近い人達の話に基づいて執筆した。

 ダリオ氏は6年前にメンター(助言者)役に退いたが、今年になって経営の指揮を執るべく復帰した。それから数週間もたたないうちに、ダリオ氏はマネージャーを招集し、会社の肥大化と効率の低下を指摘した。これを解決するには「リノベーション」、つまり能力が劣る社員の解雇が必要だと述べた。

人員削減と「徹底した透明性」の見直し

 その直後から人員削減が始まった。ダリオ氏の復帰以降、社員数は約150人、割合で言えば10%減少した。今後さらに数百人が削減される可能性があるが、最終的には一部のポジションについては新規採用で穴埋めされるとみられる。同社はかつて、年末のパーティーのためにクリスマスツリーを天井から逆さづりにするなど凝った飾りつけをしたこともあったが、今年は予算を20%削減した。

グレッグ・ジェンセン共同最高投資責任者は約1年前、ダリオ氏の陰口を言った疑いがもたれ、ダリオ氏と衝突した(写真は2015年1月のダボス会議に出席したジェンセン氏) ENLARGE
グレッグ・ジェンセン共同最高投資責任者は約1年前、ダリオ氏の陰口を言った疑いがもたれ、ダリオ氏と衝突した(写真は2015年1月のダボス会議に出席したジェンセン氏) Photo: Simon Dawson/Bloomberg News

 今年、社内の混乱が外に漏れたことで傷ついたダリオ氏は、上層部が行った議論や決定の全てを全社員に知らせるという何十年も前からの制度を改め、約10%の社員だけに「徹底した透明性」(ダリオ氏)を確保することにした。

 ダリオ氏は新たな原則を書き留めた。「徹底した透明性は責任をもって応じる人間に授けなければならない。それができない人間に与えてはならない」というものだ。この原則はまだ公表されていない。

 この新たな原則が情報漏えいに見合ったものかどうかについての公開会議の場で、ある社員がダリオ氏に反論すると、ダリオ氏は同社の経営システムを作った人間として適切な対応と判断したと回答した。

2006年の段階で金融危機を予見

 ダリオ氏は1975年にマンハッタンの寝室2つのアパートに調査会社ブリッジウォーターを設立、マクロ経済動向予測で注目を集めた。

 ダリオ氏がよく言うのは、市場は経済という誤解された機械の働きを映し出しているという考え方が自分の成功を支えているということだ。その機械の仕組みを読み解くには、考え抜いた末に意見を戦わせながら、つらくても徹底的に真実に迫ろうとする姿勢が欠かせないと語る。だからこそ社員は繰り返し、率直に互いに意見を戦わせることが求められている。

2015年1月のダボス会議に出席するダリオ氏 ENLARGE
2015年1月のダボス会議に出席するダリオ氏 Photo: JASON ALDEN/BLOOMBERG NEWS

 ダリオ氏は、経済とは「無数の単純なことが同時に動いているだけ」と書いたことがある。コンピューター主導の取引が流行する何十年も前に、ブリッジウォーターは国際金利や小売売上高などさまざまなデータの関係性を追い、投資アルゴリズムを構築し始めた。今では参照するデータは1億種類に上る。

 こうしたアルゴリズムを具体化した旗艦ヘッジファンド「ピュア・アルファ」は株式や債券、通貨などの資産の売買にデータを活用している。ブリッジウォーターの投資家への説明によると、同ファンドは2006年の段階で金融危機を予見するなど以前から世界中の好況、不況を予測してきた。

 ダリオ氏は人間も機械のように動くと考えている。機械という言葉は「原則」の中に84回も登場する。ダリオ氏によると、問題は人間が感情に邪魔されて最高の成果を挙げることができないという。この問題は組織だった訓練によって克服できるとダリオ氏は考えている。

経営を自動化するための「未来の書」

 ダリオ氏は経営についても同じように考えている。成功を収めているマネージャーは「自分が望むものを手に入れるために正しいことをする正しい人々で構成する『機械』を設計する」。ダリオ氏は原則にそう記している。

 経営を自動化するためのソフト「未来の書」――ダリオ氏は「ジ・ワン・シング」と呼ぶこともある――にはのちに「プリンシプルズ・オペレーティング・システム」(PriOS)というより改まった名称が与えられた。このシステムは同社の投資プロセスと同様に経営も組織的に行うことを目指している。

 システムにはダリオ氏が社員に要求するいくつもの性格検査のデータが組み込まれている。ある検査では、マネージャーが筆記試験を受け、それぞれの「階層」が判定される。階層とは、カナダ生まれの精神分析学者、故エリオット・ジャック氏が開発した概念に関する技能の得点を指す。

 マネージャーはこの検査で、「ブリッジウォーターが今、直面している最大の問題は何か」などの設問に答える。長期的な傾向を見極める先天的な能力があることが分かったマネージャーには高い得点が与えられる。

 ダリオ氏は社内で最も高い階層の得点を保持している。同社は社員に対し、ダリオ氏の得点が世界最高レベルであることを明らかにしている。

 同じように、ブリッジウォーターのソフトはダリオ氏を、投資やリーダーシップといった点において社内で最も「信用できる」社員だと判断している。つまり、ダリオ氏の意見はより大きな影響力があるということになる。

この記事は後編に続きます(有料)>>

ピックアップ

注目ランキング