<武装権世界共通宣言>
〜居村 佳知〜
1条<銃を所持する権利は世界共通の基本的人権>
この世界の全ての社会において自分よりも体力・体格の勝る人間は強力な武器を持っているのと同じです。
特に体力の劣る者が力の強い者の素手による攻撃を受ける事は生死に関わる危害を加えられるに等しいのです。
そして肉弾戦では善悪に関係なく体力・体格の勝る人間が力で相手をねじ伏せて生存する事となります。
弱者が武器を持てず強者だけが生き残る一方的で理不尽な社会は許されません。
人間の社会は弱くても心の正しい者が生き残るべきなのです。
人間は武器を持てるから人間であり弱肉強食では他の野生動物と同じです。
全ての人類は力の平等と男女平等のために銃を所持する権利を生まれた時から持ちます。
2条<銃は使用者の体力・体格に依存しない自衛手段>
人間は性別・障害・病気・年齢などの条件により大きな力の個人差があります。
銃を手にする前に格闘術を習得するべきだという人が居ますが格闘術は無駄ではないものの
凶器を所持している可能性のある犯罪者に接近戦で応戦する行為自体が危険です。
また人間は皆等しく歳をとり自衛のための体力が低下しいつかは誰もが弱者になります。
それに格闘術ではあまりに自分との力の差が大きな相手の暴力を止める事が出来ません。
自衛手段は健康な人間を基準とするのではなく体力・体格に依存しない手段が必要です。
人が体力的ハンデを補うために銃を所持する事を認めない社会は無条件で人権侵害に該当します。
3条<正当防衛法は先制攻撃による自衛のために全ての人間社会において必要>
銃の所持権利を有していても正当防衛法がなければ適切な使用が不可能です。
銃は一瞬で攻撃対象者の人命と人生を奪う強力な武器ですが
だからこそ犯罪者をひるませる事が可能であり行動不能にしなくても威嚇手段として有効です。
命の危険を感じ自己防衛のために相手に先制攻撃を行った人間が犯罪となる社会ならば
人が事前に命を守れないだけでなく自己防衛そのものをためらう事に繋がってしまいます。
正当防衛法が正しく機能するためには容易に銃を抗争の解決手段として選択させない教育が必要です。
国家が個人の命を守れないからこそ正当防衛法は世界のどの国でも人権として認めさせなければなりません。
4条<公共の安全を目的とした銃規制は考える事そのものを諦める愚かな行為>
銃犯罪を行う事は人として当然ではありませんが暴力は社会に存在する事が当然の現実です。
一部の人間の凶行で銃規制を実行しては規律ある誠実な人間が責任ある自由を奪われ不利益を受ける事になります。
人間は考えるから人間であり安易に銃規制に乗り出す行為は考える事を諦めるに等しいと言えます。
社会問題は規制ではなく本来人間の道徳心と教育で解決するべきものです。
全ての犯罪の原因は人間の持つ邪悪な悪意であり解決するのもまた人間の道徳心でなければいけません。
規制が社会問題解決の道具と化してはいけませんし規制によって実現した平和は偽りの平和です。
偽りの平和には必ずつけが回ってきますし考える事をやめた進化をしない生物に未来はありません。
5条<全て国家の民間人に権力暴走阻止・力の支配阻止・個人の自由を規制する法規制阻止のため武装権と革命権が必要>
人間の国家とその運営システムに絶対は決してありません。
いかなる国においても言論・表現の規制や個人の自由を迫害する検閲が行なわれる危険性があります。
よって地球上の全ての国家の民間人はいつでも政府を武力行使で解体出来るように武装権と革命権が必要です。
民間人が武器を持つ事は国家権力を威嚇・監視する上で重要な役目を果たします。
個人の自由を奪う法案が提出された場合政府に対し民間人は武力行使を引き合いに出す準備をしていなければ自由は守れません。
人類の戦争も国家権力が原因であり不必要な権力を無くし権力に依存しない人間の良心による統治が平和を実現させます。
銃が無ければ権力者や体力に勝る者が社会で幅を利かし弱者が言いなりにされ力の支配を許してしまいます。
6条<銃を持つ規律ある善良な民間人は民兵として国防を担う>
国防に対する責任は政府や軍隊だけではなく全ての国民にあります。
銃を所持する権利は一人一人が民兵として国土を守るのに必要です。
体力と専門知識は正規兵に及ばなくても規律ある善良な民兵は国防上大きな戦力となります。
銃が扱えるだけで少なくとも人間は自分より力の強い敵や犯罪者から自分と家族を守れます。
こうした個人単位での自衛意識を誰もが持つ事が国家単位での防衛に繋がります。
国防に備え世界の国民の誰もが徴兵制の有無に関係なく義務教育において銃の正しい使用方法を学ぶべきです。
銃を所持するかは個人の自由ですが正しい使い方を習得する事は自分の祖国と家族に責任を持つ事です。
7条<銃が日常生活に必要であるかは個人がその選択権を有する>
全ての国家において法律・教育・宗教で日常生活に銃が必要ないと強制される事は基本的人権の侵害です。
銃が生活に必要であるかは個人が決める事で法律・教育・宗教で制限してはなりません。
銃を持つ事を良くないとする教育や宗教は正義ではなく思想の一つであり強制されるべきではありません。
教育や宗教で銃が自己防衛に必要ないと誰もが強制的に認識させられる体制はたとえ意図しなくても
強権的な政治や不必要な国家権力の増大を幇助させ民間人が政府に疑問を感じる事さえ悪とされる社会を生みます。
銃は日常生活に必要なくても火災のときに消火器を使用する事と同じで非常時には命を守るために必要なのです。
銃が必要ないと感じるなら本人が所持しなければ言いだけの事であり他者の権利を奪う事は絶対に許されません。
8条<人が体力的ハンデを補う目的で銃を手にする事は正当な権利の行使>
力の弱い人間が自分より力の強い相手から自衛するために銃を所持するのに疑問や罪悪感を感じる必要はありません。
本来武器は人間が自分より力の強い敵に対して立ち向かうために生まれたのです。
人間が相手との戦闘能力の大きな差を補うために銃を所持する事は正当性以前に人間の本質であり
自分の力の限界を正しく把握している証拠であると共に決して卑怯でも悪質な事でもありません。
自分は体力的に劣っており有事の際に相手の暴力に叶わないと危険を感じ銃を手にする事は適切で正当な銃所持の理由です。
こうした体力的ハンデを武器で補おうとする人間の本質はいかなる理由でも矯正されたりくじかれてはなりません。
人にとって自分より力の勝る相手はいくらでもいますし凶器を持つ犯罪者に対し善良な人間が無防備では命を守れません。
9条<正義感と良心ある弱者は銃を手にし力の支配を打ち破り人間としての尊厳と命を守るべき>
人間は正しく誠実でも社会的立場の弱い者や力の弱い者ほど社会のあらゆる場面において力の支配を受け服従を強いられています。
人間は無防備では自分より力の強い悪意のある相手に脅迫・強要された場合に相手の権力や体力に怯え言いなりにされかねません。
恐喝や強姦などの犯罪は特に抵抗力の弱い相手を選んで行なわれる犯罪で犯罪者は相手が自分より体力的に劣る相手に危害を加えます。
だからこそ悪意のある人間に見くびられないように体力的に劣る人や社会的弱者は武器を携帯する権利が保障されなければなりません。
資本家による企業の権力を利用した労働者の不当な扱いに対しても労働者は自由の為に武器を手に立ち向かうべきです。
学校で虐めを受けている学生も将来的に犯罪の標的とされ生死に関わるような危害を加えられる可能性があるので銃の使い方を学ぶべきです。
銃に依存せず権力や暴力に怯える事無く立ち向かう勇気は必要ですが命はかけがいのないものであり抑止力を持つ事は大切です。
10条<銃を所持する権利は単なる法律ではなく自然法や基本的人権に指定されなければ守れない>
銃の所持権利は人が水を飲む事に等しくいかなる政治体制下でも憲法や法律ではなく自然法や基本的人権に指定されなければ守れません。
人間の国家には君主制国家や民主主義国家がありますが君主制国家においては国王一人の判断で銃の所持権利を剥奪しかねず
また民主主義国家は多数派の独裁で多数派の意見しか社会に反映されないため銃規制推進派が多数派なら少数派は所持権利を守れません。
したがって銃を持つ権利を国際的に自然法や基本的人権に指定し誰にも人から銃を奪う権利が無い事を人類に自覚させなければなりません。
賛成の多い意見だからと言ってそれが正しいとは限りませんし銃を必要とする人が少なくても一人の判断や多数決で所持権利が揺らぐ事は許されません。
銃所持に反対する事が悪でもなく銃所持に賛成する事が正義でもありませんが人間の自由は対極の意見を持つ相手の権利を奪ってはなりません。
銃所持に反対する人は少なくとも銃を所持しない事を選ぶ自由があるのですから所持したい人から銃を所持する選択肢を奪ってはなりません。
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