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性的「暴行」事件を起こした『日本会議の研究』の著者・菅野完氏を
めぐる「運動体」の対応

 本誌7月15日号で報じた「ベストセラー『日本会議の研究』で注目の作家 菅野完氏が性的『暴行』で訴えられていた」という記事について、記事中に登場する「運動体」の対応に関する記述は「誤解を与えるものである」との訴えが「首都圏反原発連合」(反原連)からあった。このため、関係各者に話を聞き、あらためて詳細を明らかにした。(本誌取材班)
※なお、被害者の体調を配慮し、被害者への直接取材は8月以降していません。

同記事では、『日本会議の研究』で注目を浴びる菅野完氏(ツイッターアカウント「@noiehoie」)が、2012年初夏に性的「暴行」事件を起こしたとして訴えられていたことを報じた。菅野氏は事件を「事実」と認め、「反省」の意を示す謝罪文も書いている。一方、15年12月に被害者は「事件後の菅野氏の対応や、ツイッターなどでの発言を見ると、反省していると思えない」として損害賠償を求める民事訴訟を起こし、現在も係争中だ。16年6月末に警察に出した被害届も受理された。

「運動体」から訴えがあったのは、以下の記述についてである。

〈女性(編注、被害者)は同氏(編注、菅野氏)所属の運動体に、ほかに被害が出ないよう周知を頼んだ。だが、「運動を潰すわけにいかない」「運動と関係ない」などと言われ、訴えを聞き入れてもらえなかったという〉

「同氏所属の運動体」とは反原連のことだ。反原連のコアメンバーであるミサオ・レッドウルフ氏は、「事件の周知については、さまざまな状況を懸念して断った。だが、ほかの面において、反原連ができうる対応はした。その部分が記事には書かれていない」と話す。また、「この当時、反原連は12のグループと個人有志で構成されていた。『運動を潰すわけにいかない』『運動と関係ない』という発言は、反原連に所属していたあるグループの一部のメンバーが被害者を心配し、個人的なメールのやりとりをするうちに出たもの。個人としてどう対応したらよいのか、苦慮する中でのものだったようだ」と強調した。

「反原連に所属していたのは1週間ほど」

菅野氏が反原連に入ったのは事件後の12年7月25日。ミサオ氏によると、「菅野氏は毎週、官邸前抗議に参加しており、一部のメンバーとも面識があった。反原連に入りたいという話をされたので、25日に菅野氏を反原連コアメンバーのメーリングリストに入れた。脱原発運動には右派や保守層からの視点も大事だと思った」という。

菅野氏は7月31日に初めて、反原連の会議に出席した。しかし、菅野氏が反原連の会議に出たのはこれが最初で最後となった。翌日の8月1日に、元反原連のある男性の仲介により、被害者からの訴えがミサオ氏にメールで届いたからだ。

被害者からのメールには、菅野氏から性的「暴行」を受けたことが書かれており、「次の犠牲者を出したくない」ので事件をできれば組織内で周知してほしいとの旨が記されていた。「ただ、この時は、20万人もの人が集まるなど官邸前抗議が最も盛り上がっていた時期で、野田佳彦首相(当時)との面会も控えていたりと、さまざまなことに手が回らない状態だった。私自身、体力の限界を感じながら、ギリギリのところで活動をしていた」(ミサオ氏)。このため、反原連メンバーの別の女性(以下、A氏)が被害者との窓口を担当し、ミサオ氏や数人のコアメンバーは組織対応を話し合うことになった。A氏は翌2日、被害者に、「私(A氏)と操さん(ミサオ氏)で対応を検討することになりました」とメールした。可能な範囲で事件の概要について教えてほしいとも書いた。

被害者から翌3日にメールがきたが、そこには、事件やその後の菅野氏からのつきまといについての詳細が記してあり、菅野氏とのやりとりのスクリーンショットが添付されていた。これを受けA氏は弁護士に相談するなど、対応に追われた。またA氏が菅野氏に被害の訴えがあったことを伝えると、菅野氏は「誠意をもって謝罪したい」と述べたという。そのため6日、A氏は被害者に、菅野氏から謝罪の言葉を聞きたいなら信頼できる第三者を立ち会わせるし、謝罪文を書いてもらいそれを渡す方法もあるとメールした。

ミサオ氏はこう話す。

「Aさんに弁護士にも相談してもらった結果、組織としてこの事件に関わるのは難しいと判断した。反原連内で事件を周知することは菅野氏に制裁を加えることで、私たちはその立場にないと考えた。また、周知を被害者が要請したとわかれば『報復』ととられる可能性もあり、被害者が批判されるのではないかと懸念した。それで事件の周知は断ったが、かわりに、菅野氏には反原連を辞めてもらうなどの対処をし、被害者には弁護士を紹介するとの提案もした。菅野氏に反原連のメンバーでいてもらうのは難しいという話をすると、『(反原連を)抜けます』と答えたので、8日にメーリングリストから外した。このため、実質、菅野氏が反原連に所属していたのは1週間ほど。菅野氏には、一刻も早く被害者に謝罪をすべきだとも伝えた」。

菅野氏の依頼を受け、野間易通氏が個人対応

一方、ミサオ氏が組織対応を相談した反原連のコアメンバー数人には7日、菅野氏から謝罪文の文面を相談するメールが送られてきた。コアメンバーのうちのひとり、野間易通氏には、菅野氏から「個人的に謝罪文を渡すための仲介をしてほしい」との依頼がきた。菅野氏はその際に、「(事件について)自分の言い分も話したい」と野間氏に告げてきたが、野間氏は「謝罪文を渡す仲介をするのはいいが、あなたの言い分は聞かない」と突っぱねたという。そして9日、野間氏はミサオ氏とA氏に「自分が個人的に間に入ります」と伝えた。野間氏によると、10年に「在特会」(在日特権を許さない市民の会)の排外主義行動に対する対策を考える取り組みをしていたころに、ツイッター上で菅野氏と知り合った。

ミサオ氏は謝罪文についてこう話す。「菅野氏から謝罪文の文面についての相談は受けたが、反原連が謝罪文の内容に立ち入るようなことはしていない」。野間氏は、「謝罪文は手書きではなく、名前まですべてパソコンで入力されたワード1枚分のものだった。名前の横には菅野氏の印鑑が押されていた」と話した。

被害者からは8月13日、A氏に返信メールがあった。そこには、反原連内で事件のことを周知してほしい、謝罪は受けたいが菅野氏と直接会える精神状態ではなく、心療内科に通い始めた、菅野氏を反原連から脱退させてほしいなどと書かれていた。これに対し同日、A氏は被害者に、菅野氏がすでに反原連を脱退したこと、事件は反原連にもともと所属していたメンバーが加害者・被害者になったわけではないことから反原連内での周知はしていないことをメールで伝えた。また、反原連としてこれ以上、関わることは難しいが、「必要であれば、弁護士をご紹介いたします」とも書いたが、それ以降、被害者からA氏に返信はなかった。

これに対して被害者は、「謝罪文のことはメールのやりとりに出てこなかったので、まったく知らなかった」といい、すれ違いが生じている。また被害者は、「反原連を信頼して被害について話をしたのに、菅野氏は反原連を辞めたのでもう関係のないことだと言われているように感じ、組織防衛の論理だと思った」と話した。

一方、個人として間に入ることになった野間氏は翌14日、被害者に菅野氏のことで話がしたいとメールをした。すると被害者から承諾するメールがきた。野間氏は被害者とのメールのやりとりの中で、会う日程について、「心療内科の先生と相談していただいたうえで」「気持ちが少しでも落ち着いたタイミングで結構です」と伝えた。「会ったからといって、無理やり謝罪文を渡してそれで終わりにしようというような意図ではない」「ゆっくり時間をかけて解決していきましょう」ともメールした。そうして時間をかけて日程を調整し、11月末に、野間氏と被害者、被害者の友人の3人は東京都内で顔合わせをした。「数時間、世間話などをした。別れ際、謝罪文について僕が被害者に『今日はまだ受け取れる心境じゃないですよね?』と確認をした。被害者が『すみません』というので、『謝罪文を受け取る気になったら連絡ください』と伝えた」(野間氏)

菅野氏、カンパ金を着服

しかし翌年の13年2月に差別・排外主義に抗する、野間氏主宰の「しばき隊」が結成され、メンバーには菅野氏も入った。野間氏は「しばき隊は男性のみで構成される組織なので、女性トラブルは起こさないだろうと考えた」と話す。ただこれを知った被害者からツイッターのフォローを外され、数カ月後にはブロックされたため、菅野氏の謝罪文は渡せないままになったという。

野間氏は「被害者のEメールや電話番号も知っていたが、被害者が謝罪文を受け取る気になるまで連絡を待つという立場だったし、ツイッターをブロックされたので自分からは連絡しなかった」と説明する。被害者は、「反原連の対応窓口が野間さんに変わったのだと思っていたので、野間さんが個人として対応していたことは最後まで知らなかった。菅野氏がしばき隊に入った後も初めは野間さんを信じていたが、しばらくして野間さんと菅野氏のツーショット写真がツイッターにアップされているのを見て、一気に不信感を抱いた」と話している。

その後、野間氏と菅野氏の関係も決裂。菅野氏はしばき隊からも去ることとなった。複数の関係者によると、菅野氏が同年夏までに、反レイシズムの広報活動のために集められ、「差別撤廃 東京大行進」のデモの制作費に充てるよう考えられていたカンパ金の一部を着服し、使い込んでいたことが発覚したためという。菅野氏は界隈の運動に関わらないとの旨の誓約書を書き、運動からパージされたという。これに対して菅野氏は「コメントできない」と話している。