氷と炎の歌》はコレから読め!

大人気大河ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」。この年末年始にその原作シリーズ《氷と炎の歌》に手を出してはいかがでしょう? え、何? 長い? では、このたび刊行なったシリーズ初の短篇集、『七王国の騎士』から読んでみてはいかがでしょう。「タブの方舟」でおなじみ、本作の翻訳をつとめたサカイさんが、読みどころを教えてくれます。(本コラムはSFマガジン2017年2月号掲載分に加筆したものです)

 下読みをした当時は「訳者あとがき」を書こうと思っていたのです。恥ずかしながら、間にあいませんでした、とほほほほ。

 諸般の事情で、翻訳にかかったのが10月中旬。刊行日から逆算すると、画面で二回、ゲラで二回の校正を死守するには、連日、18時間労働しても、あとがきまでは手がまわらない。そこで、堺三保さんに(いつもすみません)解説をお願いした。堺さんは知識も読書量も豊富で情報も最新、勘所を押さえて書いてくれるので、読者としてもそのほうがうれしいだろう。ただ、訳者しかわからないこともあるし、誤謬報告の貴重な機会でもあるので、この機を逸することには罪悪感がある。校了まぎわにそんな話をしたところ、心優しい編集部が、本誌に出張版のあとがきを書く場所を設けてくれた。自己満足の謗(そし)りは承知で、ここはひとつ、ご厚情に甘えさせていただこうと思う。部分的に堺さんの解説と重複するところがあるが、何卒ご容赦のほどを──。

『七王国の騎士』は、《氷と炎の歌》外伝、《ダンク&エッグ》シリーズの第一集である。《氷と炎》本家の時代を約百年遡り、ウェスタロスを舞台に、騎士になりたての大柄な若者ダンクと、ひょんなことからその従士になった子供エッグとの、諸国遍歴・武者修業の旅を描いたこの〝中世騎士物語〟、本家とはすこしくテイストが異なり、ビタースウィートな持ち味は残しながらも、おおらかで親しみやすく、シンプルでわかりやすい。その味わいから、駒崎優の《足のない獅子》&《黄金の拍車》のシリーズを連想する人もいるだろうし、ハーレクイン・ヒストリカルを連想する人もいるだろう。訳者は日本の時代小説的な印象を受けた。ダンクとエッグとの関係は、丹下左膳とちょび安や、鞍馬天狗と杉作の関係に似たところがある。物語全体は、股旅物のようでもあり、素浪人物のようでもあり、黄門さま漫遊記のようでもあり……なんにせよ、ずいぶん芸域が広がったものです。

 じっさい、作家として大きく成長したものだとしみじみ思う。じーんとさせるわ、ほれぼれさせるわ、はらはらさせるわ、人の情に訴える要素がぎゅうっと圧縮されていて、ページをくる手がとまらない。登場人物たちにも味がある。気は優しくて力持ち、頑固で少々トロいところまでもが魅力の、ダンクの益荒男(ますらお)ぶり。こまっしゃくれて利発なのに一途なエッグの健気さ。本人は出てこないのに、追想のたびに人物像が鮮明になるサー・アーランもいい。こんな登場人物たちが描けるほどに円熟したかと思うと、胸が熱くなる。なにしろ初期は、線が細くて心の弱い人物ばかりだったから。

 もっとも、マーティンの主役たちの根底にある本質は変わっていない。彼らはみんな規格外の人物であり、多くは社会的弱者、疎外される側の存在だ。初期の主人公たちはその典型で、そんな彼らが、幻想的な風景の中、なにかを護ろうとあがく姿が読者の共感を呼んだわけである。中期の主人公たちは、吸血鬼に人狼に魔女と、人外の者が多い。初期とちがって、彼らは世界に抗い、世界を翻弄する側にまわる。それは彼らが、人外という規格外の存在であり、弱者/被疎外者と表裏一体であることに起因する。

《氷と炎》時代になってもその点は変わらない。被疎外要因が、ここでは強者となるために必須の要件となっている。根は優しいティリオンは、有能で果断で斜に構えた男だが、それはこびとで父親に疎まれて育った結果だった(ご落胤説もある)。ジョンは母親が不詳で、肩身の狭い思いをして育ち、〈壁〉にいかされる(やはりご落胤説がある)。王女たるデナーリスは、アトランの女王も裸足で逃げだすほどひどい目に遭いつづけている。やはりご落胤説のあるラニスターの双子のうち、当初は人でなしだったジェイミーは、利き手を失って以後、人間的な深みが出てきた。サーセイはすでに運命が暗示されているが、辱めを受けたことでただの暴君から大化けするかもしれない。こんなふうに、弱者/被疎外者としてつらい思いをするのは、登場人物たちが成長し、のちのち真の強者となるための、通過儀礼なのである。

 本書の主役もその例に漏れない。ジャイアント馬場に匹敵するダンクの巨躯は、膂力(りょりょく)の源となる反面、コンプレックスの源にもなっており、本来の性格と老士の薫陶によってけっこう痛い目に遭う。いっぽうのエッグは、その出自が人としての弱点になっており、口が災いして痛い目に遭う。そんなふたりが相互に理想の相方となって、弱点を強みに変えながら真の強者に成長していく過程こそは、この物語で一番の醍醐味。いやもう、先が楽しみでしかたない。しかし、続きが出るのはいつになることやら。

 なにしろ本書も難産だった。収録作品は長い中篇(ノヴェラ)が三篇だが、本来は、2013年12月に刊行のマーティン&ドゾワ編テーマ・アンソロジー、Dangerous Women に第四作を収録し、それも加えて全四篇になるはずだったのだ。それが流れたのは、作者のブログ Not A Blog の、2014年4月のエントリーによると、あんまり長くなりすぎて、尺に収まらなかったからだという。

 代わって上のアンソロジーに収録された長中篇“The Princess and the Queen”は、《ダンク&エッグ》の時代からもう何十年か遡り、《双竜の舞踏》の発端を描いた物語で、《氷と炎》本家の一部として書かれたが、長くなりすぎるために割愛された部分。2014年に刊行された、やはりマーティン&ドゾワ編のテーマ・アンソロジー Rogues には、この長中篇の前日談となる中篇、“The Rogue Prince, or, a King's Brother”が載った。ただし、どちらもアブリッジド版で、いずれ『炎と血』Fire & Blood という仮題の完全版に組みこまれる予定だそうだ。旧世代の逸話が披露されるのはうれしい反面、それらが本家の刊行ペースを遅くする一因にもなっているわけで、思いは複雑である。

 ともあれ、全三篇の方針が固まったあとは、2014年中にも本にできたようだが、そうしなかった裏にはふたつ理由がある。ひとつは、本家の第六部『冬の狂風』が最優先、というお題目があったこと。もうひとつは、作者が本書を挿絵つき本にしようと思いたったことだった。イラストには、アーサー王物のアメコミ《プリンス・ヴァリアント》の作画を受け持ち、2014年版の《氷と炎の歌》カレンダーも手がけたコミック・アーティスト、ガリー・ジアーニが選ばれた。が、ジアーニ側の意向もあって、挿絵はかなりの点数となり、なかなか完成しない。刊行は延期につぐ延期を重ね、ついに日の目を見たのが、2015年の10月。同書の「著者あとがき」の日付が同年5月になっている点にも、度重なる延期ぶりの一端がうかがえよう。

 ところで、これも2014年4月のブログによると、この本はその時点で数カ国語に翻訳されて、英語版より先に刊行されるという椿事(ちんじ)が起きていた。英語版を待ちきれない外国の出版社が、イラスト抜きで本文だけを訳し、早々と出版したのだそうだ。

 英語版から約一年遅れで出た日本語版にも、同書のイラストはついていないが、これは定価がはねあがるため(イラストもタダじゃないんです)。そのかわり、今回は表紙だけでなく、各話に一点ずつ、鈴木画伯の美麗な挿絵がついている。

(なお、第五部『竜との舞踏』文庫版の訳者あとがきでは同書の刊行年を2015年の2月と書いたが、正しくは上記のとおり。また、Dangerous Women の刊行年を2014年としているが、こちらは2013年の誤り。面目次第もございません)

 さてここで、各話について補足しておこう。

■第一話「草臥(くさぶ)しの騎士」“The Hedge Knight”(1998)

 ある本によると hedge knight とはスコットランドの狭い土地しか持たない騎士のこと。生垣(ヘッジ)で囲える程度の土地しかない、ということだろうか。裏をとれないので、鵜呑みにはできないが、いずれにせよ、マーティンのいうヘッジは生垣のことではない。多少の雨は凌げる程度に葉が密生した、その下で野宿できる樹のことだ。どうも作者独自の用法らしい。従来の訳語は、〝放浪の騎士〟や〝遍歴の騎士〟だったが……さて困った。こう訳すと、諸国をめぐるプロの傭兵騎士や、日常的に旅籠(はたご)に泊まる自由騎士までも含まれてしまう。ヘッジ・ナイトはもっと定義がせまく、野宿が常態で、貧乏だから天幕もなく、星の下で夜営する、仕官していない騎士を指す。日本の時代小説だと、お堂で寝る素浪人のようなものか。ここでは野宿を意味する語の〝草臥し〟をあててみたが、これでよかったのかどうか、もはや麻痺してよくわからない。

 もうひとつ困ったのが、「チャンピオン」の訳語である。このことば、日本ではもっぱら競技の「優勝者」の意味で使われるが、英語では、「戦士」「強者(つわもの)」「擁護者」「代理闘士」といった意味も持つ。ドラクエの「勇者」なども、ムアコック的な意味でチャンピオンといえるし、『ドラゴンボール』の悟空にしても、人類を護る超戦士という点で、まさにチャンピオンそのものだ。こう意味の幅が広いと、訳者の頭ではなかなか訳語を絞りこめず、ケースバイケースで訳しわけることになる。
 中世騎士物では、馬上槍試合や決闘裁判の関係で、「擁護者」や「代理闘士」が使われることが多い。この文脈では、訳者はふだん「代理闘士」を使っているのだが、困ったことに、本中篇に出てくる馬上槍試合は、「お姫さまを護る役目の騎士たち」がいて、「その役目を奪うため、ほかの騎士たちが挑戦する」という形式。であれば、「代理で闘う」より「護る」ニュアンスのことばをあてないとまずい。このとき、すなおに定訳の「擁護者」を使えばいいようなものだが、訳語は世につれ、世は訳語につれ。昨今は「擁護」というと、言論、人権、思想などを護る意味で使われる場合が多く、訳者としてはどうも、武闘的なものには使いにくい。考えあぐねて、これは「守護者(チャンピオン)」と訳した。  いっぽう、挑戦者のなかには、過去の別の槍試合で優勝した猛者たちがいて、彼らもチャンピオンと呼ばれることがある。この場合は、過去の試合の「優勝者(チャンピオン)」としておいた。そのほか、内容に触れるのでくわしくは書かないが、「助勢者(チャンピオン)」とした場合もあるし、「代理闘士(チャンピオン)」とした場合もあるし、「強者(チャンピオン)」とした場合もある。いやもう、訳語、ばらっばら。  ひとつの単語には、なるべく同じ訳語をあてたほうがいい。ほかの作家でもそうだが、とくにマーティンの場合、原語と同じように、ひとつで複数の意味を包含する訳語を当てておかないと、あとあと困ることがある。機会と時間があれば、このへんはいずれ、じっくりと見なおしてみたい。まあ、結局、同じような結果になっちゃうかもしれないんですけども。

 ところで本作品には、「世界に背乗りする牡馬」「約束されたプリンス」の大きなヒントかもしれない一節がある。ヒントだとしたら、この時点で驚天動地のネタを仕込んでいたことになる。

 初訳はハヤカワ文庫FT『伝説は永遠(とわ)に─ファンタジイの殿堂②』(2000年刊)所収の「放浪の騎士」(岡部宏之訳)。

■第二話「誓約の剣」“The Sworn Sword”(2003)

 主題は古典的水争い。この場合の〝剣〟は、兵士全般を指す。ダンクのような騎士だけでなく、登場する農民兵らも剣である。

 瑣末なことだが、老騎士の名前のユースタスは、ラテン語ではエウスタキウス、古代ギリシア語でエウストアキオース。意味は〝実り多い〟や〝不動〟や〝意志強固〟などだ。英語に訳せば、steadfast で、老騎士の住む塔館 standfast(不落城と訳した)と同義。つまり、サー・頑固一徹(ステッドファースト)が頑固一徹(スタンドファースト)城に住んでいるのです。

■第三話「謎の騎士(ミステリ・ナイト)」“The Mystery Knight”(2010)

 マーティンがミステリを書いた! その名も「謎の騎士(ミステリ・ナイト)」! 実名を隠して馬上槍試合に参加する謎(ミステリ)の騎士に推理の謎解き(ミステリ)をひっかけているわけである。とくに後半はミステリ色が濃厚で、法廷場面を意識しているふしもある。SFにホラー、アメコミにファンタジイと、ジャンル物はおおむね手がけてきた作者だが、推理小説だけは書いていなかった。ジャンル・ミックスはむかしからの芸風ながら、今回はファンタジイ+時代小説+推理小説!この組みあわせ、前代未聞ではなかろうか。

 ピークがマーヴィン・ピーク由来なことは作者が認めている。推測だが、ゴーモンはたぶん『ゴーメンガースト』に由来する。

 サー・メイナード・プラムは「彼」かもしれないが、はたして?

 以上三篇のほか、当初の構想では最大十二篇が予定されていて(これはまだ変わりうるらしい)、すべて書きおえたら、一冊の部厚い本にする予定だった。が、一篇あたりがだいぶ長くなってきたので、つぎからは三篇ずつで一冊にまとめていくつもりだという(これも変わるかもしれない)。

 作者ブログ2015年3月のエントリーによると、Dangerous Women に載るはずだった書きかけの第四作“The She-Wolves of Winterfell”「ウィンターフェル城の女狼たち」(これを含めて、以降は原題もすべて仮題)のほかに、多少とも構想ができている《ダンク&エッグ》物は、つぎの五篇。

“The Village Hero”「村の英雄」(河川地帯〔リヴアーランド〕が舞台)
“The Sellsword”「傭兵」
“The Champion”「代理闘士」
“The Kingsguard”「〈王の楯〉」
“The Lord Commander”「総帥」

 早く続きが読みたいものだが、当面は第四話すらむりだろう。なんといっても、〝『冬の狂風』は万事に優先する〟ので。

 だんだんと標語(モツトー)じみてきましたね(笑)。


《氷と炎の歌》の百年前を描いた短篇
『七王国の騎士』刊行!



ジョージ・R・R・マーティン/酒井昭伸訳
イラストレーション:鈴木康士
本体価格3000円+税 早川書房

SFマガジン

この連載について

七王国の騎士』訳者あとがき出張版

酒井昭伸

ついに刊行なった《氷と炎の歌》初の短篇集『七王国の騎士』。SFマガジン2017年2月号に掲載された、その訳者あとがき出張版をお届けします。《氷と炎の歌》が長すぎて手が出しにくいと思ってた方も、ぜひこちらからどうぞ!

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コメント

GameOfThronesJP 先日発売された『七王国の騎士』の訳者 酒井昭伸さんが本来なら書籍に掲載するつもりだったが時間的に厳しかったので断念した「あとがき」をWebで公開してくれてます。プロの翻訳家が何に拘って訳しているかが分かる大変興味深い文章になってます https://t.co/sTqgXMI4RW 約5時間前 replyretweetfavorite

stilllife わかるなー…ゲームだとDLCや続編で困ったりする。 ”ほかの作家でもそうだが、とくにマーティンの場合、原語と同じように、ひとつで複数の意味を包含する訳語を当てておかないと、あとあと困ることがある。" 約9時間前 replyretweetfavorite

Eugene_Roserie 酒井昭伸氏の訳っていつも固有名詞の処理が素敵なんですが、The Hedge Knightを諸々考えたうえで「草臥(くさぶ)しの騎士」ってやってるのが本当にいいなって https://t.co/JSq8O9YuFW 約9時間前 replyretweetfavorite

moet_csf GoT原作、外伝の翻訳も出てるんですよね……ああ原作…読まねば…(Kindleにペーパーバックがどかっと入ったまま…) 約11時間前 replyretweetfavorite