安倍晋三首相は平成28年(2016年)12月27日(日本時間28日)、米ハワイの真珠湾訪問後に「和解の力」と題して演説を行った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161228-00000024-jij-pol
安倍首相演説全文=真珠湾訪問
時事通信 12/28(水) 7:25配信
【ホノルル時事】安倍晋三首相が27日(日本時間28日)、米ハワイの真珠湾訪問後に「和解の力」と題して行った演説の全文は次の通り。
――――――――――
オバマ大統領、ハリス(米太平洋軍)司令官、ご列席の皆さま、そして、全ての、米国民の皆さま。パールハーバー、真珠湾に、今私は、日本国総理大臣として立っています。
耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、柔らかな光に照らされた、青い、静かな入り江。私の後ろ、海の上の、白い、アリゾナ・メモリアル。あの、慰霊の場を、オバマ大統領と共に訪れました。
そこは、私に、沈黙を促す場所でした。亡くなった、軍人たちの名が、記されています。祖国を守る崇高な任務のため、カリフォルニア、ミシガン、ニューヨーク、テキサス、さまざまな地から来て、乗り組んでいた兵士たちが、あの日、爆撃が戦艦アリゾナを二つに切り裂いた時、紅蓮の炎の中で、死んでいった。
75年がたった今も、海底に横たわるアリゾナには、数知れぬ兵士たちが眠っています。耳を澄まして心を研ぎ澄ますと、風と、波の音とともに、兵士たちの声が聞こえてきます。
あの日、日曜の朝の、明るくくつろいだ、弾む会話の声。自分の未来を、そして夢を語り合う、若い兵士たちの声。最後の瞬間、愛する人の名を叫ぶ声。生まれてくる子の、幸せを祈る声。
一人、ひとりの兵士に、その身を案じる母がいて、父がいた。愛する妻や、恋人がいた。成長を楽しみにしている、子どもたちがいたでしょう。それら、全ての思いが断たれてしまった。その厳粛な事実をかみしめる時、私は、言葉を失います。
そのみ霊よ、安らかなれ―。思いを込め、私は日本国民を代表して、兵士たちが眠る海に、花を投じました。
オバマ大統領、米国民の皆さん、世界の、さまざまな国の皆さま。私は日本国総理大臣として、この地で命を落とした人々のみ霊に、ここから始まった戦いが奪った、全ての勇者たちの命に、戦争の犠牲となった、数知れぬ、無辜(むこ)の民の魂に、永劫(えいごう)の、哀悼の誠をささげます。
戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない。私たちは、そう誓いました。そして戦後、自由で民主的な国を造り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました。戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は、静かな誇りを感じながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
この場で、戦艦アリゾナに眠る兵士たちに、米国民の皆さまに、世界の人々に、固い、その決意を、日本国総理大臣として、表明いたします。
昨日、私は、カネオヘの海兵隊基地に、一人の日本帝国海軍士官の碑(いしぶみ)を訪れました。その人物とは、真珠湾攻撃中に被弾し、母艦に帰るのを諦め、引き返し、戦死した、戦闘機パイロット、飯田房太中佐です。
彼の墜落地点に碑を建てたのは、日本人ではありません。攻撃を受けた側にいた、米軍の人々です。死者の、勇気をたたえ、石碑を建ててくれた。碑には、祖国のため命をささげた軍人への敬意を込め、「日本帝国海軍大尉(だいい)」と当時の階級を刻んであります。
The brave respect the brave.
「勇者は、勇者を敬う」。
アンブローズ・ビアスの、詩は言います。戦い合った敵であっても、敬意を表する。憎しみ合った敵であっても、理解しようとする。そこにあるのは、米国民の、寛容の心です。
戦争が終わり、日本が、見渡す限りの焼け野原、貧しさのどん底の中で苦しんでいた時、食べるもの、着るものを惜しみなく送ってくれたのは、米国であり、米国民でありました。皆さんが送ってくれたセーターで、ミルクで、日本人は、未来へと、命をつなぐことができました。
そして米国は、日本が、戦後再び、国際社会へと復帰する道を開いてくれた。米国のリーダーシップの下、自由世界の一員として、私たちは、平和と繁栄を享受することができました。敵として熾烈(しれつ)に戦った、私たち日本人に差し伸べられた、こうした皆さんの善意と支援の手、その大いなる寛容の心は、祖父たち、母たちの胸に深く刻まれています。私たちも、覚えています。子や、孫たちも語り継ぎ、決して忘れることはないでしょう。
オバマ大統領と共に訪れた、ワシントンのリンカーン・メモリアル。その壁に刻まれた言葉が、私の心に去来します。
「誰に対しても、悪意を抱かず、慈悲の心で向き合う」。
「永続する平和を、われわれ全ての間に打ち立て、大切に守る任務を、やり遂げる」。
エイブラハム・リンカーン大統領の、言葉です。私は日本国民を代表し、米国が、世界が、日本に示してくれた寛容に、改めて、ここに、心からの感謝を申し上げます。
あの「パールハーバー」から75年。歴史に残る激しい戦争を戦った日本と米国は、歴史にまれな、深く、強く結ばれた同盟国となりました。それは、今までにも増して、世界を覆う幾多の困難に、共に立ち向かう同盟です。あすを開く、「希望の同盟」です。
私たちを結び付けたものは、寛容の心がもたらした、the power of reconciliation、「和解の力」です。
私が、ここパールハーバーで、オバマ大統領と共に、世界の人々に対して訴えたいもの。それは、この、和解の力です。戦争の惨禍は、いまだに世界から消えない。憎悪が憎悪を招く連鎖は、なくなろうとしない。
寛容の心、和解の力を、世界は今、今こそ、必要としています。憎悪を消し去り、共通の価値の下、友情と、信頼を育てた日米は、今、今こそ、寛容の大切さと、和解の力を、世界に向かって訴え続けていく、任務を帯びています。日本と米国の同盟は、だからこそ、「希望の同盟」なのです。
私たちを見守ってくれている入り江は、どこまでも静かです。パールハーバー。真珠の輝きに満ちた、この美しい入り江こそ、寛容と、そして和解の象徴である。
私たち日本人の子どもたち、そしてオバマ大統領、皆さん米国人の子どもたちが、またその子どもたち、孫たちが、そして世界中の人々が、パールハーバーを和解の象徴として記憶し続けてくれることを私は願います。そのための努力を、私たちはこれからも、惜しみなく続けていく。オバマ大統領とともに、ここに、固く、誓います。ありがとうございました。
――――――――――
>私は日本国総理大臣として、この地で命を落とした人々の御霊に、ここから始まった戦いが奪った、すべての勇者たちの命に、戦争の犠牲となった、数知れぬ、無辜の民の魂に、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
まず、わざわざ「無辜の民」という文言を入れたことは、大いなる誤解の元となる。
アメリカ軍による東京大空襲や広島・長崎への原爆投下などは最初から「無辜の民」を攻撃目標にしていたが、真珠湾攻撃は「無辜の民」を攻撃目標にはしていない!
真珠湾での首相演説にわざわざ「無辜の民」の文言を挿入することは、日本軍も無辜の民を攻撃目標にしていたかのような誤解を招きかねないのでやめるべきだった。
次に、「ここから始まった戦い」という、いかにも戦争開始が真珠湾だったと明確にするような表現も避けるべきだった。
戦闘については「ここから始まった」と言えるかもしれないが、戦争については既に米国などによる「経済封鎖」で始まっていた。
昔も今も「経済制裁」は戦争行為ではないが、「経済封鎖」は戦争行為だ。
ロス在住のアメリカ人弁護士
「1941年8月による対日石油禁輸の決定は、国際法上の戦争に当たる行為であり、同年12月の真珠湾攻撃は防衛的な性格のものであるはずだ。このことを日本人はなぜもっと主張しないのか。不思議に思っている」。
藤岡信勝・湊川栄太「歴史の本音」
ジョン・フレデリック・チャールズ・フラー(英国陸軍)
「経済戦争の宣言であり、実質的な闘争の開始であった」
パール判事
1941年7月21日、ルーズベルト大統領は日本の駐米大使に向かって、「米国がこれまで日本に対して石油の輸出を許可していたのは、そうしなければ日本政府は蘭印にまで手を延ばすと思われたからである」と、語っているのである。
(中略)
さらに同大統領はラジオ放送で次のように述べてる。
「アメリカが日本に対し石油の輸出を禁止しないのは、米国自身の利益、および英国の防衛、さらにまた海上の自由をおもんぱかり、南太平洋水域における戦争の勃発を避けるためである。すなわち、日本を挑発しないためである」
石油を禁止した途端に戦争になるであろうということは、アメリカの政治家や評論家・軍人の間の常識となっていた。
しかるに、彼らはあえてその石油禁輸を断行したのである。
(ハルノート提示について)
ルーズベルト大統領とハル国防長官とは、右の覚え書に含まれた提案を、日本側が受諾しないものと思い込んでいたので、日本側の回答を待つことなく、右の文章が日本側代表に手交されたその翌日、アメリカの前哨地帯の諸指揮官にたいして、戦争の警告を発し、戦争体制に入ることを命令したのであった。ロバート報告書は、アメリカの前哨指揮官たちが11月27日に、すでに開戦の日が迫っているという警告を入手したと明言している。
(1941年に米国が対日石油輸出を全面禁止する以前の)ルーズベルトは、もし、我々(米英蘭)が日本に石油を売らなければ、彼らは蘭領インド諸島に南下して、武力奪取するだろう。そうなれば「戦争になるだろう」。だから我々は日本に石油を売り続けなければならない、と説明している。
P355
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著(1948年)
「実に石油の輸入禁止は日本を窮地に追い込んだものである。かくなった以上は万一の僥倖に期しても、戦った方が良いという考えが決定的になったのは自然の理と云わねばならぬ」
「(大東亜戦争の)原因を尋ねれば、遠く第一次大戦后の平和条約の内容に伏在している。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。」
『昭和天皇独白録』文藝春秋
―――――
1924年、「絶対的排日移民法」が成立。米国は、ヨーロッパからは毎年何十万人もの移民を入れていた時、日本人移民を一人も入れない法律を作った。
●1941年
7月23日、ルーズベルト大統領など米国首脳がフライング・タイガーによる日本本土爆撃計画に署名
8月1日、米国が対日石油輸出を全面禁止
11月26日(27日)、ハルノート提示
12月7日(8日)、真珠湾攻撃
―――――
1941年12月7日(現地時間、日本時間8日)、日本海軍の攻撃により沈没する戦艦アリゾナ
当時の日本は、石油の殆どをアメリカからの輸入に頼っていた。
そのアメリカが日本への石油の輸出を禁止した。
アメリカ以外では、わずかにイギリスやオランダ(オランダ領インドネシア)などの輸入先があったが、アメリカがイギリスやオランダにも日本に石油を売らせないようにした。
当時の日本は、アメリカから「日本に石油を売らない」と言われたら、戦争をして石油を確保するしか選択肢はなかった。
それと、実は、真珠湾攻撃よりも4か月以上前の1941年7月23日、フランクリン・ルーズベルト米大統領など米国首脳は、支那本土からフライング・タイガースによる【日本本土爆撃計画】に署名していた!
この米軍の「フライング・タイガース」こそ、アメリカが真珠湾攻撃以前から対日戦争に参戦していた何よりの証拠とも言える。
フライング・タイガースによる【日本本土爆撃計画】は「JB355」と名付けられ、1941年7月23日にルーズベルト大統領だけでなく当時の戦争長官や海軍長官なども署名した。
1941年、昆明におけるフライングタイガース
大戦中の義勇軍「フライングタイガーズ」 正規の空軍部隊だった 米紙が報道
1991/07/08, 読売新聞
【ロサンゼルス七日=桝井成夫】第二次大戦で蒋介石総統の中国国民党軍に協力、中国南部とビルマ戦線で日本軍機を大量撃墜したことで知られる「フライングタイガーズ」は、日米開戦半年前の一九四一年春、米国防総省の承認のもとに空軍基地から集められた戦闘機パイロット二百五十九人による正規の“エリート空軍部隊”だった、と六日付のロサンゼルス・タイムズ紙が報じた。同部隊はこれまで、民間義勇軍とされ、国防総省自体、陸軍省や大統領とのつながりをいっさい否定してきたが、約百人の生存者が国防総省に史実を認めるよう請願、このほど退役軍人として認められたという。
同紙によると、「フライングタイガーズ」のパイロットは、蒋介石の軍事顧問クレア・シェンノート氏によって、当時の新米パイロットの五倍相当に当たる月給六百ドルと日本軍機一機撃墜ごとに五百ドルという破格の報酬で、全米各基地から集められた。全員は農民や伝道師、エンジニアなどを装ってビルマに集結。蒋介石政権が米国に借金する形で資金を負担、弱体の中国航空部隊を裏で支えた。
現地で飛行訓練を積んだ後、十二月の真珠湾攻撃直後から国民党軍のマークが入ったP40戦闘機に搭乗、中国南部とラングーン周辺で日本軍機と交戦し、日本陸軍航空隊の戦闘機など日本軍機二百九十六機を撃墜したとされている。
同紙は「フライングタイガーズ」研究家デービッド・フォード氏の証言として、当時のモーゲンソー米財務長官が取り決めた国民党への一億ドルの融資が役に立ち、ルーズベルト米大統領経済顧問のロークリン・カーリン氏が計画全体の調整役を務めたとの見方を示している。
さらに同紙は、「フライングタイガーズは大統領と米軍中枢の承認を受けている」との米陸軍航空隊ヘンリー・アーノルド将軍のメモ(一九四二年)も見つかったとしている。真珠湾奇襲の半年前に米側が軍事行動をスタートさせていたことを示すものとして議論を呼びそうだ。
「真珠湾攻撃」の5か月前 米が日本爆撃計画 「大統領も承認」/ABCテレビ
1991/11/24, 読売新聞
◆米・ABCテレビが「米の責任」論評
【ニューヨーク二十二日=藤本直道】米ABCテレビは二十二日夜の報道番組「20/20」で、日本軍の真珠湾攻撃の五か月も前にフランクリン・ルーズベルト米大統領は、中国本土から日本への長距離爆撃計画を承認していたと伝え、同大統領は日本を意図的に開戦へ追い込んだと論評した。真珠湾五十周年を前に日本の奇襲を改めて強調する報道が多い中で、米国の開戦責任を米国側からまじめに論じたものとして異色の番組。
この爆撃計画そのものは一九七〇年に公開された公文書の中にあったが、その後歴史家に検証されることなくやみに埋もれていたという。同テレビは当時のパイロットや大統領補佐官などの生々しい証言を伝え、米政府が日本への石油禁輸を決めた時期と対日爆撃計画承認がほぼ同時期であり大統領補佐官の証言からも、ルーズベルト大統領が日本を開戦に追い込む意図であったと論評している。
この計画はJB355と名付けられ、一九四一年七月二十三日に大統領だけでなく当時の戦争長官、海軍長官なども署名。ビルマから中国への物資補給路を援護するため中国に雇われた米人パイロット・グループ、フライング・タイガースを率いるクレア・シェンノート氏がこのJB355計画にもからんでいた。
米政府は日本の弾薬工場や重要な産業施設を爆撃するため、長距離爆撃機六十六機を供与するほか、数百万ドルにのぼる経費や兵員も負担することを承認していたが、これは当時の米国の中立法に反するという。
シェンノート氏は、この爆撃により「日本の紙とマッチの軸で出来たような建物を灰に出来る」と報告していたが、作戦実施に手間取っているうちに真珠湾攻撃が始まった。
以上の事実から、日本国首相は真珠湾で「ここから始まった戦い」という発言をするべきではなかった。
>戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない。
>私たちは、そう誓いました。
>そして戦後、自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました。
>戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は、静かな誇りを感じながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
この毎度お馴染みの「不戦の誓い」、「不戦の誓いをこれからも貫く」という発言も、やめるべきだ。
支那やロシアや北朝鮮や韓国などの外国が、日本を攻撃して来たり、日本を侵略して来たりすれば、日本政府は自衛戦争をしなければならない。
日本政府には、日本国民の生命と財産と自由を守る責務がある。
自衛戦争はきちんとしなければならないので、軽々しく「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない」とか「不戦の誓いをこれからも貫く」などと言うべきではない。
今回、安倍首相の真珠湾訪問に同行した稲田朋美防衛大臣は平成18年に「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」と発言していた。(赤池誠章衆院議員らとの座談会、「WiLL」06年9月号/ワック)
この【「不戦の誓い」をするのではなくて、祖国に何かあれば後に続きますと誓って実行する】ことこそ日本政府の責務だ。
すなわち日本政府(首相や防衛大臣など)は「日本がまた経済封鎖をされたり攻撃されたり侵略されたりしたら、日本国民の生命と財産と自由を守るために自衛戦争をします」と常日頃から誓っていなければならない。
今回の真珠湾での慰霊の際に上記の発言をするのは相応しくないとしても、わざわざ不要な「戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない。」「不戦の誓いを貫いてまいりました。」「この不動の方針を、これからも貫いてまいります。」などという無責任な発言をしてはならない。
左:「在日特権と犯罪」坂東忠信著(2016/10/8)
中:「カエルの楽園」百田尚樹著 (2016/2/26)
右:『「カエルの楽園」が地獄と化す日』百田尚樹&石平著(2016/11/11 )
左:【国産トマト100%】カゴメ トマトジュースプレミアム 低塩 スマートPET 720ml×15本
中:デルモンテ 国産 旬にしぼったトマトジュース750ml瓶×12(6×2)本入
右:Panasonic 32V型 ハイビジョン 液晶テレビ VIERA TH-L32C6
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テーマ:軍事・安全保障・国防・戦争 - ジャンル:政治・経済
日本に侵略を企む中国に対峙するには日米同盟の深化は重要な国益です。日本を中国の脅威から守る為には先日の日露接近もそうですが、総理は今出来ることは何でもしています。
無いだろうがね
日米の真の和解とロシアとの平和条約とくれば戦後は大きく動き出す。と見て間違い無いが。
パヤオ
http://blog-imgs-54-origin.fc2.com/t/a/n/tanno10/20130206125218aac.gif
沖縄タイムス「海岸に謎の巨大鉄管。オスプレイ事故と関係が・・・」 → パヤオでした
http://hosyusokuhou.jp/archives/48781351.html
宣戦布告前と云うアメリカ側の認識で現実でも事実、其れが米国側の行為に正当性を与えてる。
錦の御旗の如く
だから日米真の和解へのと捉えてるんだけどね。
英霊や先人が怒ってるのは宣戦布告を怠慢により遅らせた外務省。
因みに反日サヨク、極左とは支那朝鮮に与す、所謂護憲派と称される勢力で安全保障を脅かし国家転覆を画策する奴等の事ですね。
↓
其れに良く似たコメント、同じキワードが並んだ奴を良く見掛けたんだけど何所で手に入れるの?前の対露交渉の時もそうだったな
↓
一方米軍は産業施設、インフラを破壊するなど日本軍の継戦能力や
国家的な継戦意思を喪失させる為の戦略爆撃であり
更に民間人の頭上に爆弾を投下する国際法に違反した無差別空爆だった
ところが反日パヨクである安倍はこの二つを同じように扱って
またもや英霊の顔に泥を塗った
去年の日韓合意で先人が朝鮮の女を性奴隷にした性犯罪者だったと世界中に公言したのに続いて2回目の反日行為だ
この腐れ外道の反日行為はこれからも続くのだろう
来年はどんな反日行為をやらかすのだろうか?
戦争を仕掛けられたら戦争を受けて立つのは普通の国家のあたりまえの行為だ!
仕掛けられた戦争に対する自衛のための戦闘行為だなんて言い訳は聞きたくない!
そんな世迷言では必ず発生するであろう戦死した英霊は未来永劫浮かばれないだろう。
少なくとも「不戦の誓い」は辞めて欲しかったですね。特亜とは、戦わなけらばなりませんから。南鮮はそのうち北鮮と統一し、名実ともに朝鮮になる勢いです。戦わないでどうするのでしょう。
主敵は支那と心得ています。
”在日中国大使館「日本メディアはあおり過ぎ」「中日両国の国民感情に影響するとは思えない」”
産経ニュース2016.12.28 15:39
http://www.sankei.com/world/news/161228/wor1612280040-n1.html?utm_source=browser&utm_medium=push_notification&utm_campaign=PushCrew_notification_1482877309&pushcrew_powered
1万16000人もの足止めをさせておいて、「このような小さな一件が、中日両国の国民感情に影響するとは思えない」ですと。
では、何もなかった南京に30万以上の虐殺があった、と騒いでいる支那人は何なのでしょう。
ならば半島、大陸に対して経済封鎖をしても良いともいえる。
のうち、姓名のはっきりしている、数百万の方々は全て靖国神社に祭られている。
千鳥が淵というのもあるが、ここに祭られているのは、三十五万の無名戦士
だけである。そして戦後の犠牲者はほとんど無い。
これらの方々はあるいは家庭にあって父であったり、さまざまな
職業にあるも、国家の命により、ほとんどが徴兵として、それらを
なげうって戦場におもむき、結果として、戦死された方々である。
そのことに対し日本国首相が命令した側の代表者として敬意を払うのは
当然であり、もし、敬意を払わない代表者がいたら、それは見過ごすこと
の出来ない、非礼である。そして、このことは国家を問わない道理である。
戦犯を合祀していることが問題であるという意見もあるが
東京裁判というのは戦勝国が敗戦国の指導者を処刑する為に
まず死刑という結論が始めからあって、途中の議論は無視
されたいわば出来レースであって到底公正なものではない。
B級戦犯でもきわめていい加減な裁判で、無実の受刑者はきわめて多い。
ゴボウを料理して捕虜に出したことに対して、木の根を
食わせたから虐待であるとして、処刑されたものもいる。
誰を祭るかは日本の内政問題であって、そのことに問題は無い。
それを言うならば、原爆を使用し数十万の罪無き市民を虐殺した
米国のトルーマンこそヒトラーと並ぶ戦争犯罪人であって、断罪されなければ
ならないと言える。
焼け跡に佇み、紺碧の青空を見上げれば数機の戦闘機が轟音をとどろかせ
日の丸の旗を振り、低空で舞っている。
焼け跡の国民学校4年生の少年も腰の手拭いをとって思い切り振り、パイロットに応えた。
しばらくして、戦争に負けた事を知った。言いしれぬ悔しさがあった。
さっきの戦闘機はどこに飛んでいったのだろう。涙が止まらなかった。
焼け跡の鉄筋校舎で迎えた新学期、まばらな集まりで、多くの悪ガキ学童は疎開から
戻っていなかった。気丈な女教師が何を喋ったか記憶にない。新婚のご主人は
特攻で南の海に散っていった。戦争中、オルガンで和音の特訓を受けた覚えがある。
グラマン、ロッキードとわが零戦の音を耳で識別するためだといった。
★小生はかく思う
日清戦争以降、大東亜戦争までの日本の戦争は、アジアに覚醒を促した。
韓国、台湾その他アジア諸国に「近代の精神」をあたえた。
しかし、支那・朝鮮半島の国は、未だ、近代の文明の作法が理解できない。
悲しい、哀れな国である。
日本はアジアの歴史の母であると堂々と胸を張れ。
政治家諸公よ!この事を自覚されよ。国際舞台でも堂々と胸を張り語ってほしい。
「母との往復書簡」の中から
大賞
神奈川県「長倉良美さん83歳」
戦時中に戦地に一度だけ母から届いた手紙
○母の手紙
「がっこさえってなェがら、かぐごどわがんなエ。いぎで(生きて)かえってこいよ」
○その返信
「てぎ(敵)のたまとんでこネがら、まだよんでる。なんどもよんで、じがけエて(字が消えて)しまた」
・・・・・・・・・・・・
同じく大賞
東京都「常住弥加さん15歳」
○母への置手紙
「私はしばらく家出します。さがさないで下さい」
○母から家出先の友人宅に返事が届いた
「いってらっしゃい。晩ご飯までには帰ってくるのよ。今日はハンバーグだからね」
・・・・・・・・・
味があるなあ・・・日本語っていいものだ