どうも、ガンダムのオッサンです
今回は年末特記になります。
んで、年末に相応しいかどうが全然わかりませんが、差別について書いてみました。
そもそも差別について考えるきっかけになったのがこちらの記事
5回ぐらい読み返した結果、差別についての基準が良く分かっていない自分を知る事になりました。
んで差別がダメな事は今の時代は常識という事になっていますが、その基準とは時代によって変化するんじゃね?
なんて考えてみるとですね、記事を書きたくなるってもんです。
...書くしかないですよね、年末特記だし。
相変わらず突っ込みどころ満載の内容となりますのでその辺は勘弁してください。
あと右翼さんとか左翼さんとか〇〇主義とかの政治的活動家さんは読まないで欲しいです。
差別を感じた事が無い
ネットで差別について発言する人は沢山いて、そいう記事を読んだりする人ってけっこういると思うんですよね、多分ここまでは一般的だと思います。
んで、そこから自分がどのようなアクションを起こすかによって自分の立ち居地が決まってくると考えておりまして、私は今まで立ち居地を決めたことがありません。
という事で立ち居地を決めなければ差別について語れないと.... って良く考えたら私は差別された事が多分ないんですよ。
そりゃお金持ちと貧乏で分けられた事やアホや知的と分けられた事ぐらいありますよ、理不尽に虐められたりダメグループに入れられた事だってあります。
ただそこで自分が差別と感じた事がないんです。
こう考えると、差別の定義はやっぱり難しいです。
一応wikiを見ましたけどこれは難しいテーマとしか思えません。
これじゃあ差別について語れないので、差別の中でも大きなテーマである人種差別で考えるとですね、そこでも私は差別を感じた事がないのです...
これはもしかしてとても重大な事のような気がしてきました。
日本人の場合は自国に居る限り人種差別を受けにくいのでは?
なんだかんだ言っても日本は日本人がメインの国です。
それも今後偉い人が移民とかやっちゃえば変わる可能性が大きいとは言っても日本人が日本国において人種差別を受けるってのは現状では極少と考えています。
しかし過去の時代、日本が統一されていない時代の沖縄の人と北海道の人ではかなり違ったはずで、そこには人種差別的な感覚があったのではないか?
と考えてしまいます... まあ出会う可能性が少ないはずなので実際にあったかどうかは不明。
現代ではそんな事全くありませんよね、むしろ北海道に遊びにいってイクラとかマルセイバターサンドとか美味しいもの食べまくりたいし、沖縄に行って海ぶどう食べまくったりアグー豚を食べまくりたいです。
まあ旅行って事にはなってしまいますが、飛行機で訪れるような遠く離れた土地に行ったからといっても人種差別という言葉すら思いつきません。
方言の違いがあるにせよ完全に日本人同士であり、どこに行っても同じ標識で同じ法律が適用されています。
ただ、これが旅行でない場合... 転勤や転校といったものであれば少々の差別が存在するのではないか?と考えますが、それでも人種差別ではないと思います。
この辺は経験がないので分かりません。
ただ日本人が外国へ行く、それも修行とかってな経験を各種メディアで見ると人種差別を味わう人が多いようです。
郷に入っては郷に従えが重要っぽい
郷に入っては郷に従えってなことわざあるじゃないですか、あれってネットで検索すると世界でも似たような感じの言い回しがあるんですよね。
んでコレを守るというか、当たり前のものとして考える民族が日本人だと思うのです。
この考え方は閉鎖的であるとも感じるし、長いものに巻かれろ的な感じもします。
ポジティブかネガティブか?
と聞かれれば状況により異なりすぎるので両方の意味を持つ言葉という事であってると思います。 このように考える時点で私は事なかれ主義なんですかね?
んで人種差別といったテーマで考えると「郷に入っては郷に従え」ってな考え方は
「少数側」の考え方なのでしょか?
それとも「多数側」の考え方なのでしょうか?
多分だけど、コレが国によって違うのではないかと考察してみたんです。
少数側の立場であるなら争いを避けるとかの保身的行動、多数側の立場であるならルールに従え的な上から目線...
う~ん....
表面上は対立しないで居られるかもしれませんが、心の中では対立が発生してしまうようにしか思えません。
これじゃあ口に出さないけど人種差別アリになってしまいます。
時間の解決、外観の解決
人種差別に答えを出すのは現状不可能であると思います。
アメリカもオバマさんが大統領になったとはいってもですよ、過去に人種差別が存在した事実はどうやっても消せません。
ただ外観、つまり肌の色についてはメディアの発達、しかもインターネットの発達により違う人種の動画を見る事によりかなり軽減されてると考えています。
日本で言えば外国人タレントさんで昔はウィッキーさんから始まって格闘技ではボブサップさん、相撲ではハワイ系の力士、面白系ではボビーオロゴンさん....
他にも沢山いるんだけど、彼等の功績は大きいと考えており、もしかすると
世界的にそのような流れが発生しているのでは?
と予測しております。
まあ私の予測ですが、これはインターネットがあったからこその緩和じゃないでしょうか。
んで、あくまで私の考えですが、核心に迫ってきているのではないか?
と偉そうに書いてみます。
あ、私としては冒頭で触れたように、コレは人種差別を感じた事が無い人間の主張ですからね。人種差別をしたことがあるorされたことがある人はまた違った見解が絶対にあるはずなので、そこは誤解しないで下さい。
価値観とプロパガンダ
外観の違い以外にも価値観の違いも人種差別の発生要因かもしれない... こんな風にも考えています。
価値観の違いによる衝突を避ける為にはお互いがお互いの価値観を知ることにより緩和されるってのが通説みたいな感じです。
まあこのような考え方は上手くまとめている感もするし、対立を生まない考え方みたいな感じだから一つの回答としては優等生的なものでしょう。
でもお互いの価値観を知るってのはけっこう大変な事じゃないですか、 同じ日本人同士だってあるし男女でもありまくりです。
それが異なる人種、異なる言語ってなればもう大変ですよね、もしも学校で教わったある民族や国家の価値観が現実と異なったり変化しているとすればヤバイ事態が発生しかねません。
むしろお互いの価値観を知らない方が良くて、社交辞令的な付き合いのほうが安全。
そして日本は教育をプロパガンダに使う国とまでは言えませんが、教育をプロパガンダする国の価値観は、日本の学校教育の場においては教えきれるものではないと思うのです。
日本の学校が「A国は日本が好きな国で付き合いも古いんだよ~」
と教えたとしてもA国の教育が
「日本はあんまイイ国じゃないかんね、つかヤバイ国だかんね」
なんて教えたりしたら価値観に違いがありまくって当たり前ですもん。
そんな価値観の違いから衝突を避けるようにするには、社交辞令であっても共通の価値観がまず必要。
んで日本は民主主義の国だから... と言いましてもね、現実はアメリカの価値観に従う国です。
ともなればアメリカと価値観を共有する国家間においては人種差別もまた... ってな流れが理想なはずなんだけど現実は違いますよね。
そもそも論として、アメリカという国家の価値観を見下す国家があるわけでして、しかもそのような国家の価値観って学校では教えませんもん。
かつては本だったり、テレビだったりで、現在はネットでこのような知識を知るってもんです。
さて、いよいよヤバイ領域に踏み込んできている感があります...
私もいい年コイタおっさんなので、もうちょっと頑張ってみます。
1940年頃の戦争の呼び方
この3つの戦争名を同時にブログで書くことがとても怖いです。
怖いんだけど、現代における人種差別を語ろうとすれば多分ここを外して語れないはずなんですよ。
んで超ビビりながら書くとですね、この三つの呼び名ってやつは基本的に同じ時代の戦争を表しているはずでして最もマイルドで攻撃性が少ない呼び名が第二次世界大戦でしょう。
第二次世界大戦って言っとけば世界中で戦争が起きたんだよって事で戦争は良くない事という共通認識で済むはずです、つまり現代人にとってはその価値観が似ているという事です。
あとの二つ...
これ、価値観が全然違うし人種差別が大いに絡んでいます。
「太平洋戦争って言うから」 これはGHQ
「大東亜戦争」これは東條内閣の閣議で決めた名前
んで日本は敗戦国、完全なる戦後生まれの我々としては学校でこの時代の戦争を勉強します... といってもあんまり勉強しません、つか勉強させないような構図。
多分ですよ、ここで戦争の事実だけでなく、お互いの立場にたった戦争目的を教えればイイはずなんです。でもそれが出来ないし、現状ではまだやるべきでないとも私は考えております。
人種差別で昔からあるのは有色人種や〇ダ〇人ですよね、これは教科書でも触れる内容だからはてな的にもOKだと思います、ダメだったら言ってほしいし、警告して欲しいです... あ、やっぱ怖いんで伏字にするしかないです。
これらの人種差別は過去にあった事という事になっていますが、現在においても尚微妙な扱いです。
これは日本人的な人種差別の感覚で語るとですね、多分どっちも敏感な問題では無くなってるはずなんですよ、たまにアーティストがそういう団体から怒られるってのも敏感な感覚が日本に無いからなんだと思うのです。
んでこれが人種差別をされたことが無いと考える...まあ個人的かもしれないけど私の感覚だと。
ただし、1940年代の戦争においてはそうではなく、日本人は人種差別される側の立場だったと思うのです。
スピードが大事
イエローモンキーって言葉を聞いて何を思い浮かべるかですよ。
私が真っ先に頭に浮かぶのはJAMであってイエモンの好きな歌です。しかしその歌詞は物議をかもす歌詞でもあるという... まあ、それでも人種差別は感じません。
って、これが私の考える核心なんです。
そういう意味では
日本は世界で最も進んでいる国なんじゃね?
って思えてなりません。
たぶん価値観や文化の変化スピードが速い場合は人種差別に対する考え方が全然変わってきて、人種差別を行う事に意味を感じない... 恐らく時間の無駄じゃね?ぐらいに変化してゆくのではないかと考察しております。
それが可能な国家とは... ってこれ以上固有名詞を出すと人種差別や選民思想という事になるんでしょう。
まあ日本を持ち上げてる事になっちゃいます記事かもです。
そして今世界はインターネットで繋がっているので情報は即座にばらまかれる時代ともなればですよ、この先人種差別に対する考え方自体が意味を持たなくなると思っており、
逆を言えば人種差別をやめようといった発言のほうが何とも言えない感情を引き起こすのではないかとも考えています。
とはいっても、今年はそのような法案が出たのでまだ終わってない問題であるのも事実です。
...ああ、私そうとう怖い発言をしている自覚があります。
お願いですから怒らないでください、許して下さい。
私も頑張って色々な人が傷つかない様に書いているつもりです、
人種差別を感じたことがない人間が偉そうなこといってんじゃねぇ!
といったご意見があるのは重々承知しております。
まとめてみる
漫画の世界で人言葉を話す動物やモンスター、スターウォーズの世界でヤバイ見た目の生命体...
あのような世界は人種差別がテーマで無いからそういった要素は感じられません、しかし人種差別を克服した世界観は感じる事ができます。
そんなわけで、私としては最終的に科学の進歩が人種差別を解決するのではないかと考えており、
その役目を負うのが現状だとグーグル、そして多言語対応リアルタイム翻訳こんにゃくマシーン。
この二つがマジで使えて一般的になった時代は人種差別は過去のものになっていると信じております。
それが10年後なのか30年後なのかのリアルな見通しが出た時点でけっこう変わってくると思うんですがね...
んで、もしも人種差別的な観点からそのような技術を表に出さないとすれば怒っちゃいます。
そういった分割して統治みたいな考え方はインターネット世界には通用しない考え方だし、人類にとって良くない考え方だと思うし。
あ、世界的に言語統一ってのは反対です。
それだと強い国家の言語が標準になってしまうし、物の考え方も強い国家の言語思想になっちゃうと思うんで。
ここまで読んで頂き、ほんと感謝しています。
このようなテーマにチャレンジする事を避けようか迷いまくりましたが、人種差別を感じたことが無い立場という見解があってもいいんじゃないかと思って書きました。
怒りのブクマとかコメントとかもらっても私は謝り続けるだけなので、もう謝っておきます、ごめんなさい。
もしも心にあるナイーブな部分をえぐってしまったのであればホント申し訳ありませんでした。
それと、この記事は年末特記事という事で、
2016年12月28日(水) 18時30分~21時57分ぐらいまで
の公開というチャレンジでもあります。
時刻になったら記事を非公開にして後でPV数とか色々検証してみます。
再び記事を公開するのは年始の仕事始め時ぐらいにしようと考えてます。