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年末にざわつくのは他人に価値の基準を合わせてしまうからなのかもしれない

孤島から思うこと

〒みなさま

 

 

今年も残すところあとわずか、大掃除が全然間に合っていません。しかしこの部屋には随分守ってもらっているので、できるだけ頑張りたいと思います。

と言いつつ映画を見てきてしまって思ったこと。

私はまだまだこの「はてなブログ」のお作法というか、ブックマークがどういう作用をもたらすのとかが分からないのでまずそちらを学ばないといけないのですが、ついつい色んな方のブログを読んでしまいます。そこですごく気になったことがあって、年末は一人でいるのが身にしみるとか、自分と他者を比べてしまうというような話を何度か見かけたことです。

それが良いとか悪いとか感じるのはその方の自由なのですけれど、そう仰ってる方の中には「他人と自分の人生のビンゴを比べている」方がいるのかな、というようなことを想像しました。

ビンゴカードを想像してみてくださいね。

 

学歴が~以上だ、今~才だ、どこに勤めてる、または~に勤めている家族やパートナーがいる、彼氏か夫がいる(または彼女が妻がいる)、こどもがいる、こどもが二人以上いる、世帯年収が~万以上だ、学、不動産がある、家族に優秀な人がいる、とかあんまり思いつかなかったけれどそういう誰かが誇りに思うようなことや、自分の世代が平均的に行っていそうなこと、所有していそうなこと、経験していそうなこといろんなこと、そういうビンゴの穴をぽちぽちあけていって、たくさん揃った人がすごいみたいな気持ちになるのかなって。

あくまで勝手な想像なので、ぜんぜんちがうかもしれないのですけど、私自身が時々自分が申し訳なくなったりするほうなので、勝手に想像を進めてみました。

そこで思わぬ自分の最近考えて居ることとクロスしたのです。

またこのパターンです。このパターンよくあります。

別なことを考えていたはずなのに自分の抱えている課題にリンクすることだったっていうこと。問題の解決策はまったく関連のないところからやってくることがおおいですね・・・。

 

私が「考えるのとりあえず中断」というラベルの箱に入れておいたことなのですが、このブログについてです。はじめようと思ったのは8月だけど、ちゃんと書き始めることができたのは10月の末か11月の最初くらいからなんです。

「はじめに」の所や、所信表明めいた記事に書いたように、私は人と会話をする能力を磨くことからずっと逃げてきてしまって、好きだと思ったらすぐ好きだといってしまったり、本心なのですがお世辞に見えるほど人を突然褒めたりします。(これは本当に本心です)感情がたぶん人より大きいほうなので、オーバーなリアクションをとったり、いわゆる空気が読めないところがあって、うまく話ができません。

書き言葉なら咄嗟に変なことを言わず、誰かに届くように話せるかもしれないと思ったことがはじまりです。けど最近前の記事を読み返してきて思いました。

幾つか、これじゃないって記事があって、それを近々削除したいなって。

誰かに読んでみてほしくて、まとめサイトのまねごとをしたことがあります。

いや、読み返したことがある方に(まとめサイトのようにまとまっている記事は1つもなかったけど・・・?)と首をかしげられてもまったくもう、平身低頭謝罪するのみなのですが、自分なりに、どなたかが役にたつと思って来てくださるかもしれないと書いてみたことが何回かあります。

それは読み返してみるとなんだかすごく間違いのような気がしました。

私が書きたかったのはこれだったのかなって。私は誰かに仲良くしてほしいし、好かれたいなって思ってるけど、でも私が私を擬態してもいつかは必ずばれてしまうし、私がしたかったのはこれだったのかなって考えました。

私は今まで他人をいじめようと思ったことはありません。そして誰かを傷つけたいと思ったことも、自分のことに関してはありません。正直にいうと、好きなものが少なく深く好きになるところがあって、そういう部分が根にあるから好きな人とかを傷つけられるととっても怒った気持ちにはなります。でも、自分のことに関してはありません。

だけど本当に空気が読めずそれについての努力もたりず、たくさんの人を不愉快にさせてしまってきました。

それは私の自意識が強すぎたり、主観的な考え方をするとか、原因がわかっているものもあって、でも直せないし直したくないものもあって、だから、伝え方が上手になれたらいいなって思いました。誰のことも不愉快にさせようとか、傷つけようとか思ってないのにそうしてしまう自分を直せるように努力したかったんです。

でも、私が時々したことはブログで流れる言葉や一般的な範囲に入るであろう(たとえばウィキペディアまとめサイト、情報サイト)の書式を模倣して真似ることでした。

好かれたい人があらわれるたびに、その気持ちが落ち着くまで数日間くらいついやってしまいました。

おかしい人だとか怪しいひとだとか、距離をおかなくてはいけないひとだと思われるのが怖くて、NAVERまとめとかを意識的に読んだりしました。

嫌われるのがこわくて。

それは一日のアクセス数が増えるたび、そんな気持ちになりました。

嫌われたくないな、へんなひとだと思われたらどうしよう、できたら好きになってもらえたらうれしいな。

ゲームとか飲み物とか、自由な時間の使い方とか、他愛もないことを話せたらいいなってもしかしたらいつか友達になれるかなってことを考えたりしながら、そしたらどんどん誰かに楽しんでもらえるようなこと、らくになってもらえるようなことを書きたいなって、それ自体は本心だけど、でも、私が書きたくて、誰かに楽しんでもらえることじゃないとそれはニセモノじゃないのかなって、思いました。

でも、人を不愉快にするのは私の専売特許みたいに感じる時があって、もしそれを好きな人にもしてしまったらどうしようとか、誰かを思い切り傷つけたり失望させたらどうしようとかぐるぐる考えて、私は文章を書けないときへたな絵を描き続けました。

かくことは楽しかったです。ノートにいつもいたずら書きしてたし、かくことはすきです。

でも少し前友人に、「絵は性格が出てていいと思うけれど上手い人には絶対かなわないしそもそも勝負にならない、絵はわかりやすく伝えるためのおまけだから、まどちゃんは文章をもっと書いたほうがいいと思う」

といわれたのです。それには理由があって私は昔文章をかいていたからです。

だからって才能が保証されるわけではないし、前に書いてたものは創作文だから、実際に私が普段思うことを文章で書くことによって、配慮の足りない地がでてどなたかを傷つけないか気になるときはあります。

でも色んな人の文を読んでそれは自分が自分の書いたものに責任をとるという気概ないだけの逃げ口上にも見えてきたし、そして私が今好かれたいこのひといい人だな、すてきだなって思う人に本当の自分で接してそれで嫌われるなら仕方ないことだって、おも・・・おもぉ・・・おもっ・・・思いにくいですけど(弱い)!!できれば好かれたいですけど、でも、変わらなくちゃ。って思いました。

誰かの感性にすがることは絶対だめだって思うんです。

私らしくしていて結果誰かに似ることはいいけど、私から誰かの感性を隠れ蓑にすることは絶対だめだって思うんです。

それは家族や、数少ない友達が守ってきてくれたものにツバを吐きかけるようなことに思うからです。誰かが自分のためにしてくれた労力を軽くみるようなことだけはしたくない。

故意に傷つけたりしてないにしても、無知のせいで無神経な発言をしたりしないようにすることや、見つけたらすぐに直すことや、悪いことはちゃんと謝ることとか、そういうことを努力して、自分らしくして、いけたらいいなあって思いました。

私の愛は暗くて重くて粘るので(本当にこわい)もし、いつか嫌われたとしても一度好きになったらずっと心の中で応援しています。

みなさんがかけてくれることばが毎日たくさんの影響をくれました。

だから本当に、いつもありがとうございます。

大掃除もかねて、年内中に擬態した記事はやめて、ついでに憂鬱だった予定はキャンセルしてさっぱりした気持ちで、「書くこと」に向き合いたいなって思いました。

けどやっぱりずっと誰かに楽しんでほしいことも、ラクになってほしいことも、それとどこか好かれたい!せめて嫌われたくない!みたいなみっともないところはあると思います。

そのいまいち情けないのが私ですが、どうかたまに読んでもらえたらすごくうれしいです。これからも絵もまんがもかきますけども!!変な場所から出てる手とかわらってやってください。


いっつもほんとお前は構ってチャンかってくらいにねちっこい話をしてすいません・・・なんか、思ってることを正直に書かずに切り替えることは、どうしても夏休み明けに髪型変えたみたいな恥ずかしさがあって!本当にすいません・・・!

たくさんお手紙かきましたね。

書くたびに、本音が出せています。読んでくださってありがとう。本当にありがとうございます。私は私が恥ずかしくて知られるのが怖くてたくさん隠してしまうけど、読んでいただけたから書きたいことや伝えたいことが本音でいえるようになってきました。

本当に、読んでくださってありがとうございます。

またお便りしますね

円野まど

 

last chance to buy これみてたら変わるならいまだよって気持ちになった

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