小学校道徳教科書に載る「江戸しぐさ」はウソだった
2015.01.19
捏造された歴史を教えて"美しい国ニッポン"づくり
安倍政権が理想とする"美しい国ニッポン"。その実現のためには、小学生にウソの歴史を教えてもかまわないというのだろうか。
昨年末、文部科学省ホームページで、’14年4月から小学校の「道徳」の授業で使われている"教科書"の中身が公開された。そのなかの一冊、『私たちの道徳 小学校五・六年』(廣済堂あかつき)には、「江戸しぐさ」という江戸時代のマナーが紹介されている(上写真)。
この教材によれば、江戸しぐさは江戸時代、〈様々な人たちがおたがいに仲良く平和に暮らしていけるようにと〉生み出された「商人しぐさ」が江戸の町に広がったもので、そのなかには、「かた引き」「かさかしげ」「こぶしうかせ」などがあるという。
「しかし、江戸時代の風俗を検証すると、実在した可能性がきわめて低いものばかりだとわかります。たとえば、雨のなか人がすれ違うときにお互いの傘を傾ける『かさかしげ』が紹介されていますが、当時、傘は高級品で多くの人は主に頭にかぶる笠や蓑(みの)を使っていました。傘を使う場合でも、当時の和傘は洋傘と違って、すれ違うときは傾けるよりすぼめるほうがお互いに濡れにくい」
こう指摘するのは、偽史に詳しい歴史研究家の原田実(みのる)氏だ。
「そもそも、江戸しぐさの普及運動は、’01年に評論家の越川禮子(れいこ)氏が書いた『商人道「江戸しぐさ」の知恵袋』という書籍をキッカケに活発化しました。この本で紹介されているエピソードにも問題が多い。たとえば、健康のためにトマトを食べる習慣があったという記述がありますが、江戸時代、トマトは観賞用でした。『こぶしうかせ』は、越川氏の言う『こぶし腰浮かせ』が元ネタで、これも相当怪しい。渡し船に乗っているとき、あとから乗ってきた客のためにこぶしほど腰を上げて席を詰めていたというのですが、当時の渡し船は川の両岸を往復するもので、しかも、出発直前にいっせいに乗り込む方式をとっていました。途中から新たな客が乗るという想定自体がありえないんです」(原田氏)
こんな根拠の薄いものをよりどころにして、’07年には『NPO法人江戸しぐさ』がつくられ、今回、江戸しぐさは教材に盛り込まれた。
たしかに、〈人々がたがいに気持ち良く暮らしていく〉という江戸しぐさの理念は美しいが、だからといって文科省が主導して教材にウソを載せ、小学生に教えていいということにはならない。
「教科書を持って帰れ」
江戸しぐさが採用された背景には、安倍首相と思想を同じくする盟友の下村博文(はくぶん)文部科学大臣(60)が深く関わっている。教育勅語の復活や道徳の強化を唱えるゴリゴリの保守派だ。
’13年10月、下村氏は自分のブログで、明星大学の高橋史朗教授から江戸しぐさのレクチャーを受けたことを報告している(現在は削除)。高橋教授は「伝統的な家族の復活」を唱え、男女共同参画会議議員を務める自民党の教育ブレーンだ。
その直後の同年12月に「道徳教育の充実に関する懇談会」の報告が下村氏に提出され、これを受けて、「教科外の活動」だった道徳が’18年中にも教科化されることが決まった。それまでの"つなぎ"の教材として、前述の『私たちの道徳』が採用されたというワケだ。
下村氏はこの教材に強い思い入れを持っており、昨年5月には、「子どもが家に持ち帰っているか調べて」とフェイスブックに書き込みをしていた(現在は削除)。事実この後、文科省は複数の小学校に「児童生徒が持ち帰って家庭や地域等でも活用」するよう通知を出し、国会で「教育の監視体制づくりだ」と批判をあびた。科学的な根拠や検証を二の次にしてでも、"美しい国"の価値観を浸透させたいという前のめりの考えが透けて見えるではないか。
自民党が推進する政策の背景には、ほかにもこの種のものが多い。最も問題とされているのが「親学(おやがく)」だ。
親学は、前出の高橋教授が普及を進める子育てについての考え方で、「できるだけ母乳で育てる」「授乳中はテレビをつけない」などと主張している。自民党を中心とした保守系の議員が「親学推進議員連盟」をつくっており、会長を安倍首相が、事務局長を下村氏が務めている。その設立趣意書には、〈日本人の精神的伝統を(中略)よみがえらせる〉とある。
「親学はこれまでたびたび問題になってきました。『伝統的な子育てで発達障害が予防できる』といった主張をしていますが、これにも科学的根拠がありません。’07年の第一次安倍内閣では、親学の内容を盛り込んだ教育再生会議の報告が出され、実際には提出されませんでしたが『親学マニュアル』という提言も準備されていました。現在も、政権はあわよくば親学の考え方を国民に押しつけたいという思いを持っているでしょう」(全国紙社会部記者)
タカ派政権に都合のいい道徳を国民に浸透させ、操っていく――。野心丸見えの動きを見過ごしてはならない。