理論武装(私は日立製作所の長井聡と考えている)が名前を隠してコメントしてきとる。AKBとか鉄道について、ファンと労働者はどうやって思いを共有できるか?の個人的考察。
メモリストがどうのと書いているけれども、私はアンチメモリストや。
http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-3a49.html#comment-114156684
大西の極北のブログとは裏腹に、多くの人間が見る公演の感想を
書いているメモリストというファンが昨日の島崎遥香卒業公演で
認知されてて呼びかけられてたけど
大西もああいうふうになりたいんだろうな。尤も、大西のAKBのメンバーのために書く文章はメンバーのためではなく
感想を書いている自分を凄いと思って欲しい願望からであり、
自分のための感想なんだということを理解できない限り、
誰一人として大西さんの感想は素晴らしい!とは言ってくれない。投稿: | 2016年12月27日 (火) 06時00分
というのも、最近は公演のことも書いてないみたいで、たとえばもえきゅんの生誕祭のを出してくるけど、コレ読んでもメンバーが発言したことしかワカラン。
ヲタはそれでもええのかもワカラン。
ササッと読んだら、次の握手会の予習になるから。
けど、メンバーの立場に立ったら、自分らはMCよりも公演を頑張っているのであって、公演でこれまでと比較してどうだったか?を書いてくれたほうがうれしいわけで、だからこそ私はあんまMCについては積極的には書いてない。
それでも、受け答えでオモロイと思ったところについては書いとる。
メンバーがどう言ったかというよりも、メンバーの言葉を受けて自分がどう感じたか、を書いとる。
だって、メンバーの側からしたらそれこそが知りたいんやから。
一般的な仕事だってそうやな。
たとえば、資本家から言われた通り料理を作って提供する。自分は料理を作ったことに対して、資本家から給与をもらう。
そんな体系になっているけれども、実際は料理を食べるヒトが資本家に対して、対価を支払っている。
ホンマはもっとたくさんその対価をもらえるはずやのに、資本家許せん!となってまうのが闘争で、まあその考え方は大事やと思うんやけど、そのお金の流れのいびつさを一旦取り除いて、単純に、
「料理を食べる人が美味しいと思ってくれただろうか?」
と、不安に思うココロはあるやん。
それに対して、食べた側が
「この料理はすごく美味かった!コレはイマイチと思った!」
と言ったら、ものすごく参考になるやろ?
そういう声を、労働を観て、受けている側の者は、ホンマはもっと届けなアカンねん。
けれども、悲しいことに、労働を観て、受けている側の者は、どうしても「お金を払ってやっている」と思うてまうものやねん。
そうすると、「どうして自分が好きで来ているのに、わざわざ感想まで言わねばならぬのだ?」という発想になってまう。
だから、感想を言わんもんばっかになってまう。
そんなスキをついて、答えたら〇〇プレゼント!とか、資本家側のほうから”アンケート”を作って、労働者についてちゃっかり査定のデータまで作ってもとるねん。
しかもその”査定のデータ”を、今度は「個人情報」とか言い出して、それぞれがどんな査定を受けているか?をクチにしたらアカンような仕組みまで作ってもとるねん。
そう考えると、幾重にもおかしいところがあるよな。
けれども、その”幾重にも”をちゃんと理解せずに、「だから運動なんだ!!!」なんて短絡的に考えるのではなくて、その”幾重にも”を、それぞれの人々に対して言って、
「なるほど。確かに仲間について、もっと発言してかなアカンなあ。」
と思わせるようにしてかなアカンねん。
私の公演の感想は、そんな思いから、とにかくメンバーに対して、自分が素直に思ったことを書いている。
その姿勢は変えてない。
その例でいうと、鉄道で働く人々がいて、また別に鉄道ファンがいて、鉄道で働く人々の多くは鉄道ファンのことを、よく鉄道のことを知りもしないヤツ、と思うとる現状がある。
AKBと似た構造になっとるな。
鉄道会社が、鉄道ファン向けにムック本を出したりするし、AKBだってそうやけど、メモリストもAKS側がファン向けに書く、という観点から書いている。
だから私はメモリスト好かんねんけど。
しかしまた一方では、鉄道で働く人々が、鉄道ファンに対して、ひとりひとり、「自分らの仕事ってこんなに奥が深いんですよ」と言って、若いファンを鉄道に就職させる動機にしてもいいし、
もう年配のファンやと、鉄道はあくまで趣味になってまうかもやけど、「そういえば、私も自分の仕事を思い返すと、単純なことをしているようでいるけど、奥が深いよなあ」
と思ってもらえるような、そんな活動がしたいし、労働運動はそんな活動は全くしてきてないと思う。
某動労が、コミケに何回かグッズを出して、やっぱその路線はおかしいんじゃないか?として撤退した、と聞いて、グッズをそのまま出す、というのを、どう整理したらいいのか、自分らの運動とは違うけれども、それでもこれまで訴えてきたのとは違う人々に対して訴えられる効果はあるんじゃないか?と思っていたけれども、私の考えは整いました。
グッズというよりも、自分らが自分らの仕事についてどう向き合っているのか?を、会報として取りまとめて、それをコミケで売る。
これならば、鉄道ファンに対して、自分らの労働の実態をリアルに描けると思う。
昨晩見つけてけっこう感動したけれども、たとえばこんなことな。
石北貨物 DD51 過酷な乗務
こういう、労働の誇りというものを、みんなが持っていると思うし、恥ずかしがることなくちゃんと出したら、鉄道ファンだって理解してくれる。
鉄道とAKBを行ったり来たりしてアレやけど、田野とかなぁちゃんのドキュメンタリーは好評やったやん。
資本家がグッズとして売り出しているものとは全く違うけれども、ドキュメンタリーで実態を知る、というのは、人々のココロに必ず響くと思う。
最近のコメント