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 75年前の12月、旧日本軍による奇襲攻撃で炎に包まれた米ハワイ・真珠湾に、安倍晋三首相とオバマ大統領がともに立つ。27日(日本時間28日)の慰霊式典を前に、生き残った米兵や、作戦に加わった日本兵の息子たちは、それぞれあの日に思いを巡らせながら、平和を願う。

 1941年12月7日(日本時間8日)、真珠湾攻撃で多くの犠牲者を出した戦艦アリゾナの操舵(そうだ)手だったルイス・コンターさん(95)=米カリフォルニア州グラスバレー=は艦上で、日本軍の爆撃を受けた。星条旗を掲げる儀式の最中だった。搭載した砲弾が誘爆し、へさきが高く持ち上がる。艦が沈み始めた。「総員退去!」の叫び声。「戦争が始まった」と思った。

 炎を上げる艦から逃れる仲間を救命ボートに乗せた。腕がちぎれ、やけどで皮膚が垂れ下がった兵士もいた。アリゾナの犠牲者は1177人。300人余の生存者よりはるかに多い。「自分は幸運だった」と語るコンターさんはその後、航空部門に移り、飛行艇の乗組員として、ニューギニアやフィリピンなどで日本軍の艦船への攻撃作戦に加わった。

 コンターさんは戦後しばらく、よく夢にうなされ、目を覚ました。深呼吸をして「振り払うんだ」と自分に言い聞かせた。

 戦争体験を話そうとは思わなかったが、1991年、学校の教員から生徒に話してほしいと頼まれ、引き受けた。以後、学校や地域で講演を続けている。

 「攻撃からもう75年も経ち、世代が変わった。当時は日本兵も米兵も、命令に従っただけだ」。今は、そんな心境になれた。

 今年も12月7日に真珠湾を訪れ、最近亡くなったアリゾナ乗組員の遺骨を、今も海に沈む艦内に納めた。コンターさん自身も、遺骨の一部をアリゾナに納めてもらうつもりだ。

 沿岸掃海艇コンドルに乗ってい…

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