2016年はおかしな1年だった。
だってハイスタが活動再開CDリリース、宇多田ヒカルもニューアルバム。
そしてなぜかアジアンカンフージェネレーションの「ソルファ」というアルバムがCDショップの店頭に並んでいる。
おかしい。
ソルファって12年前のアルバムじゃん。どうしたアジカン?解散でもするんか?と思ったら、なんと新作。ってかリレコーディング。
リマスターじゃなくて、リミックスじゃなくて、リレコーディング。
いちから撮り直しかよ、すげぇな、金と時間と気力、使ったなぁ~。
そうゆーことで、聴いた。
というかココ一ヶ月くらい、なかなかの頻度で聴いている。
いろいろ書きたいことがあり、書くべきか迷い、そして更新が遅れた。
良かった。
よくないワケがなかった。
だってソルファだもん。
たしかに思い出アシストがグイグイかかってくる。青春の一ページだもの。
やっぱ曲がすごく良い。格好良い。メロディがキャッチーでバンドアレンジもなかなか凝ってて良かった。ソルファは名盤ですね。
しかしいろいろ否定的な感想も持ち得た。
前提として、どちらが良いのかという話しではない。
どちらかが好みか、でいえば昔のほうが好きである。
なので熱烈なアジカン信者は見ないでください。
そもそも再録について。
このスタンスがあまり気に食わなかった。
たしかに演奏していくにつれて曲が成長、完成することもあるだろう。
しかし、そのアジカン、まぁ中核である後藤の
「昔のソルファは再現しきれなかった。しかし今もういちどやったら、もっと良くできるハズ。だから録音しなおした」
みたいな発言が鼻についた。
いや、おまえがそんなこといったら、昔のソルファが出来損ないみたいじゃん。って。
そんなこと言っちゃったら、過去のあのソルファが好きな人にも失礼じゃんって。
私は昔のソルファ大好き。
撮り直して、アレンジやら、音質やら、クッキリ感やらよくなった部分って多い。
でも、あの初期衝動的な部分を塗り替えるほどのもんでもなかった。
過去のソルファと新録のソルファが、その点で聴くべきポイントが違う、と言われればそのとおりです。グゥの音もでません。
歌について思うこと。
後藤は歌がうまいタイプではないし、アジカンって別に歌唱力を聴くバンドではない。
歌唱方法が変化したのはめちゃクソわかる。しかし、むしろ棘が抜けてしまい貧弱に聴こえた。音圧はすげぇあがっているが。
てかリライトとかリバーブかけすぎじゃない?あと歌い方しゃらくさくなったな。
このへんも聴くべきポイントの違いと言われれば、おっしゃるとおりです。でもたしかにキレイになりましたね。
これは回顧録として聴くべきなのだろうか。
過去ソルファに湧いた人間たち懐かしみの為に作ったのか?それもあるだろうが、そうでもない部分もあるだろう。
新規ユーザーにも聴いてほしいから、話題づくりに作った、って気持ちもわかる。
しかし、今のアジカンがホントに好きで、現代2016年にはまった人なら過去作品なんてちゃんと聴くと思う。音楽が好きならなおさら過去の作品なんて追うハズだ。
過去の作品なんて興味ない、なんて言われちゃうなら、正直その程度のバンドになっちまったってことだと思う。
バンドマンにとって昔の曲とはどういう位置づけなのだろう。という疑問が湧く。
現状のアジカンのソルファがやりたかったのなら再現ライブでよかったのでは?グレイプバインみたいに。なんて思った。
苦労を水に流すようなこと言ってごめんけど。
この再録盤を出すのは勇気だとは思う。
たとえ、ツェッペリンがⅡを「荒いからキレイに撮り直す」なんてプレゼンスあたりで言ってやっても、元々のほうがよかった。なんて言われるだろう。まぁ他方では良いと言われてもだ。
※ハスキングビーのグリップと小沢健二のライフはボーカル録り直したほうが良いと思っている。余談。
バンドや作者の内情を加味して作品を聴くってのは愚行だとは思う。
しかし再録であれば、そこに意味が欲しいと思ってしまう。
そこで上記の後藤の発言を聞くと、どうも過去作ソルファが可哀想になってしまう。比べて聴いてみればやっぱり新録のがキレイでまとまってる。しかし、じゃあ過去作ソルファを捨てるのか?あんなに良い出来なのに。
アジカンも向上心があるのだろう、バンドとして。故に過去作を超えたいと願う気持ちはわかる。
しかし、じゃあ、これも耳にタコだろうが、新作つくれよって思ってしまう。
そんな感情を持ちながら新録ソルファを聴いている。
うん、でもやっぱ良いよ。
しかし断言するが、ループ&ループはぜったい最後だよー。