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にわか馬券師の凡庸な日々

競馬のこととか、競馬以外のこととか。



仕事納めはまだ来ない

年の瀬。いよいよあと5日。
仕事してテキトーにテレビ見るぐらいの例年に比べたら、ブログやってたり有馬記念というビッグイベントがあったりで、少しは1年の終わりという実感があるかなと。

なお、今年の仕事納めは12月31日。まあ業種柄仕方がないのでそこに不満はない。
が、今の会社に勤めて数年。前々からここに自分の未来は無いなとうすうす思っていたのが、今年はかなり明確になった年でもあった。

詳細を書いても仕方がないし、身バレしたら損する可能性が高いので書くのは控えるが、約2年ほど前に自分が悪いとされたバカバカしい事案は相当に尾を引いてるのだと痛感された1年だった。
自分に全てをなすりつけて事を収めた人間を恨んでも何も得るものはないし、まあ振り返れば自分がそういう憂き目にあったのは迂闊さゆえの必然だったのだろう。

組織というものが、管理職という立場の人間が、客観的に事実をとらえ、公明正大に裁定してくれるわけなどない。
知らないわけではなかったが、その認識が甘かったのは確かに迂闊だった。
よく考えるまでもなく、揉め事が起き、その一方が中途採用の契約社員であれば、言い分もへったくれもなく、どっちを切るかなんて決まっているじゃないか。

長年芸能界で燦然と輝いていたスーパーアイドルグループでさえ、生身の自分たちからのメッセージを発することも許されず、粛々と解体された。

伝統文化にとてつもない泥を塗ってくれた将棋連盟は、守るべきを守らずに、事実の精査も何もなく、1人の棋士の人生を終わらせることで事態を収束させようとした。
それが甚だ不適切であったと白日に晒されても、責任を負うべき人間が誰一人責任をとらずに幕引きしようとしている。

腐った人間はどこにでもおり、常に立場の弱い者にすべてをなすりつけ、己は安穏と惰眠を貪っている。
悪い奴ほどよく眠る。昔の人はよく言ったものだ。

嘆いても憤っても仕方がない。自らがそういう社会におり、不幸にも泥を被らされる立場になってしまった事実を現実のものとしてただ受け入れるしかない。

その現実に応接する方法は3つ。

我慢するか。
戦うか。
逃げるか。

事案が起きたとき、2つ目の選択を真剣に検討したが、どう考えても勝ち目はないだろうと諦めた。事実は曲げられ、握りつぶされ、普段自分に良くしてくれてる人たちも自らに塁が及んでまでも味方はしてくれないだろう。
よしんば主張が認められたとしても、失うものの方が得るものより多いであろうことは明白だった。

自分の年齢やキャリアを考えると、退職届を叩きつけることもできず、ただただ我慢して、お前が悪いけど処分はしないであげるという屈辱極まりない裁定をヘエコラと受け入れ、何事もなかったように日々を継続するしかなかった。

そして今。やはり自分の未来はこの場所には無いのだと。強く強く感じている。

契約し勤労している以上、誠実に勤め、時間内はやるべきことをきちんとこなすべきだし、実際にそうしている。
が、それ以上のプラスアルファをそこに置くことは一切しない。

そして、1つの道を現実のものとすべく、準備はしよう。行動はしよう。
結果、それが叶わなかったとしても、その日を目指して動いてみることに意味がある。

いつか飛び立てる日がくると信じて。