「愛してる。」
と、言わなくても愛は伝わる。
「ごめんね。」
と、言わなくても気持は伝わる。
言葉は、伝えるための道具。
どんなに上手く装備しても、伝わらなくては、ただの道具。
今、世の中では、僕を庇う様相を見せながら、
特定の人たちを攻撃している人たちがいる。
ただの道具を使って。
きっと、それは、たくさんの人たちがそう感じたから。
「ごめんね。」
僕に、それが届かなかったのを、たくさんの人たちが敏感に感じたから。
心は波動。
たどり着くもの。
水際の小石が、コロコロとさざなみに巻き込まれながら、
陸に届き、そして空気に触れることができたとき、
やっと、それを摘むことができる。
水の気持ちを陸が知るとき。
たくさんの人たちが、道具を使って、小石を動かすような振りをしてるけど、
水面からでは、決してできないこと。
声を上げて、空の顔をして、
景色の主役のようになって、僕を庇ってくれなくてもいい。
言葉は、ただの道具。
伝わらなくては、意味がない。
「表情」と「心情」は、似てるけど、
伝わるのは「心情」の方。
景色となって、僕を庇ってくれなくてもいい。
きっと、それは、
社会という海、湖の表面を彩った
「いじめ」
にしかならないと思うんだ。
みなさんが、僕の歌を聴いてくれていることで、僕は幸せ。
みなさんの波動が、ちゃんと届いているから。
言葉は、ただの道具。
伝わらなくては、意味がない。
こんな簡単なこと。
だけど、難しい。
それはね、
言葉に、優しさが宿っているか、いないかの違い。
それを感じたら、
自然に、扉は開く。
「愛してる。」
より、
「ごめんね。」
を、伝えることの方が難しい。
「伝える。」
「伝わる。」
それが、できたら、
人は、微笑むように教えられてる。
できている。