副題は「相互交流と衝突の100年」。著者は、中国の財政・金融といったマクロ経済の専門家ながら、今までも『「壁と卵」の現代中国論』『日本と中国、「脱近代」の誘惑』といった著作で(両方とも面白いです)、中国の思想や政治文化、さらの日本人の中国認識の問題などを論じてきた人物で、この本でもそうした知見が十分に活かされています。
 さらにこの本は日中の経済交流を描くだけでなく、現代中国経済史としても読み応えのある内容になっています。同じちくま新書の岡本隆司『近代中国史』(これも面白い)のつづきとも言える本かもしれません。

 目次は以下の通り。
第一章 戦前の労使対立とナショナリズム
第二章 統一に向かう中国を日本はどう理解したか
第三章 日中開戦と総力戦の果てに
第四章 毛沢東時代の揺れ動く日中関係
第五章 日中蜜月の時代とその陰り
第六章 中国の「不確実性」とはなにか
終章 過去から何を学び、どう未来につなげるか

 副題に「相互交流と衝突の100年」とあるように、この本はおよそ100年前の中国経済の様子を見ていくことから始まります。
 今から100年前の1916年というと、前年の1915年に「対華二十一カ条要求」がありました。ここから中国のナショナリズムが燃え上がり、中国の対日感情は悪化の一途を辿っていった、というのが多くの人の頭にある認識だと思いますが、実はこのあとも日本と中国の経済は密接な関係にありました。
 その代表が「在華紡」と呼ばれる日系の紡績工場になります。

 1920年代、日本の紡績企業は低廉な労働力を求めて相次いで中国に進出しました。在華紡は上海と青島を中心に進出し、その在華紡の存在もあって、第一次世界大戦後、中国の綿糸自給率は向上していきました(34p)。
 以前は、在華紡が中国資本の民族紡を駆逐したとも考えられていましたが、その後の研究によるとこの時期は民族紡も伸びており、在華紡の経営手法などを模倣しながら民族紡も伸びていったというのが実態だったようです(34-36p)。

 しかし、この在華坊も1925年の五・三〇事件では大規模なストライキとボイコットに巻き込まれることになります。
 一般的に、「帝国資本主義」に対する反発といったかたちで説明されることの多い五・三〇事件ですが、著者はその背景にあった「日本的労務管理」の問題も指摘しています。
 民族紡が請負中心の比較的緩い労務管理だったのに対して、在華紡では効率性を追求するために厳しい労務管理が行われていました。
 著者も指摘するように、これはそっくりそのまま現在にもあてはまる問題です。日本型の労務管理に中国人の従業員が反発するというのはよく聞く話で、100年の時をこえて同じようなことが繰り返されているのです。

 1928年に南京国民政府が全国を統一すると、軍閥の割拠状態を利用して中国に勢力を伸ばしていた日本は難しい状況に迫られました。
 日本の経済界には、上海周辺に進出した軽工業(「在華紡路線」)と満州に進出した重化学工業(「満鉄路線」)がありました(66p)。利益率などを見ると、明らかに「在華紡路線」のほうがその収益は高いのですが(68p)、上海周辺の中小の工場はストライキやボイコットに苦しみ、1931年の満州事変以降、日系資本の多くは軍部の強硬路線を支持するようになっていきます。

 この1930年代から今に至る日本の対中国観について、著者は「「脱亜論」的中国批判」、「実利的日中友好論」、「「新中国」との連帯」という3つの類型にまとめて分析しています。
 それぞれ、「脱亜論」的中国批判は中国は遅れた異質な社会であって中国とは距離を置こうという主張、実利的日中友好論は日中経済交流の進化は互いの利益になるという主張、「新中国」との連帯は中国の革命勢力などに共感し併せて日本政府を批判する主張になります。
 そして、1930年代の日本では「脱亜論」的中国批判が優勢で、蒋介石の進めた幣制改革にも懐疑的であり、結局、国民政府の力を見誤ることになりました。

 日中戦争が本格化すると、中国大陸の重要拠点の多くが日本によって支配されることになりましたが、戦費を現地の銀行を使って賄おうとする日本のやり方は中国にハイパーインフレーションをもたらし、国民政府の発行した法幣のほうが好まれる状況でした。
 一方、日本の支配は中国の地域経済間の繋がりを分断し、中国が確保していた外国市場も失わせることになりました。これは戦後の中国経済に大きく響いてくることになります。

 また、116ページ以下の中国の農村と日本の農村を比較した部分も興味深いです。
 中国には日本のような強いつながりを持った「村落共同体」といったものは存在せず、中国の小作農は日本の小作農にくらべて「逃げる」ことが容易でした。
 しかし、戦争の激化の影響は農村にも及び、小作農たちは戦時徴発によって戦場へと駆り出されることになります。一方、地主の側は小作農が戦場に行ってしまったため、彼らとの契約を解除し、立ち退きを迫ります。この国民党による戦時徴発が、農村における擬似的な「階級闘争」を生み、共産党の土地改革を受け入れる土壌を形成したとも考えられるのです(121-122p)。

 1949年、共産党が国共内戦に勝利し、中華人民共和国が成立します。
 しかし、その経済政策は当初から順調とはいえませんでした。共産党政権は富国強兵の必要性から重化学工業に力を入れましたが、当時の中国にとっては労働節約的な重化学工業よりも資本節約的な軽工業のほうが有利であり、それを無視した路線は労働力の余剰を生みました(149p)。
 結局、経済は農村からの収奪によって成り立つ状況であり、またこの時期に労働力の余剰を防ぐためという目的もあって農村と都市の戸籍を分けて管理する戸籍制度がつくられます。
 一方、労働力の調整弁としては日雇いや季節労働者の「臨時工」があてられました(149-150p)。今の農民工のような存在は早い時期から存在したのです。

 日本との関係に関しては、「政経分離」の立場から民間交流が進められますが、57年に岸信介が首相になり、58年に「長崎国旗事件」が起こると、「断交」に近い状態になるなど、中国側の「政経不可分」の立場は時に強固なものでした。
 1962年にLT貿易の枠組みが整えられても、日中間の「政治」の問題は経済にも大きな影響を与えました。

 1972年に日中の国交が正常化されると、日中関係は80年代後半まで良好な関係を保ちます。もちろん、この背景には両国の政治的思惑や戦争に関する記憶などもありましたが、経済的にも両国にとってWin-Winの関係だったという面も大きいです。
 日中貿易において、80年代後半まで日本側が貿易黒字であり、中国は工業化を進める中で日本から工業製品を輸入しました。そして、その資金を日本が対中ODAでファイナンスする形になっていたのです。また、両国の主力産業で競合するものは少なく、棲み分けもできていました(199ー204p)。

 しかし、この良好な関係は1989年の天安門事件でターニングポイントを迎えます。
 事件は、民主化運動とそれを弾圧した共産党政府という政治的なものですが、その背景には経済問題もありました。当時の中国は地方政府の野放図な投資行動により加熱状態にあり、88年のインフレ率は年率で20%近くになりました(212p)。この物価コントロールの失敗が趙紫陽の指導力を削ぎ、市民たちの不満を高めたのです。
 そして、日本政府はいち早く中国との融和に勤めるものの、日本の国民の間には中国政府への不信感が高まることとなったのです。

 90年代になると、製造業を中心に対中投資がブームを迎えますが、一方で日中間の貿易摩擦も起きるようになり、また、日本の国民の対中感情も悪化していきます。
 ただ、この本の分析によれば貿易摩擦があるとは言え、日中の産業にはある種のすみ分けができてており、中国の台頭が日本経済の低迷をもたらしたというわけではありません(238-241p)。

 しかし、やはり厄介なのが政治も絡んだリスクです。2005年の中国での反日デモや2010年の尖閣国有化をめぐる中国の反発などは記憶にあたらしいところですが、この本ではもう少し根本的なところからそのリスクを説明しています。
 一般的な資本主義社会では、企業と労働組合が対立・協調しながら労使の間のルール作りが行われます。そして、それがうまくいかない場合は政府が第三者として介入します。
 ところが、表向きは社会主義の中国では政府から自立した労働組合というものは存在せず、NPOなども厳しく規制されています。つまり、労働者はその不満を直接政府に訴え、政府が労使を仲介することになるのです。
 このときに、労働者の不満をそらすための手段としてナショナリズムが持ち出される可能性があります。特に日系企業にとってそれは大きなリスクでしょう(268-274p)。

 このように「不確実性」のある中国経済ですが、そこには潜在的な成長の芽もあります。この本の最後で、深センおけるメイカー・ムーブメントを紹介しています。この深センの動きについては丸川知雄『チャイニーズ・ドリーム』(ちくま新書)でゲリラ携帯のことが紹介されていましたが、この深センのダイナミックなものづくりの動きは今も衰えていないようです。
 政府が統制しきれていない部分で「自生的な市場秩序」(282p)が生まれているのも中国の一つの側面です。中国に関しては、その「不確実性」の中に「可能性」を見ていく必要があるというのが著者の結論です。

 このように盛りだくさんの本で、単純に日中の経済関係史を頭に入れておきたいという人にはやや過剰かもしれません。ただ、この本を読めばここ100年の中国経済史の見取り図を得ることもでき、中国経済への理解は格段に深まるでしょう。
 そして、この本を面白く感じたのであれば、中国や日中関係について別のアプローチから迫った『「壁と卵」の現代中国論』『日本と中国、「脱近代」の誘惑』もぜひお薦めしたいです。

日本と中国経済: 相互交流と衝突の100年 (ちくま新書1223)
梶谷 懐
4480069291