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「今日友だちに姉ちゃんがA高校や、って言ったら、『マジで?姉ちゃんそんな頭いいのに何であんたそんな馬鹿なん?』って言われた」
そう言うと妹は言葉を終える前に1人堪えきれず爆笑しだした。虫歯一つない歯がゲラゲラと楽しそうな笑い声をたてた。妹の笑いは通常それと自覚なしに周囲の誘い笑いを引き起こす。当時わたしは地元の進学校、妹は偏差値が一番下の公立高校に通っていた。どうやら友人にわたしの通う高校の話をしたところ上記のリアクションをされたらしい。妹はまだ笑っている。だがわたしは、笑わなかった。
小学校に上がる頃くらいから知っていた。人が自分よりも妹を好きなことを。手前味噌ではあるが妹は可愛い。潤んだ大きな瞳にぷっくりとした唇。そのコロコロと豊かに変化する表情やユーモアあふれる物言いは一緒いる者を楽しい気持ちにした。周囲は競うようにして妹の傍に居たがった。
それとは対照的にわたしは容姿に恵まれているとはお世辞にも言い難かった。妹との数少ない共通点の1つであるぷっくり唇はしかしながらブスにはディスアドバンテージでしかなかったし、腫れぼったい瞼に重く垂れ下がった頬はいつもわたしの表情を不機嫌に見せた。そして実際わたしはテンションが低く子どもらしさに欠けた可愛げのない子どもだった。
幼い頃のわたしを知る知り合いからこんな話を聞いた。あれはわたしがまだ3歳の頃。その辺で摘んできた花を片手に何処かへ向かっていたわたしに「きゃとらにちゃん、お花かわいいね」と知り合いが声をかけた。するとわたしははたと止まって知り合いの方に例の不機嫌なブルドックのような顔だけで振り返るとこう言ったそうだ。
「それどういう意味?」
「わたしじゃなくて花がかわいいって?」とでも言いたげだった3歳児にしてはあまりにも生意気すぎるその態度が強烈に印象的だった、知り合いは今でもわたしを見るたびにそう言う。
わたしはそういう子どもだったのだ。
そんなわたしを周囲は持て余した。当然だ。わたしみたいな子どもわたしでも持て余す。しかし当時のわたしは自分の異質さに気付けず、ただ嫌われているのだと思った。そしてその理由を妹のように可愛くなく愛嬌がないからだ、と思い込むようになった。今思えば、自分がもたないものに原因を探したのは一種の逃げだったのかもしれない。
しかしながらそんなわたしにももちろん長所はあった。実際の所、容姿、ソーシャルスキルの問題を除けばわたしの人生はイージーモードと言ってもよかった。運動会となると毎年リレー選手に抜擢され、絵や習字作品などコンクールに出展するようなものは毎年入選するなど、とにかくやることなすことが運良く高評価を受け表彰された。そして表彰されるのは好きだった。面白いこともろくに言えず冴えないわたしは、普段いてもいなくても何ら変わらない空気のような存在だった。それが表彰され、先生に褒められる時だけ、自分の確かな存在をクラスの中に実感できたのだ。
そして何よりも、自分の長所はそのほとんどが妹には基本スペックとして搭載されていないものばかりだった。そしてそれが妹に対する劣等感を抱えるわたしのささやかな慰めだったのだ。
遊びの誘いの電話が妹にしかかかってこない時、
届く年賀状の数が妹の方が圧倒的に多い時(毎年)、
わたしとは話し辛そうにする子が妹とは楽しそうにおしゃべりする時、
心の中で必死に唱える。
ワタシダッテ、イモウトニハナイモノヲモッテイル。
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「…やけ、その子には『そうやねウチの姉ちゃん頭いいね』って言っといた」
まだ高校の友人の発言に思い出し笑いをしていた妹はゲラゲラ笑いの合間にそう言うと清々しい笑顔をこちらに向けてきた。
その瞬間悟った。
自分がすがりついてきた優越感には何の価値もなかった。
わたしが妹のソーシャルスキルを羨んで生きてきたように、妹もきっとわたしへの嫉妬を引きずったのではないか。わたしたちはお互いに欠けたものをお互いの中に見つけそれを妬み合ってきたのではないか。そう思っていた。そう思いたくて仕方なかった。そんな後ろ暗い期待がなければやっていけなかった。
しかし実態は違った。妹はわたしを羨んでなどいなかった。自分とわたしの差異など、自分にはなくてわたしにあるものなど、気にかけてすらいなかった。この気持ちはわたしの片思いでしかなかった。
だからこそ友人の発言を笑い飛ばせた。
もし同じ経験をしたのがわたしだったらどうだろう?例えば自分のコミュ障さ加減を妹の卓越したソーシャルスキルと比較されたら、とてもじゃないが笑えない。いや、たとえその場では笑うしかなかっとたしも、言われたことをネタにして家族に面白おかしくゲラゲラ笑いながら話すことなどできない。傷ついたプライドを必死こいて隠しながら1人でベショベショ泣くだろう。あとついでに辛辣なことを言った友人のことはねちっこく恨むだろう。
本当に妹にはかなわない、この時ほどそう思った日は後にも先にもなかった。
ところでこの件について先日妹と直接話してみた。まずはわたしがずっと妹の人気っぷりに憧れをこじらせた嫉妬心を抱いていたことを伝え、その上でもし妹にも誰かを羨むようなことがあったかどうかを聞いてみたのだ(これはどうしても聞いてみたかった)。
「あるよ~」妹はあっさりそう言った。いつ?!素直で単純でいつだって感情筒抜けの妹がどうやってわたしから自身の嫉妬心を隠したのか。
「姉ちゃんには才能がいっぱいあった。多すぎて勝とうと努力する気すら起きなかった。だから諦めた。」
え、それだけ?20数年悩んだ自分が急にばかばかしく思えた。長年無益にいじけた自分を恥じていると妹はさらに付け加えて言った。
「小学校の時体育の授業で跳び箱してたら顔面から着地した。そしたらその瞬間を次の時間体育で同じ体育館に待機してた姉ちゃんのクラスの子全員に見られた。
自分はむかしめっちゃとろかったから、周りからは姉ちゃんはなんでもできるね、ってよく言われたよ。」
「凹むことは正直あったけどもう勝てないもん。遺伝する時才能が全部姉ちゃんに片寄ったんやろうなぁと思ったよwそれに周りの大人からも散々比較されたしね。流石に慣れたよ。」
言われるまですっかり忘れていた遠い記憶、妹の跳び箱顔面着地。その後妹は堪えもせず勢いよく泣いていた。「きゃとらにの妹が顔打って泣きよる」周囲はざわついた。わたしはこの事をすっかり忘れていた。しかし妹は忘れたことがなかった。
わたしと妹のソーシャルスキルの違いが(少なくともわたしの目の前で)比較されることなどなかった。しかし妹は周囲の大人たちのオープンで無遠慮な姉妹間比較に度々さらされていた。
わたしが自分の特技を甲冑のごとく身にまといどうにか傷つくまいとピリピリしていたとき、妹は自分と姉との違いから目を背けずかといって抗いもせずただ静かに受け入れていた。他人によってしか何者かになれないわたしとは違い、妹はそれを自分の内側に探し、見つけていた。
それが、容姿よりも愛嬌よりもわたしに足りなかったものだったのかもしれない。
きゃとらに🐈
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