次の作品の模型として粘土で「脳」を作ったよ!【制作工程画像大量】 - MIKINOTE
先日から作り始めた「脳」をモチーフにした作品の粘土模型なのですが、大急ぎで作ったせいか、よくよく見たら少し手直ししたい箇所などが幾つかありました。
そこで、昨晩は性なるクリスマスの夜だと言うのに、粘土をイジイジしてもう少し作り込みをしました。
と言っても、すっごく微妙に細かい気になる部分に手を加えただけなので、パッと見た感じだとほとんど違いがわからないかと思います。
特に大きく変更したのは後頭部に当たる部分ですかね。
↑前回ブログに書いた時点だとこんな感じだったのが・・・
↓こんなかんじになりました。
時間が経ってから自分の作っていたものを見ていると、こういう細かいところが気になってきちゃうんだよね。
こっちの方がなんとなくエロくて良くない?
どう?ちょっとち◯こっぽいでしょ?ほら、この左右の付け根あたりがそれっぽくない?(うちの奥さんに見せたら「ケツ!」と言われたけど。)
やっぱり、脳みそみたいな生めかしいものを作るのならば、内臓系のエロさが欲しいよね。まあ、これはあくまで本番の前の模型なので、この感じが本番の電子パーツで上手いこと表現できるといいなと思っております。
そう、アートだとか芸術と呼ばれるものと「エロ」は重要な関係があるんですよ。エロいからこそアートはおもしろい!とも言うことができます。逆に言うと、エロくない作品は魅力がなかったりしますよね。
しかし、この場合での「アートのエロさ」とは何なのでしょうか?別段、性的なモチーフを描いた作品でなくても、優れていておもしろい作品はありますよね。でも、直接的に「性」を描いていない作品でも、何故か「エロい」と感じることがあるのは不思議なところ。
だから、「エロくないとアートとしてはおもしろくない!」と言うこともできたりします。これは間違いない。しかしながら、直接的な表現でなくとも、エロを表現することは可能だと言うことです。
直接的な性的表現とアートは密接に関係していつつも、現代に生きる人間にとっての「エロ」というものが非常に多様化してきているということも関係しています。だからこそ、現在のアート作品には多くの方向性の物が存在しているということなのだと思います。
今回は、アートや芸術とエロについての関係性について書いていくことにしましょう。
<目次>
芸術とエロの関係
性的な欲求や、それに対面した時の動揺は、誰しもが持っていたり、経験したことあるはずのものです。
だから、それを表現した創作物は、それを見た人の心を根底から揺るがすような力を持たせることが可能です。エロいと感じること、感じさせることで、作品の本質的な部分のメッセージを感覚的に伝えることができるのです。
ただ、ここで言う「エロ」とは直接的な意味での「性」とは関係ない場合もあります。だけど、全く関係ないわけではなくて、関係ないはずのモチーフやテーマのものであるはずなのに、不思議とエロいと感じる作品もあります。
現代の人間の「エロい」と言う感覚は、非常に複雑に進化して多様化していて、様々な事柄と関わり合って「エロい」と判断される場合もあります。
簡単に言うと「感動した!」とか「大好きだ!」と思うものは、ある種の「エロ」を感じるからこそ、観た人の感情を揺り動かすのではないでしょうか。
そういった意味で「エロ」を意識しながら制作することは、すっごく重要なんですよね。
よりエロく作る!もっとエロく表現する!そんなことを考えながら制作をしています。むしろエロいことばかり考えてます!
ヌードの作品
そもそも、古来より美術作品といえば、人物のヌードをモチーフにした作品がたくさん存在しています。
例えば、古代ギリシアで作られたミロのヴィーナスとかは有名ですよね。
何千年も昔から女性の裸に布を一枚巻いただけみたいな、エロい彫刻とか絵画がたくさん作られてきたってことなんだよね。
他にも人物の半裸、もしくは全裸をモチーフにした作品を作った有名な画家や作家の名前はたくさん思いつくかと思います。ただ、西洋美術史的には、昔はいろいろと規制があったりなんやかんやあって、「これはエロ過ぎる!異端だ!!」なんてことで怒られちゃったりすることもあったりしたみたいね。
まあ、あまり美術史について書くと詳しくないのがバレちゃうから歴史のお勉強についてはこれくらいにしておきます。
1つ言えるのは男女問わず「人物のヌード」というものがアート作品の最もメジャーなモチーフの一つであるということは間違いないです。
ヌードってのは、性的な意味でこれ以上ないほど直接的な表現であって、それをモチーフに何か作るってのは「どストレートにアートしてるな!」って感じます。シンプル故にわかりやすい芸術作品です。
美術を習っていると必ずヌードデッサンを経験するのだけど、それは芸術の基本的な要素を手っ取り早く表現できるからなんですよね。エロの基本は、やっぱり人体(裸)でしょう。
僕は男性なんだけど、女性でも男性でもエロいヌードはやっぱりエロいと思いますよ。ストレートにエロい芸術作品を見た時はやっぱり、なんかこう動揺するよね。心が揺さぶられる。
そういった意味で、やっぱり「エロ」は作品に必要な要素なのだなあと思うわけです。誤解を恐れずに言うならば、「アート=エロ」と言ってしまっても良いかもしれません。
エロの多様性
ヌードモチーフの作品はアートの原点的なものだと思います。なぜならエロはアートの永遠のテーマだからです。
しかし、今の時代はアートだとか芸術と呼ばれるものは、「現代アート」などと呼ばれて、実に様々なモチーフや技法や手法を用いられて表現されています。
確かに写実的なヌード表現はエロいな!とは思うけど、現代だとそれだけだとあまりにもストレート過ぎるってのはありますよね。
今だと、超リアルに女性のエロい裸の絵とか描いても、誰も驚かないですもんね。むしろ「写真でいいじゃん!」「AVの方がエロい!」みたいな話になっちゃうわけですから。そうなってきたのは、もちろん写真や動画等のコンテンツが世の中に山ほど溢れかえっているせいもあるのだけど、それだけではないと僕は考えています。
現在のインターネットの発達等が要因となって、「エロい」という感覚が「多様化」して、さらにその「多様性」が認められる機会が多くなってきたからというのが1つの原因なのではないでしょうか。
つまり、いろんな性癖やフェチを共通の趣味を持つ人同士で共有することが可能になった。そして、その「マニアックな性癖が細分化しつつも一般化的に認知された」というのが、芸術の多様化の理由の1つなのかなと思います。
アニメのエロさの種類
さて、その多様化した性癖についての話を説明するために、その例として幾つかの有名アニメ作品を引き合いに出してみることにします。
僕はアニメはアートだと思っているんだけど、それはアニメがエロいと感じるからなんですよね。
ただし、そのエロさと言うのは必ずしも性的に直接的なエロという意味ではないということです。
例えば、1995年公開の「攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL」です。
この作品は、ここ最近ハリウッドの実写版が製作中ということ話題になっていたりするんだけど、めちゃくちゃエロいと思うんですよね。実写の方はよくわかんないけど、少なくとも攻殻機動隊のアニメはね。
まあ、言っちゃうと少佐がエロいよね。
光学迷彩を使うときに裸になるからエロいってのもあるっちゃあるけど、それ以上にサイボーグ的なサイバーなエロスを感じるのよね。物語的に少佐の底の知れない感じと、おっぱいも大きいんだけど、ものすごい戦闘力も持っていて・・・みたいな感じが総合的にエロいです。
だけど、この感じは決してストレートなエロさじゃない気がするのよね。いろんな要素が絡み合って出来上がった、非常に現代的なエロだと思います。(20年以上前の作品だけどね。)
京アニの「けいおん!」もすっごくエロいと思うんですよね。
もともと萌え絵ってのは、人間をデフォルメ&平面化して、かわいい部分やエロい部分を抜粋して表現された芸術だと思うのだけど、「けいおん!」の絵柄は、当時この作品を視聴した時にけっこうな衝撃を受けた記憶があります。
いろいろな意見があると思うけど、僕は「けいおん!」の絵ってのは少女としての性的な部分を、今までの萌え絵よりもさらに強調して表現したものだと思っていて、だからこそめっちゃエロいと感じるのです。けいおん!に濡れ場はなかったと思うけど、エロいです。
極端なデフォルメのおかげで、現実の人間と比べると異常に手足が短かったり頭部や瞳が大きかったりするんだけど、それが非常にアート的に上手いことまとめられていて違和感を感じさせない技術が素晴らしいです。さすがは京アニ!
また、けいおん!の絵は未成熟な意味での性的魅力を表現しているとも言うことができて、けいおんの絵をエロいと思う人とそうでない人とで非常に分かれる部分であると思われます。
シャフトの「魔法少女まどか☆マギカ」などもある種のエロを感じます。
と言っても、まどマギの場合、個人的には絵柄がエロいというよりも、全体の構成だとかがすごくいいなと思うって感じかな。(もちろん、うめてんてーの絵がエロいって感じる人もいると思うけどね!)
この作品は、非常に可愛らしい雰囲気の魔法少女モノだと思わせておいて・・・実はものすごくシリアスなストーリーのアニメ作品なのだけど、そのシリアスさが可愛らしい絵柄と違和感なく構成されているんですよね。なんかこう、その巧みさがエロいなって思います。
魔女の結界内での戦闘シーンの描写もすごく興味深いです。チェコの映像作家のユーリ・ノルシュテインっぽいようなコラージュっぽいような世界観だよね。このあたりも戦闘シーンとその他のシーンとの差を、違和感なく違和感を感じさせる手法がうまいな!とこの作品を視聴した当時、感じました。
シャフトのアニメはそういう演出だとか、世界観作りが非常に上手ですよね。
こういう、アニメの構成的な意味で完成度が高い作品を見ると僕はエロいな!って思っちゃうんだけど、そういうエロさもあってもいいんじゃないかなと思うわけです。
こんな感じで、「エロい」と一言で言ってもいろんなエロさが今の時代は存在していて、それが多くの人々に許容されているってことです。
また、アニメ以外のものでも、そこに「一定の特別さ」が存在していれば誰かの性的アンテナに引っかかるってのが今の時代なのではなんですよね。
つまり、「エロ」は時代を経るごとに多様化していて、それに合わせて「アートも多様化している」というのがここで言いたいことです。
美味そうな食べ物は総じてエロい
さて、アニメなんかは最近ではそれが芸術であると広く認められているわけですが、アート的な要素を含んでいるものは他にもいろいろとあります。つまり、普段意識していないけど、エロいはずがないけど、実はエロい!というものが僕達の身の回りにもっともっと沢山あるってことです。
特に、人間の五感に直接訴えるものは、それが性的な部分にも影響することがあります。
わかりやすいところで言うと、「食べ物」ですね。つまり「食欲」です。
食べ物はエロいです。特に美味そうな食べ物は最高に性的にビンビンと感じるものがあるのではないでしょうか?
例えば、ソースかつ丼などもエロいです。
パリパリとした衣と、ソースの照りがエロくない?
ウインナーもエロいよね。造形的にもち◯こっぽいからエロいのもあるけど、それ以上に質感とかや中から肉汁が飛び出てくるのがエロいと思います。
エロいけど美味しい。
にぎり寿司なんかはわかりやすいかな。
トロの赤い感じとか、そこに白い筋が何本も通っていて、ネタが乾いてない感じとか、内蔵的なエロさが感じられるはずです。
筋子のにぎりなんかもエロいよね。
ぬるぽんと口に入れてそのまま喉を通っていけそうな感じが、なんとも言えないエログロな感じだけど、無性に食べたくなるエロさを感じます。
そう、美味そうな食べ物は総じてエロいのです。これは、間違いないのです。食欲を経由して性的欲求をバシバシと刺激するからです。
したがって、好きな異性を落としたいときは、美味しいものを食べさせると非常にスムーズだったりします。なぜなら、美味しいもの食べると気持ちもエロい方向に行きやすくなるから!
そんな感じで、エロさを感じさせるというのは直接的な方法だけではなくて、人間の五感を経由して感じさせることもできるということです。
アート作品を制作する際には、まず前提としてエロさを感じさせること。
だけど、それは直接的な方法ではなくて、むしろ間接的に感じさせることです。そして、その方法を考えるのが非常に重要なのではないかと思っております。
配置がエロい
さて、ここまででいろいろとエロいとはなんぞや?という話を書いてきたのだけど、エロいって言う概念はもっともっとシンプルな表現でも表現できると思うんですよね。
単純な図形の配置だけでも、エロさを表現することはできます。
その辺りの話を、作品を作る側の目線ですこし考えてみることにしましょう。
例えば、↑こんな感じの5つの円が一定の感覚で並んでいる図があるとします。
これ単体だと、全くもってエロいとかそういう感覚は感じないですよね?
だけども、こうやって見たらどうでしょうか。5つの円のうちの1つを少しだけ動かして下にずらしてみました。
ほらっこれだけでなんだかエロくなった!
空間に動きをつけるための配置の変更です。ほんのちょっとした違いだけど、ただの5つの円が並んでいるだけの状態と全然違うでしょ?一気に作品っぽくなりました。
非常にシンプルだけど、「(何いってんのこいつ?)」ってなっちゃう人もいるかもしれないけど、前者と後者だと後者の図のほうがエロさを感じるでしょう。
もう1つ例を出します。
↑4つの正方形が均等にタイル状に配置されている図です。
この正方形のひとつの角度を変更してみます。
うん、なんとなくエロくなってきたかなって感じ!
だけど、これじゃ微妙に単調でつまらないので、もう一手間加えてみることにします。
↑角度を変えた正方形の色を赤くしてみました。
これでだいぶエロくなったんじゃないかな?
なんかわかんないけど、アートっぽいでしょ?
これは、いわゆる基礎デザインで言うところの配置構成の基本的なテクニックを利用したものです。だけど、ちょっとした差ではあるけど、絵的に大きな印象の差が生じたはずです。
つまり、ものすごくちょっとしたことでも、作品がエロいかエロくないか?ということが決まってしまうってことなのね。
作品を鑑賞する側にとっては図形の微妙な位置とか角度なんてどうでも良さそうだけど、作る側にとってはものすごい重要だったりするってことだったりするんですよ。なぜなら、微妙な数ミリとかの配置の差で作品の印象が変わってしまうことを知っているからです。
これは、おそらく美術、音楽、演劇、アニメなどなど・・・芸術全般に言えることなんじゃないかな。
だから、作品作ったり、そのデザインを考えたりするのってすごくおもしろいんだよね!
微妙なバランス感でエロく感じる
先程の図のように、エロさを感じるための1つの条件が「動き」という要素だったりします。しかし、その「動き」も実に微妙な「バランス」で成り立っているという話です。
その説明のために、油土で適当に形を作ってみました。
こんなやつです。
えっ!ち◯こっぽいって?
・・・ほっとけ!!
とまあ、それは置いておいて、このままだと直線的な棒状の物体というだけで、ち◯こに似ているということ以外は、あまりエロさを感じません。
そこで、この粘土棒を少しひねってみましょう。
↑いかがでしょうか?これでかなりエロい感じになったかな。
ねじれて気持ちよさそうな感じに性的な感じが醸し出されているのを感じてもらえるはずです。さっきよりはずっとエロくて良いですよね!
彫刻的に言うと、さっきよりは周囲の空間を気持ち良い感じに支配でき始めていて、作品としての魅力が出そう!な感じの形状になったということが言えます。
さて、ここでこやつをさらにひねってみることにしましょう。
↑ここまでガッツリひねってしまうと、なぜかエロくないと感じますよね。ちょっとやり過ぎの状態です。
なぜエロく感じないのかと言うと、いろいろと理論的な説明をすることはできます。重心的な意味でのバランスが崩れてしまっているからだったり、量感のバランスが均等すぎたりすることが原因なのですが、ここでは長くなってしまうので詳しい説明は省きます。
とにかく、ここで言いたいことは作品に込める「エロ」は微妙なバランスの差で、感じることができたりできなかったりすることがあるってことです。
今回は、粘土をひねって立体の空間バランスの観点から説明しましたが、絵画作品でも何でも同じです。調整の方法はいろいろとありますが、微妙な調整でまるっきり作品のエロ量は変化してしまいます。
よりエロく表現するにはどうすればよいのか?
そのためには、どんなエロさを表現して、それをどうやって作品を見る人に伝えれば良いのか?
意外と微妙なところで、エロさを表現できたりするので、いろいろと作品のデザインとかを考えたり微調整するのは楽しいですよ!と今回はそんな話でした。
まとめ
- 直接的なエロ(ヌード)をモチーフにした芸術は大昔からあった
- エロは芸術の最も重要なテーマの1つ
- 現代はいろんな人がいるからエロもいろんな種類がある
- アニメはエロいけど、エロさの種類は作品によって異なる
- 食べ物も食欲と性欲が密接に関係しているからエロい
- つまり、エロは間接的に表現されることが多い
- ちょっとした配置の変化だけでもエロく感じる事がある
- エロいという感覚は微妙なバランスの上に成り立っている
まとめると以上のような感じです。
何かを見たときに「これはエロい!」と感じる感覚は、(ほとんど)誰もが持っている感覚です。
しかし、それは人それぞれで様々に異なっていて、多様化していて、だからこそアートもいろんな種類の作品が作られているというわけです。ある種のフェチズムだね。
エロいという感覚は非常に強力で、エロさを上手いこと感じさせることに成功している作品はやっぱりおもしろいのです。それは、絵画でも、彫刻でも、写真でも、デザインでも、書道でも、どんな芸術分野でも同じことが言えます。
そう考えると、いかにエロく表現するか?という問題はもっと真剣に考えるべき問題で、ある意味でエロければエロいほどインパクトのある作品を作ることもできるってわけです。だけど、直球勝負過ぎると今の時代では通用しないのが難しいところ、というわけです。
そんなことを、聖なるクリスマスの夜に考えながら性なる粘土いじりをしていました。