【コラム】「護国英雄の不都合な真実」、その後

 国防部側は、第6師団の米軍顧問が作成した「沈鎰のシルバースター勲章推薦書」(1950年9月1日付)を提示した。彼の戦功を立証する決定的な資料だと言った。「息子3人を失った沈少領の両親を慰めるため、勲章を与えた」という李大鎔将軍の証言はうそだという証拠だと言った。個人の証言より、当時の文書の方がはっきり物語ってくれるではないか、という意味だった。「太極武功勲章をもらえなかった李大鎔将軍の個人的感情が作用した」「軍人の模範たる沈鎰少領を今になってひっくり返す李大鎔は左派」という稚拙な話も出回った。

 しかし「シルバースター勲章推薦書」の功績に登場する日付と場所を調べてみると、そんな戦闘はなかった。戦闘があった当時一緒にいたという人物は、軍籍がなかった。証言の立会人リストもなかった。通常であれば勲章の上申は所属の連隊でやるのに、米軍顧問の個人的推薦だった。推薦した顧問は、戦闘を直接目撃したわけではなかった。沈鎰神話の検証は「功績の内容は事実でない」というところから始まったのに、過去の功績記録そのものを持ちだして「事実」だと立証しようとする、過ちのループにはまったのだ。国防部は「沈鎰神話」を守ろうとする側へ向かっているという。

 真実が不都合であっても、真実を覆い隠すことはできない。私は決して、沈鎰少領に評価を下そうという気はなかった。彼が祖国のために戦い、貴い命をささげた事実は否定されてはならない。中国軍の参戦によって後退する途中、北朝鮮軍の弾に当たって死んだとき、彼はまだ28歳だった。

チェ・ボシク先任記者
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