沖縄を知るために、切り離せない戦争!沖縄戦について知ろう
沖縄と言えば、異国情緒漂うリゾート地ですが、太平洋戦争で最も規模の大きい沖縄戦の激戦地であったことは有名です。
この太平洋戦争における、沖縄での戦いを沖縄戦と呼びます。
日本軍は、本土決戦する前の、時間稼ぎの策を講じるために、沖縄を戦いの場に求めました。
また、アメリカを主体とする連合軍も、日本での本土決戦に向けて、ここ沖縄の地を手に入れ拠点にすることで日本本土への戦いに臨もうと、沖縄を攻め続けました。
沖縄戦で最も悲惨さを極めた出来事は、集団自決です。
当時、沖縄の住民は、米兵の捕虜となれば、男は八つ裂き、女は辱めを受けて死ぬと教えられていました。そこで、米兵に弄ばれて死ぬくらいなら、潔く集団自決した方が良いということで、集団自決を選ぶ人も大勢いました。
結果、実に島民の4人に1人が沖縄戦によって亡くなり、死者数は20万人を超えます。
アメリカ軍が上陸して沖縄を攻撃する際、人々の生活の種となる田畑を荒らしながら攻めてきたそうです。
今まで、家族と共に過ごしてきた故郷をアメリカ軍によって汚されていくのをどんな気持ちで見ていたのでしょうか。
戦争は理性を失います。食べ物を調達するために、日本兵でさえも、民間人を殺して食料を奪ったこともあるようです。敵も味方もありません。
人々が理性を失った異様な環境を生き延びていくのは、不安と恐怖の戦いです。
また、集団自決こそが正義という考えは、日本軍による強制や誘導によるもので、決して沖縄の人が自ら選んで自決した訳ではない場合もありました。
集団自決は家族を殺しながら死んでいかなければならない悲惨な行為です。
沖縄戦はまるで地獄絵図のような状況でした。
沖縄旅行に訪れた時は、ぜひ、この沖縄戦について知ってください。
もう二度と、このような恐ろしい光景が繰り返されない様に、後世に色褪せることなく伝える義務があるからです。
沖縄戦を知るためのおすすめの場所
・ひめゆりの塔
沖縄県糸満市字伊原671-1/電話098-997-2100
ひめゆりの塔とは、ひめゆり部隊の慰霊塔です。
ひめゆり部隊とは、沖縄戦で傷ついた兵たちの治療を担当するためにできた従軍看護婦でした。15歳~19歳の中高生の男女が配属され、このうち136名が殺害・または自決して亡くなりました。
・沖縄県平和記念資料館
沖縄県糸満市摩文仁614-1/電話098-997-3844
激闘した沖縄戦の様子がパネルや遺留品を通して伝わってきます。
当時の住民の様子など、マネキン人形などを使い、分かりやすく再現しており、その悲惨さがよく伝わります。
戦争体験者の書記が読めるコーナーでは、壮絶な体験が生々しく語られています。
・旧海軍司令部豪
沖縄県豊見城市豊見城236/電話098-850-4055
沖縄戦で大日本帝国海軍の司令部として使用された防空壕です。
米軍の艦砲射撃に耐えて持久戦を続けるために作られたもので、4千人もの兵士が収容されていました。
現在、旧海軍司令部豪の一部が一般公開されています。
真剣に平和を考えるために
戦争という言葉を聞いても、実際、経験のない年代だと、いまいちどのような感覚なのか分かりません。
映画やテレビ、他国のニュースで見聞きすることはありますが、どこか他人事に感じてしまうときがあります。
しかし、実際に沖縄戦にまつわる場所や遺留品を見ると、戦争の恐ろしさが一気に体中に飛び込んできます。
沖縄旅行に、戦争という重い過去を巡る旅ではありますが、真剣に平和を考える良い機会を与えてくれます。
沖縄戦で亡くなった方の死を無駄にしないためにも、私達はこの事実を受け入れていくべきではないでしょうか。