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日本初の劇場型犯罪、金嬉老事件(寸又峡事件)とは?

金嬉老事件(きんきろうじけん)は、1968年2月20日に39歳の在日韓国人二世の金嬉老、本名:権禧老(クォン・ヒロ)が犯した殺人を発端とする監禁事件。寸又峡事件とも呼ばれる。日本初の劇場型犯罪

更新日: 2013年05月23日

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1968年2月20日夜、静岡県清水市のクラブで、借金返済を求められた金嬉老(当時39歳)が、知人の暴力団員2人を射殺。

そのまま逃亡した。金はその足で、寸又峡温泉の旅館「ふじみや」に向かい、旅館の一家と客13人を人質にとり、篭城した。

事件の直接のきっかけは借金返済問題であったが、金がずっと以前に目撃したと主張する警察官による在日韓国人・朝鮮人への蔑視発言について謝罪することを人質解放条件として要求し、それ以外の要求を殆どしなかったため、「差別問題」と絡めて報道されるに至った。

私は子どもの時から、朝鮮人だ、朝鮮人だ、といって日本の人たちからずいぶん惨めな思いをさせられ差別を受けたと、犯行の正当性についてマスコミに語った。

1928年、朝鮮生まれ。戦中に静岡県清水市にいた後、掛川市に移った。

日本名は近藤安広、また金岡、清水とも名乗った。本名は権嬉老。計7つの名前があった。

在日を中心に同情を集めた。

1972年2月16日 静岡地裁で、「殺意を持った計画的犯行で、その冷酷無残さは同情の余地がない。またダイナマイトなどを持って13人を監禁し、地元住民まで恐怖におとしいれ、社会的に大きな不安を与えた罪は絶対に許せない」として死刑が求刑された。

 同年6月、静岡地裁は無期懲役の判決を下す。

1975年11月4日、最高裁、上告棄却。無期懲役が確定。

 1999年9月7日、韓国渡航を条件に仮出所。

韓国では金は「差別と戦った民族の英雄」として扱われたが、
2000年9月3日、韓国・釜山市で、金が不倫相手宅に手製の竹槍を持って押しかけ、この家の夫(当時46歳)と50分間も乱闘し、殺人未遂容疑で逮捕された。

2010年3月26日、釜山の病院にて病没。享年82。

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スイカのタネさん

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