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zoom RSS 映画「天地明察」相違

<<   作成日時 : 2012/11/11 00:00   >>

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もともと映画はフィクションとして楽しめればよいと思うのですが、あまり一般になじみの薄い題材
であったこともあり、フィクションが史実と誤解されることを危惧する意見もあるようです。
「天地明察」の公開がほぼ終了したので、ネタバレ的なものも含めてリストアップしてみました。

天文学関連
 「北極出地の旅」はなかった
   渋川春海は「西国に遊んで北極出地を測った」のみ[1]
 「金環日食」(ラストシーン)はなかった
   史実として該当する日食がない
   金環食では星は見えない
   京都の午の刻の中心食を大統暦が「食なし」とすることはあり得ない
 「北斗七星が今の場所に戻るころ」という説明は日周運動を無視している[2]

こよみ関連
 日の吉凶の誤りを改暦の理由としているが、迷信を減らそうとした渋川春海の意図と食い違うのでは?
 「宣明暦の日食予報精度は年月の経過とともに悪くなった」というのは誤り

囲碁関連
 御城碁を打ってるのに、剃髪していない
 当時はまだ事前に勝負をつけてから御城碁に臨むという慣例は定着していなかった
 「必至」という将棋用語を碁打ちが使うのはおかしい
 安井家は京都に本拠があったので、えんさんは江戸から駆け付けたのではないかもしれない[3]

関孝和関連
 甲府藩の役人だったので、貧乏浪人のように暮らしてはいなかった
 実は渋川春海とは接点がない
(算額・塵劫記関連については未確認)

その他
 山崎闇斎は襲撃を受けて亡くなったのではない

「他にこんな点もズレている」「上記の指摘はおかしい」などありましたら、
ご指摘ください。上記のリストをチューンナップしたいと思います。

[1] 『日本の暦と和算』P.95 の図を見ると、あたかも万治元年(1658年)に全国を巡ったかのようで
  すが、同じ本の本文(P.94)に書いてあるとおり、実際には二十一歳のときに西国で北極出地を
  測ったのみです。二十一歳というのは数えですから、万治元年でなく2年(1659年)にあたります。
  P.95 の図は数十年も後のデータで、おそらく門人たちの測定結果を集計したものと思われます。
  南部(40度)と奥州津軽(42度)で2度も差が出るのは、測り方が一様でなかったか、北極星の
  日周運動を考慮しなかったからではないでしょうか。

[2] コメントでご指摘いただいたとおり、宵の北斗七星の向きで暦月を「建○月」と称する習慣が
  存在します。よって、本項はあくまで「こよみ関連」でなく「天文学関連」の指摘という位置
  づけになります。(指摘自体はすべきかと思います)

[3] えんさんが江戸と京都のどちらに住んでいても、全体としてみるとシナリオに無理が生ずるよう
  に思います。本項の可能性に留意しておくべきでしょう。

----------------------------------
[2012-11-15 追記]
コメントのご指摘を参考に、記述を補ってみました。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
>「北斗七星が・・・」・・日周運動を無視している

たしかにそうなんだけど、これは「(夕方の)同じ時刻に」を省略してるわけですね。古来の建子月、建丑月、建寅月・・・もこの考え方なんで、私はここは許してます。

イシハラ
2012/11/11 13:35
>えんさんは江戸から駆け付けたのではない

大名の奥方は江戸に住んでたりしますよね。人質の意味もあったんだろうけど。
安井家は大名じゃないけど、年の半分くらいは江戸にいたんだから、奥方は京には滅多に行かなかったかもしれない。
イシハラ
2012/11/15 11:08

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