すきあらば、自分を滅ぼそうと狙う敵が四方八方にいる。イスラエルはそうした恐怖感にとりつかれている。脅威の対象は、パレスチナ自治区のイスラム過激派ハマス、レバノン南部のシーア派武装組織ヒズボラ、そして、究極の敵は、ハマスとヒズボラを支援しつつ、核開発を進めるイランだ。
2月の総選挙の後、組閣の要請を受けた右派リクードのネタニヤフ党首は記者会見で「イランはイスラエルにとって独立戦争以来、最大の脅威だ」と強調した。
イスラエルは06年夏のレバノン攻撃や、昨年12月末からのガザ攻撃など、国際社会から「過剰な武力行使」と批判を浴びるような行動を続けてきた。イランに対するイスラエル人の空気は「攻撃するかどうか」ではなく、「いつ攻撃するか」「やられる前にやれ」というせっぱ詰まったものだ。
イランは国連安保理決議を無視してウラン濃縮作業を続けつつも、核兵器開発の意図はないと繰り返す。これに対し、イスラエル国内では、イランは日一日と核兵器製造に近づき、1発目が出来れば、すぐにでもイスラエルを攻撃すると言わんばかりの論調が主流だ。
一方でイスラエル自身が核武装していることは公然の秘密である。100発以上の核弾頭を持っているという見方が一般的だ。イスラエルの背後には、圧倒的な軍事力を誇る米国が控えてもいる。そこに貫くのは、徹頭徹尾、生存のための「力の論理」だ。
イランのアフマディネジャド大統領は「イスラエルを地図から抹殺する」などと強硬な発言を繰り返しているが、今年6月の大統領選挙で敗れたら、政治や外交の軌道が大きく変わる可能性もある。独裁国家が多い中東で、イランは国民の投票で大統領が選ばれる数少ない国である。大統領の上には、軍の統帥権を持つ最高権威のハメネイ師がいる。大統領が独断で無謀な戦争に突き進むことはできない。
冷静に考えれば、イランの核開発が、直ちにイスラエルへの核攻撃につながると考えるには無理がある。
では、なぜ、イスラエルは極端なイラン脅威論に凝り固まるのか。その国民心理について、ダニエル・バアタル・テルアビブ大教授(政治心理学)は「イスラエル人は小さな危機を許せば、いつか新たなホロコースト(ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺)につながるという被害者意識に縛られている」と分析する。実際、ネタニヤフ党首はかつて、イランをナチス・ドイツにたとえたこともある。
ブッシュ前米政権によるアフガン戦争、イラク戦争をイスラエルは歓迎した。だが、いまの中東でこれまでになく反米・反イスラエルの機運が高まっているのは、「米国による戦争」にアラブ・イスラム世界の民衆が強く反発したからにほかならない。しかも、イラクのフセイン体制が倒れ、イランを牽制(けん・せい)し、対抗する勢力はなくなった。その結果、イスラエルがいっそう危機感を募らせているのは皮肉な話だ。
米国ではイスラム世界との関係修復やイランとの対話を掲げるオバマ政権がスタートし、3月初めにはクリントン国務長官がイスラエル、パレスチナの両首脳と会談した。その数日後にシリアに米国の特使が訪問した。シリアのアサド大統領は朝日新聞との単独会見で、イスラエルとの和平交渉に前向きの姿勢を示し、米国の仲介を求めた。しかし、問題はイスラエルの新政権の行方だ。「イスラエルに右派連立政権が生まれ、強硬策を取り続ければ、対米関係にも亀裂が入り、国際的にさらに孤立を深めるだろう」(モシェ・マオズ元ヘブライ大教授)という懸念も出始めている。
(文中敬称略)