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改訂版。
ボクサー、芸能界への出陣厳粛にして荘厳なる神の家は今、一人の暴君によって弾圧の憂き目に遭っていた。
古き教えを守り、静謐なるを尊び、貞節と清貧を美徳として来た教会が、或る英霊により近代化のメスが入れられ、教会の庭に無数の電柱が建ち、蜘蛛の巣のように電線が張り巡らされたのだ。
持ち込まれる電化製品の数々と、業者によって伝統が踏みにじられるが如き様は正に圧政。抵抗する力のない弱者を凌辱するが如き暴挙。申し訳程度に電柱と電線は、教会の景観を損なわぬように気遣われ、最低限のカモフラージュが為されてはいたが、言峰璃正は卒倒し息子の綺礼も敬虔なる信徒として、なんとも場違いな近代化に慨嘆するフリをするしかなかったほどである。
ギリシャ神話二大英雄の一角だという英霊はマスターの制止など馬耳東風。まるで聞く耳も持っていない。原初の騎士が聞いて呆れる命令無視だ。それを咎めて見ても、
「騎士であっても王である。ただマスターであるというだけで主君と認められるものか。まあオレが三騎士のクラスであれば、相応の振る舞いはしただろうがな」
――と、そのように躱されるだけ。綺礼は完全にお手上げ状態、璃正はもう今にも昇天しそうな青い顔色で神に祈りを捧げる始末。
実の父の有り様に、綺礼はえもいえぬ情動を得たが……残念ながらそれを言語化できるほどの境地へ、今の綺礼は至ってはいない。
荷物を纏め、何故か挙動不審だった時臣の下を離れて教会に帰還した綺礼は、変わり果てた教会を遠目に再発見して嘆息する。
あの寂れた教会も失われ、最早昔の静謐な空間が取り戻される事はないだろう。
近所の子供達が多く集まっていた。様変わりした教会の明るい地下を占拠し、サーヴァントの用意したテレビゲームやらボードゲームに興じ、庭ではかくれんぼやら鬼ごっこやらをして賑わっている。教会の主とも言える異教の神は不在なのか、璃正が子供らに引っ張り回されて遊びに付き合わされていた。
何て事だと綺礼をして笑ってしまう。あの璃正がそこいらの子供にたじたじになって遊ばれているのだ。残り少ない髪を引っ張られ、悲鳴を上げている姿を見ると、息子として胸が熱くなる心地である。
こんな遊園地じみた遊具やらで教会を埋め尽くした下手人の資金源は何か。綺礼が問うと、サーヴァントは言ったものだ。
「街中を歩いているとな、身なりのいい老人や投資家やらが何処からか現れ、オレの今後に投資したいなどと抜かしてな。パッと寄越してきたのさ。それを元手に手当たり次第に買い歩きをして遊んでいたら、金は減るどころか増える一方で困ってしまってなぁ。仕方ないから貴様らの寂しい家を賑わわせてやろうと気を遣ってやったまで。なに、感謝せんでもいいぞ、勝手にやった事だからな」
流石スキルに黄金律を持つ英霊は違う、と場違いにも綺礼は
綺礼は子供に見つかると面倒なので、気配を殺して教会の裏から入っていった。荷物を下ろし、二階の窓からなんとなしに外へ目を向けると、教会を異境化させた下手人が正面から帰還してくるではないか。
何処をほっつき歩いていたのやら、と呆れていると、ふと仕立てのいい糊の効いた黒スーツを纏ったサーヴァントが、背後に数人の外部の人間を連れているではないか。
えらく畏まった様子の、企業マンめいた風体である。二人の男性はサーヴァント同様スーツに身を固め、あたかもサーヴァントに付き従う従僕といった立ち位置であった。
そんな男達に気づいた璃正が、頭や肩、腰と両腕に悪ガキをくっつけたまま近寄り、どんな用向きで来たのか訊ねに行った。
そして話を聞くにつれ、顔を赤くするやら青くするやら。璃正は卒倒寸前でサーヴァントに食って掛かるも、やはりどこ吹く風といった様子でサーヴァントは璃正をスーツの男らに押し付けて教会に入ってきた。
子供達はヒーローの帰還とばかりに騒ぎ立てている。サーヴァントに構って欲しいと飛びかかり、見る見る内に子供に埋め尽くされながら平然と歩を進めるサーヴァントは、そのまま二階の綺礼の下にやって来た。
鉄面皮を小揺るぎもさせず、綺礼は訊ねる。
「……今度は何をした」
「? まるでオレが悪い事をしているような口振りだな?」
「……」
自覚なしである。これ見よがしに嘆息するもやはり気にした素振りはない。
「サーヴァント。余り騒ぎを作るな。もうすぐ此処は……」
言いかけ、子供が大人数揃っているのを見咎め言葉を切る。しかしそれは解っているのか、サーヴァントはなんともないように言った。
「解っているとも。時が来れば、この者らにも言って聞かせる。暫し近寄るなとな」
「本当だな」
「念を押すとは……。少しはオレを信用しろ。場は弁えるとも」
「……では、あれはなんだ?」
綺礼が指差したのは、外で話し合う頑なに首を左右に振る璃正と、諦めず説得を重ねる男二人。サーヴァントは何でもないように言った。
「芸能界にスカウトされてな。ちょっと
「……」
「アイドルのように歌って踊りつつ、しかして時には俳優の如く演じ、スタントマンの如く舞い監督のように指揮する……楽しそうだとは思わんか?」
父が頭を抱える訳だ、と綺礼は腕を組んだ。
眉根を寄せ、綺礼は努めて冷静に言った。
「……それは、テレビに出るという事か?」
「? 当たり前だろう。それ目的という訳ではないが、必然的に出てしまうだろうさ」
「お前はサーヴァントの自覚があるのか?」
思わず叱責するような語調になる綺礼。しかしサーヴァントはまるで痛痒を覚えた様子もなく苦笑した。
「無論だ。オレは貴様のサーヴァント、心得ているとも」
「……ならばそういった公に出るような真似は慎め。もしもお前の存在が知られれば、事だぞ」
「神秘の漏洩という奴だな。……ん? ああゲームの話だ、気にするな」
サーヴァントは背中に張り付いている少女にそう言って、綺礼に向き直る。
やはり、何も聞く気がない。
「綺礼。そうは言うが、オレがサーヴァントである事と、現世を楽しむ事は、決して等号で結ばれている訳ではあるまい。別に良いだろう、オレが何をしようと。貴様らのくだらん業界に迷惑はかけん」
「……そういう事を言っているのではない」
「そういう事だろう?」
手近にあったソファーに腰掛け、指の先で少年を指先でくるくると回した。
きゃっきゃと笑うのは、少年の豪胆さ故か。それともサーヴァントの抜群の安定感故か。宙を舞った少年を抱き止め、サーヴァントは綺礼に向けて言う。
「マスターが詰まらん男だからな。この世の楽しみ方の一例を示してやっているまでだ」
「……なんの話をしている?」
「貴様の話だ。この世の全てが詰まらんと斜に構えた面をしている」
サーヴァントは懐から一つのカセットを取り出した。それを綺礼に放って渡し、さっさと立ち上がって二人の少年と一人の少女を優しく振り落とす。
綺礼はカセットを見た。『バイ○ハザード』というゲームカセット。
「それで正樹らと遊んでやれ。貴様のような男は、根が単純な奴とつるめば案外迷いは晴れるものだぞ」
「……知った風な口を利く」
「知っているとも。契約してもうどれほど時が経つ? 貴様の人生、貴様の苦悩、丸ごと夢で眺めてやったわ」
「なんだと?」
思わず聞き返すも、サーヴァントは綺礼の部屋から出ていくところだった。
あの英霊は何を知った? 綺礼は顔が険しくなるのを感じ、咄嗟にサーヴァントに制止していた。
「待て。お前は私に何を見た?」
「鏡を見ろ。そのままだ」
「……まともに答える気はないか」
「答えた。貴様は複雑に考えすぎている。騙されたと思って、子供達と遊んでやれ。そこに答えがあるはずだ」
サーヴァントは綺礼から視線を切って、今度こそ歩き去る。
これから先とんでもない厄介事を齎すだろうサーヴァント……規格外な事に単独行動スキルを擬似的に獲得しているという黄金の英霊は、綺礼の投げた言葉に平然と応じたのだった。
「……見る者が見れば、お前の正体がサーヴァントであると即座に見抜かれる。そうなれば大事だぞ」
「良いではないか。オレがサーヴァントだと知れば、最も目立つオレが真っ先に狙われるのは必然。そうなれば、わざわざ探す手間が省けるというもの。群れを成して挑んで来ようが構わん。オレの宝具を教えたはずだ。貴様さえ下手を打たねばどうという事もない。違うか?」
「……」
「オレは
「……」
対魔力をAランクで保有するあのサーヴァントは、令呪の戒めも一画では通じまい。聖杯戦争開幕まで、まだ期間は空いている。
早期の内に、まだ戦争が始まってもいないのに、令呪を切るわけにもいかない。召喚を早期に実行する判断を父が下した事を、綺礼は失策だったと諦めたように嘆息するしかなかった。
「……正樹と言ったか。やるか?」
何も聞かなかった事にして、綺礼はとりあえず少年達に水を向けた。
やる! 早くやろうぜおっちゃん!
溌剌としたら少年らに、綺礼は暗い目を向けて。ゲーム中、スレてない子供の悲鳴に綺礼は悦に浸っている自分に気づき、なんとなく全ての苦労がどうでも良くなってきたのだった。
数ヵ月後。
芸能界に電撃的にデビューしたサーヴァントの姿が、歌って踊る伝説のパフォーマーとして出現したのに璃正と時臣が悲鳴を上げていた。
挑む世界の変わったメレである。
オリンピックだからね、スターになるのも仕方ないね。